一人人海戦術

世界の3%くらいの人に納得してもらえばいいかなと考える、オメガ・ブロガーを目指してみようか。

代理母出産を非難する資格について考えた

2006-10-19 23:57:28 | 宗教と思想
もしも、非難する資格というものを真面目に考えるとこの件は大変なことになることに気がついた。つまり、非難の対象とほぼ同じ境遇に我が身を置かなければ自分のことは棚に上げてという、いわゆるダブルスタンダードになるからだ。

同じ境遇になるためには、まず、男性の場合、去勢しなければならない。女性の場合、子宮と卵巣を除去しなければならない。それだけでは不足のときもある。すでに自分の子がいる場合、殺しておかなければならない。さらに孫でもいたら、これも殺さなければならない。一卵性双生児の双子でもいればそれとその子孫も殺しておかなければならない。自分の兄弟姉妹がたくさんいる場合は何人か殺して数を減らす必要もある。

そうして自らの遺伝子を後の世に引き継ぐ望みを完全に絶ったとき、初めて代理母出産を選択した人物と同じ土俵に立つことが出来る。はっきり言ってそんな土俵には私は立ちたくは無い。よって、代理母出産を非難する資格は代理母出産を選択するしか自分の遺伝子を残す道が残されていない人たちくらいしか持たないと考えられる。そうでない人物は出産する人の健康のみを案じていればいいのではないだろうか。
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2 コメント

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私的には… (チキソ)
2006-10-22 00:09:54
代理母は私的には認めてもいいのではないかと思っているのですが、やはり倫理上・公的に考えると認めてはいけないと考えています。

理由は、代理母を認めると「苦しい思いをしないで赤ちゃんを産む事」となり、「自分の体」から生まれた「子供」ではないつまり哺乳類の動物に反する方法で産む事となり、生物学的に子供に対して本当の「愛情」が生まれるのかという疑問が生じます。

それに自分の親に産ませるという方法では親から生まれた子供、つまり「兄弟」ということとなってしまい、ややこしくなってしまう事、他の人に産ませるという方法でも法的に生まれた子供は生んだ人の子供となってしまうなどの諸問題が生じてしまいます。

確かにどんな理屈を言ってもダブルスタンダードと呼ばれるのは仕方ないです。しかし、代理出産を認めると社会的・生物学的な倫理観が希薄となってしまい、「人」は「ヒト」でなくなってしまうので自分は代理出産には反対します。
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追記 (チキソ)
2006-10-22 23:44:50
小説を更新しました。良ければ見に来てください。
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