アラシの想い出Ⅰ

2024-04-02 | アラシの想い出
私の愛犬 ポメラニアンのアラシは22年末に16歳で旅立ちました。
以下はその出会いから別れの日までの想い出を取りとめもなくなく書き綴りますが、これをアップする事がアラシの供養になればと願い、安らかに眠れと人生最良の友に捧げます。合掌。


【1・アラシとの運命的出会い】
平成22年末に16歳の愛犬を旅立たせた。ポメラニアンの小型犬のオスで名前を「アラシ」といった。幼少の時に縁あって私の家族となってから、共に暮らしたのは13年程であった。
子どもの頃から犬が好きであったが「室内で飼って最期まで看取る」のは初めての経験であった。
私のかけがえのない友であり、家族であり、宝物であった。

初めてアラシと会った時、彼はゲージ(キャリヤー)に入っていた。
あるお婆さんと二人で暮らしていたが事情で飼えなくなり、私のいた寺にもらわれてきたのだった。
初めてゲージ越しにアラシと視線があった時「赤い糸」を感じた、アラシもそうであったようだ。
すぐに私と仲良くなり私はこの友に夢中になった。当時の年令は3~4歳であったようだ。
それから程なくして今度はジャーマンシェパードの「セナ」が引き取られてきた、こちらはメスだが既に老犬であった。
これも私が育てる事にして、かくしてアラシとセナは同居生活を始めた。
 

夫婦だったと言えば夫婦のようであったが交尾はしていない・・・というか、出来ない。アラシは体重が7K、一方のセナは40Kを超えている。たまに挑む場面もあったが背が届かないし、セナに適当にあしらわれていた。

しかし、この二頭は仲が良くて抜群のカップルであった。アラシがやんちゃ坊主、セナは優しく見守る母親犬の風情であった。
シェパードのセナは訓練の行き届いた犬で散歩にリードは不要であった。こちらの側を離れずに、時に私を伺いながら歩を進める。これに対してやんちゃ坊主もリードをつけないので(散歩は裏山で車はこない)ず~と先まで走ってゆき、時々こちらに戻ってくる、こんな感じであった。
時に二頭がすこし先を進むのでひょいと物陰に私が隠れて、二頭をうかがう事もあった。気がついた二頭は私がいないので、それこそ脱兎の如く今来た道を引き返してきて私を探した。ほんのイタズラだったが、真剣な様子を見て悪い事をしたと反省した。
この山道では春先、孟宗竹の大きな筍が土の上に顔を出すのだがセナはその筍をガリガリっと齧った。

昼間は犬舎に入れていたが、私が出かけて帰ってくる車の音で帰宅を察知、それこそ二頭の歓迎のワンワンの声がすさまじかった。
遊びはもっぱらボール投げであった、遠く放り投げたボールを二頭が競争で追う。
その時は真剣に競い合っていたが、若いアラシに分があったようだ。
夏には近くの川に連れていっての水遊びもしたりした。

ある日、二頭がひょいと見えなくなった。
私が外出中に仲間が庭で遊ばせている内に見えなくなったのだと言う。
近所を捜索して一時間ほど、500m先の草むらにいたのを見つけて連れ戻したが、この500mほどを二頭がどの様に会話しながらウロウロしていたかを想像すると微笑ましくて怒る気にもなれなかった。
しかし、何事もなくて安心した。

おみやげに「豚足」を買ってきて与えると喜んだ。
セナは骨までガリガリと噛み砕いて食べるがアラシは骨が硬いのはポイと出して「柔らかいとこちょうだい」とこちらを見上げる。

【2・セナとの別れと死生観】
楽しい共同生活から二年ほどして、この生活に別れを告げる時がきた。セナが横になって立ち上がらなくなったのだ。食事も一切口にしない、老齢であったので私は死期を覚悟した。
それから二日間、時間のある限りそばで体をさすった、語りかけた。この犬の本当に終盤のみの付き合いであったが、お互いに十分心の交流をした。
三日目の朝、横倒しでもう動かなかった。老衰であった。

散歩でよく出かけた山道に土葬をした。碑を立てたが迷わず「聡明であった・・・・・」事を記した。
こうした時、つがいのアラシはどう変化するのか・・・・注意してみたが大きな変化は感じられなかった。

