「もしもーし」
「あい」
「今どこ?」
「京都タワーを正面から眺めてます」
「私も見てるけど、松田いるぅ?電話してそうな人見えないよ」
「頭にタオル巻いてんのが俺」
「お、見えた!」
およそ18年ぶりの会津さんはまったく印象が変わらないが、歳相応な感じになって、なんだかかえって格好良い。上手な年齢の重ね方をしたんだろう。
発端はこうだ。桜の開花もうやむやだった今年の中途半端な春先、会津さんとのメールが京都のお気に入り桜スポットの話題になり、やがて『行きたいねぇ』という話になった。同時期に石地さんと京都で呑みませんかというやり取りをしていて日程を詰めかけているところだったので、じゃぁ一緒でいいじゃねぇか、と気づいて予定を伝えた。会津さんの参加が決まってからふたりの『行きたいところリスト』の作成が始まり、『りゅうせん17:30』の約束までにいろいろ回れるよう、早めに京都入りすることにした。この時点ではふたりともいろんなところに行く気満々である。
まずは腹ごしらえをと、とりあえず四条烏丸に出て界隈をぶらついた。錦市場を抜けて新京極、寺町京極と繁華街を歩き回って「あー、こんななっちゃったんだ」「変わったなー」「変わらんなー」と、あてもなくただ喋るのに忙しい。ふたりともはじめて見る御池通の地下街を通り抜けて河原町通に出て、創業80年という老舗の広東料理店の前を通りかかった。店名のカタカナ文字を中国服のおっさんの横顔に見立ててあるとてもよくできたロゴに惹かれて店内へ。「生中ふたつ」そこからかい。結局食べるものもそこそこにジョッキで二杯ずつ、『お昼を食べて六曜社でゆっくりとコーヒーでも』というはずが、ビールでお腹がたぷついてそれどころではない。イイ感じで喋っているとホテルにチェックインできる時間になったので、ひとまず荷物を置いて身軽になることにした。
一括で予約したので隣り合った部屋の取れたホテルは京都御苑の西側、烏丸通に面している。季節はずれの台風のおかげで雨にけむる御所の緑は、濡れて黒くなっている幹とのコントラストが強まることでより勢いを増して見える。それにしても、雨だ。下鴨神社、糺ノ森に行きたかったのだけれど、この雨ン中森を歩くのもなぁ。なのでふたりとも行ったことのない晴明神社に行ってみることにした。ホテルの北側にある護王神社の前を通って、下立売通を西向きに折れて堀川通へ。ここは名前のとおり小さな川が流れていて、道路からその川っぺりに降りて、川沿いを歩く道が整備されている。「へぇ、こんななってんだ」「ここはバスでしか通りませんでしたからねぇ」「そうだよ、ここ『バスの道』だもんね」こと京都に関して、このふたりは自己中な世界観しか持ち合わせていない。堀川通を北上すると晴明神社に辿りつく。着いたところでどうということはない。「ご利益求めるところじゃないよね」とか言いながら形だけ拍手を打って、境内と隣にあるグッズショップを素見(ひやか)しておしまい。式神送り込まれても知らんぞ。
晴明神社の北を通る元誓願寺通で西に折れ、続く家並を観察しつつ千本通に抜ける。千本通を南下して行くと粋棟さんも御用達だった乱雑な新刊書店は健在で、居酒屋『神馬』を尻目に殺して中立売通を渡り、「皮膚が硬い」とイチャモンをつけられた理髪店を通りすぎて仁和寺街道を右に折れると寡黙なおじさんの理髪店も、体中に花札を散らしたおじいさんに驚いた銭湯も新しい建物に変わっていたが、見慣れた看板もちらほら見える。「あ、あそこ、千本日活」「おぉー」という会話をはさんで七本松通の一筋手前を左に折れて坂を下る。老夫婦の営む旅館と桜の木はなくなっていたけれど、西陣京極全盛時に置屋として建てられた築数十年の木造家屋はそのまま建っている。
