真珠

深海の真珠は輝かず。

ホリエモンとユダヤ人

2005年08月13日 | 時事評論

 

ライブドアの社長、堀江貴文氏すなわちホリエモン氏には何かユダヤ人と共通する点があると思う。これは一見奇妙な連想に思われるかも知れない。ユダヤ人はその宗教的な理由から彼らの言う異邦人の社会になじめず、既存の体制、社会から絶えず抑圧され迫害を受けてきた。そして、ホリエモン氏がテレビや新聞などのマスコミに登場し、そこで発言するのを聞くにつれ、総体的に浮かび上がってくるのは、いわゆる既成秩序というか既成体制に対するホリエモン氏の反感のようなものである。ホリエモン氏はネクタイを決して締めない。それは氏に似合わないということもあるかも知れないが、同時に彼にとってネクタイは搾取の象徴のように受け取られているらしいことである。horie

ホリエモンとユダヤ人も何らかの理由で、共同体から疎外されてきたこと、その結果として、共同体に対してかなり屈折した感情を持っているらしいと感じる。ホリエンモン氏の生育環境について詳しいわけではない。氏はかって、「この世で金で買えないものはない」と発言したそうである。そして、家賃二百万円とかの豪壮なアパートに住んでいる。もちろんそんなことは、成金趣味の下品な行為にしか見えず、インドネシアのスカルノ元大統領の愛妾だったデビ婦人の成金特有の悪趣味と同じように不愉快にしか思わない。


堀江氏は大きな富を所有している。しかし、彼にとって彼の富は、ちょうど貧者のあるいは疎外者の裏返しの富であって、多くの場合、貧困に悩み、そのゆえに社会から疎外されてきたことに対する一種の見返しの手段としての富のように思われることである。彼は、その富によって、かって彼を疎外し仲間はずれにしてきた(時にはいじめにも遭ったのかもしれない)社会、あるいは学校に意趣返しをしたいのかも知れないと思った。ユダヤ人に金持ちが多いのも論理的には同じ理由によると考えられる。これは私の直感的な印象であって、明確な証拠があるわけではない。


ただ、はっきりしていることはホリエモン氏には国家や民族や地域社会といった共同体に対する親愛感というものがあまり感じられないことである。これは韓国のマスコミに、日本企業の買収を勧めたことにも現れている。ここには、かって教育大付属池田小で多数の児童を殺傷して死刑になった宅間守や神戸児童殺傷事件を引き起こしたサカキバラ少年に共通する土壌があるのではないだろうか。社会や国家に対する敵意や憎悪が犯罪という行為にまでいたらなくとも、既存の体制を自分の信じる金の力で変えたい、それによって、かって自分を見下した社会に意趣返しをしたい。そういう潜在意識がホリエモン氏にあるのではないだろうか。


これも現代資本主義に特異な社会現象のひとつだと思う。しかし、一方で資本の論理によって社会のグローバル化がいっそう進展してゆくことが予想される中で、こうした事件は、ホリエモン氏のように取り立ててニュースに取り上げられることもないくらいに、いずれ日常化してゆくことが予想される。あるいはすでに日常化しているともいえる。今回は、買収の対象がフジテレビであったこと、堀江氏がたまたまマスコミの「寵児」だったことによる。事実、この事件を契機に、ホリエモン氏の兄貴分である、ソフトバンクインベストメントの北尾氏の存在が明らかになった。


グローバリズムは国家や民族の垣根を取り払う。そこには多くの場合、剥き出しの資本の論理が現れる。二十一世紀の国家と民族が直面せざるを得ないひとつの問題であるといえる。


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