さて、動物の死であるが「従容として死につく」というか「死を平然と迎える」この姿に、ある種の威厳というか風格というか、大袈裟に言うと”神性”さえ感じるのは私だけであろうか。

人は死をうろたえて迎える事が多い。
「まだ死にたくない」「やり残したことがある」「残した家族が心配」等々だ。
私もそうなるかもしれない、だから人間なのだとも言えるかもしれない。

人として生まれたらその全員が等しく例外なく遭遇する出来事が一つだけある。
それは必ず「死を迎える」事である。ただ、その死を自分の物としては考えないのだ、よほど大病でもして入院でもしなければ。
悟りを得たと言われる高僧であっても死に際に「死にたくない」と言葉を発した例を聞いている。
これに対してセナの最期は静かに死を受け入れる、死にあたってバタバタしない崇高な生命の終わり方であったと私は思っている。

そうして私とアラシは二人きりの生活に戻った。この当時は室内飼育でなく屋外犬舎での飼育であった。私が外出から戻る、アラシの犬舎に向かう。
遠くから私をみつけたアラシは喜びを体全体であらわして当時は後ろ足だけで垂直に跳びあがって私を迎えた、20cmも跳んだであろうか。
この喜びのあらわし方・・・・・今朝以来の対面なのに、まるで十年ぶりに邂逅したように体全体で、心の底から喜びをあらわす。
これに負けるのだ、こんなに私を無条件に受け入れ、喜びを表現してくれる生きものは・・・・・・お前しかいない。

そして、十年ぶりの再会を味わうように私はアラシを抱きしめ、アラシは私の顔をペロペロと舐めるのであった。そしてそれを、毎日繰り返すのである。
ワンコが好きでない人には”異常”な風景であろう、しかしワンコ大好きにとっては”至福の時”なのである。

山道の散歩も今は二人、しかし彼は相変わらずわ~っと先に駆けてゆき時々思い出したように戻ってくるのであった。
そうした生活を送っていた時、私は秋田県に移住する事になった。アラシも連れて行く、これだけは譲れなかった。名古屋空港から空路アラシが先に秋田に向かった、当時8歳であった。

数日遅れて新幹線を乗り継いで秋田に向かう車中、初めての土地に向かう不安よりも”アラシに会える喜び”が大きく、僅か数日間であったが初めて離れて暮らした時に生ずる心の隙間に愕然ともしていてアラシの存在がいかに大きいのかを感じさせられたのであった。

【3・秋田に移住 新生活】
室内飼育が当たり前ともいえる昨今であるが、秋田にきてからもアラシは室外飼育だった。
というよりも・・・・・私は大の犬好きであるが”室内飼育”は考えたことがなかったし、経験もなかった。室内で飼うと体毛が食卓にとんでくる、それは犬は好きだが嫌だなと漠然と考えていた。
室内で飼うようになったのは、ある日の雷鳴であった。
ご存知の様に犬は大きな音が大嫌いというか、恐怖心すら覚えるようだ。雷鳴や花火の音に驚いて繋がれていた鎖をほどいて、高い塀を越えて行方不明になるケースすらあるのだと聞いた。
大きな雷の音であるから怖がってきたアラシを室内に入れた、室外では雷鳴を避けられない、ソファーの隅の音ができるだけ聞こえない環境に置いた。
アラシは元々室内保育のワンコだったのだろう、それからは室内に入りたがり私もそれを許した。

当初はまず立ち入り禁止地域を教えた、即ち居間の敷居を出た所で「ここはダメ」と物差しで床を叩く。それだけでよかった、頭のいい犬で居間からこちらには来なくなった。
 

しかし・・・・居間と隣接している食堂で食事をしていると「私は居間からでていません」とばかりに後ろ足のつま先がかろうじて居間に引っかかって、体の大半は食堂にあるという事が常態化、微笑ましくそれも許した。
この立ち入り禁止地域はその後徐々にせばまり、最後は仏間と寝室をのぞいて出入り自由となっていた。
  