「あー、ここだぁ。松田の部屋ってどこだっけ」
高いレンガ塀越しに見上げる北側の部屋の窓にはサッシが嵌(は)められている。変わっているのはそこのサッシとエアコンの室外機が置いてあることのみ。よかった、これでもう真冬の死ぬほど寒い外気も、真夏のゲル状のまとわりつく空気も怖くない。「あのちっちゃいおばあちゃん、まだ住んでるかな」「いやぁ、さすがにもうご存命じゃないでしょう」「そうだよねぇ。入ってもいいんだろうか」「まずいんじゃないですか」などと言いながら、二人とも結構嬉しくなっている。
坂を上って七本松通に出て右折、中立売通で左に曲がって道なりに進むと今出川通に向かって北向きにカーブする。カーブを曲がりきったあたりで病院の看板が見えてくる。
「あそこですよ、俺が顔面縫ってもらったとこ」「なんか覚えがあるよ、私とか石地君も顔が腫れてる松田の前でお酒呑んだよね」「うん」「なんか溝に突っ込んだとか聞いたような気がすんだけど」「さんっざんアホ呼ばわりされました」「結局原因わかんないんでしょ?」「わからないんです」
言っているうちに北野天満宮の鳥居をくぐる。境内には修学旅行の団体が何組か、せっかくの京都なのに、こんな台風の雨降りでかわいそうだね。参道を外れて御土居に登る。石畳ではなく土になっているので、足もとが悪いことこの上ない。革靴の会津さんには気の毒なようだったが、そのまま紙屋川を渡って細い歩道へと抜ける。「ここですよ、静かでいいでしょ」「うん、いいね。いいとこだね、でも雨がさぁ。天気のいいときにゆっくり歩きたいよね」そう、そぼ降る雨の中、足をびしょ濡れにして歩き回る40代がふたり、ここにいる。
そのまま懐かしのお馴染みの北野白梅町を北上して平野神社の手前を西へ、上立売通を進んでいくと大学の東門に着く。とうとう『碁盤の目』の西側半分の距離を歩ききってしまった。門のところに誘導員のおじさんがいて、部外者は入れてもらえないのかと思ったが、広告のキー・ヴィジュアルに使われる時計台のある建物の裏手は墓地になっていて、キャンパス内はその参道としても使われている。そんなところが部外者を締め出すはずもないか。
グランドがない!知らない建物が犇き合ってる!何だこのホテルみてぇな建物は!
「こんなとこ入学したら迷子になっちゃうね」
というくらいにデザインに統一感のない新しい建物がゴテゴテと立て込んで、なんだか狭っ苦しい。屋上のベンチで京都の町を見下ろした建物は研究棟になったらしく、セキュリティーカードがなければ屋上はおろか校舎に入ることすらできない。しばらく来ない間に大変な様変わりをしている。
キャンパス内の掲示物や表示などに大学のロゴが入っているが、漢字を使った本来の大学名ではなく赤地に白抜きでデザインされた英字ロゴになっている。
「このクラッカーの商品名みたいな愛称、止めるヤツいなかったんですかね」
「ねぇ。いつの間にか勝手に決めちゃってさぁ、卒業生にはひとっ言の相談もなしだよ」
「まったくです。俺んとこにも何もなかった」いやいや、相談されてもどうにもなるまい。
「あーっ!」「おーっ!」「でーっ!」
三人が同時に声を上げた。ちなみに最初のが会津さん、最後のは松田である。向こうから歩いてくる妙に恰幅のいい、白髪交じりの、赤いラガーシャツの男性は会津さんと同期の仁多苑さんだった。
実は今回松田の方から石地さんに京都で飲みませんかと声をかけたのだが、その後石地さんが方々に連絡を取ってくださり、大阪在住の仁多苑さんと佐宗さんも参加することになっていた。店の手配をしたのも石地さんで、言いだしっぺの後輩が先輩に幹事をさせてしまっていたのである。参加者のことはちょっとしたサプライズにしようと思って会津さんには内緒にしていたが、こんなところで出くわすとは…
