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テニスとヴァイオリンの2大趣味を中心に毎日を楽しく過ごしています。

あさパパの受難

2006-05-26 01:56:53 | those who I love
あさのパパは、1年ほど前まで某自動車メーカーに勤めていました。

あさの子供時代、つまりパパの30代は「英検2級持ってるから」という理由だけでデトロイト、フィラデルフィア、ニューヨークなどのアメリカの現地法人に行かされていました。それも2年の約束が、8年も。帰ってきてからはずーっと経営企画に携わっていたのですが、定年を目前にして会社が身売り、いろいろ大変でした。

今はいわゆる「天下り」をして茨城にいます。

あさパパは、仕事というかライフスタイルがアメリカ流。わたしが覚えている限り、わたしたち家族と一緒に夕食が取れなかった日は月に1回もなかったと思います。接待ゴルフなんかも一切なしです。
昔、「パパは、部下の人とかと飲みに行ったりしないの?」と聞いたのです。学校のお友達のお父さんなんかはみんな帰りが遅いって言ってたから。すると、
「お父さんが働くのは、妻と子供たちに良い暮らしをさせたいからなんだよ。部下と飲みに行くくらいだったら、家にケーキのひとつも買って帰って、愛する家族とごはんを食べたいんだよ」
と言いました。そして、「あさちゃんのお友達のお父さんたちも、みんな本当はそう思ってると思うよ。ただ、そういうふうにしようと思ったら、仕事は人の10倍がんばらないといけないんだよ」と言いました。
子供心に、なんかかっこいいこと言ってるよ、うちのお父さん、と思いました。土日もパパは一人で出かけたりなんてしません。自分の会社で作ってる車に乗って、ママや子供たちを乗せていろんなとこに連れてってくれました。

私にとっては、超自慢のパパなのです。背が高くてかっこいいし、昔から授業参観に会社を休んできてくれるのが嬉しかった。会社に遊びに行って、会社のお父さんの部屋に入れてもらうのも大好きでした。当時会社のお父さんの部屋には子供たちやママの写真がたくさん壁にかかっていて、それを見るのも楽しかったです。

今は、社会人になり、パパには先輩としてもたくさんアドバイスをもらいます。茨城まで電話をかけて、友達にはいえないような会社での悩みなんかを聞いてもらいます。

パパは会社員時代はまあ会社じたいがいろいろ大変で、パパも大変だったのですが、今は違うことで大変なのです。今は茨城の子会社に天下りなわけですが、そこではパパいわく「本社と違い、昔ながらのビジネススタイルが横行している」のだそうです。そう。その昔、遣隋使の時代からあったこと、「貢物」です。「うちで取れた」とか「この前ちょっと」とか言って、ジャガイモや納豆(茨城ですから)や魚が届くんだそうです。このまえの秋は秋刀魚が50尾届いたとか。一人暮らしなのに。で、冷蔵庫の冷凍室に入りきらなくて、一日5尾食べた、といって泣きそうになってました。今は枝豆で苦労しているみたいです。

パパ、がんばれ!!東京から見守ってるよーー!トラック安くして!