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15-2.紫式部の育った環境 弟、 惟規(のぶのり) (紫式部ひとり語り)

15-2.紫式部の育った環境 弟、 惟規(のぶのり) (紫式部ひとり語り)

山本淳子氏著作「紫式部ひとり語り」から抜粋再編集

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弟、 惟規(のぶのり) つづき

  肩書は男を恰好よく見せるものだ。惟規は六位蔵人になってから、私の気に食わない女と深い仲になり、手紙など交わし合っていた。賀茂の斎院に住む大斎院選子様のもとに仕える女房、斎院の中将だ。

  彼女が惟規によこした手紙を家の者がこっそり盗み出して私に見せてくれたことがあったが、実に鼻持ちならない内容だった。我こそは世の中で唯一ものの趣を理解する深い心の持ち主、誰とも比べ物にならぬ、すべて世の人は思慮の「思」も「慮」も無いとでも思っているようで、私は読みながら腹が立ってならなかった。
  おまけに自分の主人である選子様をほめちぎり、「素敵な和歌などは、わが院選子様以外にお分かりになる方など誰がいようか。世に素敵な女房が登場するとしたら、それを見抜けるのはわが院だけ」などという調子だ。

  なるほど選子様はご立派ですからそれももっともでしょうけれど、そんなに自慢する斎院女房集団の割には、あそこで詠まれた和歌に特に名歌らしきものもないのは、どうしたことでございましょうね(「紫式部日記」消息体)。

  惟規は彼女が住む斎院に夜な夜な通い、局(つぼね)にも潜り込んでいたようだ。ところがある夜、それを斎院の警備の者どもに見つかり、名前を聞かれても黙っていたのだまずかった。「怪しい奴」と門を閉められて、弟は外に出られなくなってしまった。  
  中将の君は途方に暮れ選子様にお願いして、ようやく惟規は解放されたのだという。その時惟規が詮子様にお礼を詠んだ歌が、世に流れて知られている。

   神垣は 木の丸殿に あらねども名乗りをせねば 人咎めけり
  神垣(神域を他と区別するための垣)

   [畏れ多くも神のまします斎院は、遥か昔にあの中大兄皇子が歌に詠んだ「木の丸殿」ではありませんか、名を聞かれても名乗らないとお咎めを受けるという点では、やはり同じだったのですね。]
   (「金葉和歌集」三奏本雑上540番)

  「木の丸殿」は、斉明天皇が朝鮮半島出兵で筑前国朝倉郡に滞在された、仮御所のことと伝えられている。急ごしらえなので、木材を丸太のまま組んで造ったのだろう。中大兄皇子は行幸に随行していた。

  そして、「朝倉や 木の丸殿に 我がをれば 名乗りをしつつ 行くは誰が子ぞ(朝倉の木の丸殿に私がいると、皆が次々名乗って通り過ぎてゆく、さて、どこの家の子たちかな)」と歌を詠まれたのだという(「新古今和歌集」雑歌中1686番 天智天皇御歌)。

  古代より、自分の名前を告げることは相手に従うことを意味した。戦地に向かう状況とあれば、なおのことである。弟はどこで仕入れたのかこの歌のことを知っていて、「あの話と一緒ですね」と、警備の指図に従わなかった自分を詫びたのだ。誰でも知っている歌ではないので、弟の博識は選子様をも驚かせたという(「今昔物語集」巻二十四第五十七話)。

  本当にあの子ときたら、こういう恋だの歌だのは一人前なのだが、五位ともなればもう、見かけ倒しの通用した六位蔵人とは訳が違う。これからは、位相当の仕事を着実にこなしてゆかなくてはならないのだ。いったいどうなることやら。

つづく
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