真夜中のカップらーめん

作家・政治史研究家、瀧澤中の雑感、新刊情報など。

糞桶(くそおけ)の話

2008-05-08 02:18:45 | Weblog
あの、薪を背負って本を読んでいる像でおなじみの二宮金次郎。
二宮金次郎は、飢餓に苦しむ農村を復興するなど、すぐれた行政官であった。
のみならず、独自の思想や哲学を持っており、金次郎を慕って色々な人が彼の元を訪れた。

ある時。金次郎のところに居候していた儒学者が酔っぱらって醜態をさらし、その儒学者の子弟が教えを乞うのをやめてしまった。儒学者は困って、金次郎に相談をした。
「たしかに私の失態は弁解できないが、私が教えているのは聖人の書物だ。私の行ないは聖人の教えと関係ない。なんとか説得して、再び私のもとで勉強するように言って下さい」

金次郎は、こう答えた。
「もし、米を炊いてその飯を糞桶(くそおけ)に入れたら、それでもあなたはその飯を食べますか? きれいな飯を糞桶に入れたにすぎないが、誰も食べないでしょう。
学問も同じです。いくら立派な聖人の教えでも、糞桶の口から発せられる言葉を誰が聞きますか?」

中国の指導者が日本に来た。
チベット弾圧当時の責任者でもある。
その当事者が、「ダライ・ラマと話し合う」「人権は守られている」等々と言ったところで、果たしてどれだけの人が信じるであろうか。
チベット亡命政府に対して、「まずは暴力をやめろ」と言っていたのには呆れてしまった。そのまま、その言葉をお返ししよう。

人は誰でも過ちを犯す。中国共産党の指導者も人間だから、過ちを犯す。
だから批判が大切なのだ。言論の自由が必要なのだ。「お前は間違っているぞ」と忠告してくれる者が必要なのだ。
過ちを謝罪し、良い政治を行なうために、そして暴力的な反抗を防ぐためにも、言論の自由が絶対に無ければならない。

二宮金次郎に諭されて、儒学者は反省をした。
立派な学問以前に、自分自身が立派な人間にならなければいけないと、悟ったのである。
欧米から、もちろんわが国からもチベット問題に対する批判が繰り広げられているこの事態を、どうか中国共産党指導部は受け入れてほしい。
自国のマスコミが「御用新聞」「御用テレビ」しかないのだから、せめて外国メディアの声に耳を傾けてほしい。

批判をする者は、あなた方の敵ではない。
冷静な批判には耳を傾けてこそ、評価が高まるということを知るべきである。
できれば、中国国内に中国共産党を叱る「二宮金次郎」がいてくれたらどれほど安心して付き合えることか、と、隣国の人間は切実に思うのである。
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