見出し画像

日本歴史紀行

歴史 今日の出来事 2月22日 推古天皇30年 2月22日(622年4月8日) 摂政 聖徳太子 逝去



叡福寺 太子廟
大阪府南河内郡太子町 叡福寺




叡福寺 二天門

叡福寺の創建は、西暦620年(推古天皇28年)、聖徳太子が民情視察を兼ねて愛馬 黒駒で駆けていたところ、磯長(しなが)の地を気に入り、自らの墓所とすることを決めたことから始まります。






翌年の621年(推古天皇29年)、太子の生母、穴穂部間人皇后が病に倒れます。太子と正室 膳部苔岐々美郎女(かしわでのほききみのいつらめ)の必死の看病も実らず帰らぬ人となり、磯長の地に埋葬されて円墳が築かれました。


年が明けて622年(推古天皇30年)
続いて太子と妃も病を発症して倒れました。
2月21日、妃が亡くなり、翌日 2月22日には太子自身も帰らぬ人となりました。余りに早い病の発症から伝染病かと思われます。


太子廟





太子が生前に墓所と決め、母が葬られた磯長の円墳に太子と妃も共に埋葬されます。


叡福寺 金堂




ひとつの円墳に三者が共に埋葬されたことになり、推古天皇は、太子の霊をなぐさめるべく、墓守を配し、坊堂を建立して香華寺としたのが始まりとされています。




ランキング参加しています。応援お願い致します!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「歴史 今日の出来事」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事