アラシの想い出Ⅱ

2024-04-02 | アラシの想い出
【10・書物に感動 犬って何故にこんなに・・・・】
さて、私の愛読書に文藝春秋別冊「犬のいる人生 犬のいる暮らし」という雑誌がある(平成16年発行)。
主に有名人がこの雑誌のために書き下ろした愛犬物語は全部で73篇、いずれもが愛犬との想い出を書き連ねたもので、読んでいて微笑ましかったり涙する物語もある。



有名なところでは「南極に取り残されたタロ、ジロ」「上村直己の北極圏走破の犬橇の逸話」「忠犬ハチ公」「盲導犬クイール」等々があるし、有名人が犬に寄せる逸話を寄せたのは阿久悠、佐藤愛子、中村紘子、藤本義一、椎名誠、米原万里、久世光彦、堺屋太一、檀ふみ、新井満、黒鉄ヒロシ、西木正明、畑正憲等々多彩なメンバーだ。
へぇ~、この人も犬好きだったんだと、俄かに親近感が湧く。
この中でアラシと同じポメラニアンの想い出を語っているのは僅か二名、犬種としては「柴犬」が多いように思う。

ここで紹介する第一は藤本義一が書き残した「一家犬族」で紹介されるフランス系シェパードのアルファーが義一の父が亡くなった時の逸話である。喪に服す犬の情景である。

「・・・・・・父が病院で逝去し、遺体が担架で帰った時から、
アルファーは犬舎から一歩も出ずに四日間絶食して喪に服した。
四肢を少し曲げ、顎を板につけ、目を閉じ、排泄もせずに煎餅のようになったのだ。
誰にも吠えず、通夜、葬儀の間も沈黙し、
五日目にやっと母から粥を貰って徐々に体力を回復させていったものだ。
私は死をこれほど謙虚に受けとめる人間はいるだろうかと思った」


今ひとつ紹介するのも藤本義一のドイツ系シェパードのベーターの死にまつわる話である。
「ベーターは後年、腰部と後肢が動かなくなった。
呼びかけても、ただ薄っすらと目を開けているものの焦点が定まっていない。
15歳で天寿をまっとうする気配だった。
"もう間もなくだな"と私が家族に告げた夜明けに、
犬舎で尾っぽを振る音が聞こえた。午前三時頃だった。
そっと犬舎を見て愕いた。
腰もしっかりし、前肢を垂直に立て、人間で言うならきちんと正座した格好で
庭の楠の樹を仰いで、嬉しそうに目を細めているのだ。
少し開けた口からは舌の先がのぞき、上下に揺れている。
その目は楠の枝と葉と彼方の満月を見上げている。
私は息を呑んで見守った。ベーターの動作はつづく。
私は足音を忍ばせて書斎に戻った。なにか崇高な姿の生物を見た気がした。
樹霊と月の光に導かれている図であった。
その日の夜明けに、ベーターは横倒しになって息絶えていた。」


犬との別れを切なくあるいは淡々と語っているページが目立つ、心から離れないのであろう。
読んでいて涙なしには読めないページもたくさんある。

【11・かように無心なものが・・・・・】
「ハラスのいた日々」で有名な、作家の中野孝次も文を寄せている(著作はベストセラーで加藤剛主演で映画化もされている)。
ここでは犬によせる素朴な思いがあふれている。

犬を飼っていたところで特別のことがあるわけではない。
それどころか、毎日の食事の世話とか、病気の心配とか、朝夕の散歩など、厄介なことの方が多いのだが、それでも私と妻が三十年も犬と共に暮らし続けてきたのは、犬というものが我が家にいることが、なんともいえぬ心の喜びを与えてくれるからであった。
それは一言で言えば、こちらの愛したいという本能を呼び起こす生きものがそこにいて、愛を受けとめ、向こうもまた正価でそれに応じる。そのへんの心の通いあいが何ともいえずいいということになる。人間どうしではなかなかそうはいかないのだ。」
わたしは三十年余犬と暮らしてみて、結局犬を飼いつづけてきた気持ちは「かような無心なものがなにより慰めになり申す」と、ある詩句のいう所につきると思うようになった。」

