アライグマランド

ハードコアラ。

YUKI !! 紅白!!

2012-11-27 20:28:11 | 音楽
土曜日、アートな会合、久しぶりの飲みすぎで
時間を一切気にすることなく
気付いたら3時。
楽しく過ごしてしまいました。

それはそうと、
今年のNHK紅白。YUKIさま出場決定しました。
紅白なんて、という声もあるかと思いますが
YUKIさまファンのワタクシはただただうれしい。
それだけで飲みたいぐらい。

きっと曲は
Hello!→JOY だな。年末ド派手にやっていただきたい。













コートとマフラーを買う。

2012-11-21 21:15:24 | 音楽
年々、派手好きになっていくのは、果たしていいことなのでしょうか。ワタクシ。

you tube hard coaraに続けてアップ。

①昨年のエキビジヨン「自然浄化」ライブから
 「DNA CONTROL」
 かつて、富山市民プラザの空間造形展に
 ドローイングとともに流していた音源。
 30分のループカセットテープに入れたものですな。
 このゆったりさが、結構好きだったりする。




②raison d'etre ver.2.0 4×4×3 neutral production展
 でのライブ。
 1996年?。早いなあ。
 ひたすらに30分ノイズを出してます。



 

秋服を着る隙もなく冬服へ

2012-11-18 13:11:17 | 音楽
久しぶりにyou tube hard coaraアップしました。

2006年、砺波市美術館
neutral production展覧会「色/空」siki/kuu 会場でのライブ。
25分やってるねえ。
neupro-y氏との演奏は、このライブにおいて、ひとつ電流が走る。
今回はマイクを握りヴォイスまで出した。即興のダイナミズム。
また、このスクリーンに囲まれたシチュエーションでの演奏、
neupro-h氏の激しい光量のシンクロ映像と、
面白いライブとなった。



YUKI BETWEEN THE TEN 

2012-11-12 21:16:31 | 音楽
ソロデビュー10周年記念
カップリングコレクション。

ここ数年、YUKIにやられまくっているワタクシですが
今後もやられていく予想です。

10周年記念の東京ドームライブDVDも12月に発売。

BSプレミアムで放映されたライブ映像を見てしまったワタクシは
買わないわけにはいきません。


ああ幸せ。













ニイガタ② ZAZEN BOYS TOUR MATSURI SESSION 2012 新潟CLUB RIVERST

2012-11-11 20:51:05 | 音楽
とにかく見たかったわけです。zazen boys。
今のバンドの中では、
突き抜けてます。


新潟のCLUB RIVERST、ハコ、大きいんだろうと思って行ったのですが、衝撃!!。小さい!!。
ちょっと出遅れて会場入ったのですでに最前列は埋まってる。
腰痛再発中なので、支えが欲しいのは必然。
最後列と、前の端の方だけど角度で全体見えない場、どちらを選ぶって。
極力、前の方だろう、僕的には。
というわけで、
バンドメンバーの半分、向井秀徳と吉田一郎しか、見えませんでした。
柔道2段松下敦とgカシオメンは見えてません。
それにしても大満足でした。

まあ、曲途中、向井秀徳のブレイク入りまくるんですが
過剰に脱線してるのか、過剰に遊んでるのか
何とも表現しようがないのですが
何の曲だったかと。
突然、曲に戻ったり。
相当なテンションと相当な緩さ。
そんなことができるのは、ZAZEN BOYSぐらいでしょう。
旧曲も「すとーりーず」の曲も
アレンジされまくり。
バンドの強度が半端でないわ。

すごいわ。もう笑うしかないわ。
とにかく機会あれば、また見たい



ギター カシオメンのサイン頂いて帰ってきました。









ニイガタ① 「smile」 大友良英×飴屋法水 水と土の芸術祭にいがた

2012-11-11 16:51:23 | 美術
そもそも、このドライブ嫌いの僕が
片道3時間も運転するのは
目的があってこそで、
しかも、それは強力でなければならない。
11/10はそれを満たす日となった。




僕の精神的師匠である、お2人のプロジェクト。
音楽家としての大友良英。美術家としての飴屋法水。
であったと思うが、ジャンル分けとか関係なくなってきた。
やはり、ともに、考えていることがとても、純粋な、確固たるもの。
どうしても見に行きたかった。

「水と土の芸術祭にいがた」の。
大かまぼこなる巨大なメイン会場。
それは、かつて、万代島で、せりが行われたり、保管庫があったりした場所。

巨大なセットが展開されている。
日本人が経験した3.11の、津波を意識した作品であろうことは、
もう見ればわかるのであるが、
それはもう、言葉を失う。
生活していた感や、そこに仕事していた感というものが、
例えば、ごろっと転がっている大量の電化製品や大量の靴や
家の柱や、がれきの塊の中にあるピアノ。
小学校、車、漁場(かつてあったという意味ではまさにそう。)
生活の喪失(生の喪失)=それまでsmileがあったんだということ。
その会場から見える、漁港、灯台、港と海の境目。
おだやかで、かもめが飛ぶ、海、すら。

柱だけの状態となった家のようなものに足を踏み入れ。
別の建物の2階からそれを見る。
全然違う。
けれど、何だ、この2階から見る危うさ。
僕、2階にいたら助かったの?。
たくさんの人々が、たくさんの、
それぞれの状況にいた、視点で見た。ということ。



この人は、おそらく、自分の評価がどうこうとかない。
作品がどうこうとか、ない。
体験者へ直接つなげる。
飴屋法水の作品は、僕には、突き刺さる。
美術作品として、どうこう、という感想は、何の意味もない。
とにかく突き刺さるんだ。