摠見寺 復元案

安土城にある、摠見寺(そうけんじ)の復元案を作成する プロジェクト日記

見寺の扁額 その2

2009-02-02 22:02:12 | 資料

12月の記事見寺の扁額 その1 の続編。

見寺には、江戸時代の校割帳に載っていない扁額があって、
それが、写真上記の、額面に「扶桑第一山」と書かれた物です。

この扁額は形状から言って、
楼門に懸けられていたものと推測でき、また
現存するのに校割帳に書かれていないということは、
人の立ち入らない楼門内に保管され、忘れ去られていたと考えられます。

江戸時代の校割帳では、楼門には写真下の、建部伝内筆、
「遠景山 下漫々 捴見寺」("そう"は手偏に総の旁)
の扁額が掛かっていたとされているので、
もともと掛けられていた「扶桑第一山」を外して、
「遠景山・・・」の扁額に変えられたわけで、

さらに、建部伝内は信長の時代の人なので、
「遠景山・・・」の扁額は信長の時代に作られたもので、
見寺の創建時には、楼門以外の建物に
掛けられていたということになります。

では、楼門以外の建物というと、一般的に言って、
表門か本堂のどちらかになるのですが、
本堂の「圓通閣」の額が、江戸時代に作られたもので、
「遠景山・・・」の額を「圓通閣」に変えた可能性が高く、

見寺の創建時の扁額は、
楼門に「扶桑第一山」
本堂に「遠景山 下漫々 捴見寺」
が、掛けられていたと考えます。


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