【4・学習 そして叱られていじける】 
さて、教え込むと飲み込みの早い賢いワンコであった。
私は趣味で庭の大半を畑(家庭菜園)にしている。
畑に入って蒔いた種や苗を荒らされたら困る。前回の室内と同じ方法であった。
まだ耕作前の畑の中央にアラシを呼び寄せると喜んでくる。
そこで、予め用意した板切れで地面を強くたたいて「ダメ、ダメ」と大きな声で言う、アラシは驚いて畑の外に出る、それだけでよかった。一応ここが畑と教えるために杭を立てロープで囲ったが、再びここに入る事はなかった。
それどころか、大好きなボール投げで遊んでいる時にボールが畑の中に入ってしまう事もある。
ボールを追っていたアラシは勢い余って畑に入る・・・・・とも思われたが、畑の手前で止まりこちらを振り向いて「(私は入れませんので)取ってきて」とばかりにして私を見上げる、絶対に入る事はなかった。
同じボール投げで畑の向こう側にボールが行ってしまったこともある。畑を突っ切れば早いが、彼は迂回して遠回りしてボールを追った。
頭のよいワンコであった。
 
ワンコの訓練(学習)であるが、これはワンコにも学習意欲があり教えると目を輝かせて覚えようとした。しかし、飼い主の根気も試させられる。
ワンコは学習したがっている。一つ覚えて褒めてあげれば、次の学習ができる。
大体がまず「お座り」「お手」「おかわり」「伏せ」といった所から始めるのだろうが、私は「お手」は重視しない。
私が一番身に付けさせて欲しいのは「待て」だ。
食べ物を目の前にしての「待て」もあるが、あらゆる場面で「ヨシ」と言うまでその姿勢を保つ事だ。

散歩の途中でコンビニで買い物がある。店内に入れる訳にはいかない。
この時、私はリードを付けたまま入り口脇で「待て」と命ずる。アラシはお座りか、時に伏せの姿勢になる。
そのまま買い物を終えて出てくるまで、その姿勢を保たせる。
これが身に付くと、どんな場面でも扱いが楽だ。
 

この訓練は、私は始めお座りしたアラシと向き合い、「待て」と言ってからまず後ずさりに二歩、三歩彼から静かに離れる。最初はすぐにこちらを追ってくる。
そこでアラシを元の位置にもどし、「待て」と言ってまた下がる。
また追ってくる、また戻す。
何度か繰り返す内に、動かない時期が必ずくる。
この時、最大限に褒めてあげる。
これ以上褒められないくらい褒めてあげる。

三歩が五歩、五歩が十歩、必ず進歩する。飼い主の根気がなにより必要だ。
すぐ追ってくるワンコを実は可愛いのだ。その可愛い気持ちが優先すると、失敗する。
繰り返すが、ワンコはいろいろ勉強するのが嫌いではない。
嬉々としてやろうとしているのだから・・・・・

思い出すと切なく物悲しい情景もある。アラシを叱った時だ。
こうした頭のよいワンコだったからメッタに叱る事はなかった。
しかし、私が農作業中につい私を求めて畑の中に足を踏み入れた事もあった。
まだ本格的な植え付けの前であるから被害はない、しかし、これを許せば最盛期に又畑に入る可能性がある。私は大きな声で叱って棒で地面を叩いた。

びっくりしたアラシは逃げ出して、今はほとんど使っていない犬小屋に入って恐縮、恭順の意を示す、さて、それからだ。 
 

「分かればいいよ・・・・」とばかりに近づいた私を上目遣いに見て、小屋から出てこようとしない。
すっかりいじけている。怒られたのがよほどショックだったのだ。 
「おいでおいで・・・・もう怒っていないよ」にも出てこようとしない、しかし、こちらの様子はうかがっている。
ついにはおやつを餌にようやく小屋から引きづり出した。
体を撫でてようやく元に戻るのだが、小屋から出た当初は尾の振り方にも元気がない。
「ハイ、反省しております。もう怒らないでね」このモードに完全になっている、これをみると”叱った方が悪い”とさえ思えてくる。

【5・この信頼感はなんだ】
私は秋田に来てしばらく勤めに出た。8時に家を出て、5時過ぎには帰宅する日課であった。
これは家人に聞かされた話だが「5時くらいからソワソワしだす」との事であった。私の帰宅が近いことを分かるのだ。