「おおなんや、大学に似合わんオバハンとオッサンが歩いとんなー思ったら、会津と松田やんけ」
「オバハン言うな!」そう、『もっとオッサン』に言われたくはない。
「らくちゃん、久しぶりー!」
なんでも学生時代よくキャメルのスタジャンを着ていたので『らくだ』なんだそうだ。
三人連れ立って南門を出て、途中の店にいちいち学生当時のコメントをつけながら、会場となる『りゅうせん』のすぐ裏に当たる嵐電龍安寺駅に向かって坂を下った。龍安寺駅に着いたのが17時を少しだけ回った頃、約束の時間には随分と早いが仕方がない。石地さんに到着メールを打って店の前の路地で待った。しばらくだべっていると、向こうの路地を曲がって来た人の歩き方に見覚えがある。歩き方どころか着ている服装のイメージも髪型も、当時と何ら変わるところのない石地さんだった。
「なーんでお前がここにおるんやて」
開口一番それか。
会津さん以外の参加者は、前日石地さんから開始時刻・会場・会場の位置・参加者を詳細に記したメールをもらっていた。行き届いた人だと思っていたが、どうやら違っていたようだ。学生時代から遅刻の多かった仁多苑さんに「こんだけ送っとっても遅れて来るんかお前は」というひと言が言いたかったらしい。別の意味で周到な人だ。
雨は降るし、店の前で立ち話もナンだ、というので、少し早いけれども店に入れてもらった。店内も、おばちゃんも変わらない。ご無沙汰してますと挨拶をすると「まーまー、あららら」と、どうやら覚えてくれていたらしい。そりゃぁ、夜中に顔面を割って血だらけになって入ってきた奴はなかなか忘れられないだろう。テーブルに着くとき石地さんが言った。
「途中で見たら林寮なくなっとったわ」
「林寮って?」
「松須の住んどったアパートや」
「なんやお前、わざわざ気になって見て来たんかい?」
「いや線路沿いだったやないか、途中見えるちゅうの」
たぶん、わざわざ見に行ってる。早いけど始めようかと話していると、石地さんの電話が鳴った。
「佐宗10分ほど遅れるって」「なに佐宗も来んの?」「うん、あと宝饒もギリギリまで調整したけどあかんかったて」「宝饒くんって、今どこ住んでんの?」「東京」「なに東京から呼んだのぉ?」
そうなのである。調整がついたらわざわざ東京から来てもらうことになっていた。ふとした思い付きがかなり大仰なことになってしまって、メンバーの中で一番の後輩としては申し訳ないような…
そうこうしているうちに佐宗さん登場、まずテーブルの上に i-Phone をドカッと置いて、うっすらとはえている石地さんの口ひげを指差し「何?ちょっとでもエラそうに見せようって?それ」とまずはひと言。あぁ、佐宗さんだ。
仁多苑さんはずっと生中を呑み続け、佐宗さんと松田は生中に次いで熱燗を二合徳利で、途中まで瓶ビールを呑んでいた石地さんも熱燗を呑み始めて、徳利の数は10本ほどになっている。会津さんは生中のあと、ビールと同じような色をした、炭酸よりもウイスキーの刺激の方が強いハイボールを呑み、そのあとは焼酎ストレートの味しかしない「焼酎をソーダで割ってレモン入れたヤツ」を呑んでいる。名前がついていないのはメニューに載ってないからだ。カウンターの一番近くの椅子に座る佐宗さんか松田が、お代わりの度に「焼酎をソーダで割ってレモン入れたヤツ!」と叫ぶ。「同じものを」と言えばいいのに、その判断もできなくなり始めているらしい。それはそうと、これ何回叫んだ?みんな一軒目で結構な量を飲んでいる。酔った頭でなんとなく違和感を覚えた。
