英語が話せるようになったら、海外に行く
って言っている人の話をたまに耳にします。
この発想でいくと
海外に訪れる日が永遠にこないような気がします。
などと
先日の娘とのコーチングの記事にも書いておいた。
自分の中に
今できていない部分を目にした時に
それを完全と行かないまでも
何とかある程度の形にしてから
それを用いた活動をしようってところがありますよね。
自分もね
さっき例にあげた英語なら
その発想はおかしいと言えるし感じるのです。
きっと
完全じゃなくても
ある程度英語を操れる見込みがあるのと
対人コンタクトには
抵抗が少ないからこそ
そうやって言えるんですよね。
だけどね
同じような考えをずっとしていたと気づいたのです。
例えば
スポーツ。
自分は
ある程度の距離を走るのと
短距離走
でのスピードを出したりスタミナを持続したりする
楽しさや心地よさを
持っていたり感じているから
こういったものには心も身体も喜んで取り組める
個人競技なんですよね
なので
野球なら投げる・打つ・捕るの一通りの動作は
できるというか
遠くにも飛ばせるし
速いボールも投げれるし
キャッチボールも楽しめる
ところが
野球だとかソフトボールという競技になると
内野守っていて
自分の所に来たボールをキャッチして
どこかのベースに投げる投げ方とか
手で投げたボールじゃなくて
バットに当たったボールの軌道をつかむのとか
やはり
ドタバタになってしまうのですよね。
でも
少なくとも馴染みもあるし
たくさん見てきたし
なんとか対応できるので
何とかなるというかしてきたのね。
自分にとって
世間一般に言われているのと同じ感覚になるのが
バスケットボールとかバレーボール
特にバスケットボールなどは
職場でも同僚の人達と練習したり
対抗戦みたいな試合にも出てきたりしたけど
これは本当に負担だったのね
まず
イメージが沸かないのです。
ボールを持ったらゴールを見てシュートする
これは分かるし
そのポジションにいればシュートを打つ
続いてパス
これも分かるのです。
味方につなげばよい
主に
味方がいる所に投げるパスと
味方の前方に空いているスペースに投げるパスがある
頭では分かるのだけどね
試合とかでコートに出て
ボールを持ってしまうと
どこ?どこ?どこ?
ってなってしまうの。
そして
どこに出せば良いのか
分からないので
自分でドリブルを始めるのですが
このドリブルが全くボールと手が仲良くならないのですね。
もうお手上げ状態。
なのでね
すごい状態の中で生きているのと同じ
だって
どこに行けばよいのか分からず
どこを見ればよいのかも分からず
うまく進めるスキルもなく
という恐ろしい状態で
コートに立っているとなるのですね。
だからね
本当に嬉しくないというか
負担になっていました。
そして
思っていたのですね
次の試合までには
◯◯◯をして
ドリブルがスムーズにできるようになって
それから試合に出る!
笑っちゃいますが
英語が話せるようになったら、外国に行く
と何ら変わりがありません。
ここでも笑いますが
『英語が話せるようになったら、外国に行く』という台詞を聞く度に
「あなたねえ、そんな事を言っているうちは絶対に
海外なんて行けませんよ」
と心のなかで批判したり
直接話せる関係にある人の場合には
それ違うよなどとお話を初めたり
「どの口が、そんな事を言っている?」って
突っ込みたくなりますよね。
本当に笑うしかありません。
でもね
あのときには
それしか見えなかったんだよね。
それがその時の精一杯だったのだろうね。
今あるもので幸せって感じる
って方向で改めて見直してみると
もちろん参加しないというのも大切な方法ですけどね。
でも、
できないながらも
足引っ張っているなあと思いながらも
みんなと一緒に動いたり声を出したりっていうのは
心地よさも感じていた。
なので負担で負担で仕方なかった面と
心地よさも感じていた面と
人間は複雑ですね。
いやいや色々な感情を感じられるようになっているのでしょう。
今だったら
一つだけアドバイスができるなあと思った。
「自分は何もできないなあ」
と最初に感じるのではなく
「自分の持ち味を活かすのはどんなプレーかな?」
で自分を見つめ直せばよかったなと思います。
そうすると
ドリブルをスムーズ行うは、・・・・・・銀河レベルの遠さ
パスを確実に味方に渡すも、・・・・・・同じく銀河レベルの遠さ
でも
ゲームを成り立たせている要素は他にもある
自分の持ち味はさっきも書いたけど スピード と ある程度のスタミナ
これを今の自分のスキルでバスケの試合に活かせるのは
相手ゴール左右に空くスペースに走り込む
ボールが来ればまずは追いつきキャッチする
ボールが来なくても全力で走ると相手のDFに少しはプレッシャーを与えられる
もしくは
自分がいたスペースを味方が使える
こういう動きならできそうだなって思う。
もう一つ思い浮かんだのは
ドリブルして行く相手を最後まで追いかける
相手がボールをパスしたら
そのパス先まで追いかけていく
バスケのスキルはないけれど
こうした動きに特化するって
自分で選択をして決めてしまったら
かなり動けた
もしくは
やっている間の充実感がものすごく高まった
のではないかと思った。
長々と書いてしまいましたが
今自分にないものを見てしまうと
私のバスケみたいに
何を頑張れるんですか?
何もできません、何も分かりません!
となってしまうに決まってます。
でも
自分のあるものに目を向けて
それを使うって決めてしまえば
結構
自分にとっては
バスケレベルの
苦手というか負担に感じるものに対しても
向き合い方が変わるような気がしました。
だって
そもそも
英語にしても
自分の場合には
単語も中学生くらいのしか知らないし
会話パターンなどの文章も覚えた経験もない
つまり完全じゃないのに
英語を話したり英語で誰かと関わるのに抵抗はそれほど感じない
野球だって
連携プレーとかチンプンカンプンだし
正確で素早いスローイングや生きた打球処理はうまくできないけど
まあ楽しんでやっている
仕事にしても
父親という立場にしても
旦那さんという立場にしても
完全に自信があるわけじゃないし
〇〇道場みたいな場所で研修を受け免許をいただいたわけでもない
要するに
今の自分で
何とかやっているんだよね
もうすでに
今の自分のできるもの、持ってるものを総動員させて
何とかやっている
だから
自分が超苦手だって思っているもの
自分だったらバスケに対してだって
今の自分のもっているもので
立ち向かえるって感じだよね
自分は何もないんです
何もできないんです
と最初に感じてしまうのが
色々なものを止めている可能性があるのかもしれません。
とにかく
今の自分にあるもの
今の自分ができるもの
多分
自分で思ってる以上にあるはず!
そこを見て自分の持ち味を
どんどんと
出してあげればいいね。
よし色々やってみよう!