以前テレビでも同じような事を実験していた。
室内の犬の様子を隠しカメラで撮り、一方は主人の帰宅の様子をカメラで追い、これを同時並行で見せるのだ。
すでにワンコは主人が会社を出るところから何がしかの感触で帰宅を待つ姿勢に変わる。
主人が家に近づくにしたがってワンコの待つ姿勢に変化が現れ、ドアに主人が近づけばそれこそワンコは最高潮にテンションがあがる。
ところが、主人が「今日は飲み会」でまっすぐ帰宅しない日もある。この日は不思議だ、会社を出た時刻つまりワンコになにがしかの徴候がある時間に変化が全くでないのだ。
これを感じ取るインスピレーションというか、サイキックな能力がワンコにはあるらしいのだ。
 

さて、人間が飼うペットの双璧は犬(ワンコ)と猫(ニャンコ)だ。
勿論この他に小鳥、魚類、ハムスター、兎、中には蛇・トカゲのような爬虫類大好きもいるようだ。
このペットを家族同様に育てるのが当たり前になってきている、ここではワンコのみを採り上げるがこれはどうした事なのでしょうか・・・・・・
 
この人と犬の信頼感は何でありましょうか。
人と人は親友と言えども、兄弟と言えども些細なことで関係が崩れる例は沢山あるようだ。
しかし、この”生涯最良の友”は一途に忠実で、裏切ることなく、喜びを体全体で表し、お互いになくてはならない存在になっている。
ちょっと一時間ほど離れていてアラシと再会するとそれこそ「10年ぶりに会った」ように体全体で喜びを表し、しかもそれには裏がない。
    

人間同士はどうでありましょう・・・・・・言葉の裏に心の闇があります。
言葉とて口から出たものを真に受ける訳にはいかない事も沢山あります。

嫉妬、ひがみ、虚栄心、裏切り、慾、思想・信条、優越感や劣等感これらに抱かれて私たちは暮らしています。心が安まりません。

しかしこの全てにワンコは無縁です(やきもちは焼くようですが)。
無償の愛ともいえる一途な健気さにふれ、こちらの気持ちも浄化される。これが全てではないでしょうか。

【6・たくましいアラシ 心配かけるアラシ】
若い頃は(アラシも私も)朝は一時間も散歩を楽しんだ。
地域柄20分も歩けば秋田港であったので、早朝から釣り糸を垂れる人びとを眺めたり、毎朝行き交う散歩犬との交流も楽しんだ。
おかげで私もダイエットの必要もない体を保てた。
庭で放し飼いであったので散歩の必要はないのだが、外へ行くためのリードを見れば大喜びするのであった。
それは雪の日も雨の日も同様であった、なにしろこの散歩でウンチの排泄をするので欠かせないのである。行き先も日々コースを替えてというか、気分によって行き先はマチマチであった。私も起床は早い方であったので散歩の途中で日の出を迎える事も度々であった。

庭で放し飼い、自由に動き回っていたので脚の筋肉は盛り上がっていて逞しい脚をしていた。
ポメラニアンとしては大型で体重は大体7K程で、最初にペットショップにトリマーを電話予約でいったら「ポメは3K前後」と想定していた先方を驚かせた。
 
アラシが放し飼いになっていた庭は通りに面していてそこを散歩のワンコがたくさん通る。
アラシは決して他のワンコに吠えない、尾を振って親愛の情を示す犬だったので友達ワンコがたくさんいた。フェンス越であったがしばしの交友の姿がよく見られた。
中には逆にアラシに吠えかかるワンコもいたがアラシはいつもおとなしく、吠えられてもキョトンとしていた。
 
 

ワンコだけでなく新聞配達、宅急便等の人たちでワンコ好きな人からも可愛がられた。
しかし、郵便配達や他の用事で来るバイクの音だけは嫌いで吠えまくった。姿が見えなくなってもまだ吠えるほどであった。

時々は本当に幼い子どもを連れた親が、子どもを犬に触れさせたくてくる事もあった。私がいる時はフェンスから出して幼児に直接ふれさせ「この犬は絶対に噛まないから」と保証して触らせた。
ただし「犬の尾っぽを引っ張らない事」「犬によっては噛む犬があること」を教え込んだ。
犬に触れて”犬好き”になるきっかけになればと思ったのだ。
幼少時に犬で怖い目にあうと犬嫌いになるのでそれを避けさせたかったのだ。
 
