今日は、女の子の節句「ひな祭り」。
もうとうの昔に女の子ではないが、一応女だし、心はコドモのままだし(これは私に限ったことではなくみんなだと思うが)
2日ほど前、35年ぶりにひな人形を箱から取り出してみた。
この35年ぶりになってしまったのは、家の事情でいろいろあるのだが、これは説明してもしょうがないので省く。
とにかく、35年間一度も開けたことのない「ひな人形セットの段ボール箱」が何箱もうず高く積まれていた。
高齢の母は何年も前から気にしていたらしく、時に触れて、
「人形たちはカビてしまっているだろうねえ。顔がお岩さん(怪談話で、家宝の皿を割っただけで無残にあばた顔にされたうえに殺された怨霊)になっているかもしれないねえ。処分するしかないかねえ」と話していたことがあって
わたしは「やはり人形はね・・祟りなんてないとはわかっていても、自分の心がすっきりしないから、寺に人形供養をお願いしたほうがいいよ」とか言って、ネット検索で近くのお寺さんを捜していた時期もあった。
だが、話に出ては日々の生活で忘れてしまい、彼ら彼女人形たちは、35年間一度も日の光を浴びることがなかったのだ。この2日前まで!!
3月1日になった日、わたしは春になったことを実感するとお雛節句が近いことに気がついた。
すると今年に限って何故なのか「一度飾ってみよう」という想いが降りてきたのだ。
うず高く段ボール箱が積み上げられている部屋に入り、屏風だの、人形だのマジックで書かれた箱を何箱も見つけ出し、玄関前のスペースに並べてみた。
そして、段ボール箱から人形が入った古い箱を取り出しひとつひとつ開けていった。観ると、箱の蓋の裏には、「昭和○○年、三越で」とか「昭和○○年、和光で」とか書かれてあった。
私は母の言葉を思い出した。
「お姉ちゃん(わたしには4歳上の姉がいる)のときにはね、貧乏でお雛人形は買えなかったんだよ。しょうがないからね、折り紙で折って作ったんだよ」
「お雛人形を飾れたのはあんたのときからだよ」
「段飾りなんてとてもじゃないよ。揃いを買えなかったから、最初の年は<お内裏様一対>、次の年は<三人官女>、その次の年は<五人囃子>と年ごとに増やしていったからね・・お人形の顔がそろってないだろ?」
昭和○○年と店の名前が記してあったことで、わたしは、その当時のことを思い出していった。物ごころついたときは東京の団地にいた。皆と同じ暮らしぶりで、子供の私は、家の家計が大変なのだと言う認識は1ミリたりとも感じていなかった。
古い箱から人形を取り出す。
人形は白いたとう紙と紙製のこよりでくるまれてあった。また頭部は紙に包まれたうえにこよりで丁寧に結ばれてあった。人形の首がとれてしまわないように、こよりや何重にもくるんでいる紙をはずしていく作業にけっこう手間取った。
また、封筒だったり小さなビニール袋にはいっている人形につける小道具も出てくる。お雛様の冠もビーズがついたりしていたが、壊れてはいなかった。
ぼんぼりも出てきた。ランタンの部分は、薄い布で作られており、うっかり指で押すと布がはがれかけて壊れそうになった。
「この布は絹かな。化繊の布はまた普及していなかったのかな」
「これらってオールメイドインジャパンだよね。台東区の職人さんたちが作ったのかな」などと思いながら私の子供時代にワープしていくような感覚になった。
玄関前のスペースには、飾り台にのった人形があっちこっちと向きながら、雑然と並んだ。
それを観たとき、わたしは思わず、涙がこみ上げてきた。
「うわぁぁぁぁあああ~んんん」と号泣してしまった。
いつまでも、誰もいない家の中でひとり、ひっくひっくと子供のようになりふり構わず泣いた。
人形は、ひとつ残らず壊れていませんでした!
人形は、ひとつ残らず綺麗なままでした!
人形は、ひとつ残らずしみひとつありませんでした!
私は、東京の団地に引っ越す前の、横浜の長屋での思い出をおぼろげながら思い出した。
ある暖かい日、部屋には段飾りが飾ってあった。母は、黒いトレーにのせられた雛あられをお内裏様とお雛さまの前に置くと、幼い私ににっこり笑って話した。
「お人形はね、観ていない間に召し上がるのよ」と。
わたしは「ほんとう?うそかもしれない」とどきどきしながら、夕飯を食べ終わると段飾りがある部屋の襖をそーと開けて、のぞいてみた。「少し減っているような気がする」と思ったようだ。
今現在都合で一人暮らしをしている母に電話で雛人形はすべて無事であること、そして泣いてしまったことを告げた。
「泣いたなんて、あらま、どうして?たぶん人形たちが喜んだんだよ」
そして、思い出を話した。
「あんたが赤ん坊のとき死ぬ一歩手前だったことを話しただろ?肺炎から気胸になって。長い間入院して、退院したのが3月になってたんだよ」
お内裏様とお雛様一対は、そのとき初めて買ったものなんだよ。あんたを抱いて家に帰ったら、お父さんと叔母さんが飾って待ってくれていたんだよ」
私は、電話を切ると、もう一度号泣した。
雛人形が、私が自分自身にもどってくるのを、長い間何も言わず辛抱強く見守ってくれていたように感じた。
自分自身の中心にある「魂」は、その後の人生で経験したトラウマによる勘違いで強化されてしまったエゴやあまり役に立たない教育を鵜呑みにしたこととは関係なく、生まれたまんまの純粋さでいてくれたのだ。
私のコアはそのままであり、何者にも何事にも阻害などされていなかったのである。