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センター突破 これだけはやっとけ 鳥取の受験生のための塾・予備校 あすなろブログ

鳥取の受験生のための塾・予備校  あすなろ予備校の講師が、高校・大学受験に向けてメッセージを送るブログです。

あれからずいぶんたちました

2015-06-09 15:42:12 | 洛中洛外野放図

 行きのJRの車内は、思いのほか冷房が効きすぎていた。うとうとしかけては寒さで目を覚まし、を繰り返してホームに立ったらまだ少し、眠たくてぼうっとするようでもある。目の前のベンチに腰を下ろして携帯の電源を入れると何通かメールが届いていた。
「これから、改札を出るところです」
「その前にいるよ、デジタル時計の下あたり」
電話を終えて改札を抜けると、相変わらず人の流れが壁のようになって犇めいている頭の向こうにぶら下がっている大きなデジタル時計を見つけて、現在の京都駅になってから何度か利用しているけれど、こんなものがあるのに初めて気づいた。見ても気にしてなかったんだろう。ヒトの壁を抜けてからその下に目をやると会津さんが立っている。
 伏見稲荷のはずだったのである。駅で荷物を預けて二人とも行ったことのない伏見を行楽してから夕方前に移動して、約束の17時30分にメイン会場の北野白梅町へ、という心づもりでいた。少なくとも事前の打ち合わせではそうなっていた。
「32度だって。これ絶対もっと暑いよね」
挨拶のあとの一言。確かに、暑い。伏見稲荷はどこか遠くに霞みはじめている。
「とりあえず、ホテルに荷物預けようか」- 折れた。

 一緒に取ってもらったホテルは地下鉄烏丸線四条駅を出てすぐのところにあって、地下鉄で移動しながら「人が多い」ことに不平を漏らす。基準になっているのが自分たちの暮らしていた四半世紀(!)も前の京都なのだから、いろいろなことが様変わりしていて当然なのだが。
「ロビーが…涼しい…」
ひとまずホテルで荷物を預け、四条通を大宮に向かう。数日前に届いた鞍多からの欠席連絡メールに「仕事で使いたい」からと龍安寺の蹲踞(つくばい)『吾唯足知』の撮影依頼が添えてあった。頼まれたからには義理を果たさねば、と嵐電で龍安寺に向かうつもりになっていたのである。四条大宮に着いてまずは昼食を考えるが、それよりも何よりもまず喉が渇いている。
「あぁ、ここもうやってんじゃん」
会津さんの指差したのは夕方のメイン会場になっている居酒屋の同系列店、店限定のピンポイントでハシゴをするのもどうか、と隣のうどん屋をのぞいてみるとカウンターのみのようで、座れても長居できそうにない。そのまた隣にある立ちキュウは千客万来で、おっさんの大会のようになっている。
 何かあるだろうと嵐電に沿う格好で四条通を歩いていると「インドネシア」の文字が目に入った。A ミーゴレン(インドネシア風焼きそば)/B ナシゴレン(インドネシア風焼き飯)とある。「これだ」とばかりに飛びついた。店に入ってみたが誰もおらず、席に着くと二階から店員が下りてきた。京町屋、というのか年季の入った木造で、間口はそれほど広くないが奥行きが深い。カウンターにスツールが四脚、四人掛けのテーブル席が二つきりの四条通に面した入り口と、奥には坪庭があるのだろう、向かい合った出口以外に開口部がないので昼だというのに照明をつけても薄暗い店内のカウンターには和洋を問わず種種の酒がこれでもかとばかりに並べてある。奥にのぞく日向が眩しく見えて、店内の暗がりと夏らしい対比ができあがっている。生中二つとミーゴレンとナシゴレンをそれぞれ一つずつ注文して、生中を呑みながら待っている間に入ってきたおじさんはカウンター席について生中とナシゴレンを注文したが、出された生中を受け取りながらミーゴレンに変更した。その様子を眺めているうちにもう一人客が入ってきてカウンターに着いて、最初はがらんとしていた店内が少し賑わってきた。
 案の定、料理が出てくる前に一杯目が空いて、出される料理と引き換えるように二杯目を注文する。会津さんの戦況分析によると「毎回これが敗因」らしいのだが、二杯目を呑みながらお腹がくちくなってくるとどうにもまったりとしていろいろなことがどうでもよくなってくる。何よりも暑いもので、当然「龍安寺、行くかぁ?」ということになる ― 鞍多、すまん。


 二杯飲んでぐずぐずしているうちに14時が近くなって、龍安寺に行く気はとっくのとうに失せているので、もういいや、とチェックインを済ませることにした。鞍多からの依頼のほか、これまた直前に辣腕幹事石地さんから案内された一次会の前の「0次会」の開宴が15時半。指定された店がホテルからそれほど遠くないようなので、ホテルで涼んでから少し遅れて参加することに決定し、近くのコンビニで缶酎ハイを買い込んで、冷房の効いた部屋で暫時待機す。

 午後3時を回ってそろそろ頃合いも好し、とホテルを出て、知らない店だったので少し迷いながら案内の立ち飲み屋にたどり着いた。
 「あれ、まだ来てないか」
店に入って入り口近くのカウンターに向かったら店員が奥のカウンターへどうぞ、という。案内されるまま店の奥に向かうと、入り口側からはトイレの陰になって見えなかったところにどこか懐かしい大男がいる。近づいて挨拶をすると、最初はきょとんとした顔をして。
「おぉ! ひっさしぶりやなぁ」
 吉例5回目にしてようやく参加、はるばる鹿児島から駆けつけて来られた松壽(松須改メ)先輩である。
「会津さんはすぐわかったけど、最初松田わかれへんかったわ」
そんなに変わったつもりもないが、そういう松壽さんは全く変わってない。
「お前来るなら一報くれって送ったやないか、なんもないからもう来んのかと思ってやな、先始めとったわ」
と言う石地さんに一言詫びてから積もる話の近況報告、
「お? おまえと会津さんが結婚したんか?」
あまりの想定外の質問に当事者2人に石地さんを含め「いやしてないしてない」と素で返すしかない。同行四人となって、店員が「よろしかったらあちらへ」と入り口近くの丸テーブルに載っていた「予約席」の札をのけてくれた。
「ここはワシが払う」
という心強い一言を放つ松壽さんは「次1次会あるしなぁ」とビールを追加し「ワシがこんなにビールばっかり飲むの珍しいぞ」と結構なペースで飲んでいる。
 飲みながら何度か「宝饒来とったらイジリ倒したるのになぁ」と繰り返し残念がっておられたが、宝饒さんは体調が思わしくないらしい。この集まりでは一度しかお目にかかってないし、松壽さんとの絡みを見られないのは確かに残念である。次回以降に期待を寄せながら滔滔と語る話題、口調、薀蓄のどれを取っても松壽さんであり、25年経っても変わることのない松壽さんっぷりに圧倒されているうちに「そろそろ、行こうか」という時刻になった。

 店を出てタクシーを拾って北野白梅町へ。助手席に座った松壽さんは「ワシが出すのはここまでやからな」と、わかっておりますよ。

 一次会は前回同様学生時代によく利用した串ものが売りの居酒屋で、ここでも石地さんの辣腕振りが発揮されて今年は二階の座敷へと案内される。席に着いたとき煙草の残りが心もとないことに気付いて道を挟んだコンビニに買いに行く途中、横断歩道でにこにこと満面に笑みをたたえた古邑さんと鉢合わせた。
「お前なにしとん?」
「煙草を買いにね」
「おーぅ、ほな先行ってるぞぉ」
「へーい」
煙草を買って戻ってみるとすでに仁多苑さんもご着席、飲み物も行きわたって開宴となってからしばらくすると栄地が入ってきて、これで参加予定メンバーが揃い、宴もたけなわとなる。
「もう冷酒でええやろ」
一辺に三、四人は座れそうな大きなテーブルを囲む形になっていて、ひと並びに座った松壽さん、栄地、松田の三人で冷酒を飲み、ほかの皆さんも思い思い好きなものを呑んでいて、生絞りレモン酎ハイについてくる絞り器の上に絞ったレモンの皮が積み重なって塔になっている。毎度のことながら参加していないメンバーについての話題も上がり、何人もの就職先について大変な記憶力をまざまざと見せつけた松壽さんは、豚キムチに対しても大変な執心を見せていた。こんなもん普段食わへんから懐かしくて旨い、のだそうである。みんなが好きに呑んで喋って二時間強、一次会の時間いっぱいとなり店を出る前に石地さんに呼び止められた。
「タクシー呼んであるから、朝日会館の前の辺で降りといて、まだあるかどうかわからんけど」
店の前でタクシー2台に分乗することになり、松壽さんと古邑さんとの三人で乗り合わせた。
「お前、ワシの下宿に女の先輩連れて来たことあったやろ、あれ誰やった?」
「はぁ?」と、問われた古邑さんは身に覚えがないらしい。
「お前らが中でいろいろしとるからやな、ワシは外の階段に寂しく座って…」
「イヤだからしてませんてそんなの!」
何がきっかけだったかは覚えてないが、北野白梅町から河原町三条までの行程の三分の二以上はこの話題で占められていた。
 目的地に着いてもう1台組と合流をしてもなお松壽さんの追及は止まない。
「ほんであれ誰やってん!」
「だーかーらー…」
という応酬に会津さんと仁多苑さんも加わってどうにもにぎやかなことになっている。
 どうにもにぎやかな一行が連れ立って三条通りを東へ、鴨川西岸の河原にぞろぞろと下りて行った。河原に下りて何をするというわけでもないけれど、一塊になってなんだかんだと喋っている。そこから賑やかな先斗町を抜けて四条通を西に折れ、松壽さんは「無理や、歩かれへん」とぼやき続ける。しばらく歩いてあらかじめ予約してあったという二次会場に到着した。
四条通に近い店に行くのに三条河原町を目的地に指定した石地さんは、口では「前もって鴨川見せといたらもっと酔った後でそんなに無茶なこともせんやろ」と言ってはおられたのだが、松壽御大が残した数数の「逸話」の舞台となった三条の河原から懐かしいコースを辿って往時を偲ぼうということなのだろう。まったくもって行き届いた辣腕幹事振りである。