いい感じで出来上がったところで店を変えようということになり、石地さんは会計時にタクシーを2台呼んでもらった。どこへ行くのか訊ねると『三条木屋町』という。木屋町通は鴨川の1ブロック西、碁盤の目の東端に近い。出発点は西のはずれで、ほぼ反対側に移動することになる。
「どこいくろー」「三条木屋町だそうです」「んー」おぼつかない足取りでタクシーに向かう会津さん、タクシーに乗り込もうと身をかがめたときにそのまま転げそうになっている。慌てて介助したが、そらあんなに濃いハイボールと酎ハイを立て続けに呑んだらそうなるわな。介助しながら会津さんとふたりで乗ることになったが、走り出したら「どこいくろー」「三条木屋町」「んー」と聞いたような会話を繰り返し、そのまま寝てしまった。三条木屋町までに何度か寝言を聞き、もう一度聞いたような会話を繰り返した。
大学の近くに松須さんがバイトしていた『ん』という居酒屋があった。身内が呑みに行くといろいろサービスで持って来てくれたが、それを自分で呑んでしまう。客よりも先に酔っ払うバイトだった。今はもうその店舗はなく、同じ系列の木屋町店に入る。そこでもひとしきり呑み、食い、喋っている。今度こそ宝饒さんをつれてくる、だの、古邑さんは北海道だけどもうすぐ本州に戻ってくるから呼べる、だの、この企画は続行されるらしい会話があったのは覚えている(どっちの店だったか覚えてないが)。会津さんと佐宗さんはなにやら辛辣な口調で言い合っているかと思ったら、その矛先を残る三人に向けてきたりする。ここらあたりに来て『りゅうせん』で感じた違和感の見当がついた。「違和感がない」ことだったのである。目の前で展開される酔態は、自分の酩酊感を含め、築数十年木造元置屋の二階北側の部屋で眺めていた様子・感覚とまったく変わらない。ほぼ二十年ぶりに再会したことに対する戸惑いだとか、感慨だとか、そういったものはまったく、微塵も、これっぽっちも、『ビタ一文も』見受けられない。ということはつまり、そこにいるみんなが卒業後確実に積み重ねてきたであろう年月が「まったく意味を成してない」ことになるのではないか?ええい、冒頭部『歳相応な』からの二文削除!
大阪組が終電で帰って行き、残ったのは三人。もう一本ビールを追加して石地さんと話をした。会津さんは素足になって椅子の上に折り畳まった状態で寝ていて、時折目覚めて会話に加わった。
その一本を飲み干して、もう1軒行くという石地さんと『次回』を約束してから会津さんとタクシーに乗った。ホテルまでにまた何度か会津さんの寝言を聞き、しこたま呑んだ自分も寝落ちしかける。午前0時を回った頃にホテルについて、ふらつきながら「はれぇ、カサがない?」という会津さんを部屋に送り届けた。同じホテルでよかったわ。
翌朝は『篠突く』土砂降り、とても外を歩けるような状態ではない。1本のカサを頼りに地下鉄の駅まで行き、京都駅まで出て会津さんのカサを買った。前夜の呑みすぎによっていくらか脱水気味なふたりはとりあえずコーヒーを飲んで、帰りの切符を確保するために金券ショップに立ち寄った。朝昼兼用の食事を取った蕎麦屋で、今はもう結婚して読み方のわからない苗字になっている鞍多に前夜の写真を送る。するとすぐに「次、行くから呼んで」と返ってきた。
「鞍多今どこにいんの?」「千葉」「千葉から来るかぁ?でも、あいつなら来るか」「多分ねぇ」
名古屋と鳥取からやって来たふたりがそんな会話をしている。きっとこれから一座は増える。増えても同じ、呑み始めればすぐに間の二十年はなかったことになるんだろう。
午後早い時間の新幹線で帰って行く会津さんを見送り、別れ際に握手をした。
「じゃあ、また!」
