師走になっても小春日和のポカポカ陽気が続いています。
とはいえ 早朝 日の出前の5時半ごろはまだ薄暗く、空気は冷たい。
ダウンを着なければ寒くて歩けない。
愛犬を連れての朝の散歩は気持ちがよい。
相模湾からの風がさやかに吹き来る。
体の中を風が吹き抜ける感じだ。
遠い山の頂から 太陽の光が少しづつ、明るさを増している。
夜明け前だ。
ふと、島崎藤村の小説「夜明け前」を思い出す。
読んだことはないが、かなり前 藤村の生地 岐阜の馬籠に行ったことがあった。
街道沿いに2,30軒の古民家が並ぶ、古びた宿場だった。
こんな田舎から 藤村はでてきたのか、
明治から大正にかけて日本文学の巨匠といわれた藤村、
何故 巨匠と言われているのか、私は知らない。
そんなことを考えていると、
島崎藤村が作った「惜別の唄」を思い出した。
中大の学生歌だ、
しばしば 歌う曲だ。
作詞の島崎藤村は中大のために作った詩ではない。
若菜集のなかの「高楼」からの転用だ。
なぜ 中大の学生歌になったか。
この曲は作曲者である藤江英輔さんが中央大学予科の学生で軍需工場での勤労動員されていた時に、島崎藤村の詩に曲をつけたものです。学生の中で広まりやがて戦場に出征する仲間を送る際に歌われたそうです。
戦後同名の映画(内容は別)が製作され当時大スターであった小林旭さんが唄い世間一般に知られるようになったそうです。
最もポピュラーな歌となった。
中央大学と「惜別の歌」の関係
http://www.geocities.co.jp/Milano/5796/1972_029.htm より
「惜別の歌」は私たち中央大学の学生にとっては「蛍の光」に代る
歌とされ 親しい友と別れる時離れがたい心情にかられた時この歌
を唄って別れる慣わしとされている
時・昭和19年の春・自由なる学園中央大学の庭にも戦雲は容赦な
く吹き寄せついに学徒動員の斬が下った 私たちの先輩である中央
大学の学生は長野県は遠く諏訪湖の付近に配属きれ それと時を同
じくして東京のとある女子大生が勤労奉仕をしていた 初めのうち
はただ目を見かわしていたが二人の間に淡い恋心が湧き 清く美し
くそして激しく燃えた
春が過ぎ 夏が過ぎやがて枯葉の吹きずさぶ秋となった頃 上の一
見習士官が二人の間をねたみ 中央大学の学生を千葉県は遠く習志
野の地へ転属を命じた この悲しい知らせを聞いた二人は深い悲し
みにうちひしがれ とある高殿に登って島崎藤村作「若菜集」の一
節より口ずきんだのがこの歌の始まりとされている
*この歌の由来については 【二木紘三のうた物語】 に藤江英輔氏ご自身の文章で、詳しい事実が紹介されていますので、興味をもたれた方は是非ご覧になって下さい。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/210196/181227/17897828。。