 二次会場は結構新しそうなこじゃれた店で、0次会の立ち飲み屋もそうだったのだけれど、「なんでこんな店を知っているんだ?」というのが正味の第一印象であった。奥にある階段を昇って行ったロフトのような造りになっている座敷なので周りの客の迷惑になることもあるまい。そこでも思い思いに呑み食い喋り、その勢いはとどまることを知らず。店に落ち着いてもなお松壽さんの飽くなき追及は続いて古邑さんは困り続け、仁多苑さんがその「一緒に来とった」という先輩の同期にあたる方にメールで確認をしたらしい。何をどう確認したのか知らないが、それで決着を見たのだろうか。
 終電を利用する栄地の帰り際、それほど長時間にも及んでなかったので石地さんは「ここの会計はいいから」と断っていたのだが、ぼそっと「それはいかんぞ」と言いながらお金を託してきた。「どこにも借りは作らん」という頑ななまでのストイシズムは健在で、石地さんも「エエって言うたのに」と半ば呆れるほどの律義者を貫き通している。
 それからしばらく宴は続き、この間に松壽さんの携帯が「らくらくホン」であることが発覚、何でも「前一番高いの使てたんやけどな、どこ押してええやらわからへんし、『もうええわ!』いうてほり投げたらつぶれてしもてな。ショップ持って行って『どないしたらええねん』言うたら店員が『そういう方にはこれが一番』言うてコレ勧めてきよった」のだそうである。松壽さんはどこまでも松壽さんであるようだ。

日本中のそこかしこからいい大人が十人近くも集まって、二十数年前と変わらない呑み方をしている。当時のあの仲間たちを、彼らが持っていた雰囲気を、会津さんは『悪意のない生気』と呼んだ。ここにはまだそれが生き生きとしている。

 店を出てから「また来年」の言葉を交わして三三五五、四条通から五条のホテルまで「タクシーで帰る」と言う松壽さんはタクシーの前に立ちはだかって止めにかかっている。もう一軒行くという石地さんと別れてホテルに向かった。ちょっと呑み直そうかとホテル近くのコンビニでビールと缶酎ハイを買い込み、それぞれが部屋に戻ってシャワーを浴びてからまた呑み始めた、ところまでは覚えている。どうやら今回は会津さんよりも先に落ちてしまったらしい。

 朝目覚めると前夜パラついた雨の名残かぼんやりと雲があって、前日ほど暑くなることはなさそうに見える。お互いの帰りの切符がお昼過ぎだったので、それまでどうするか検討する。鞍多からの頼まれ仕事がうっちゃらかしてあるが、これを果たすには龍安寺に行かなければならない。会津さんは八坂神社のお守りを受けたい。午前中で両方、となると結構な過密スケジュールになりそうである。チェックアウトを済ませてホテルを出ると、折よく正面でタクシーが1台客待ちをしている。躊躇なく乗り込んで龍安寺を告げた。年配の運転手は道中「近年外国人観光客がやたらと増えたこと」「一部の外国人観光客のマナーが悪いこと」をぼやき倒す。
 朝まだ早い龍安寺の境内は緑がしっとりと落ち着いて清清しい、のだが、中学生と思しき団体が何組かぞろぞろと歩いていて、引率の先生の声がでかい。侘びも寂びもどこかに鳴りを潜めてじっくりと庭園鑑賞という雰囲気でもなく、そそくさと蹲踞を写真に収めて任務完了、とばかりに龍安寺を後にする。
 タクシーをつかまえようとするが駐車場内にいるのは参拝者待ちの契約車輛ばかりで、周山街道に出てみても流しのタクシーはおろか一般車両さえまばらである。ようやく西に向かっている空車を拾い、八坂神社を告げて龍安寺の駐車場でUターンして東に向かってもらった。歳の若そうな運転手は行きの運転手ほど口数は多くないが、大きな通りを使わず細い通りをかなりのスピードで縫っていく。抜け道には違いないのだろうが、通行人も自転車も電柱も対向車もすれすれでかわしていくようで、乗っていてハラハラした。
 工事関係者を含め人で賑う八坂神社での参詣を済ませ、一通り用事も片付いたところで時計を見ると、まだ10時にもなってない。公共交通機関を使わず金に飽かせたタクシー移動をした賜物だろう、おそらくこの京都1泊中で一番高くついたのがここだったようにも思われるが、タクシーで移動とはいかにも社会人らしいと二人で悦に入ったものである。
 時間はあるし、とはいえいろいろな店も開店前だろうというので鴨川に向かって祇園の街並みをぶらぶらと歩いた。鴨川に着いてみると鮎釣りだろうか、タモ網を持ったおじさんが川の真ん中で細い竿を振っている。川端通の歩道を降りて河原から一段高くなっている舗装していない遊歩道沿いにはベンチが点在していて、その一つに黒いスーツに黒い中折れ帽をかぶり、白い口髭を蓄えた上品なおじいさんが座っている。その横で毛並みの綺麗な三毛猫がタオルを敷いてもらった上で頭や首をなでるおじいさんの指に甘えている。そのおじいさんの前をやり過ごして、ふたつ先のベンチに腰を下ろした。
「まだ冷たいよ」
実は前夜に買っていた酎ハイが手つかずで、それを会津さんが一晩冷蔵庫に入れて冷やしておいてくれたのを呑みながら、ぼんやりと辺りを眺める。釣りをするおじさんの上を旋回した鷺が川に下りると、ベンチに座るこちらに正面を向く形になった。曲がった針金のような足の上に載った体はひょろっと縦に細長いばかりで、どうにも頼りない。
「あ、猫降りて来たよ」
猫がベンチから降りて、川側の柵の手前に生えた草の上で毛づくろいを始めた。きっとおじいさんとは「いい関係」なのだろう、安心しきってのびのびとしている。そこへ二人組のおじいさんが自転車を引いてやってきて、一つ横、猫を連れたおじいさんとこちらの間のベンチに腰を下ろし、手にした袋からビールと揚げたてのコロッケを取り出して飲みはじめた。
「うわっ、うまそう!」
「ねぇ」
結局、神社よりも仏閣よりも、酎ハイを片手に鴨の河原で一番ゆったりと過ごしている。再訪するための京都には何の用事も要らないのだろう。

 コロッケに触発されたわけでもないが腹が減っている。河原町通まで出ると、丁度四条河原町のバス停に他にどこにも停まらない京都駅直通のバスが来るところに通り合わせた。ガラガラにすいていたのでコレ幸いと乗り込んで、広々とした後部座席で車窓を流れる街並みを眺めて京都駅へ。駅の近くにあるラーメン屋でビールを注文して、もっとゆっくりしたかったのだけれどかなりの人気店なのだろう、すぐに満員になって待つ人まで出始めたのでそうそうのんびりともしていられないようになって慌ただしく店を出た。駅に戻ってそれぞれ家族への土産を買って、それでもまだ時間がある。
 毎回、京都に集まって呑むと普段とは違う、以前の呑み方になって酒量が増える。翌朝には酔いこそ残らないが心地よく疲れていて、お互いに眠気の方が勝ちそうなのもあってあまりアクティブにはならない。それでも今回は朝早くから京都でも有名どころの観光地を二か所も廻って、ただ用事を済ませただけで何をしたというわけでもないけれどいつもとは違う充実感はある。残った時間をバタバタと過ごしたくもないので、地下街に下りてコーヒーを注文した。
「鞍多にはもう写真送ってあるからね、おっさんばっかりのやつ」
焦げ臭いようなクセばかりが鼻につくコーヒーをすすりながら取り留めのない話をするが、主な話題は前夜を省みることと次回以降への展望である。それにしても、おっさんばっかり…
 そろそろ時間だとなってコンコースに上がって行くと、改札の前で古邑さんに出くわした。
「ポチどうやって帰んの」
「在来線で帰りますよ」
「何時?」
「12時半」
あと2分もない。新幹線にすればいいのにという会津さんにそうはいかんと返しながら改札を抜け、「じゃまた来年!」と言いつつ駆けていく後姿を見送った。
「慌ただしい…」
「そんじゃぁこっちもぼちぼち」
「うん、ぼちぼち」
改札を抜けて階段を昇り、ホームの上を渡る連絡通路で挨拶をかわして、それぞれののりばへと向かった。
「じゃぁ、また来年!」

 補遺
 京都を出て直ぐ、新大阪の手前で検札があって、その後気づいたら最寄駅が近い。3時間近くも眠っていたようで、体のあちこちがこわばったようになっている。ホームに降りて思いっきり伸びをした。ぞろぞろとなかなか前に進まない同車の乗客の群れに紛れたくもないので、ホームの突端に置いてある灰皿まで行って一服しながら石地さんにお礼のメールを打とうと携帯を見ると、栄地からのメールが届いている。受信したのは前日の17時過ぎ、文面は「どの辺やったっけ?」と一次会場の位置を尋ねるものだった。これにちゃんと答えていれば、遅れて来ることはなかったんだろうか? 栄地よ、赦せ。
 帰宅してから一息ついて、鞍多に蹲踞の画像データを送った。頼まれ仕事を片付けて、ビールを飲みながらぼんやりとくつろいでいるところへ石地さんからの返信、開いてみると地元の最寄駅に着いて駅裏の居酒屋に入ったところ、だそうで、旨そうな刺身の写真が添付してある。
 それからしばらく経って、今度は鞍多からお礼のメールが来た。まずは会津さんから送られた写真の感想がつづられている。
『いいね~。 松壽さん、もみんなも先輩方そのままやった。』
そのあとにはこう続いている。
『来年はマジ行きたいッス。』

 そう、来年こそは是非おいで。

浪速のデニーロ

2014-06-20 14:01:02 | 洛中洛外野放図
 標準的なイントネーションだと多くは「黄粉」と同じになるはずの、平仮名で3文字の「子」で終わる知り合いの名前を片っ端から、関西風の「ひよこ」イントネーションで「はん」をつけて。「黄粉さん」でいいものをいちいち「ひよこはん」と口に出してみて「なんか違うやろ、なんでこんなもっさりすんねやろなぁ」と「小さな疑問」を追究する。

