つい
先日、世界陸上が閉幕した。
毎年、
究極のアスリートが挑戦しているのに、
それでも、どんどん新記録が出続けている。
陸上の種目の一種でもある
『高跳び』
今では、
ほぼ100%の選手が
【背面跳び】で跳んでいる。
1968年メキシコオリンピック男子走高跳で、
高跳びの歴史を変えたと言われるアメリカの高跳び選手、
ディック・フォスベリーさんこそ、背面跳びの産みの親です。
フォスベリーさんは、
高校時代まで、はさみ跳びをしていました。
そして、
その当時は、垂直跳びが主流で、
どの選手も普通に垂直跳びをしてました。
フォスベリーさんは、
高校まで、結構、優秀な高跳びの選手で
将来が有望だったらしいです。
でも、
フォスベリーさんに壁がやってきました。
垂直跳びが得意ではなかったのです。
じきにコーチですら、彼への興味を失いました。
すべての記録が普通。
フォスベリー=跳躍の選手としては才能がない。
でもこれが、
フォスベリーの人生のきっかけでした。
周りの優秀な選手達は、
垂直跳びで、1ミリでも高く跳ぶ努力を日々、繰り返してきました。
まるで、血がにじむくらい。
フォスベリーは、
違いました。
『1ミリでも高く跳ぶ努力じゃなく、自分のスタイルに合った跳び方の工夫。』
毎日、毎日、毎日、工夫を繰り返しました。
良いと思うポーズはすべて、試しました。
そして、
究極の跳び方が生まれました。
【 背面跳び 】
当時、誰一人として同じ跳び方の選手はいませんでした。
フォスベリーは、出る大会、すべての賞をとり続けました。
今では、誰もが普通にやる、背面跳び。
もし・・・
『フォスベリーが、跳ぶことが得意だったら、工夫に努力できたでしょうか?』
まさしく、
垂直跳びという当時の跳び方がうまくできなかったからこそ、
工夫することを、選択できた。