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4.紫式部の恋 白居易の詩と紫式部の宣孝への思い歌(紫式部ひとり語り)

4.紫式部の恋 白居易の詩と紫式部の宣孝への思い歌(紫式部ひとり語り)

山本淳子氏著作「紫式部ひとり語り」から抜粋再編集

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唐の白居易の詩と紫式部の宣孝への思いの歌
 晩桃花
一樹の紅桃 たれて池を払ふ
竹遮り松蔭(おほ)ふ 晩(おそ)く開くの時
斜日に因るにあらずんば 見るに由なし
これ閑人ならずんば 豈知るを得んや
寒地、材を生じて 遺ることやや易く
貧家、女を養ひて 嫁ぐこと常に遅し
春深く落ちんと欲するも 誰か怜れみ惜しまんや
白侍郎 来たって一枝を折らん

現代語訳

   [一本の桃の木が、池の水面に枝を差し伸べている。
   上で竹が光を遮り、松も覆いかぶさっている。遅咲きの桃はやっと咲いたというのに。
   夕暮れの日が射さなければ、暗くて目にも留まらない。
   私のような暇な詩人でもなければ、この花はみつけられまいな。
   そうだ、人間にも似たことがある。低い家門からは逸材が出てもなかなか拾われないし貧しい家の娘は、必ず嫁ぎ遅れるものだ。
   春遅く、花はもう散りそうなのに、憐れみ惜しむ者は誰もいない。
   ならばこの私、白居易が一枝折って、家で愛でてやろうではないか。]
     (「白紙文集」巻五十八 2823「晩桃花」)

  白居易のこの詩「晩桃花」は、散歩中に遅咲きの桃の花をみつけたという、ただそれだけの詩だ。だがその花は、陽の当たらない可哀想な場所でやっと咲き、しかし誰にもその美しさを愛でられないまま散りかけている。白居易はその姿に、貧しい家の子女たちを思うのだ。
  能力があっても出世できない男子、まるで私の父ではないか。そしてどこにも嫁の行き手がないまま歳をとる娘。私は自分のことを言われたように思う。詩人白居易は、手を差し伸べてその桃を一枝、大切に折る。桃の花は、初めて人に愛されるのだ。

  私はこの詩を心に置いて、桃の花の歌を詠んだ。

    桜を瓶に立てて見るに、とりもあへず散りければ、桃の花を見やりて
    折りて見ば 近まさりせよ 桃の花 思ひぐまなき 桜惜しまじ

    [瓶に立ててあった桜が、見る間に散ってしまった。それで桃の花に目をやって  桃の花よ、そうして手折られ、彼の愛を受けたなら、もっと頑張って咲きなさい。つれない桜に未練なんて、私は持たないわ。宣孝さん、あなたはどうかしら。] 
    (「紫式部集」36番)

  私はこの歌で、私という晩桃花を励ましたのだ。誰の目も引かなかった私だけれど、「結婚して馴染んでみたら、恋人時代に思っていたよりもいい女だった、見直したよ」などと言われて、愛されたい。彼の別の女たちよりも。

  宣孝はここまで分かってくれたのかどうか。でもこう詠んで返してくれた。

   ももといふ 名もあるものを 時の間に 散る桜には 思ひおとさじ

   (桃の名は「百年(ももとせ)」の「もも」にも通じるだろう?百年添いとげよう。移ろいやすい桜より軽んじたりは、しないよ。)
   (「紫式部集」37番)

  かつて私は自分を「永久に解けることのない雪」と詠んだ。そんな心の持ち主だった私に、やっとささやかな花が咲いた。

  だが、花はみな等しく散る。咲けば散るのが定めなのだ。私の花もあっけなく散った。結婚生活はわずか三年で、長保三(1001)年、宣孝は死んでしまった。

次回「喪失」につづく
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