 そんなしょうむないことの好きらしい宇津平さんは飄飄としている。生まれたときから大阪の風土にどっぷりと浸され、発想そのものが大阪の舞台喜劇のそれになっているようなところがあって、笑うと一層細くなる、花紀京を髣髴する目を時折眩しそうにしばしばさせながら上下を逆に持ったライターを一生懸命擦ってみたり煙草を鼻の穴にいれてみたりと「隙あらば小ボケ」に余念がない。周りはその都度「さかさまや!」とか「鼻や!」と一つずつ拾い上げていく。身なりはいつでもさっぱりと小奇麗に纏めてあって、いろいろな流行ものがさりげなく取り入れてある。その日も自分の履いてきた藍色に近い青のスウェード地でできたコイン・ローファーを手に取って「これ中に入れんの、寛永通宝とおはじきやったらどっちがおもろいやろな」という難題について思案していた。
「どっちや思う?」
「いっそのこと札入れてみるとか」
「それエエなぁ」
財布から千円札を出し、硬貨と同じくらいの大きさになるまで折り畳む。かなりの厚さになったものを靴にあてがって「入れへん」てそこまでしてみるかこの人は。

 酒が自然に入っていくような、とても綺麗な呑み方をする。なぜか気に入られて、二人で呑みに出かけることも多かった。「なんか合うねん、おまえと呑んでたら落ち着くわ」と言ってもらって悪い気はしない。二人して特に何を話すというのでもないけれど、それでもくだらない話が途切れることもなくすいすいと酒が進む。

 ある夜半過ぎに電話がかかってきた。
「さっきゼミのツレと呑んでてやぁ、終電間に合えへんかってん。そっち行ってええか?」
「あぁ、いいですよ」
となったのだがなかなかやってこない。電話を受けてから小1時間が経ち、そろそろ寝たろかと思い始めたころにノックの音がした。
「遅かったですね」
「せやねん。もうちょっと早よ来れるか思たけど、歩いたらけっこうかかんなぁ」
「どっから?」
「河原町」
「…アホか」
「な、アホやで。疲れたわ~…」
「-鼻や!」
「呑もけ」
 来る途中立ち寄ったというコンビニの袋にはビールと軽いつまみが入っている。部屋には日本酒とバーボンがあると告げると「せやろ、せやからビールだけにしてん」なのだそうだ。
「さっきピッツェリアトラッ、トーリアの前通ってんな」
千本丸太町にある宅配ピザ屋は「トラトリア」なのだけれど「イタリアやから」という理由でいちいちタメを入れて「トラッ、トーリア」という。石地さんの在学中よく通ったという千本今出川の中華料理屋 前進丁(ぜんしんてい)を「ぜんしんちょう」、お好み焼き屋 延(えん)を「のべ」と呼び習わしていたので、いろいろと店名をもてあそんでみるのも楽しいらしい。ただ 傳七(でんしち)寿司を「たるひち」と呼び、石地さんに「漢字ごと変わっとるやないか」と突っ込まれていたが。で、ピッツェリアトラッ、トーリアの前を通りかかったら
「武上部屋におるみたいやったわ」
宇津平さんと同期の武上さんはそのピザ屋が入っているテナントビル上階のワンルームマンションに住んでいて、そこで宅配のバイトをしている。賄いつきだというから食、住、職場が一か所に集約されてなかなか効率的である。
「呼びますか」
「やめとこ。あいつ時々おもんないねん」
その『おもろい』基準のとらえどころがない。

 どうやら「彼女もほかのツレも寝静まっているであろう真夜中にすることもなく手持無沙汰になってしまったとき」にお呼びがかかるらしい。「起きてるか?」という電話をこちらがとれば守口市の自宅からお兄さんの車を借りて京都までやって来た。そうなると酒を呑むわけにもいかないので好みの芸人の出演する深夜のお笑いバラエティを見たり「そこそこ遠くにある店の美味いといわれるラーメンを食べる」か「琵琶湖の端でぼんやりと煙草を吸う」ために出かけたりもする。そんなことをしながら「んなアホな」という話をして笑っている。

 そんな宇津平さんは卒業後、数か月音信不通の状態になった。久しぶりに連絡をもらったのは夏の盛り、日が暮れても一向に涼しくならない京都を逃げ出して帰省しようかと考えていた夜だった。
「どうしてはったんですか」
「ずーっとなぁ、忙しかってん」
「ほぇ」
「もうやってられへん。週末呑もけ」
「いいですねぇ。どこで?」
「京橋のな」
「ええとこだっしゃろ」
「せやねん、グランシャトーがおまんねん」

 約束の日、ここまできたなら京橋に住まう親類の、亡くなった爺さんに線香の一本も手向けに行こうと京阪電車京橋駅近くの公団を通り抜けようとしたときのこと。
「ええがげんにじまじゅがらいれでぐだじゃいいぃ~!」
幼い子供のただならぬ叫び声が聞こえてきた。彼/女が何をしでかしたのか知る由もないが、少し前の母親の様子なら手に取るようにわかる。
― ただでさえ暑いところへもってきて子供がうるさい。たしなめてはみたが大人しくするどころかさらにイチビリたおす。血中アドレナリンの増加に伴って叱りは怒りへとすり替わり、言葉が荒くなっているのはわかっていてもフィードバックが間に合わない。― そう、おカンはキレてしまったのである。

「ええ加減にしっ! そんな言うこときかへんともうウチ入れへんでっ!!」

 うだるように暑い午後、遠くの喧噪によって際立つあのかったるい静寂の中。その子は団地中に響き渡るほどの声で文字通り「火がついたように」泣き、喚いている。隣近所のベランダでは洗濯物がわれ関せずと風に揺られている。それらを聞き、眺めながら奇しくも生まれたときから大阪の風土にどっぷりと浸され、発想そのものが大阪の舞台喜劇のそれになっているようなところのある宇津平さんと会う当日に目の前で孜孜汲汲(ししきゅうきゅう)と営まれる大阪的な、あまりにも大阪的な日常に思いを馳せている。これはもうお導き以外の何物でもあるまい。

 妙な感慨に浸りながら親類への挨拶も爺さんへの合掌もそそくさと済ませ、宇津平さんの待ち受ける「夜の京橋」へと道を急ぐのであった。

「ばかなおとこ」フルディティール版

2013-09-20 12:48:17 | 洛中洛外野放図
「あーもぅ、こんなんうちアホみたいやん」
テーブルに肘を突いた右手の指先を額に当てて軽く眉間にしわを寄せながら苛立っている。

 土曜の朝に電話がかかってきた。午後買い物に付き合ってくれという。「今日言われて、今日かい」「昨日何回かかけたよ、しやけどあんた全っ然出ぇへんかったやん」「おぉ、スマン」金曜の夜だ、呑んでいる。帰ってきたのは日付が変わった後だった、と思う。そうは思ってもそのあたりはどうにも曖昧模糊としている。「やっぱり。せやろなー、思ててん」「ほっとけ。でも何でおれなん?」「彼にライターあげたいんにゃけど、うちようわかれへんし。あんたいろんなライター持ってるやろ、しやから選ぶのんてっとうてもらお思て」そういうことか。

下宿の近くにシフォンケーキが美味いと評判の店があるのだそうで、それを京都で暮らし始めてから随分と経っていたそのときにはじめて知った。そもそも甘いものを得意としないのでそのテの店に用事も興味もなかったのでした。とにかくそこで待ち合わせをすると言い出した。「買いモンて、河原町の方と違うんか?」「そうや」「ならわざわざこんな遠いところで待ち合わせんでも…」「食べたいねん!」「さよか」押し切られてしまった。「あんたとこから七本松をずーっと丸太町まで下がったええねん。ほしたら東ィ行き、すぐやから、シーシーズいうとこ。千本通のほうやで、アホでもすぐわかるし」ひと言多いアドバイスを受けて、経験上時間通りに出向くとかなり待たされることになるのは火を見るよりも明らかである。11時の待ち合わせだったので11時に下宿を出た。とろとろと歩いて丸太町通に出て左折、なるほど店名を知っていれば見逃しようがない。店舗入り口の上にしつらえてある青いテントに白抜きで店名ロゴがデザインしてある。アルファベットのCとCとSの並びを見ていると何かを思い出しそうになって、でも明確にならないのでしばらく眺めていると向きは逆だが尾形光琳の手になる頼んないほうの風神の顔だということに思い至った。すっきりして入り口の扉を開ける。
カップル。
女の三人連れ。
カップル ― いてへんがな!
大変な居心地の悪さを感じながら空いているテーブルに付いて、なんだか見られているように感じたのは不慣れな甘いもの屋でちょっとした被害妄想に駆られていたのかもしれない。注文したコーヒーがぬるくなりかけたころ扉が開いて「あー、もう来てたん」って、じき11時半だバカモノ! ケーキを食べるのを待つ間コーヒーをお代わりして駄弁に付き合う。「電話のあと支度しよかなー思てんけど、お風呂入りたなったしな、シャワー浴びててんね」…ようやく店を出てバスに乗り込んだときにはもう1時が近くなっていた。

「なぁなぁ、お昼どうする?」「さっきケーキ食たやろ」「別腹なめとったらアカンで」「そんなもん舐めともないけどやな、もうちょっと後にしよ。コーヒー二杯で腹タポタポや…」

 四条河原町でバスを降りてまずは河原町ビブレから、というので普段なら前を通ることしかない建物の中へ。大阪食道楽、京の着道楽、というのは聞いたことがあるけれど、いろんな物をとっかえひっかえあーでもない、こーでもないとさんざん時間をかけている。「なんや退屈そうやねぇ」今きづいたか。「うっとこの彼やったらいっつも楽しそうに待ってくれたはるよ」彼じゃねぇ。「一番上の階にライターやら売ったはるとこあんねん、あとで行くし先行って見といてくれへん?」はよゆえ。「ああ、ええよ。なんか好みとかあんの?」「へ?」「いやオイルのがええとかガスのほうがええとか」「うちわかれへん言うたやん、任せるし」「ええんかいな」「うん、うちがあげんにゃから、何でも喜ばはるよ」せやったら我がで決めんかい! と出かかったが講義ノートだとかレポートの資料ではさんざん世話になっている。今後のこともあるし、まぁ黙っておいた。しばらく経って大きな紙袋を提げて上がってきた彼女にいくつか目星をつけていたのを示す。「へぇ、カッコええねぇ」「いや、かいらしいなこれ」と一通りリアクションをとったあと「こん中でどれがエエと思う?」「これが一番シンプルで使てても飽きがこんと思うで」「ほなそれしよ」即決やな…

