真珠

深海の真珠は輝かず。

ホリエモンとユダヤ人(2)

2005年08月13日 | 時事評論

 

もちろん、グローバリズムの否定的な側面のみを強調するのは、公平な見方ではない。物事は弁証法的に見なければならない。すなわち、物事には肯定面もあれば否定面もある。逆に伝統的なもの民族的なものがすべて無批判に肯定すべきもの優れたもの、すべて保守すべきものという見方も一面的に過ぎる。


むしろ、多くの場合、社会や人類は過去や伝統を否定しつつ発展してゆくものである。特に、日本の伝統や過去の文化、習俗に不合理なもの不効率なもの、不平等なものなども少なくない。たとえば、太平洋戦争前に存在した小作人制度や貧困からくる人身売買にも等しい公娼制度、これは江戸時代から続く日本の悪しき伝統以外の何ものでもない。もちろん、封建社会には、現代のような衆愚政治はなかったかも知れないが、その権威主義、事大主義、身分制の不自由は今では想像もできないものだろう。福沢諭吉の自叙伝などを読めばその消息もよくわかる。


ホリエモン氏のグローバリズム、その変革の意思にも肯定的な側面をみなければならない。彼は現代日本の抱えている多くの不合理、不効率を必ずしも明確に理論的に、あるいは思想的にきちんと定式化して、改革しようとしているのではないかも知れないが、彼がいわば本能的に直感的に示している改革の意思は、肯定的に評価できるものも少なくない。それは、日本の政治や行政の現実が多くの点で、国際的な標準にも達しておらず、それが国民や消費者の一般的な利益に反しており、一部の利益団体や既成団体の既得権益を守るだけのものになっている場合も少なくないからである。

日本がアメリカの国務省の人身売買監視室から、強制労働や性的搾取に関する行政の取り組みが不十分であるとして、監視リストの対象になっているように、グローバル化することによって、日本国民が国際的な福祉水準に達するという側面も少なくないということである。むしろ、グローバル化が日本国民にとって一般的な利益になる場合が多い。


IT技術や国際電話、また、今回ホリエモン氏が参画を狙っている、マスコミや放送は、まだまだ規制の多い分野であり、もっと自由に開放することが、国民の利益になる場合が少なくない。テレビ、ラジオ、新聞その他のマスコミ関係にも、ホリエモン氏のような成金趣味の人間であっても、自由に参入し、その競争の中で、国民が取捨選択する選択肢が増えたほうが、業界、国民の双方にメリットとなる。ホリエモン氏がフジテレビの筆頭株主になって、その「支配権」を牛耳るかどうかは別にしても、多くの新しい挑戦者が、テレビ、新聞、ラジオなどの沈滞化し停滞した業界に新風を吹き込むのは、むしろ歓迎すべきであるのかも知れない。

また、ホリエモン氏が乗り込むことによって、崩れるような企業の文化、伝統といったようなものなら、所詮その程度のものとして崩壊したほうがましだともいえる。



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