「あい」
「今どこ?」
「京都タワーを正面から眺めてます」
「私も見てるけど、松田いるぅ?電話してそうな人見えないよ」
「頭にタオル巻いてんのが俺」
「お、見えた!」
およそ18年ぶりの会津さんはまったく印象が変わらないが、歳相応な感じになって、なんだかかえって格好良い。上手な年齢の重ね方をしたんだろう。
発端はこうだ。桜の開花もうやむやだった今年の中途半端な春先、会津さんとのメールが京都のお気に入り桜スポットの話題になり、やがて『行きたいねぇ』という話になった。同時期に石地さんと京都で呑みませんかというやり取りをしていて日程を詰めかけているところだったので、じゃぁ一緒でいいじゃねぇか、と気づいて予定を伝えた。会津さんの参加が決まってからふたりの『行きたいところリスト』の作成が始まり、『りゅうせん17:30』の約束までにいろいろ回れるよう、早めに京都入りすることにした。この時点ではふたりともいろんなところに行く気満々である。
まずは腹ごしらえをと、とりあえず四条烏丸に出て界隈をぶらついた。錦市場を抜けて新京極、寺町京極と繁華街を歩き回って「あー、こんななっちゃったんだ」「変わったなー」「変わらんなー」と、あてもなくただ喋るのに忙しい。ふたりともはじめて見る御池通の地下街を通り抜けて河原町通に出て、創業80年という老舗の広東料理店の前を通りかかった。店名のカタカナ文字を中国服のおっさんの横顔に見立ててあるとてもよくできたロゴに惹かれて店内へ。「生中ふたつ」そこからかい。結局食べるものもそこそこにジョッキで二杯ずつ、『お昼を食べて六曜社でゆっくりとコーヒーでも』というはずが、ビールでお腹がたぷついてそれどころではない。イイ感じで喋っているとホテルにチェックインできる時間になったので、ひとまず荷物を置いて身軽になることにした。
一括で予約したので隣り合った部屋の取れたホテルは京都御苑の西側、烏丸通に面している。季節はずれの台風のおかげで雨にけむる御所の緑は、濡れて黒くなっている幹とのコントラストが強まることでより勢いを増して見える。それにしても、雨だ。下鴨神社、糺ノ森に行きたかったのだけれど、この雨ン中森を歩くのもなぁ。なのでふたりとも行ったことのない晴明神社に行ってみることにした。ホテルの北側にある護王神社の前を通って、下立売通を西向きに折れて堀川通へ。ここは名前のとおり小さな川が流れていて、道路からその川っぺりに降りて、川沿いを歩く道が整備されている。「へぇ、こんななってんだ」「ここはバスでしか通りませんでしたからねぇ」「そうだよ、ここ『バスの道』だもんね」こと京都に関して、このふたりは自己中な世界観しか持ち合わせていない。堀川通を北上すると晴明神社に辿りつく。着いたところでどうということはない。「ご利益求めるところじゃないよね」とか言いながら形だけ拍手を打って、境内と隣にあるグッズショップを素見(ひやか)しておしまい。式神送り込まれても知らんぞ。
晴明神社の北を通る元誓願寺通で西に折れ、続く家並を観察しつつ千本通に抜ける。千本通を南下して行くと粋棟さんも御用達だった乱雑な新刊書店は健在で、居酒屋『神馬』を尻目に殺して中立売通を渡り、「皮膚が硬い」とイチャモンをつけられた理髪店を通りすぎて仁和寺街道を右に折れると寡黙なおじさんの理髪店も、体中に花札を散らしたおじいさんに驚いた銭湯も新しい建物に変わっていたが、見慣れた看板もちらほら見える。「あ、あそこ、千本日活」「おぉー」という会話をはさんで七本松通の一筋手前を左に折れて坂を下る。老夫婦の営む旅館と桜の木はなくなっていたけれど、西陣京極全盛時に置屋として建てられた築数十年の木造家屋はそのまま建っている。