 写真や本の好みに似たところがあってよく貸し借りをしていただけあって、好きな店も共通する所が多い。そこから骨董屋のWright商会を皮切りにいくつか書店玩具店文具雑貨店を回り、休憩しよかと喫茶店に入ったときには結構いい時間になっていた。
「お腹もうタポついてへん?」「おー、ちょっと腹減ってきた」「うちだいぶと前からぺこぺこやってん、こないだええ店(とこ)教(おせ)てもうたから食べに行かへん?」「何屋?」「居酒屋」「行こ」普段の話を聞いていると友達同士でもデートでも箸と透明なお酒の出てきそうにない店で食事をしているらしいが、どうやら気を使ってくれている。

 どこの筋だったか、河原町通から西に入ったところ、高瀬川の手前のビルの階段を下りた半地下になったところに連れて行かれた。広々とした店内の照明は明るく有線で洋楽がかかっていて、ボックス席のテーブルもゆったりとしている。メニューを見ると洒落コケた店内の雰囲気にそぐわないような、いわゆる京の「おばんざい」も扱っているらしい。

「この前誕生日に腕時計くれはってん、せやからちょっとお礼したいなぁ思てんね。ホンマうちライターわかれへんし、助かったわぁ。今日はありがとう」と、乾杯しながら殊勝なことを言う。「あー、かまへんよそんなん。その時計か?」「うん」「エラい高そう」「バイトがんばってくれはってん」「ほーん」しばらく話をしてトイレから戻ってみると
「あーもぅ、こんなんうちアホみたいやん」
テーブルに肘を突いた右手の指先を額に当てて軽く眉間にしわを寄せながら苛立っている。
「どしたん」「これ」と指差したのは松田がテーブルに置いて行ったショートピース。「うち酔ったときたまに彼の煙草もろてんねん」そのときも酔いが回って何気なく手に取って、一口ふかしてクラクラときたらしい。「これ一番強いで」「うん、しやけどそんなん周りで見ててわかれへんやん。なんか彼氏のおらんようになった隙に不慣れな煙草を吸ってみて気持ち悪なってるアホアホ彼女に見えるん違うやろか」いや周りそこまで見てはるかな…

 水を飲ませたら落ち着いたというのでまた呑みながら話をしていると、微笑ましい惚気話だったはずの時計をめぐるエピソードがまったく違う様相を帯びてきた。バイト先のエライさんがスケベったらしいヒヒ爺ぃで、なんだかんだと贈り物をちらつかせて言い寄ってくる。同じ授業を取っているどっかの社長のボンが、親の金にあかせて贈り物をちらつかせて言い寄ってくる。彼氏は一生懸命バイトをしていて、誕生日に何かプレゼントをしたいと言ってくれる。そこで3人にとある高級ブランドの腕時計がほしいと言い、その上で希望の商品に印をつけたカタログを一部ずつ渡したのだという。手元に全く同じ腕時計が三つ、そのうちの二つを売り飛ばし、「会うとき残ったひとつをつけてたらみんな自分が贈ったもんや思うやろ」半開きになった口からくわえた煙草が落ちそうになった。「あ、せやけどアレやねんで、これは彼が買うてくれはったやつやで」いやいやそんな取ってつけたように言ってみても、なぁ。
「あのなー垂高、お前そのうち刺されんぞ」
「ほっといとおくれやす」意図的に京ことばを使いながら作った笑みにぞくっとした。こういうのを妖艶と言うんだろうか。

 会計時「今日はお礼やから奢らせて」と言い張ってお金を受け取ってもらえなかった。地下鉄烏丸線の四条駅まで送って行く途中「なぁ、さっきのこと誰にも言わんといてな」「言えるかい!」改札を通ってから手招きをされ、柵をはさんで向かい合った。「なんや?」「時計売ったの昨日やってん。そのお金で払ったから、あんたも共犯やで」 ― 嵌められた! 奢ってもらった金の出所など奢ってもらった側の知ったことではないような気もするが、聞いてしまったからにはしょうがない。帰り道、一面識もない彼氏に対して後ろめたさを感じたものである。

たぬききつねねこ

2013-09-03 14:25:30 | 洛中洛外野放図
京都の暑い暑い夏が終わってようやく秋の気配の感じられ始めたようにも思われる、とある週末のこと。祝日の巡りあわせで月曜までが連休になり、連休中は現場が動かないので当然資材搬入の仕事もなく何の予定も立たない。めぼしい連れはバイトにデートに行楽にと忙しく立ち回っている様子、いくつか誘いがないでもなかったが夏の温気(うんき)に当てられたのもあったんだろうけれど何をするにも面倒臭く感じられて、すべて断って三日間を無為に過ごすことにした。のだが。自ら選んだこととはいいながら、いざはじめてみると「何もしない」をするのも相当に骨が折れる。土曜の午後に空腹を覚えたころにはもうどうにもいたたまれなくなって、昼飯のついでにまずは下宿から七本松通を南に下って丸太町通沿いの中央図書館で検索目録を物色した。なにしろもう二十何年も前のことなので蔵書はおろか蔵書目録すらデータベース化されておらず、読みたい本を探したければずらずらと並ぶ棚の該当する小引き出しを開けて、みっちりと詰まっているカードを繰っていかなくてはならない。普段ならばまどろっこしくもある手順だけれど、今回のように無目的に思いつくままあちこちの引き出しを開けて回っているとあれこれと連想がつながっていって意外な書籍に行き着いたりする。要は手間と時間のかかるアクティブなアナログ版ブラウジングなのである。結局午後の何時間かをかけて目録を渉猟し、面白そうな本をとっかえひっかえしながら選んで貸し出し手続きを済ませてから昼飯に食べたかやくうどんはもう晩飯にしてもいいほどの頃合いになっている。そうして借り出してきた硬軟取り混ぜ十冊ある本を枕頭にうずたかく積み上げ、手の届く範囲にピースの缶と灰皿とメモ用のスケッチブックとペンと12色の色鉛筆セットとを並べて万全の体制を整えてから銭湯に出かけた。ほんの少し前まで日が暮れた後でも徒歩五分とかからない銭湯から下宿に戻る頃にはもう汗だくになるほど暑かったのだが、風呂上りにまだ暮色の残る中を歩いていると涼やかな空気が湯上りの火照った肌に気持ちよく感じられる。そんなことに秋を感じながら坂の上に立って紫がかったピンク色に縁取られる西の雲の色が変わっていくさまに見蕩れていた。傍から見たら阿呆が呆と突っ立っているようにも見えたろうが、そんなことをしていると少し寒くも感じられたので湯冷めをするのも莫迦らしい、坂を駆け下りて、階段を駆け上って、布団に潜り込んだ。

 そこからは枕元に手を伸ばしては触れる本を「当たるを幸いなぎ倒し」手当たり次第にページを開いていったのだが、一冊を通読することはせずきりのいいところで次の本を開き、何冊かずつ同時進行で読みながら気になった事柄のメモを取ったり図版を模写したり、しているうちにうとうとと微睡(まどろ)んできて、目が覚めればまた本を開いて、途中で煙草を差し挟みながら眠って覚めてを繰り返していたようで。腹が減って時計を見ると日曜の夜明けが近い。布団を出るのも億劫だったが、そういう訳にもいかないので立った勢いでトイレを済ませ、そのまた序に大きな薬缶に水を汲んで戻ってきた。当時は水道もガスもない部屋でほしいだけ湯を沸かすのにアルコールランプと小さな五徳と薬缶を使っており、その小さな薬缶で湯が沸くのを待つ間に手回しのミルで豆を挽いて、何かの実験でもしているようなつもりになってコーヒーを淹れる。風呂上りに実感したように明け暮れ涼しく感じられるようになっていたのでドリッパーの中の豆にまぶすようにして最初のお湯を差すときの、ほんわりと立ち昇る湯気の暖かい香りが嬉しい。とはいえコーヒーだけでは腹にならないので冷蔵庫に常備してあった蜂蜜をなめながらコーヒーを飲んで腹の中からじんわりと温まった。そんなことで腹具合を誤魔化して、それでも甘いものを腹に入れて暫く経つと活字を追って凝り固まった頭の中が解けたようになって、空が薄明るくなりかけた頃に眠気に任せてそのままうとうとと寝入った。

 目が覚めて時計を見ると1時間も経っていなかったが頭はすっきりしている。すっきりとした頭で本を読みメモを取って、煙草を吸ってはコーヒーを淹れて、眠気がさしたら微睡んで覚めては本を読みメモを取って煙草を吸ってコーヒーを淹れときには蜂蜜を舐めて…と繰り返しているうちに日曜の午も過ぎ、そろそろ腹具合の誤魔化しも効かなくなって来た。残りの心許なくなった缶ピースを吹かしながら、どこかに出かけようかと考えながら随分とたまったメモをぱらぱらと捲っていると、ある地図のところで手が止まった。

 京都市内に残る御土居の遺構の在所が記してある。先にも触れたが御土居とは聚楽第などと並ぶ京都改造事業の一環として豊臣秀吉によって当時の京都を囲うように造られた土塁で、これを境に内側を洛中、外側を洛外とするものらしい。その一部が北野天満宮の西側に残っていて、そこから紙屋川にかかる小橋を渡って対岸の小路に抜ける辺りの雰囲気を気に入って大学への往き返りよく歩いてもいた。そんなところがまだほかにもあるかと思い、食事がてら回ってみようかとメモを片手に自転車で出かけることにした。

