イスタンブール散歩 考古学博物館の凄いところ
最大の遺跡 アレキサンダー大王の石棺
イスタンブールに行ったならば、必ず寄るところ、それは考古学博物館。
1887年にトルコの国際的考古学者ハムデ・ペイが建てた博物館で、ぺイがシリアのシドンの大墓地で発見したアレキサンダー大王の石棺が最大の見もの。
アレキサンダーが狩をする場面、戦闘する場面が彫刻されている。
この石棺は長い間アレキサンダー大王のものだと思われていたが、残念なことに、BC4世紀のセレウコス朝の君主のものとわかった。同じ時代に生きた君主が、アレキサンダーの類まれな活躍を後世に残すために作った石棺である。
この博物館には、泣く女たちの石棺、メレアグロスの石棺など、石棺がいっぱいある。陳列し切れなくて中庭にまで陳列してあるくらいだ。
旧館にはほかにギリシャ彫刻、ローマ彫刻が展示されている。
増築された博物館はテーマ別になっており、
1階は古代アナトリアの彫刻
2階はトロイとアナトリア イスタンブールの歴史を示す品々。
3階はシリア、キプロス、パレスチナ
考古学博物館を構成する3つの館
- タイル館
- 古代オリエント館 ヒッタイトトメソポタミアの品々
- 考古館 ギリシャ ローマの品々。
上述のアレキサンダー大王の石棺は考古館にある。
紀元前7000年から20世紀までの広範な時代をカバーしている世界でも有数な博物館である。
・古代オリエント博物館は、バビロニアとアッシリアからの出土品を中心に、アナトリア、エジプト、メソポタミア、シュメール、アッカド、ヒッタイト、ウラルトゥなど古代王国の文明遺産を数多く収集、展示している。
・ヒッタイトの出土品では、紀元前1295年からヒッタイトとエジプトの間で始まったカデシュの戦いの後、紀元前1269年にヒッタイト王ハットゥシリ3世とエジプト王ラムセス2世の間に取り交わされた世界最古の平和条約「カデシュの条約」と呼ばれる粘土版文書が有名である。
タイル博物館の建物は1472年にメフメト2世によって建造されたもの。17~18世紀のイズニック・タイルや陶器のコレクションが収められている。
☆イスタンブール博物館が大英博物館と違うところ
<イスタンブール考古学博物館1989年初版の日本語版より、抜粋>
16世紀はじめから19世紀おわりまで、いわゆる「肥沃な三日月地帯」<メソポタミア、イラン、イラク>とアナトリア、エジプトの地域はオスマントルコ帝国の支配下にあった。
これら、地域は先史時代から重要な文明の発祥地であった。
しかしオスマントルコ歴代のスルタンは古代の品々に対する興味がなかった。イギリス、ドイツ、フランスのヨーロッパ勢が当時のトルコの担当役人から古代遺跡の発掘許可をもらい、次々と遺跡を祖国へ持ちかえった。
近代トルコ共和国が誕生するまで、これらヨーロッパ諸国は、考古学調査団や探検家たちが野心に燃えて各地を掘り起こした。
シェリーマンのトロイがいい例である。
トルコが目覚めるのは第1次世界大戦後からである。
シリア、イラン、イラク、エジプトは独立し、トルコ共和国として残ったのがアナトリア半島であった。
アナトリア半島は想像以上に史跡があることがわかり、以降今日まで発掘が進められている。
60万年前にこの地に旧石器時代の狩猟民が住んでいたことがわかり、新石器時代、銅石器時代のアナトリア高原には都市型社会が発達して、その文化も周辺に影響を及ぼしていた。
ヒッタイト、フリギアなどアナトリアに残された偉大な文明の遺跡の発掘が進められている。
発掘された品々は次々とこの博物館に運び込まれている。
その意味では大英博物館、ルーブル博物館が過去に持ち帰った品々しか、展示できないのに比べ、イスタンブール考古学博物館は現在進行している発掘作業の品々が追加されている。その意味で現代的な博物館といえる。
アレキサンダー大王の彫像
ローマ皇帝の歴代のちょう彫像
石棺の一番重要なところ。
4面にぎっしりこのように浮彫されているので、誰が誰だか 誰もわからなといわれている。
ここの部分だけはアレキサンダーだと推測されている。
ガイドブック「考古学博物館」の解説文
ボスポラス 海峡の渡し舟
ボスポラスクルーズ