「あー、ここだぁ。松田の部屋ってどこだっけ」
高いレンガ塀越しに見上げる北側の部屋の窓にはサッシが嵌(は)められている。変わっているのはそこのサッシとエアコンの室外機が置いてあることのみ。よかった、これでもう真冬の死ぬほど寒い外気も、真夏のゲル状のまとわりつく空気も怖くない。「あのちっちゃいおばあちゃん、まだ住んでるかな」「いやぁ、さすがにもうご存命じゃないでしょう」「そうだよねぇ。入ってもいいんだろうか」「まずいんじゃないですか」などと言いながら、二人とも結構嬉しくなっている。
坂を上って七本松通に出て右折、中立売通で左に曲がって道なりに進むと今出川通に向かって北向きにカーブする。カーブを曲がりきったあたりで病院の看板が見えてくる。
「あそこですよ、俺が顔面縫ってもらったとこ」「なんか覚えがあるよ、私とか石地君も顔が腫れてる松田の前でお酒呑んだよね」「うん」「なんか溝に突っ込んだとか聞いたような気がすんだけど」「さんっざんアホ呼ばわりされました」「結局原因わかんないんでしょ?」「わからないんです」
言っているうちに北野天満宮の鳥居をくぐる。境内には修学旅行の団体が何組か、せっかくの京都なのに、こんな台風の雨降りでかわいそうだね。参道を外れて御土居に登る。石畳ではなく土になっているので、足もとが悪いことこの上ない。革靴の会津さんには気の毒なようだったが、そのまま紙屋川を渡って細い歩道へと抜ける。「ここですよ、静かでいいでしょ」「うん、いいね。いいとこだね、でも雨がさぁ。天気のいいときにゆっくり歩きたいよね」そう、そぼ降る雨の中、足をびしょ濡れにして歩き回る40代がふたり、ここにいる。
そのまま懐かしのお馴染みの北野白梅町を北上して平野神社の手前を西へ、上立売通を進んでいくと大学の東門に着く。とうとう『碁盤の目』の西側半分の距離を歩ききってしまった。門のところに誘導員のおじさんがいて、部外者は入れてもらえないのかと思ったが、広告のキー・ヴィジュアルに使われる時計台のある建物の裏手は墓地になっていて、キャンパス内はその参道としても使われている。そんなところが部外者を締め出すはずもないか。
グランドがない!知らない建物が犇き合ってる!何だこのホテルみてぇな建物は!
「こんなとこ入学したら迷子になっちゃうね」
というくらいにデザインに統一感のない新しい建物がゴテゴテと立て込んで、なんだか狭っ苦しい。屋上のベンチで京都の町を見下ろした建物は研究棟になったらしく、セキュリティーカードがなければ屋上はおろか校舎に入ることすらできない。しばらく来ない間に大変な様変わりをしている。
キャンパス内の掲示物や表示などに大学のロゴが入っているが、漢字を使った本来の大学名ではなく赤地に白抜きでデザインされた英字ロゴになっている。
「このクラッカーの商品名みたいな愛称、止めるヤツいなかったんですかね」
「ねぇ。いつの間にか勝手に決めちゃってさぁ、卒業生にはひとっ言の相談もなしだよ」
「まったくです。俺んとこにも何もなかった」いやいや、相談されてもどうにもなるまい。
「あーっ!」「おーっ!」「でーっ!」
三人が同時に声を上げた。ちなみに最初のが会津さん、最後のは松田である。向こうから歩いてくる妙に恰幅のいい、白髪交じりの、赤いラガーシャツの男性は会津さんと同期の仁多苑さんだった。
実は今回松田の方から石地さんに京都で飲みませんかと声をかけたのだが、その後石地さんが方々に連絡を取ってくださり、大阪在住の仁多苑さんと佐宗さんも参加することになっていた。店の手配をしたのも石地さんで、言いだしっぺの後輩が先輩に幹事をさせてしまっていたのである。参加者のことはちょっとしたサプライズにしようと思って会津さんには内緒にしていたが、こんなところで出くわすとは…