 自転車で回れないこともないとはいえ京都を取り囲んでいたというだけあってかなりの広範囲に渡る。まずは普段の馴染みもある下宿より西側のものからと、紫野の辺りから南下して行ったが、天満宮の西に残るものほど魅力を感じるところとてなく、陽もだいぶ西に傾いて日差しと風景が黄色味を帯びている。もうやめようかと思いながらたどり着いた西大路御池から一筋東の西土居通りを二筋上がったところにある遺構はこんもりとした杜になっていて、他のところとは様子が違っている。そこまで行ってみると石の鳥居があって、額束には「正一位 市五郎大明神」とある。その奥には参道沿いに朱色の鳥居がいくつも連なっていて、潜って境内に入ってみると拝殿の鳥居の両脇に狛犬のように狐の像があり、拝殿に吊るしてある提灯には「市五郎稲荷」と大書してある。拝殿の前には「史跡 御土居」と書かれた石標が立っていて、階段を上って行った先に当たるお土居跡の上にも社があるようだ。昼でも暗いと思われる杜は薄暮の中次第に色を失っていき、ざわざわと揺れ動きながら不気味さをまとい始めている。鳥居の外とのあまりの落差に呆然とあたりを見回しながら気にかかっていたのは本殿の前に立ったときからなんとなく感じられた、妙にざわついた気配と得体の知れない臭気。と、突然本殿の陰から人が出てきて吃驚した。両手に箒とちりとりを下げたもんぺに割烹着姿のお婆さんが「お参りどっか、ご苦労さんで」と声をかけてきた。たぶん「どすか」と言っているのだろうが「す」の音が明瞭ではなく「どっか」と聞こえるのが印象に残る。
「御土居の跡を見に来たんです」
「はぁ、そうどっか」
「ここはお稲荷さんになってんですね」
「へぇ。お稲荷さんやけど、ご神体は狸ですねん」
「は?」
神社の御守をしているというお婆さんによると祭神の市五郎大明神は狸像を御神体として祀られているそうで、そんな話をしているとお婆さんの足元にわらわらと猫が集まってきた。
「猫、多いですね」
猫は好きなのだけれど、こんな雰囲気のところでどこからともなく何匹も何匹も出てこられてはあまり気持ちの良いものではない。お婆さん曰く、猫好きが嵩じて野良猫にえさをやるようになってから集まりはじめたとのこと、つい今しがたも社の裏手でえさをやっていたのだそうだ。それでどうやら得体の知れない臭いの得体が知れた。猫に与えていたえさと猫の出したものと、猫そのものの獣臭、それにこれだけいれば気配もざわつこうというものだ。
「この辺の人からは『猫稲荷』と呼ばれてますのん」
と言いながらご本人はニコリとしたつもりなのだろうが、見ているとニタリとしか形容の仕様のない笑顔になった。お礼と挨拶を述べて鳥居を潜って道路に出ると空にはまだ明るさが残っている。神社の南側に接する道から西大路通に出て北上しながら目を向けると、うっすらと暮色の残る空をバックに黒いシルエットになった杜がざわざわと揺れている。

 御土居の跡に一塊になってざわめく黒い杜の中心に祀られた狸を守る狐の周りに集まる数多の猫と、そのすべての世話をするネコババァ。翌日行ってみたらそんなものは跡形もなかった、とでもなったら化かしたのは狸か狐か、それとも猫か。なんだか妙な後味を残して無為な日曜が暮れてゆく。

市バスにのって

2013-03-17 17:57:37 | 洛中洛外野放図
 午後一番の講義が終わって、その後授業を取ってないので夕方の約束まですることがない。近眼の度合いが少し進んだようなので、眼鏡を見に行くことにした。どこの店という当てもないけれどいろいろあるだろうと大学前で四条河原町界隈へ行くバスに乗った。天気が好くて、眠たくなるような淡淡とした喋りをされる先生の講義の続きでどうにも眠たい。前寄り、降車口に近いところで進行方向の左側を流れる町並みを眺めながらつり革に掴まっていると、大きな欠伸がいくつも出てくる。あるバス停で賑やかな声のカタマリが乗り込んできた。なんだと思って後ろの乗車口の方に目を向けると、揃いの黄色い帽子をかぶった、小さな4、5人がわちゃわちゃと、耳障りでない甲高い声で喋っているというよりも囀っている。皆が赤いランドセルを背負って、それには黄色いカバーのかかっているのもいないのもある。小学校の下校時間に当たったのだろう、小学生が乗り込んできても何ら問題はない。だのに二度見をしてしまったのは、中の一人に紅毛碧眼、クリーム色がかったぽってりとした色合いの白い肌にはご丁寧にもそばかすまで散らばっていようかという、コーカソイドの見本のようなお子が混じっていたからである。キャサリンだとかケイティだとか、カ行で始まる名前ばかり浮かんだのは、多分『アーノルド坊やは人気者』の「キンバリー」を髣髴したからだろうが、カ行で始まる名前をいろいろと思い浮かべながらぼんやりと眺めていた。同系統の色の上に黄色い帽子が乗っているのにちょっとした違和を感じたのである。それでもどうやら見慣れたかしてさして興味もなくなったのでまた窓の外を流れる景色に戻って欠伸の出るにまかせていると。乗り込んでから二つ三つ後のバス停で黄色いかたまりは二手に分かれて、半分ほどがそこで降りるらしい。ピーチク、パーチク囀りながらぞろぞろと前にやってきて、運転手になにやら見せながら「ありがとぉ」と言って降りていく。「ありが」は平板で「とぉ」が強くなる挨拶に運転手もマイク越しに小さい声で「はぃありがとー」と答える、そんなほんわかした光景は、降車口のステップを下りていくキンバリー(仮名)のひと言によってぶち壊しになった。
「そんなんアカンて言うてるやんけぇ!」
「やんけ」ておい。京ことばではない関西弁、しかも「る」は巻き舌ぎみになっている。幾人か関西弁を恣(ほしいまま)に操る異人種との付き合いもあったが、これほど外見との違和感を覚えた例もそうはない。ぽかぽかと明るい陽光の中を友達と楽しそうに歩いていくキンバリー(仮名)の背中に向かって、走りだしたバスの窓越しに小さく突っ込みを入れた。
「いやいや、おまえがアカンやろ」

 まったく、天気の好い休日の真っ昼間、観光スポットの名前がそのまま付いたバス停を経由する路線になんぞ乗るものではない。何の用だったか、当時滋賀県に住んでいた知り合いに久しぶりに会いに行った。会いに行ったら久しぶりなのでお酒になり、そのまま泊めてもらった。京都駅に帰ってきたのは翌日曜日のお午少し前で、ターミナルで発車待ちをしていたバスがちょうど下宿最寄りのバス停を通る路線なので深く考えることもなく乗り込んだ。座席はふさがっていたが窮屈ではない。中ほどのところに右側を向いて立っていた。そのうちにぽつりぽつりと乗り込んできて窮屈らしく感じられるようになってからようやく発車した。天気の好い町並みを眺めながらなんだかむしゃくしゃする。どうやら左側に立っている女の香水だかお化粧だか、とってつけたような臭いに馴染めないらしい。それでも我慢できないというほどでもなく、しょうがねぇ、くらいに思っているとバス停に止まるたびに人が増え、三つ四つ過ぎるころには立錐の余地もないほどになった。当然左側の女の臭いとも近づくことになり、むしゃくしゃを通り越して不快になったがすでに遅い。腹を立てていると、ふと左足の甲に妙な感触を覚えた。冷たい、熱い、痛い、痒い、そのどれとも分類できず、「点」を感じたとしかいい様がなかったが、とにかく鋭い。それが次第に熱を持った「痛み」に感じられて、だんだんと強さを増して、やがて刺されるように感じだした。バスが揺れるたびにえぐり込むような鋭い痛みが新たに感じられて、喉の奥から空気とともに「か」という音が漏れたまま開いた口を閉じられない。なにしろ、突然のことで原因がわからない。脂汗は出てくるし、窮屈な体勢でどうにか下を見てみると、キャンヴァス地のデッキシューズに横の女の履いているピンヒールの「ピン」が食い込んでいる。場所は左足の薬指の筋と小指の筋の間の肉の上。女はこちらに背を向け、後に置いた右足のかかとに体重をかけるようにしているらしい、そのかかとのピンが乗っているのである。必死に女の肩を叩くと、口を半開きにして脂汗を流し、涙目になって下を指差す男を最初は汚いものでも見るかのように顔をしかめて睨んでいたが、下を見るなり「あ」と言って足をのけ、そのまま降り口のほうにねじ込んで人ごみにまぎれてしまった。ひと言くらい詫びろ! 二条城前で大勢が降りて行き、座席も空いたので腰を下ろしてようやく人心地付いた。下宿に戻って靴下を取ってみると赤く腫れあがって内出血ができている。已矣哉(やんぬるかな)。いろいろとコインを乗せてみると50円玉とちょうど同じくらいの大きさだった。

 木屋町通の店でほろ酔い機嫌になって阪急電車で河原町から西院まで。そこで大阪へと帰る連れと別れて、西大路四条のバス停で西大路通から今出川通を行くバスに乗り込むと乗車口のやや前寄りに一人掛けの席が空いていた。一人のときはバスで座ることもあまりなかったけれど、朝からあちこちと歩き回って草臥れているし、他にも座席に余裕はある。躊躇なく座って昼間に買った文庫本を取り出し、ナップサックを脚の間に置いた。バスに揺られながら酔眼朦朧、理解できているのかいないのか曖昧なままに字面を追っていると乗車口から「たへ、たへ、たへ」と犬の息遣いが聞こえる。びっくりしたが盲導犬だとわかったので本に戻ろう、としたのだがどこまで読んでいたのかわからない。しょうがないので開いているページの最初から文字を辿っているとすぐ側で「たへ、たへ」という呼吸に混じって小さく「くぅ」と喉の奥を鳴らす声が聞こえた。脇に目をやると見上げるレトリーバーと目が合った。それを連れている人はステップを上がりきったところに、バーを握って立っている。何事だろう思ったが、立ち止まっている犬の足もとを見て納得がいった。間に荷物を置いて脚を開き気味に座っていたので、左足が少し通路にはみ出している。それを障害物と判断したのだろう。「あぁ、ゴメン」足をのけると「ありがとう」なのか「やいこら、気をつけろ」なのかわからないけれど、「ふぅん」と鼻息を漏らした。
「足が邪魔になってたみたいで、すんません」
「あぁ、いやいや、どうもすいませんでした」
ハーネスを握っている人に声をかけると、困惑気味な表情をしていたのがにっこりと笑顔になった。
どんなときでも声を立てないよう訓練されていると聞いていた盲導犬に「くぅ」と注意されるとは、そんなに非道いことをしていたのか。酔った頭で反省しながら見ていると、いくつか空いている左側の二人掛けの座席のうち、中ほどにあるシルバーシートに導いていった。偉いねぇ。

