すぐそこに。

テニスとヴァイオリンの2大趣味を中心に毎日を楽しく過ごしています。

みみ

2006-05-09 21:31:55 | fairy's murmurs
そういえば、ゴールデンウィーク中にピアスの穴を開けた。
もともと左右の耳にひとつずつ開いていたのだが、右耳にひとつ増やした。

とくに理由はなく、気分で。ピアスの穴をあけたことがない人には分からないだろうが、あけるのはほとんど痛くないのである。
ピアッサー、あるいはピアスガン、という専用の器具を使うのだが、ばつんっていうすごい音がするわりにまったく痛くない。穴が開いて数秒後から少し痛むが、15分も痛まない。

開けた位置が、電話をするのに多少邪魔なことは計算外であった。右耳の、外側のかなり端っこの方に開けたので、受話器を耳に押し当てるとピアスが受話器にぶつかって、耳元でがちゃがちゃ言ってうるさい。

そういえば、耳には能力があるという。聴力のことではない。「聞く能力」とでも言うべきか、多分耳そのものの能力ではなく脳の問題ではあると思うが、その耳の能力というのは大まかに分けるとふたつあるという。「聞いたことを記憶する能力」と「聞いたことを吸収する能力」である。「耳の能力」が高い人は語学、音楽などの分野でとくに力を発揮するそうで、それ以外でも、相手の言ったことをよく理解し記憶するため、コミュニケーション能力が高く、頭がいいとする考えがある。
ちなみに目にも同様の能力があるらしく、目の能力が高い人は、数字や図形、美術などの分野に強いらしい。このような能力は天性のものとされ、このような能力を持っている人を天才、と呼ぶそうである。
この考えでいくと、人間には5感あるわけだから、天才的な舌の能力の持ち主や天才的な鼻の持ち主や天才的な触感の持ち主がいるわけだろう。それぞれ料理人、香水調合人?、マッサージ師、などが天職として妥当と考えられる。
ただひとつ疑問に思うのは、その「天才的○○」の持ち主だったとして、それを証明できなければ宝の持ち腐れである。つまり、この説に付け加えるとすれば「天才的○○の持ち主であり、かつ、適切な表現力を持った人が天才である」ということになる。
思うにこの「適切な表現力」というのが曲者で、これを身につけるには結局、努力が必要となる。どんなに「天才的な耳」の持ち主でも、楽器なり、歌なりで表現する術を知らなければ表現できないし、「天才的な舌」の持ち主でも料理の方法を知らなければ料理人にはなれない。どんな天性の才能の持ち主にも、花開くためには努力が必要なのだ。

だからどうしたというわけではないのだが、耳について今日は考えた。