 

アラシは「食べ物の待て」もしっかりとできる犬であった。
「待て」と言ってから鼻先にジャッキーを置いても「ヨシ」の声がかかるまで決して口にしなかった。

たまにフェンスの戸締りのミスから表を放浪することもあった。
愛されていた犬なのでそうした時は近所の人から「アラシがどこどこを歩いていた」と情報がもたらされた。
交通事故や大型の犬との遭遇もあるので急いで探しにでかけるが、こちらの姿を認めると駆けつけてきてすぐ捕獲できた。
実は普段は鎖でつながれている犬はこうした時「久しぶりの自由満喫」とばかりに飼い主が行けばいくほど逃げ回る犬もいる。こうした時は捕獲に苦労するらしいと聞いた。

だが半日の間”行方不明”になったことがあった。やはり戸締りの不備をついて外に出たようなのだ。
車で散歩コースや主だった所を探したが見つからない。
「交通事故」や「犬泥棒」まで想定して気が気でなかった、雨も降ってきた。
外が暮れてきてから電話で保護しているとの連絡をもらって駆けつけた。なんと散歩で行った事もない2K先の商店でお世話になっていた。丁重にお礼を述べて引き取ったが、首輪に連絡の電話番号を記入していたのが幸いした。

【7・ボール遊びが大好き】
アラシはボール遊びが大好きだった、私がボールを投げる、ダッシュして咥えて持ってくる。又投げる、ダッシュするの繰り返しだ。
時に私は投げる振りをして投げない。ダッシュしようとしてボールがないので、こちらに振り返って「早く投げろ」と唸る、こんな事を台本があるように繰り返す。
その内、地面をころがすのでなく低い位置で空中に放り上げる、それをダイレクトにパクッと口でキャッチする、これも台本通りだ。
  

投げられた先で咥えてきてこちらに戻るがすぐには私に返さない、こちらが口から取りにゆくのを待っている、これもいつもの遊び方であった。
犬には相当の知能が備わっている、咥えて帰ってきてボールをすぐに渡さずこちらに返すまで私をじらす。これを明らかに楽しんでいる。
本心は早く私に返してもう一度遠くに投げて欲しいのにだ。
このなんでもない戯れが私には楽しみであった、アラシも間違いなく楽しんでいた。
この遊びでのアラシの表情は真剣であった、いくつかを映像で残していて時に楽しんでいる。

アラシボール遊び


【8・アラシの食事】
アラシの食事を聞いたら心ある愛犬家に私は非難を浴びたであろう。
ご承知のように昔の犬は残りご飯に味噌汁をかけたのが当たり前であった。
近頃は専用のドッグフード以外は与えてはダメとなっている。
犬には塩分をはじめ味のついたものはダメ、特にネギ(玉ねぎ)類は絶対にダメが浸透している。
このせいか最近の犬は長生きになった。

アラシも基本はドッグフードだが、三食の食事の度に私の食卓に同席した。そして、お座りをしてあの愛らしい目でこちらを見つめるのだ。
私は濃い味の物は避けたが自分の食料を分け合って食べさせた、これが実は絶対に避けなければならないタブーであった。
「カロリーの取りすぎ」と「ドッグフード以外の食物禁止」に引っかかる。
 
 

しかし私はこの習慣を継続した。
勿論この習慣でアラシの寿命を縮めるのは本意ではない、そうならない範囲を前提にだが・・・・・・
一つの食べ物を分け合って食べる、こんなに連帯感というか仲間意識を感じる場面は少ない。
それと例えは極端になるのだけれど・・・・・・例えば人が「宇宙食」さえ食べていれば今より10歳長生きできると言われて「チューブ入りの食料」が三食だったら果たして幸せであろうか。
犬は元々は「肉食動物」だ。
だから私の肉を与えるとガツガツと喰らう、時に口の中で噛み砕きに難儀しているが最後は平らげる、野生の姿に多少近い。
しかしドッグフードを食べている時のアラシに野生を感じることはない。私は最後までこの食事方法を崩さなかった。