『コワい』三態

2012-09-11 14:13:55 | 洛中洛外野放図
 酔うと幸せそうな顔をしている、のだそうで、おそらくそれが一因かとも思われるのだが、阪急京都線上新庄駅でのこと。就職して大阪に引っ越した先輩の部屋でいろいろとご馳走になった後「間に合わなかったら戻っといで、泊まってったらいいよ」という有難い言葉に送られながら終電に少し余裕を持ってホームに上がった。このあたりはどちらかというとベッドタウンとでもいうべきところで、終電ともなると降りてくる客は居てもここから電車に乗ろうという客はそれほど多くない。ちょっと肌寒くなりかけの時期だったが、酔って火照った顔をなぶっていく風が気持ち良い。長いホームの端の方、降りる駅で階段に一番近くなる乗車位置に一人ぽつねんと立っていると、男が一人上がってきて、横に並んだ。広いホームである。他に人はいないというのによりにもよってここかい。でもまぁ。同じ駅を利用して同じことを考えているのならここだわな。しかし、近い。触れているわけではないのだけれど、体温が感じられそうなほど近い。
「どこ行くのん?」いきなり尋ねられた。
「大宮」何の考えもなしに反射的に答えたが、多分酔っ払って幸せそうな顔をして答えたのだろう。
「あ、ボクも大宮やねん。しやったら一緒にいかへん?」
ううっわ、怖!何こいつ!肩に腕ェ回すな!しなだれかかってくんな!耳に『はふぅ』って息吹きかけんな!気持ち悪いんじゃボケェ!と、万感の思いをこめて「だ!」と叫んでしまった。
「嫌がらんでもええやん」
「嫌じゃ!」
踵で向う脛を思いっきり蹴飛ばして、うずくまる相手を置いて階段を下りて改札を出る。とすぐに電車が入ってきたのを見て後悔の臍を噛んではみても後の祭り。せっかく戻ってきても良いと言って貰ったのだけど、女性の一人暮らしのマンションに戻るのもちょっと気が引けたので京都方面に向けて高架線をたどり、コンビニを見つけてははしごをして始発を待った。かくして人生初の貞操の危機は回避されたのである。

 大学の近辺はいわゆる高級住宅街にあたり、近くには学生相手の安い店ではないが学生には手が出せないほど高価でもない居酒屋もあった。そんなところは富裕な近隣住民と学生の両方が客層になる。店の入り口に近いテーブル席を何人かで囲んでいた。奥のトイレに行く途中のテーブルではいかにもおじいさんと息子夫婦と孫、と言う感じの家族連れが楽しそうに食事をしている。のだが、ぱっと見強面なおじいさんはどうやら堅気の人ではないようにも思われる。トイレから出てくると、孫が退屈したのだろう、床の上で走らせていたミニ四駆が足に当たった。
男の子は「あう」という感じで固まっているので「うわー、轢かれてもうたぁ!あたたたー」とリアクションをとると「ごめんなさい」と言う。「気ィつけてやぁ」「はい」というやり取りがあって自分たちのテーブルに戻り、その家族に背を向ける形で呑んでいると向かいに座った樽尾が「おい」と声をかけてきた。「なんや?」「おまえ、さっきなんかしたか?」なんのこっちゃ?
「いやな、あっこのテーブルのおっちゃんがお前の方見てはんねん」-え?
と振り向くとそこのおじいさんがこちらに向かって歩いてくる。
さっき何かしくじったか?怒らせるようなことしたか?俺何言ったー!?
いろんなことが同時に頭を駆け巡ってパニックになりかけているうちにおじいさんが横に立つ。こわごわ見上げるとにこっとわらって「すんませんな、これで示談。どうやろ」と言いながら二合徳利をテーブルに置いた。「?」訳がわからないままでいると「いやさっきの事故やがな」またニヤっと笑う。「これで収めたって」「おっ?おおぉ!いっ、いただきますっ!」「おおきに」と一言残してテーブルに戻っていった。暫く呑んでいると出口に向かうその家族連れが側を通ったので全員で立ち上がり「ごちそうさまでしたぁ」と頭を下げた。「おー」と鷹揚に手を挙げて答え、そのまま出ていく後姿を立ったまま見送る。最後に振り返ってバイバイと手を振る孫に手を振って答え、ドアが閉まると皆が椅子に崩れ落ちた。「何や知らん、ものッスゴ緊張したな」「おぉ、最初あの爺さんがこっち見てたときどないなんのかな思た」「ホンマやで、イザとなったらお前だけ置いて逃げよと思てたもんな」いいたい放題である。

 酒を呑んでいて終電に間に合わなかった電車通学者が夜中に電話をかけてきて、呑み/眠りに来て、電車が動き始めると「ほな帰るわぁ」と声をかけて出て行くことも多くあった。

 とある講義での2人一組の研究発表を目前に控えたある夜米谷の下宿でレポートを作成し、終わったのが午前2時過ぎのことで銭湯も閉まっている。米谷のところでシャワーを借りて、ビールを飲んで帰ったのが4時前。うとうとしていたら「ほな帰るわぁ」と声をかけられた。寝ぼけ眼で「おーぅ」と答えて扉が開いて閉まる音を聞き、階段を下りる足音を聞きながらついさっき一人で帰宅して、部屋には誰も居なかったことを思い出した。慌てて廊下に出て行って階段を見下ろすと、確かに階段を降りきって玄関の上がり框の板を踏む足音は聞こえるが誰の姿もない。しばらく待っていても建物を出るときに必ず通るはずの引き戸の音はない。降りて確かめようと思ったが会うべきでないはずのものに会うのも嫌だし、何よりも眠たい。そのまま布団にもぐりこんだらたちまち眠ってしまった。

夏の祇園のコンチキチン

2012-07-10 12:29:22 | 洛中洛外野放図
 七月になると祇園祭を間近に控えた京都の町の色めき立つ、のだそうで。コンコンチキチンの祇園囃子も賑やかに山鉾の巡行する十七日をクライマックスとして、十日ごろには山・鉾の組み立てが始まり十四日の宵々々山(よいよいよいやま)から前夜祭にあたる十六日の宵山(よいやま)の深更に及ぶまで出店や夜店も出されてそれはもう大変な盛り上がりを見せる、のだそうで。

 伝聞調になっているのは伝聞でしかないからなのだが、実を申さばただでさえ蒸し蒸しと不快指数が天井知らずに鰻昇ってしまうこの時期に犇く人のいきれの中にわざわざ赴こうかなどという酔狂な気分にもなれず、毎年新聞、テレビのローカルニュースで報道される祭りの様子を疑似体験するに留まっていた。そもそも十四日の宵々々山は毎年大学の前期試験の初日に当たっていたのでそれどころではない。それでも祭りの雰囲気に便乗したくもあったりするので7月に入ると宵々々々々…と指折り数えて宵を十六個連ねた山、から一日ひとつずつ々を取ってカウントダウンをしながら、賑う八坂さん周辺から遠く離れた大学辺で講義ノートを求めて奔走し、迫る締め切りも目白押しな数多のレポートを作成する傍ら酒を呑んだり呑まなかったりと忙しい明け暮れを過ごしていた。前期テストの直前に当たるこの時期には見ず知らずの友人が増える。これには知らない奴を友達呼ばわりする場合と知らない奴に友達呼ばわりされる場合とがあって、ノートのコピーが終わってしまえばその関係も清算されるという後腐れのない一期一会な出会いとなるのだが、そのような出会いを経た者たちによって学内に数台あるコピー機の前は黒山の人だかりとなり、東門を出た外にあるいつもは開いているのかいないのかよくわからない、買い物をするのが躊躇されるような小さなパン屋の店頭には湿式ブルーコピーによって量産された講義ノートが一冊800円程度から並べられ、そこそこの値段がする割にモノによっては当たりはずれが大きいと聞いていたので自分で利用することはなかったが、前・後期の各試験前にあたる年に2回の書き入れ時の一つを迎えたその店も学生たちの喧騒に取り囲まれる。大学で滅多に顔を合わせたことのない奴を見かけるのもこの時期で、そんな奴と出くわすといかにも不断とは違う「ハレ」な感慨を味わって、何かいいことがありそうな気分になる。そんなこんなで「碁盤の目」の北西のはずれにある大学周辺もそわそわ、ざわざわと浮き足立ったようになり、祭りの現場もかくやという盛況ッぷりを呈する。

 京都で迎える初めての七月、いくつか締め切りの迫ったレポートを抱えており、なにしろ携帯電話はおろかパソコンですら普及していなかった時分の話なのですべて手書きしなければならない。資料を調べる都合もあって、週末をはさんだ何日間か日中は京都市中央図書館に篭って書いては推敲、を繰り返していた。初めてのことなのでそれはもう莫迦正直に真面目に取り組んでいたのである。中央図書館のある丸太町七本松は下宿からだと大学よりも近い上に、知り合いに出くわすこともそう多くないので煩わしさもない。下宿から見て大学の反対方向に当たるのでその間は大学に顔を出さずに済ませていたが、翌日締め切りの一つを残して風呂上りにぼんやりと煙草を吸いながら晩飯について考えていると古邑さんから電話がかかってきた。
「お前なにしとん?」
特になにも。晩飯のことを考えながら煙草を吸っとりますが。
「呑もけ?」いや明日締め切りのレポートがね。
「お前んちに行くわ、呑みながら書いとったらええぞ」呑みながらてあんた… 明確な返事を待たないままいつものメンバーが大挙して押し寄せてきて、レポートどころではなくなって、それ見たことかと思ったところで後の祭りもいいところで。
「松田心配スンナ、『助詞を変えたら僕の文』だから」古邑さんがおかしなことを言い出した。何です? 「『何何は』の『は』を『が』に換えるとか、それでもうオリジナルよ」いわゆる『コピペ』を勧められているようなのだが、なりますかいな、そんなもん。「大丈夫や、イザとなったらばあちゃん死なしといたらええど」松須さんがさらにおかしなことを言い出した。何です! 「田舎のばぁさんが亡くなったちゅうことにして締め切り延ばしてもらうねん、たいがい信じよるぞ」それはちょっと…「死なすのがいややったら危篤やとか言うとけ、ワシ祖母さん何人居てんねんいうくらい死んでもろてるからなぁ、そろそろ通用せんやろなぁ」松須さんやなかったらできませんよそんなマネ…「お、松田、話半分に聞いとけよ」とは石地さんからの有難い助言である。はい、わかってます。「まぁレポートの一つやふたつ、どぉちゅうことないわい」と松須さんは勢いよく言ってのける。酒を呑んでいるうちにそんな気がしてくるから始末に負えない。
「ポチ何してんの!」という会津さんの声にふと見ると古邑さんは袋から取り出したソーセージを生のままポリポリと齧っている。「ん? 普通ナマで食わん?」
「加熱して来い」