と言って詩人丸山薫の「犬と老人」を紹介している。
*丸山薫は詩人で大分県生まれ。1899~1974年。

詩人が子犬をつれて散歩に出ると坂の上から粗末ななりをした老人が下りてきて、立ち止まり「ほう、よい犬でごわすな」と誉め、珍しい犬種だとか、何を食べさせているかなどときく。
詩人がうるさがっていい加減にあしらっていると、ふしぎなことに犬のほうが親愛の情を示して、しきりに尾を振り老人にとびついてゆき、節くれだった老人の手で撫でられて喜んでいる。
そして老人がふいにこう言ったというのだ。

老齢(トシ)でごわすなあ」ふいに思い余った吐息をして老人がいった。

「かような無心なものがなにより慰めになり申す 
女房は墓になりました
子どもは育って寄りつかん
世間には憂きことばかり 
終日働いて帰ると、かようなものがじゃれついてくる もうそれだけで疲れは忘れるでごわすよ」

その言葉は不思議な滋味を滴らした・・・・・と詩人が語っている。

【12・アラシに老いの徴候が・・・・】
さて、こうした楽しい日々を過ごしている内にアラシに老いの徴候が見え始めた。
アラシの老いを感じたのは先ず行動だった。
車で一緒に出かけるのが大好きで、ハッチバックを開けそこを手で叩くとピョンと飛び乗っていた。高さはどうだろう、60cmほどだったろうか。
まず、それが失敗する様になった。
もう一つも車に関わる出来事だが、助手席に乗っていざ目的地に着くと運転席の私の膝上に移動、ドアを開けるとパッと飛び降りていた。それが飛び降りて、地面でずっこける様になってきた。
身体的には眼の白濁だった。ある時、私の膝に前足をかけこちらを見上げた瞳が白くなっていた、この車での失敗と眼の濁りは同時期だったと思う。
 
  

この頃から、あんなに好きだったボール遊び(投げたボールをダッシュして追いかけ、咥えて戻ってくる)に興味を示さないようになり、ボールを転がしても知らん振りをするようになった。

病院で目薬をいただき、点眼を続けたが進行を止めるまでに至らず15歳前後からほぼ失明した。
一般的に犬の白内障は遺伝的な病気なので、専用の目薬で緩和できる程度で直らないようだ。
手術をする専門医もいるようだが、麻酔による合併症の心配と、かなり費用が高額だと聞いている。しかも、手術は体力のある若い内が限度で、年老いての手術は危険なようだ。
サプリメントで視力が回復したとの例もあるようですが、私は試してはいない。

さて、失明してからだが・・・・
人間の途中失明よりは不自由はないと専門家にきいた。つまり、嗅覚である程度補えるとの事のようなのだ。
しかし、なにかと言えばぶつかって歩く姿を見るのは痛々しい。
元気な時は遠くにいる私を見つけて駆け寄ってきたのに、今は近づいて身体に触れるまでわからない・・・・

実は眼の病気が明らかになってきた頃から、嗅覚も衰え、耳も遠くなってきた。加えて、歯もだいぶ抜け落ちた。ま~完全な老人(それも後期の)となっていた。

昼間は庭で放し飼いなのだが、しばらく外出して帰ると”行き先を見失って”植え込みに頭を突っ込んでじーっとしている姿などは、見ていて涙がでた。
今日は降るまいと思った日に急に雨になり、急いで戻ったら立ち尽くしてビショ濡れの時もあった。
 
 

人間の途中失明よりは不自由はない・・・と聞かされていたものの、例えば食事の時に私の足許に来る。すこしづつ私の食べ物を与える、暫くすると次の食べ物を求めて移動するが、それが全く方向違いの場所に行ってじーっと待っている。
抱きかかえてこちらに戻すがワンコとて不自由さにかわりはない。