時に与えすぎて食べきれない食物をアラシは庭に埋めていた。
鼻先で地面を掘り、そこに食料を置いてから土をかけなおす、これで秘密の食料庫完成だ。
しかし私の見逃しかもしれないが、ここから掘り出して再び食べる場面を見た事がない、物の本によれば埋めた先を忘れてしまう例もあるようだ。
これが犬の本能というものだろう、実に犬の食欲は旺盛、悪く言えば意地汚いほどもっともっとと食べ物をねだる。
食い意地がはっているという見方もできよう。
しかし遠く祖先をたどれば、食料の確保は生きてゆくための絶対・必要最低限の生存条件である。場合によって餓死もあり得るのだ。
どうも犬の祖先は人間の周りにいれば食料に不自由しないことを掴んだ、その為には人間に愛される事や人間の役に立つ事が必要だという事も学んだらしい。
かくして、人と犬は共存の方向に進んだ。
その延長線上に牧羊犬、狩猟犬が生まれ、更には盲導犬や災害救助犬、警察犬や麻薬の取り締まり犬まで活躍するに至った。
だがそうした環境でも飢えの恐怖は本能から絶えずある。今日は満腹食べられても明日の食料は保証されない事が刷り込まれている。
犬は意地汚いのではない。本能がそうさせるのだ。
 
 

【9・本当にお利口さんだった】

アラシは手間のかからない犬だった。
例えばそう頻繁ではなかったが風呂場でのシャンプー、おとなしく体を洗わせた。
結構頻繁なブラッシング、長時間はさすがにいやがるがおとなしくブラシを受けた。
時たま動物病院に行くのだが、病院の玄関でどうしても入りたくないと脚を突っ張って抵抗するワンコもみたがアラシは嬉々として入ってゆく。
     
 
ひとつだけ気がかりだったのは”花嫁”を与えられなかった事だ。私と暮らしてから交尾はゼロであった。
そのせいか時折こちらの脚に両手をからませ、腰を動かす事も再三あったが致し方あるまい。美男子だっただけに子孫を残してあげたかった。
このアラシは夏を迎える前は必ず毛を短く刈り込んだ。
暑い夏を快適に過ごさせる意味があったが、心臓への負担を少なくするために”そうせよ”との動物病院からの強い指導もあった。
大体6月に刈り込んで、11月には元に戻る、こんな感じであった。短く刈り込んだアラシはよく「柴犬」と間違われた。若々しくなってこれはこれで可愛い、しかし私はポメ本来の「小型ライオン」とでもいうフサフサの毛並みが本当は好みであった。
  

でも数年これを繰り返しているうちに「一粒で二度おいしい」キャッチフレーズを思い出し、この様相の変化も十分に楽しんだ。
*ポメ仲間の情報交換では「短く刈ったら戻らなくなった」もあった。アラシはそんな事はなく半年後にはフサフサになっていた。

アラシをよく外出に同行した、アラシも車が大好きであった。
助手席のシートで後足で立ち上がり窓を開けさせて外を眺めるのが好きであった。大潟村に菜の花と桜が咲く頃(ちょうどGWの頃)は毎年出かけていた。アラシの元には色々な人が寄ってきて「可愛い」「触らせて」と来るのが嬉しかった。またアラシもそうさせるのが嬉しいらしく、されるがままになっていた。
  

目が不自由になってからここ1~2年は留守番させることになったが、大潟村にくるとアラシの躍動的な姿を思い出す。
アラシの住む地元では7月20~21日が名の通った有名な祭りだ。山車が出てそこそこで秋田民謡、踊りが披露されて大変な人出となる、露店もビシッと並ぶ。ここにも必ず一緒に行った。
 

そこかしこで「可愛い」の声があがる、それが嬉しい。犬好きの人はかがみこんでアラシが顔をペロペロ舐めるのを許している。
露店で焼鳥を買い求め分け合って食べる、それを毎年繰り返した。
 


しかし出かける時に「アラシは留守番」の時も当然ある。それは雰囲気で分かるようだ。
犬によってはこの置いてきぼりの不満から普段はしないオシッコをしてはいけない場所でしたり、連れて行けと騒ぐ犬もいるらしい。
アラシはそんな事は一度もなかった。
今日は留守番なんだと分かるとおとなしく見送るのであった。


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