古邑さんからソーセージの袋をもぎ取った石地さんのひと言で鍋を下げて炊事場へ、沸き立つ湯玉にくるくると踊るソーセージを眺めながら自らの来し方行く末にぼんやりと思いいたそうとしているところに「大丈夫?」という声。会津さんが様子を見に来てくれたようである。「みんな好き勝手言うからねぇ。だいたい、松田もヒトが好すぎるんだよ」と、妙に残る一言を言われた。

 翌朝無理やり早起きをして慌てふためいて書き上げたレポートの推敲もないまま学部事務室へと駆け込みどうにか間に合わせることができた。Boxに顔を出すと前夜下宿に来て呑んでいたひとりずつから「大丈夫だったか/間に合ったか」と尋ねられた。なんだかんだ言って心配してくれているのが嬉しくもあり可笑しくもあり、とはいえ大変スリリングでしたよ。

 その年は山矛巡行の十七日がその次の日曜に当たっていて、ときどきお酒に誘ってくれていた4回生の先輩から見物に行かないかと声をかけてもらった。四条河原町の百貨店前で待ち合わせをして、祇園祭の京都を経験したことがないので普段なら十分間に合う時間に下宿を出たら、バスが動かない上に途中までしか行かない、降りてみたところで人、人、人で思うように身動きできない、そんな状態なので汗だくになって待ち合わせ場所に着いたのは約束の時間から2時間近くも経った後だった。百貨店入り口脇の壁にもたれて退屈そうな表情を浮かべながら、それでも待っていてくれた先輩は「早めに出るように言っとけばよかったね」と笑ってくれた。その日のことはその表情しか覚えていない。

 かくして大学での初レポートも京都での初祇園祭もドタバタとあまり好い印象のないまま過ごしてしまい、それ以降祇園祭には伝聞でしか関わったことがない。

あおくさいはなし

2012-06-16 00:00:00 | 洛中洛外野放図
 不可解な写真がある。なにも「写っては不可ないモノが写っている」とかいうのではなく何の変哲もない極普通のスナップ写真なのだが、写っている人物の取り合わせが妙ちくりんなのである。

 下宿近所のお寺の境内にあったジャングルジムに絡みついて会津さん、古邑さん、佐宗さん、松田が写っている。不可解なのはそのシャッターを切った人物、なのだ。そのほか会津さんと並んで立っている松田、ジャングルジムから転げ落ちそうになっている古邑さん、野良猫を抱く松田、カメラに向かって中指をおったてている佐宗さんの横でこらこら、という表情をしている会津さん、の写真に混じって『てんちゃん』の佇む姿や会津さんと喋りながら笑っているところの写真があり、最初のジャングルジムに絡みついた面面の松田と『てんちゃん』の交替した写真がある。

 『てんちゃん』こと柳本さんは松田の1年後輩にあたる眼のくりくりとした小柄な女の子で、典子(のりこ)という名前から『てんこ』、そこから『てんちゃん』と呼ばれている。付き合いのいい人で住んでいるところもさほど離れてないこともあって、松田の下宿で呑むときはちょこちょこと顔を見せていた。上の写真に写っている服装からすると季節はどうやら秋らしくて、ということは会津さんの就職活動も終わった後らしい。来る者拒まず須(すべか)らく皆呑み友達な松田の下宿を接点として説明はつくのだけれど、卒業を控えた会津さんの同期、その下の古邑さんの同期とそのまた下の松田の同期という三期の取り合わせ、あるいは古邑さんの同期とその下の松田の同期、そのまた下の典ちゃんの同期という三期の取り合わせで呑むことは多かったのだが、会津さんと典ちゃん、松田の下宿でもあまり絡むことのない4回生と1回生の取り合わせが妙といえば妙なのである。けれども写真の中では皆違和感なく上機嫌でいる。

 その写真の日付から随分と経ったある土曜日のこと、すでに卒業して名古屋で働いている古邑さんから電話があった。京都駅のホームからかけているというその後ろで、駅の喧騒にまぎれて

「あーんたまどーこかけとんのはよしやーてー」

という女性の声が聞こえた。それ以前に結婚を決めたということは知らされていたのでおそらくその人だろうとは思ったけれど、言っている内容がわからない。のちに名古屋弁を解する識者に訊くところによると『あなた、どこに電話をかけているのですか、早く済ませてくださいね』というほどの意味らしい。電話の用向きはやはり婚約者と一緒に京都にやってきた、ついては一緒に食事でもどうだ、というもので、けれども古邑さんの奥さんに初めてお目にかかったのはお二人の結婚式でのことだから、そのときは何か差し支えがあったのだろう。とはいえ京都に着いた途端、一番に連絡してくれたのは嬉しいことである。

 おそらくその当時大阪にいた会津さんや佐宗さんとお祝いをしたことだと思うが、そのおめでたい宴に同席できなかったことを悔やみながらご丁寧にも「じゃぁ帰るわ」という電話をもらった翌日曜日の日もとっぷりと暮れた頃電話がかかってきた。出てみると典ちゃんだったのだが、彼女は
「古邑さんがね」
と言うなり泣き始め、そのまま嗚咽になって言葉にならない。受けたこちらはただおろおろするばかりである。何だ何だ何だ? こんな良いコを泣かすとは、何をしやがったんやあのおっさんは!
なにしろ泣いてばかりで埒があかない。それでもどうにか落ち着いて「ごめんなさい」という。謝られてもしょうがない。しょうがないけれど、突っぱねる訳にもいくまい。どうしたん? と尋ねると「いろいろ話をしたいのでお酒を飲みませんか」と言う。それは構わんけど、呑みに来られる?

 電話の前にも泣いていたそうで、泣き腫らした目で出かけたくないけど話をしたいから呑みに来ませんかという。お酒のあるところに出かけていくのは望むところで吝かでないので出かけることにしたが、彼女の住んでいるアパートの大まかな位置は知っていたけれど行ったことがない。近所まで行って電話をかけて迎えに来てもらった。

 簡単に作ってくれた料理を当てに缶ビールを一本ずつ、飲みながらまず「松田さんは知ってたんですか」と聞かれた。古邑さんがまだ学生だった頃、古邑さんによく懐いていた典ちゃんは事前に婚約のことを聞かされておらず、何の心の準備もないままいきなり婚約者を伴ってやって来られて「びっくりした」のだそうだ。自分の大事に思っているいろいろなことが自分の知らないところで様変わりしていくのが置いてきぼりにされているようにも感じられて、どうしようもなく寂しくなってしまった、というやけに青臭い話の途中でビールが空いて、途中のコンビニで買ってきたワインを開けて、ワインも空いて、もうおつもりかと思っていたらちょっと待ってくださいね、と言う。そう言いながらカナディアン・クラブを出してきた。このコはひとりでこんな物を呑んでんのか? 前日古邑さんの婚約を聞かされたとき、よく一緒に呑んでいた松田の下宿で祝杯をあげようと思って買ってきたのだそうだ。だから日曜日松田の下宿に持参して呑むつもりでいたけれど、せめて直接来る前に教えといて欲しかったと思ったら上記の考えに囚われてどうしようもなくなってしまったらしい。そう言ってほぼストレートに近いカナディアン・クラブを舐めながら「子どもみたいなことを言ってごめんなさい」と言う。自覚があるならいいですよ、なにも謝ることはない。どうしようもないものはどうしようもないんだから。そんな様子もかわいらしい。それから改めてお祝いの乾杯をして、明け方に気づいたらテーブルに突っ伏していた。クッションの上に眠っている典ちゃんに自分の羽織ってきたジャケットを着せ掛けてある。そのままそっとしといて帰ろうか、でもその前に、と換気扇の下で煙草を一服。していると典ちゃんも目を覚ました。淹れてもらった紅茶を飲んで、もう大丈夫と言う笑顔に見送られて下宿に帰るともう疲労困憊である。月曜だというのに授業にも出ず暗くなるまで泥のように眠りこけた。

 そんな風な思い人のあるのも、そんな風に思ってくれる人があるのも幸せなことだろう。まったく、典ちゃんは人騒がせな幸せ者で、古邑さんは罪作りな幸せ者で、いや、はや、なんとも。

飄然自若

2012-06-15 15:04:25 | 洛中洛外野放図
 千鳥格子のジャケットの胸元に鼈甲のループタイ、ジャケットと同系色のハンチングをかぶってピシッとプレスの効いたパンツに磨き上げた赤茶の牛革の靴を履いて、竹のステッキを小脇に抱え込んで少し早足に矍鑠と闊歩する。商都大阪で文具店を営んでいた弥乃輔(やのすけ)爺さんである。いつだって外出時の身なりには気を使う弥乃輔爺さんはジャケットのことを「ジャケツ」と云う。若いころは京阪神の繁華なあたりで「ブイブイ」いわせていた『モボ』だったとも聞く。細かい関係はわからないがとにかく親類にあたって、小さいころからよくかわいがってもらっていた。

 幼稚園に上がるか上がらないか、はっきりとしないがまだほんの小さかった頃。その当時アーモンドチョコを食べたことも見たこともなかった。爺さんのところに行くと口の中で何かをオネオネと舐っている。それは何だと尋ねても質問に答える代わりにチョコの箱を指差したなりこちらの顔を見据えながら暫くの間オネオネオネオネ、『お!』という顔をして口から何かを取り出した。当時の自分にとってはチョコはチョコ、中までチョコの塊で、中にチョコ以外のものが入っているなど思いもよらない。
「チョコのタネや」
そう言ってニヤッと笑って見せる。「わ!」そのままちり紙に包んでもらったのを後生大事に自宅に持ち帰って庭に植えた。毎朝水をやり、それは一生懸命に世話をしたものである。なのに一向に芽を出さない。当たり前だ、チョコレートの中に封入された加工済みのアーモンドが芽吹くほうがどうかしている。毎年秋には鳥取の梨を送っていたのだが、そのお礼の電話がかかってきたときに「おじいちゃん、芽が出ん」と訴えてみた。そのときに真相を知らされて泣き寝入りした。しょっちゅう大阪に行っていろんなところに連れて行ってもらって、いろんなことをしている写真も残っているのだが、小学校の低学年くらいまでの大阪にまつわる記憶はそれだけしか残っていない。