【13・老いて関係は濃密に】
加えて病気の進行も安心できないものであった。
多少肥満気味で、獣医からはダイエットを強く言われていたが、心臓肥大、腎臓機能低下が特に言われその影響でガチョウが鳴くような咳き込んだ声がひどくなっていた。

ついに22年の初夏は庭で苦しそうにのた打ちまわり、病院に運び込んでICU収容の入院となったが幸い回復した。獣医からは「いつ、なにがあっても、おかしくない」と脅されており不安は尽きない状態であった。
 
毎朝晩の薬の投与は欠かせないし、必要に応じた診察も頻繁だ。しかし、病院の前で入るのいやだと駄々をこねる他のワンコを尻目に、大喜びで入ってゆくのは喜ぶべきか・・・・・悲しむべきか・・・・・
 
室内では居間を自由に歩き、好きな所で寝ていたが一年ほど前から寝た場所がグッショリ濡れてきた。そうひどくはないが失禁しだしたのだ。
当然体毛の一部も汚す、その後は寝場所を定めてトイレシートの上に寝かせている。

さて、その”寝る”だが一日の大半が寝て過ごす事になってきた。
元々よく寝るのだがそれに拍車がかかった。
食事や接触の時間を除くとほぼ横になっている、う~~ん一日2時間程が起きているって感じだろうか。
 
 

さて、これはどうしたことでありましょうか。誤解を怖れずに言えば今は「喜びを与えてくれるより、世話する手間の方が多い」のです。
さて、こうなると私とアラシの喜びはなんでありましようか・・・・・

それが又濃密なのであります。
もっとも変化したのは”抱っこ”でありましょう。
若い時に抱っこをすると”遊びたいから早く降ろせ”とばかり暴れたのですが、近頃は腕の中でじーっとしております。時にはそのまま寝てしまいます。
「身を委ねる・・・・」ということでしょうか、安心しきって膝の上、腕の中におります。
そうしながら頭を撫ぜ、身体を撫ぜていると、私の心も安らぎます。
時に膝の上でグッスリ寝こみ、頃合を見計らって寝場所に移しますが全く起きないほど寝ています。信頼しきってくれていると私も嬉しい限りです。
 
この頃はドッグフードの食器は私の「手の平」であります。皿に盛っても場所が分からなくなるせいもあるのですが、一度これを始めたらやめられなくなりました。
体毛を汚したオシッコの始末も苦になりません。もっと介護が必要になる日が遠くないかもしれません。
 
この人と犬の信頼感は何でありましょうか。
人と人は親友と言えども、兄弟と言えども些細なことで関係が崩れる例は沢山あるようです。
しかし、この”生涯最良の友”は一途に忠実で、裏切ることなく、喜びを体全体で表し、お互いになくてはならない存在になっています。

【14・老犬もまたよし・・・・】
平成22年・・・・・・
この年、夏の暑さは異常ともいえる暑さでしばしば35度を超えることもあった。すでに老年の域に入っていたワンコにとって厳しい夏であった。

アラシは日中はエアコンのきいた室内で過ごし、暑さのやわらぐ朝晩は庭に出たが「この夏を越せるか!」と心中は思っていた。なんとか夏を乗り切ったが歩く姿もヨボヨボしてきて老人そのものだった、前にもまして時間があれば寝ている時間が増えた。
寝ていたあとがグッショリしだしたのは前にも記したが、この先介護が必要になる事も心の中で準備した。
 

この頃はもう滅多に「ワン」と声を出す事もなかったし、庭でのオシッコも片脚を上げるのではなく用をたすようになった。

ある日アラシの姿が見当たらない。かってもそう言うことはあったが、若い時にフェンスを抜けて表を探検にいった元気は今はない。たいして広い家ではない、しかし見つからない。
思案にくれていた時、久しぶりに「ワン」の声が聞こえた。声の方向にいた!

