あとりえちえ

ただいま卒業制作中です。

 

ただ今、古い公団(YR)住宅の一室が私のアトリエである。

わたしはやっと自分らしい作品作りに着手し始めた。

美大を卒業してから約40年経っていた。

はじめて・・いや、幼少期以来か・・

自分の内なる声を視覚的表現として表出しようとしている。

 

わたしは、40年前から「卒業制作がまだ終わっていない」という想いで生きてきた。

「卒業制作」とは、大学最終学年時に学業・研究の成果として提出する「卒業論文」の美大版である。

美大では、論文ではなく「大作」で大学生活での成果を発表する。

私は絵画科洋画専攻だったので、卒業制作の課題は絵画2点以上であった。

その絵画の大きさは、畳1畳~畳2枚分もある大画面である。

 

卒業学年の4年生の秋・・

私の真っ白なキャンバスには何も描かれてはいなかった。

他の学生は着々と自分らしい表現とテーマで大作を描き進めている。1点目を描き終わり、2点目に着手している学生ばかりだった。

私は、講座もさぼりがちになり、クラブの仲間からも離れ、ひとり図書館などに引きこもることが多くなっていた。

 

「自分は何を表現したいのかわからない」

 

机上のクロッキーブックと色鉛筆の前に、私は自分のこころと対話していた。

好きなものがわからない・・表現したいものがわからない・・

個性豊かなはずの美大生のイメージとは似合わない「想い」であった。

そして、それは自分のかなり深いところから湧き上がってくる感覚でもあった。

あの頃の私は、今や心理学系スピリチュアル系Utube動画で使われている言葉「他人軸」であった。

 

「他人軸」とは、既存の価値観や風潮、一般的なイメージ、教育による刷り込みなど、本来の自分の感覚や思考ではないものに自分を当てはめ、それを行動の指針にすること。

それに対する言葉は「自分軸」である。これは、自分の感性や感覚や嗜好に価値をおき、それを行動の指針にすることである。

これは、どちらが良い悪いという話ではない。そして、ヒトは親や教育者の影響や社会の風潮など無意識にとりこんで育っているので「他人軸」を「自分軸」だと思い込んでいることも多いと思う。

だから両者の境目がはっきりしていることはなく、ヒトは「自分軸」と「他人軸」両方で生きているともいえる。

 

しかし、あの頃の私はやはり「他人軸」だったのだと思う。

というのは、あなたの自由であって良いと許可されているアート現場で、自分が何をやりたいかわからないということ。

そして、今わたしの美大に入ってからの心模様を思い出すと、ずいぶんと複雑な想いだったからだ。

 

私は、中学3年生の時から本格的なアトリエに通っていた。

高校入学時には美大に進学しようと決めていた私は、1年生の冬から美大受験のための研究所に通い出した。当時では、早めの受験準備スタートである。

その研究所は主に芸大受験を目指している人が多く、かなりレベルが高かった。私は、油絵は得意で色の美しさを褒められることがあったが、デッサンは苦手で、なかなか上手くいかず、3年生になると焦ってきて、家に帰ると「デッサンが描けない」と泣きながらご飯を食べていたこともあった。

わたしは頑張り屋だった。

だが、デッサンの苦手意識は受験前まで続き、私はほぼ確実に受かる美大に焦点を絞り、そして合格した。

その美大には、その研究所でいっしょだった高校生と大学でも付き合うことになる。そのなかのひとりは、高校3年生の秋に美大を目指すことに決めたという。初めは国文を目指していたが、美術の授業で油絵を描き「やりたいものはこれだ!」とピンときて進路を変更したという。

私は心の中で複雑な気持ちになった。「私は絵の英才教育長年受けてきて、この人はこの前から勉強して合格か・・」

大学のアトリエで、その子はモデルを前に楽しそうにキャンバスに向かっている。私は高校の美術部の夏合宿ではヌードモデルを描き(高校生にヌードを描かせるは珍しかった)、1年生から通った研究所でもモデルさんをたくさん描いたので、人物像は上手に・・そう「上手く」描くことができた。

そして、楽しそうに描いているその子の絵を覗く。私の心はハッとした。

その絵の中のモデルは、実際のモデルとはちっとも似ていない。だか、その絵はいいのだ。なんとも言い表せない魅力があるのだ!そして、本人はその良さに気付いていない様子。ただ楽しそうに描いている。そして、どこかに遊びに行ってしまった。その間に教授がアトリエに入ってくる。作家がいないその絵を観て声を上げる。「あら!いいわねえ!似てないけど」わたしが感じたとおりの言葉だった。

わたしの心の奥底から言いようもない感情がかすかに湧く。それは、嫉妬だった。「わたしはもう何年も頑張ったのよ。こんな彗星のように現れた人なんかの絵が魅力的なんて!」

複雑な気持ちのまま付き合う。コドモのように天真爛漫に振る舞う彼女はどこか鼻につく。しかし、興味があり目が離せない。そんなわたしのココロ・・・

 

今、心理を長年勉強してきた今の私は過去の私に伝える。

「デッサンなんかやりたくなかったんだよね。でも美大に合格するにはそれをやらなきゃダメだって思い込んでイヤなことも頑張ってきたんだよね。小さい頃からイヤなこともやらなきゃダメって教え込まれていたから。だから、いやなことを頑張っているうちに、自分の好きなことや自分の良さや楽しみもわからなくなちゃったんだよね」

そして続ける。

「嫉妬したってことは、自分にはないものを相手がもっていると勘違いしたんだよね。でも、人は鏡なんだ。気になる相手は自分でもある。純真無垢なノビノビした魅力は自分にもあったんだよ。だって、その子の良さがわかる自分なんだから」

 

あれから何十年もわたしは自分の心を捜し続けてきた。自分の心がわからなければ、表現できない。わたしは、自分自身の魂に沿った表現をしたかった。本当は、上手い下手なんかどうでもよかったんだ。

ー卒業制作がまだ終わっていないー

しかし、もう少しで完成しそうです。

 

 

 

 

うーん・・2,3カ月はかかるかな(*^_^*)

 

 

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