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日本歴史紀行

歴史紀行 特別編 13 ‐ 2 日露戦争〜日本海海戦 2

日露戦争〜日本海海戦 2

記念艦 三笠 主砲


旅順港ジオラマ模型


日露戦争開戦までの流れ

明治28年〜
日清戦争戦勝後、日本は清国との講和会議で、台湾、寮東半島(現在の中国最東北部〜北朝鮮との国境付近)の割譲、賠償金の獲得を獲ましたが、ドイツ、フランス、ロシアの三国による横槍が入りました。

三国は、日本が戦勝したとしても、寮東半島を割譲されて有することは、アジア大陸全体にとって極めて憂慮する事態だとして、清国に返還する様に強行に求めました。

これが三国干渉です。

三国相手に軍事力で対抗できない日本は、やむなく割譲を断念します。

しかし、ロシアはこの隙を突いて、日本が去った後で軍を大陸南下させ、寮東半島をにまで侵出し、軍事基地などを設置し、さらに朝鮮半島にまで進出、影響力を拡大させました。

朝鮮半島にまで南下してくるロシアに、近い将来、日本を脅かす重大な脅威となると見た人物が山本権兵衛(山本ごんのひょうえ、後の第16代内閣総理大臣)です。

海軍大臣 西郷従道(西郷隆盛 実弟)を補佐する大臣副官〜山本権兵衛は日本海軍の増強と人事刷新と優れた人材育成が急務と主張し、海軍大臣 西郷は、山本の達観を信じて後任の海軍大臣に推挙し、海軍大臣となった山本は、その人事権を行使して、日清戦争時、数々の海戦で戦果を挙げ、戦後、舞鶴鎮守府司令長官の要職にあった東郷平八郎を連合艦隊司令長官に抜擢しました。

そして…
1904年 明治37年2月6日、日本からロシアに対して国交断絶が通告され、日露戦争が開戦となります。

3に続きます。







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