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テニスとヴァイオリンの2大趣味を中心に毎日を楽しく過ごしています。

あさのテニス史

2005-09-03 01:03:14 | the charm of sports
「テニス」のカテゴリーに一回も投稿してない。

というわけで最近打ってない私はテニスヒストリー(なにそれ)を書いてみることに。

1、幼児のころ
テニスとは全く関係のない幼児期。でも水泳とバレエと体操を4歳ごろから習ってたので、基礎体力ができたと思われる。
2、小学生のころ
ママの実家にあった「エースを狙え」を読む。ニュージャージー州チェリーヒルのテニススクールに通い始める。
でも水泳とバイオリンのレッスンが増えて友達と遊べなくなり、どうでもよかった(笑)テニスを1年足らずでやめる。
3、中学生のころ
母校の中学は進学校だったので部活は当然激弱。でもコートの都合上テニス部にはセレクションが・・・。めんどくさかったため(笑)やめて料理部に入部。
友達が通ってた地元のテニススクールに入る。自転車で通っていたが、カラスが通り道に多く、怖くなってやめる(えー)。また別のテニススクールに体験レッスンにいったところ、壁打ちが100回続くまで帰ってはいけない、という謎の居残りレッスンに恐怖し、二度と行かない。あとは軽井沢に行ったときにもと・テニス部のママと打つ程度。
4、高校のころ
相変わらず激弱の部活。しかも入部条件は、「校舎周りランニング300周」だった。一日10周(1周420メートル)×30日。10周走り終わると球拾い。あとは素振り。だいたい夏休みまでこれが続く。
なんとか乗り越え入部を果たす。
テニスのためにこんなにがんばったのはこのときが最初。
夏合宿は先輩たちに加えOGたちが参加するのでさらに地獄・・・。
「昔はOGが来るとまずお茶を出したものよね~、最近はたるんでるわ~」などとおっしゃる先輩たちをびびりつつ眺め、ここでもランニング&球拾い。
しかもテニスの球拾いってラケットに球を載せれば一度に20個くらい運べるのに1年生は「先輩の打った球をラケットで運ぶなんて失礼」という謎の理屈で全部手拾い。
秋頃からようやく先輩たちとも打ち解け(弱い先輩から懐柔 笑)コートに立てるように。
文化祭では下働きだったけど。
2年になって先輩たちが引退すると、天下を取る。
とりあえずやっと試合に出始める。
野球部と一緒で一回戦勝つとウワサになり、2回戦は先生や知らない生徒が見に来てくれる。
先輩たちにされた仕打ちを後輩にする(笑)
受験のため2年の11月で引退。
5、大学から
早稲田大学12大テニスサークル、オレンジに勧誘される。一応練習に行く約束をして、立ち去ろうとしたところ・・・・。
後ろからちっちゃい人たちが・・・(注・こいた先輩とゆうこ先輩)
これがアタシとJESPAとの出会い。
新早連5部(当時)。
5部!?
経験者ということで超エース扱い。
同期にほかに経験者なし。
とりあえず試合に出る。(6月)
相手の女の子にサーブを打ったら二度と返ってこない。
かえってくるのは「きゃっ」という悲鳴だけ・・・。
相手の女の子がサーブを打ってもこっちにこない。
全部ダフォ。
えーーーー!!!!!

とりあえず飲むことを覚える。記憶をなくすことも覚える。
二日酔いでテニスをすることの辛さについて学ぶ。
二日酔いをお酒で直すことの快感を知る。

冬合宿と称してスキーをすることの大切さを勉強。
CM撮影という地獄と出会う。
(CM撮影・・・対象者をビールのCMの俳優に見立て、監督がOKを出すまで何杯でもビールを飲ませる遊び)

2年生になる。後輩を飲ますことの喜びを覚える。
早慶戦の前の晩、神宮球場の前で他サークルを巻き込んで大宴会。
早慶戦は見ずに帰る(二日酔い)。

3年生になる。
思えば休学中は平和な日々だった・・・。

4年生になる。まだ飲んでる。練習は行かないくせに飲みだけ行く(笑)

6、最近
最近はJESPAは個人的付き合い&飲み会のみの参加。
じつはまた地元のテニススクールに行き始めた。

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