居間から庭に出る境いにゴーヤ(ニガウリ)を毎年植える。背丈は3mにも達し、なにより葉を猛烈に繁らす、これが夏の日除けになるので幅5mもネットで誘引してゴーヤのジャングル(は大袈裟だが)になるのだが、そのジャングルに迷い込み、しかもネットに手足をとられていたのだった。
助けを求めるため久しぶりに「ワン」と叫んだのだった。
 
 
この当時はもう全く目が見えないので、畑の境界を示すロープを超えて畑に入り込む事もあった。若き日に怒られた事例だ。しかし、もう怒る気などない。作物に多少の被害があったとて、それがなんであろう。今大事なのは必死に生きているお前だ。
私は畑の中にいるアラシを宝物のように抱えて戻すのであった。

大分年老いたが見た目は最後まで若々しかった、知らない人が見たら外見だけでは老犬には見えなかった筈だ。しかし側にいる私には眉毛やひげが白髪になった、歯がだいぶ抜け落ちた、歩き方が弱々しいなど老いの徴候は顕著であった。
 
朝の散歩にこの頃は時々程度の頻度で連れ出した。以前のようにリードをグイグイ引いたり、小高い植え込みの土手にピョイと飛び乗る元気さはもうない。
しかし叢の臭いを嗅ぎながら散歩をユックリと楽しんでいる。

老犬とつきあうと若々しい頃のあのエネルギーはもう感じようもないが、落ち着いた”戦友”とでも言うべき関係になっているのに気づき「老犬もまたよし」の思いを強く感じたものだ。

この頃はやはり「あとこの幸せがいつまで・・・・・」と時々思わずにはいられないのであった。
一方でもしこの宝物がいなくなったら・・・・・・の恐怖感をも感じさせるのであった。
 
 

【15・いよいよ別れの日が・・・・この想い出シリーズ(完)】
さて、いよいよその日が来た。平成22年12月1日であった。

この日いつものように朝起きてから抱きかかえて庭に出すのだが、腕から降ろしても腰が崩れて立てない。しばらく様子をみたがどうも下肢に力が入らない。体が崩れてしまう。
急いで室内に戻り寝床を調えるが涙が溢れて止まらない。
”ついにその日を迎えた”と確信せざるを得なかったのだ。

私の判断で病院には連れていかなかった。
病院で点滴その他の治療を受け入院すれば数日最後の日が永らえたかもしれない。
しかし、最後を私と離れて病院で亡くなるのは耐えがたかった、アラシもそうであろうと確信していた。

この日は極力私が抱いていた。
この日に何度か「ワン」と声をあげた、久しくきいていない声であった。ぐったりして起き上がることさえしないのに、最後の力を振り絞るように鳴いた、吠えた。
抱いて、抱いて、身体を撫ぜた。アラシもこちらに身をまかせている。
  

夜の10時半、抱かれたまま苦しむ事もなく、眠るように息を引き取った。寝顔は安らかであった。

不慮の事故で亡くなる犬もいる、さっきまで元気だったのに急に命の灯火が消える犬もいる。
それに較べれば最後の一日もず~っと一緒だった私は幸せだ、この腕の中で息絶えたアラシも心安らかなはずだ。そう思おうとした。

実は家人が11月に入院して16日に手術を受け病院から帰ってきたのが11月30日であった。アラシが空路秋田に着いたときに迎えに出たのも彼女だ。私が勤務中は彼女が面倒をみてくれていた。
アラシも私が主人である事は認めながら、彼女に一目おいていた。当然である、身の周りのことはお世話になっている。

この彼女が退院するのを待っていたように、彼女の姿を見てから亡くなったのであった。

翌日に親しくしていた仲間に会葬してもらい、又寺の住職にも来てもらい読経をしてもらって冥福を祈った。
 
   

埋葬であるが生前にそう話していたとおり「自宅庭に土葬」とすることにした。
最近はワンコでも火葬、骨上げが一般的であるようだが、幸いにも庭が広い。ここに墓を手づくりして埋葬することにした。
 