「おおなんや、大学に似合わんオバハンとオッサンが歩いとんなー思ったら、会津と松田やんけ」
「オバハン言うな!」そう、『もっとオッサン』に言われたくはない。
「らくちゃん、久しぶりー!」
なんでも学生時代よくキャメルのスタジャンを着ていたので『らくだ』なんだそうだ。
三人連れ立って南門を出て、途中の店にいちいち学生当時のコメントをつけながら、会場となる『りゅうせん』のすぐ裏に当たる嵐電龍安寺駅に向かって坂を下った。龍安寺駅に着いたのが17時を少しだけ回った頃、約束の時間には随分と早いが仕方がない。石地さんに到着メールを打って店の前の路地で待った。しばらくだべっていると、向こうの路地を曲がって来た人の歩き方に見覚えがある。歩き方どころか着ている服装のイメージも髪型も、当時と何ら変わるところのない石地さんだった。
「なーんでお前がここにおるんやて」
開口一番それか。
会津さん以外の参加者は、前日石地さんから開始時刻・会場・会場の位置・参加者を詳細に記したメールをもらっていた。行き届いた人だと思っていたが、どうやら違っていたようだ。学生時代から遅刻の多かった仁多苑さんに「こんだけ送っとっても遅れて来るんかお前は」というひと言が言いたかったらしい。別の意味で周到な人だ。
雨は降るし、店の前で立ち話もナンだ、というので、少し早いけれども店に入れてもらった。店内も、おばちゃんも変わらない。ご無沙汰してますと挨拶をすると「まーまー、あららら」と、どうやら覚えてくれていたらしい。そりゃぁ、夜中に顔面を割って血だらけになって入ってきた奴はなかなか忘れられないだろう。テーブルに着くとき石地さんが言った。
「途中で見たら林寮なくなっとったわ」
「林寮って?」
「松須の住んどったアパートや」
「なんやお前、わざわざ気になって見て来たんかい?」
「いや線路沿いだったやないか、途中見えるちゅうの」
たぶん、わざわざ見に行ってる。早いけど始めようかと話していると、石地さんの電話が鳴った。
「佐宗10分ほど遅れるって」「なに佐宗も来んの?」「うん、あと宝饒もギリギリまで調整したけどあかんかったて」「宝饒くんって、今どこ住んでんの?」「東京」「なに東京から呼んだのぉ?」
そうなのである。調整がついたらわざわざ東京から来てもらうことになっていた。ふとした思い付きがかなり大仰なことになってしまって、メンバーの中で一番の後輩としては申し訳ないような…
そうこうしているうちに佐宗さん登場、まずテーブルの上に i-Phone をドカッと置いて、うっすらとはえている石地さんの口ひげを指差し「何?ちょっとでもエラそうに見せようって?それ」とまずはひと言。あぁ、佐宗さんだ。
仁多苑さんはずっと生中を呑み続け、佐宗さんと松田は生中に次いで熱燗を二合徳利で、途中まで瓶ビールを呑んでいた石地さんも熱燗を呑み始めて、徳利の数は10本ほどになっている。会津さんは生中のあと、ビールと同じような色をした、炭酸よりもウイスキーの刺激の方が強いハイボールを呑み、そのあとは焼酎ストレートの味しかしない「焼酎をソーダで割ってレモン入れたヤツ」を呑んでいる。名前がついていないのはメニューに載ってないからだ。カウンターの一番近くの椅子に座る佐宗さんか松田が、お代わりの度に「焼酎をソーダで割ってレモン入れたヤツ!」と叫ぶ。「同じものを」と言えばいいのに、その判断もできなくなり始めているらしい。それはそうと、これ何回叫んだ?みんな一軒目で結構な量を飲んでいる。酔った頭でなんとなく違和感を覚えた。
