今日3月20日は地下鉄サリン事件があった日です
父ちゃんがその電車に乗り合わせ
「不審物」の移動をされている駅員さんのすぐそばを通り
会社に向かった父ちゃんでした
その時の駅員さんは亡くなられています
40年の勤め人生活の父ちゃんの仕事中に電話をしたのは
後にも先にもこの時だけです
電話をかけた時は 勤め先も父ちゃんも
事の重大さを把握していなく
父ちゃんはあっけらかんとしていました
父ちゃんの無事を確認した後
私の身体はしばらく震えていました
阪神淡路大震災の3日後父が亡くなり
2月に購入したマンションに引越し
3月に地下鉄サリン事件と
平成7年は 怒涛の年の始まりでした
「時間」は 冷たい金属に触れるような悲しさがあるね
でも、一瞬のなかに全てが集約されるような瞬間もあるし、止まる瞬間もありますよね。あまりに詩的なので、コメントしてしまいました。
コメントを頂戴しありがとうございます
阪神淡路大震災では 母方の親族がこの地に多く住んでおり
間髪おかずの父の死
35年ローンで買った新居への引越し
そして1カ月もたたずのサリン事件
これらには
もっともっと深い尾ひれがつきます
28年も前の過去のことでも
その「微動だにしない冷たさ」に悲しくなります
何事も時間が解決するといいますが
そうでないことも 人にはありますね
年を重ね 達観できるかと思いきや
人生も 人も 益々わからなくなる今日この頃です