埋葬場所は私が今この文章を打っているパソコン机(居間)から、首を右に曲げれば見える場所にした。 

ポメラニアン・アラシが16歳で旅立った・・・・ありがとう生涯最良の友
この映像の最初のワンワンの声はアラシの肉声です。

さて私はアラシを最後の犬と以前から決めていた。
一つは私の年令だ、この先15年も元気な犬を飼えば私は80歳になる。最後まで面倒をみきれるか、場合によっては犬を残してゆくこともあり得る。

もう一つはアラシが全くに非の打ち所のない犬であったことだ。
この先どんな犬を飼おうと「アラシならこうであった」「アラシだったら・・・・・」と比較してしまうであろう。これは酷なことだ。
ペットロスを解消するのは新しいペットを飼うのが一番とも言われる。私にペットロスの症状がない訳ではない。しかし私はもう犬は飼わないであろう。
少女めいた事をいうようで気が引けるが「アラシとの想い出と共に残りの人生を生きる」こう決意している。

仏教の教えの中に八苦がある。「四苦八苦」の八苦である。
この八苦の中に「愛別離苦(あいべつりく)」と言う教えがある。
愛する者と別れたくなくとも別れなければならない苦しみを言い、人の苦しみの中でもとりわけ重い苦しみで、生きる者すべての人が背負わなければならない自然の道理でもあると言う。
家族を失ったり、恋人や友人を失ったり、このペットを失う悲しみは正に「愛別離苦」である。
しばらくこの苦しみから逃れようもないが、逆に考えると失った苦しみを味わうほど「愛するものがいた」事でもある。
アラシを喪って、この言葉を改めてかみしめた。

犬は英語ではDogという。
このスペルを逆から並べるとGod、そう「神」だ。
これをして犬は人間のために神が遣わせた動物であると何かで読んだ。
本当にそう思う。
これだけ人間をとりこにする動物、人をして純粋な愛を感じさせる生き物はいない。
正に神の遣わせた生き物に違いない。【完】




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4 コメント

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感動しました。 (山崎義和)
2011-09-07 09:52:04
はじめまして
ブログ一気に拝読させて頂きました。
泣けて、泣けて、涙が出て止まりません。アラシちゃんは、素晴らしい出逢いに恵まれたワンちゃんだったと強く感じました。

私も、別れの恐怖に覚悟しながらの日々を愛犬と楽しく過ごしていましたが、突然の別れになってしまいました。
沢山の思い出を残し、今年7月18日、18年間生活を共にしていた愛犬プリン(シーズー♀)が旅立ちました。
来週9日は49日です。

素晴らしい感動のブログ、ありがとうございます。

アラシちゃんに合掌
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あなたにも別れが・・・・・ (arashigeru)
2011-09-07 09:53:37
山ちゃんさん ありがとうございます。
あなたのプロフィールでの愛犬への拘り、特に現プリンちゃんを家族にするまでをの敬意には、その情熱にビックリいたしました。

さすがに18歳ともなると、アラシ同様に失明されていたようですね。

暫くの間、このブログにしょうもない想い出を書き続けます。実はそれが愛犬のいない今、しかももうワンコを飼わないと決めているので”淋しさをまぎらす”事につながるのです。

コメントありがとうございます。
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Unknown (山ちゃん)
2011-09-07 09:54:18
また、動画を拝見しました。
アラシ、可愛いです。健気です。
また、泣いてしまいました。
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Unknown (山ちゃん)
2011-09-07 09:59:32
なんだか癒される文面です>
このご老人は鹿児島の人?
西郷隆盛を思い浮かべます。
散歩して人なっこいワンちゃんには、癒されます。
人は猫族、犬族に分類されるそうですが、警戒心が強過ぎて、素早く疾走する猫には、少々がっかりです。
マレーシァの猫は、皆、人慣れしていましたが
日本の猫特有なんですかね。

そう言いながら、毎晩、10匹近い子供の野良猫に餌やりが日課ですが・・・。
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