いい感じで出来上がったところで店を変えようということになり、石地さんは会計時にタクシーを2台呼んでもらった。どこへ行くのか訊ねると『三条木屋町』という。木屋町通は鴨川の1ブロック西、碁盤の目の東端に近い。出発点は西のはずれで、ほぼ反対側に移動することになる。
「どこいくろー」「三条木屋町だそうです」「んー」おぼつかない足取りでタクシーに向かう会津さん、タクシーに乗り込もうと身をかがめたときにそのまま転げそうになっている。慌てて介助したが、そらあんなに濃いハイボールと酎ハイを立て続けに呑んだらそうなるわな。介助しながら会津さんとふたりで乗ることになったが、走り出したら「どこいくろー」「三条木屋町」「んー」と聞いたような会話を繰り返し、そのまま寝てしまった。三条木屋町までに何度か寝言を聞き、もう一度聞いたような会話を繰り返した。
大学の近くに松須さんがバイトしていた『ん』という居酒屋があった。身内が呑みに行くといろいろサービスで持って来てくれたが、それを自分で呑んでしまう。客よりも先に酔っ払うバイトだった。今はもうその店舗はなく、同じ系列の木屋町店に入る。そこでもひとしきり呑み、食い、喋っている。今度こそ宝饒さんをつれてくる、だの、古邑さんは北海道だけどもうすぐ本州に戻ってくるから呼べる、だの、この企画は続行されるらしい会話があったのは覚えている(どっちの店だったか覚えてないが)。会津さんと佐宗さんはなにやら辛辣な口調で言い合っているかと思ったら、その矛先を残る三人に向けてきたりする。ここらあたりに来て『りゅうせん』で感じた違和感の見当がついた。「違和感がない」ことだったのである。目の前で展開される酔態は、自分の酩酊感を含め、築数十年木造元置屋の二階北側の部屋で眺めていた様子・感覚とまったく変わらない。ほぼ二十年ぶりに再会したことに対する戸惑いだとか、感慨だとか、そういったものはまったく、微塵も、これっぽっちも、『ビタ一文も』見受けられない。ということはつまり、そこにいるみんなが卒業後確実に積み重ねてきたであろう年月が「まったく意味を成してない」ことになるのではないか?ええい、冒頭部『歳相応な』からの二文削除!
大阪組が終電で帰って行き、残ったのは三人。もう一本ビールを追加して石地さんと話をした。会津さんは素足になって椅子の上に折り畳まった状態で寝ていて、時折目覚めて会話に加わった。
その一本を飲み干して、もう1軒行くという石地さんと『次回』を約束してから会津さんとタクシーに乗った。ホテルまでにまた何度か会津さんの寝言を聞き、しこたま呑んだ自分も寝落ちしかける。午前0時を回った頃にホテルについて、ふらつきながら「はれぇ、カサがない?」という会津さんを部屋に送り届けた。同じホテルでよかったわ。
翌朝は『篠突く』土砂降り、とても外を歩けるような状態ではない。1本のカサを頼りに地下鉄の駅まで行き、京都駅まで出て会津さんのカサを買った。前夜の呑みすぎによっていくらか脱水気味なふたりはとりあえずコーヒーを飲んで、帰りの切符を確保するために金券ショップに立ち寄った。朝昼兼用の食事を取った蕎麦屋で、今はもう結婚して読み方のわからない苗字になっている鞍多に前夜の写真を送る。するとすぐに「次、行くから呼んで」と返ってきた。
「鞍多今どこにいんの?」「千葉」「千葉から来るかぁ?でも、あいつなら来るか」「多分ねぇ」
名古屋と鳥取からやって来たふたりがそんな会話をしている。きっとこれから一座は増える。増えても同じ、呑み始めればすぐに間の二十年はなかったことになるんだろう。
午後早い時間の新幹線で帰って行く会津さんを見送り、別れ際に握手をした。
「じゃあ、また!」