 大学に入って京都に住むようになり、最初の夏休みが始まって帰省する前、その時期は弥乃輔爺さんの最晩年にあたるのだけれど、ちょっと顔を出してみた。訪ねていったのがお昼前で、爺さんはステテコ姿で昼寝をしていた。一歩家を出るときはいくら暑くても必ずジャケツを着込んで出かける洒落者だが、自宅待機中はラフな格好で快適に過ごすようである。よくきたねぇ、と迎えてくれたおばさん、弥乃輔爺さんにとっては長男の嫁、によるとほんの数日前隣家の玄関を開けて「ただいまぁ」と声をかけたのだそうで、そこの若奥さんが「え? 隣のお爺ちゃん…」と驚いている様子を見て楽しそうに「いや大丈夫大丈夫、ちゃんとわかってるがナ」と言い残して帰宅したという。隣の奥さんからその話を聞いてどうしてそんなことをするかと詰問したところ、しれっと「いつボケたかわからんようにしたろ思て」と言ってのけたらしい。いかにも爺さんらしいと笑っていると「たまにやったらええケド、こんなん毎日やったらたまらんよぉ」と深い息をつく。

「よぉ来たな」

「久しぶりやし、晩御飯食べてゆっくりしていきぃ」と楽しそうに言ってくれているおばさんの横手から弥乃輔爺さんが入ってきた。すでに外出用の身なりを整えている。

「あれ、お爺ちゃんどっか行かはんの」
「うん、ちょっとこいつと蕎麦食い行こか思てな、昼はそれで済ませるわ」

あんまり過ぎたらあかんよぉ、と送り出され、千鳥格子のジャケツの胸元に鼈甲のループタイ、ジャケツと同系色のハンチングをかぶってピシッとプレスの効いたパンツに磨き上げた赤茶の牛革の靴を履いて、竹のステッキを小脇に抱え込んで少し早足に矍鑠と闊歩する。途中で行き交う顔見知りと一言二言声を掛け合い、古い蕎麦屋の暖簾を潜る。「おぉ、爺ちゃん毎度」という若い大将のお愛想に「ご機嫌さん、邪魔すんでぇ」と答えて衝立に隠れたテーブル席に座る。
「お銚子、こそばそか」
席に着くなりにんまりとこう切り出した。「何だそれ」と尋ね終わらないうちにカウンターの向こうに「お、一本付けたってぇ」と声をかけた。天ざるの台抜きに出汁巻と板わさ、それをつまみに燗酒を煽る。「かーっ、昼間の酒は効っきょんなぁ!」カウンターに知り合いらしいおじさんが座っていて、「弥乃さん、こんな孫おったんかいな」「あぁ、孫ちがう、弟子みたいなもんやな」弟子入りした覚えはないのだが。

 一合徳利で三本、酔うというほどでもなくちょうどふわっとなりかけた好い頃合いで盛りを一枚。「ほななぁ」と言って店を出るとちょっと足元がおぼつかなくなっている。相当の酒豪だと話には聞いていたのだけれど、寄る年波というやつだろう。来しなには小脇に抱えていたステッキを突き突き気持ちよさそうに揺らぎながら歩いている。途中の酒屋に寄って店主と二言三言、奥に引っ込んだ店主が持ってきた酒を買って「これ旨いんやでぇ」と嬉しそうである。

 帰って上着を脱ぐなり大の字になってそのままゴワゴワと高鼾。おばさんはタオルケットを掛けながら「こんなに酔うのん珍しいネェ」と言ってもうすぐみんな帰ってくるから、軽く汗流しといで、と浴衣を出してくれた。シャワーを借りて爺さんの寝顔を眺めつつ出された麦茶で涼んでいるとおじさんと短大に通う孫娘も帰ってきた。「久しぶりやねぇ」起きだしてきた弥乃輔爺さんも加わって酒盛りが始まって、おじさんによると爺さんは「ここ何年かついぞなかった」というほどたくさん量を過ごしている。結局何時にどうなったかわからないけれど、目が覚めたら明るくなっていて全員が軽い頭痛を抱えつつおかゆをすすった。

 結局弥乃輔爺さんとはそれが最後になってしまったけれど、後におじさんとおばさんから「あの時はよっぽど嬉しかったんやねぇ」と言ってもらって、そう言ってもらったのが嬉しかった。

 せめて大学を卒業するまでは旨いお酒を一緒に酌み交わしたかったのだけど、わが師と仰ぎたくなるような、飄然とした生きざまのなんとも素敵な爺さんでした。

陽の思い出 ~屋上にて~

2012-06-07 12:36:06 | 洛中洛外野放図
「屋上行こうか」
「いいですねぇ」

 天気がいいとこういうことになる。大学の南門を出たところに食堂があって、そこでビールを買い込んで、日光をさえぎるもののない屋上のベンチで日焼けなんぞはものともせずに一身に陽を浴びながらぱかぱかと煙草をふかして京都の町並みを見下ろしている。会津さんと屋上に出てのんびりと話す話題はといえば大概気に入った飲み物、飲み屋、雑貨屋、本屋などの情報交換、そうでなければこの後誰と呑むのか、どこへ行くのか、という話。ほぼ同じような面子がほぼ隔日で呑んでいたのでお酒の記憶は1回ごとのけじめがつかない。身体的にも金銭的にもよくぞ続いたものであるが、みんな不思議と持ち堪えていた。えてして社会人よりも学生の方が体力とお金を持っている。

「酒呑むときにモノ食うな、アホっ!」

 とは松須御大の有難い教えである。かく言う御大は「酒呑む30分前に牛乳飲んどいたら胃ィに膜が貼んねん、そしたら酔わへんど」と言いながらブリックパックの牛乳を飲んでいる。その本人が毎回きっちり酔っているからなんら効き目のないのは一目瞭然なのだけれど、魔が差したというか自分を見失ったというか「お前もやってみぃ、効くどぉ」と言われて試してみたらただただ気持ちが悪いだけだった。そのほか「電気風呂の電気に当たっとったら腹筋が鍛えられる」だの「風呂屋のサウナで出たり入ったり2時間過ごしたら2.5キロ痩せた」だのと妙なことをいろいろと実践しており、周囲は「そんなに生き急がんでも...」と気をもむのであった。そうかと思うと誰かの下宿で飲んでいるとき誰かが料理を作ったりするとうまいうまいとたくさん食べる、その気遣いが温かくて、やはり普段の豪放な暮らしっぷりも周りに対するサービスなのだろうとわかるから周囲も『荒ぶる』松須さんを心待ちにしている。

「お前いーっつもそやないか、頼むだけ頼んどいてちょーっとずつしか箸付けへん」

 石地さんが言うとおり、居酒屋で仁多苑さんと同席すると5品も6品もあてが並んでテーブルが手狭になる。「せやかて食べたいモンはしゃぁないやんか」ニコニコと応酬する仁多苑さんは法学部に籍を置いていて、専門的な知識が深い。レポートを書く際幾度かアドバイスをいただいてその片鱗に触れてみると仁多苑さんと同期の先輩たちが一目置くのにも納得がいく。のだが。「お、松田、食ってくれ。食わな片付かへんねん」って、自分が頼まはったんやないですか。「いや俺なぁ、いろんなもんちょこっとずつ食いたいねんなぁ、あんまりよけこと要らへんねん」周りみな下宿生でっせ、んなムチャな頼み方しとくんなはんな。そんな仁多苑さんのことを松須さんは『らくだ』と呼ぶ。ときには『だ』までいかずに「おぉい、らくぅ!」と呼びつけにすることもある。会津さんからは「らくちゃん」と呼ばれ、綿部さんからたまに「らくぞの」と呼ばれることもある。けっこう手ひどいいじられ方をしているように見受けられることもあったのだけれど、それでもいつもニコニコと幸せそうなところはやはり大人(たいじん)なのであろう。

「歯がなんか気持ち悪いときがあるだろぉ」

 あるとき呑みながら綿部さんがこう言い出した。はぁ?「だから歯が気持ち悪いときだよ、歯が浮くっつうのか?」あー、はいはい。「紙やすりかけたら気持ちいいよなぁ」-え?「かけないか?」困っていると石地さんが突っ込みを入れた。「まず普通紙やすり自体持ってないだろ」「えー、あるだろぉ?松田まつだぁ、出してこいつに見せてやれよ」いや持ってませんが。「えー、ないのかぁ」普通に考えると普通ではないこのような会話も綿部さんが相手だとしっくりくる。このどこか浮世離れしている、というか地に足の着いてないようなほんわかした存在感を纏(まと)って救いようのないほどの安心感を醸し出している。

「そーだー」「ぷっしゅうー!」

 酔った宇津平さんと寝落ちしかけている古邑さんとの間でわけのわからないやり取りが交わされた。あっけに取られて見ていると古邑さんがむっくりと起き上がった。「おー、寝かけとったわ」「コレやったらこいつ起きて来よんねん」今の何です?「去年こいつな、水色のジャケット着て来ててん」「そうそう、ソーダ味のアイスみたいな色のやつ着てたんよ」「せやから『ソーダー』いうたら」「ぷっ、しゅうう~!」「タンサンはじけんねん」くだらねぇ!宇津平さんは根っからの大阪の人で、目敏く細細とした突込みどころを見つけてはちょかちょかと突っついてまわることと、ふとした隙にさりげなく小ボケをかますことに余念がない。古邑さんは九州男児なのだが言動の端端にお人柄の好さがにじみ出ているような人、どちらかというと先輩や同期からいじられる方なのだが仁多苑さんと同様それ込みで場を楽しんでいるようなところがある。そんな二人のホドのよい絡み具合を見ていると、くだらなすぎて愛おしい。

 鞍多や栄地と出会う少し前のこと、夏を迎える直前の屋上でぽかぽかと陽を浴びながら誰と呑もうか、どこへ行こうか。話し合ってみたところで石地さんは最初から確定しており、大方上記の面子と大学近辺の居酒屋に行って、それとて選択肢は多くない。そのあとは石地さんのアパートか松田の下宿と相場は決まっていた。会津さんは早くも居酒屋を出た後二次会に向かう途中で買っていく酒の吟味を始めている。