犬のいる人生 犬のいる暮らしから30 高校に住みついた犬 クロ

2024-07-27 | 書物や映画
ある高校に真っ黒い犬が迷い込んで住み着いてしまった、犬の名前はクロ。
この状況が「犬のいる人生 犬のいる暮らし」で語られている。

このクロの事は本になっていたり(職員会議に出た犬・クロ)、これが原作の映画(さよなら、クロ)もあるのだという。
授業に出たりもしていたが圧巻は宿直の先生との夜回りだ。
夜回りになるといつの間にか出てきて歩き始める。夜回りには順番があるのだがそれを間違えない。新任の先生の夜回りは「クロについてゆけばよい」とさえ言われたそうだ。

学校に犬がいて校内を自由に歩き回る。
なんとのどかな風景であろうか・・・・それだけでなく、学校の雰囲気もきっとよいものに変わったに違いない。
犬がいるだけで高校生活が変わる。
犬がいるだけで人生が変わる。

なお、この経緯を語っているサイトがあるので以下はそのコピペであります。
氏名:クロ 住所:松本深志高等学校高用技手室 役職:番犬

 長野県有数町名門校の職員名薄に、こう記された一世の犬がいた。12年もの間、授業中の教室を自由に闊歩し、昼休みに校庭を生徒とともに走り、学園祭にも参加した″学校犬〃の存在は、″学級崩壊〃M教師岡題〃が叫ばれる現代の教育現場になにを教えてくれるのだろうか?
 長野県のほぼ中央部、松本市内の北アルプスを望む住宅地にある県立松本深志高校といえば、教育県として知られる長野県の中でも、古い歴史と伝統を誇る有数の名門校だ。前身は旧制松本中学で明治9(1876)年の創立。戦後、新学制により松本深志高校となった。
 創立以来126年間、田中康夫県知事をはじめ、映画監督の熊井啓氏や企業のトップなど、あまたの人材を世に送り出してきた。現在でも、地元の信州大学はもちろん、東大、京大、早大、慶大といった一流大学に毎年数多くの合格者を出す進学校だ。

松本深志高校の枚内に、黒い雌の野良犬の婆が目につくようになったのは昭和35(60)年の王ころからだった。その野良犬は、剣道場の床下をすみかにしていて、一部の生徒にかわいがられていた。
 同校は校歌に、「自治の大旗翻へし」、応援歌にも「自治を叫びて」と歌われる通り、なにより、生徒の自治と自由を尊ぶ校風だった。つまり、教師は授業をしっかり見るが、その他の生活面については生徒の自主性に任されていた。制服もなく、髪形など生活態度についての細かい規定もなく、遅刻やサボリも各人の理由によるが、結構大目に見られていた。
 生徒はこうした自由闊達な校風の中で、勉学にクラブ活動に、生徒会活動にと、明るく伸び伸びとした高校生活を送っていた。そんな生徒たちにとくに意識されるでもなく、いつしか学校に住みついたのがクロだった。
 そのクロか一躍、学枚中の人気者になったのは、昭和36年の秋、重大の行事である「とんほ祭」に飛び入り出演したことがきっかけだった。とんぼ祭とは、生徒が計画、運営する文化祭で、多彩な行事が1週間近くにわたって行われ、最後は運動会でしめくくりとなる。
 クロはその運動会の仮装行列、1年6組の出し物『世界の銅像巡り』に参加したのである。
 自身、松本深志高校の卒彙生で、昭和24(49)年から34年間、同校で教鞭をとった元国語教師の藤岡改造さん(79才)が当時を振り返る。
「この出し物は、生徒がそれぞれ、アメリカのリンカーンやドイツのゲーテ、インドのガンジー、それに日本の西郷隆盛の銅像に扮してリヤカーに乗り、運動場を一周するというものでした。ところが準備に手間取り、最後の西郷隆盛が連れている犬の張り子を作る時間か全然なくなってしまった。困っているところにたまたま現れたのがクロだったんです」
 困った生徒たちの問では、「この犬を使っちゃおうか」という話が出たが、「気まぐれな野良犬が銅像の犬に扮してリヤカーの上でおとなしくしていられをわけがない」という、しごくもっともな意見が大勢を占めた。
 しかし、時間がない。背に腹は代えられず、その犬に大役を託すことに。ぶっつけ本番の運動会当日、満場の注視を浴びて西郷隆盛とともにリヤカーに上がった犬はまったく落ち着き払ったもの。リヤカーが動き出しても微動だにしない。威風堂々と運動場を1周して無事大役を果たし、満場の喝采を浴びた。
 以来、その容貌から、クロと名づけられ、深志のマスコット犬として、悠々と校内を歩き回るようにになった




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