1569年6月1日(永禄12年5月17日)
駿河の大名、今川氏が滅亡。
かつて、東海の小京都と 呼ばれ、今川義元支配下の駿河国(現在の静岡県地方)は、大いに繁栄していました。
しかし、1560年 永禄3年に今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に敗れてからは、人質だった松平元康(徳川家康)の独立、近隣土豪の離反などで弱体化し、北の甲斐からは武田信玄、西からは徳川家康が攻め入る事態となり、後継者の今川氏真は領国を守りきれず、永禄11年に掛川城に逃げて籠城。
約半年間耐えましたが、包囲する徳川家康は今川氏真の助命と伊豆への退去を認めて掛川城を開城。
氏真は夫人の実家である相模、北条氏へと逃れ、戦国大名としての今川氏は滅亡しました。
ただ、今川氏真は京都の公家や富豪と得意であった和歌、蹴鞠、茶道などで珍重され、仇敵だった織田信長が上洛した際は蹴鞠を披露するなど、たくましく生き延び、晩年は徳川家康も何かと世話をしました。