わたしは40代の時にはじめてカウンセリングオフィスに飛び込んだ。
そして、そこで生まれて初めて自分の気持ちを話した。
「わたしは誠実に生きてきたと信じているがうまくいかない」
とカウンセラーに訴えた。
彼は私にきいた。
「あなたは自分に誠実ですか?」と。
さて、自分に誠実とはどういう意味だ?
まず、誠実の意味はなんだろう?
私は長年お世話になった職場、私学の学校講師の採用面接で
学校長は長々と学園の沿革をお話された後、唐突にわたしにきいた。
「さて、教師にとっていちばん大切なものは何だと思うかね?」と。
私は、窮地に陥った。というのは、なんにも考えてきていなかったからだ。
「そうですね。。」と時間を引き延ばした後、ふととまどいながら答えた。
「せいじつ、、かな?」と。
校長は、「そうだ!!」と大きな声で仰った。
はれて、私は採用となったのだったが、その後、あの明るい陽射しの青春時代の思い出はどんどん薄れていって、今は初老になり仕事もなく人生下り坂である。
あの時の自分の自分への感じ方より、自分の闇はものずごく深かったようである。
40代のカウンセリングと催眠療法は、自分の深海に潜ることとなったが、今から思うと、それが良かったのか悪かったのか・・とも思う。
私は、若い頃、とても良いお見合い話を断ってしまった。今、古い記憶を思い出して、悔やむ自分がいる。
あの時の自分の正直な気持ちが今わかる。お断りしたのは、母の顔色を窺ったからだった。
母は口では「いいお話ね」と言っておきながら、こころでわたしに「行くな」と伝えた。
私は、それほど母に洗脳されていたのである。
今から思うと、自分の育った家庭よりもどこのご家庭も愛ある環境であったろう。そこでわたしは本当の「愛」の学びなおしができたものを。
今この年になり覚醒して、いかに自分のおかれた生育環境が異常なものだったのかがわかる。
卒業して、つかの間の心理的平和な時間に出会った愛ある人の「愛」をすべて断ってしまうほど、私は愛を受け取る準備が整っていなかった。
つまり、自分と他人を信頼すること。
あのあと、愛ある人々の間に身をおくことを逃してしまい、引き続き弱い人々に助けを求めてしまう真逆の道へ歩んでしまい、社会と隔絶された空間でひとりでいきることになる。
ある日、私は心の奥底で自分に問う。
「生きたいのか、死にたいのか?」
わたしは、カウンセリングに救いを求めた。
「あなたは自分に誠実ですか?」
問われたその意味は
「自分のこころに正直ですか?」だった。
しかし、私は自分のファンタジーから抜け出ることができずに、母と共依存状態を続けた。旅行に連れて行ってあげたり、いろいろと身の回りの世話をしてあげたり。周りから見れば「仲良し親子」であった。
わたしはずっと母の話し相手になり、母の父への悪口をそのまま受け取り「かわいそうなお母さん」と思いながら、世話をする。
異常な共依存である。あんなに心理の勉強をしたのにもかかわらずである。
それほど、わたしは自分の「ファンタジー」に執着していた。
いや、それが私の生きる力だったからしょうがないのかもしれない。どこかアーティストとしてのこだわりがあった。
自分が神格化した母親像がある。お母さん大好きという気持ちがある。その自分の世界に誰もメスを入れることはできない。それが事実とは違っていも。
何年たっても、催眠はただわたしの依存性を助長させただけで、わたしには効かなかったようだ。
俯瞰する力を駆使し、時代背景、一族のカルマなど、そうなっても仕方がない理由を並べ相手を理解しようとすることで、自分の本当の心を曇らせた。
しかし、母の死の時期が近いづいてくると、私の愛は本物ではないことに無意識的に気がついてきた。
私と無意識の領域で魂が吸着している母の心は、老齢になるたびその本性を見せ始める。
一時納まったおかしな言動「甘え」ー肥大化したエゴーが私にも社会にもドクターにも浴びせられる。みんな誠実に最高の対応をしてあげているのに。
感謝がない。
母は、いまでも「愛を知らない」
私が、母をダメにした一因もある。
自分は、一生懸命に生きたと自分にOKを出して死を迎えさせてあげるのが
本当の「愛」ではないか。
「あなたはあなたの心に正直ですか?」
自分の心に問う。恐ろしいほどの自分の感情が湧き出る。
私の理性は、感情にOKを出した。
私は、母に自分の長年の想いをぶつけ、罵った、これ以上ない卑劣な言葉を浴びせた。
それを聞いたら、すべての人がわたしを蔑むだろう。
老婆になんてことを言う下劣な人間なのだろうと。
わたしは、自分の気持ちに正直になった。
「母がきらい。憎い」と。
この魂を共有してしまった娘が
母に対してできることは
「自分自身を愛すること」だ。
それが死に行く人への愛だ.。
母がかつてどうしても愛せない子供を
必死で育ててくれたことを私は繰り返していた。
私は愛せない母を必死で世話をしていたのだ。
「わたしはあなたがきらいです」
この年になってわたしの自律がはじまる。
何才になっても遅くはないだろう。
祈りを奉げる。
「わたしは母がきらいです
だからもういっしょには住めない」
「でも私は母を愛しています
私がわたしを愛しているように」