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日本歴史紀行

歴史紀行リバイバル 20 偉人の言葉〜山岡鉄舟 維新の締めくくりは、西郷と俺の二人であたったのだ。





山岡鉄舟


【 維新の締めくくりは、西郷とおれの二人であたったのだ。】

薩摩、長州、土佐、肥前 、維新の勝ち組が明治新政府の要職を跋扈する中、旧幕臣でありながら、西郷隆盛に是非ともと請われ、西郷と10年間の期限の約束で、明治天皇の侍従を務めた山岡鉄舟。

侍従を10年務めた後、皇居を去るにあたり、山岡に勲三等の叙勲が決まり、持参した外務卿の井上馨に、言い放った言葉。

この前後のやり取り…

勲章を持参した外務卿 井上馨。(井上は勲一等を叙勲していた。)

山岡
返上するから持ち帰れ。


井上
俺も丁稚(でっち)の使いじゃない! このまま帰れるか!

山岡
お前さんが勲一等で、俺に勲三等を持って来るのは間違っていないか。

勅命と言っても、お前さん達が勝手に決めたことだろう。

【 維新の締めくくりは、西郷と俺の二人であたったのだ。】

俺から見れば、お前さんなんか褌(ふんどし)担ぎじゃねえか。

褌担ぎのくせに、自分より下の勲章を俺のところに持って来るなんて、とんでもねぇ間違いだ。

そう言い放って井上を帰した山岡は、最後まで叙勲を拒否。

ただ山岡の没後、勲二等旭日重光章が追勲されました。





後に井上馨は、山縣有朋と並ぶ長州閥の巨頭となる。

維新が成り、明治新政府では西郷隆盛、江藤新平らの様に目立つことはせず、ことごとく対立する政権内部を上手く乗りこなし、井上は、三井財閥との蜜月ぶりを西郷隆盛から三井の番頭さん。と皮肉られました。




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コメント一覧

aoikitakaze4390031
@kikokikonoriko19888888 こんにちは。
長州閥の弊害は大東亜戦争直前の田中義一内閣まで続きました。

山岡鉄舟は、薩長ら新政府の築いた政権の叙勲には興味なかったのでしょうね。
kikokikonoriko19888888
政治のことはまるで雲の中なので、政治アホですが
長州藩はじめ、維新の勝組が、
延々と、派閥のようになって、、今日も
政治にかかわってゆくという、世襲制の考え方が、、
同族結婚の遺伝子のように、、正常域を逸脱した考えに
収斂すると考えると、
仲間内は秘密が守れるわけですから、、、便宜を図り、
裏金問題など、氷山の一角のように思えてきます。
政治は,清濁併せて、、蛇行しながら,、、弐枚舌の
蛇のような蛇行歩行で、進んでゆくのかもしれませんね。もともと幕臣の山岡鉄斎は清廉潔白な一途な人物が 叙勲にこだわるのがわかるような気がしますが、世の中は国民目線を誘導してゆくのも政治の一環のように思えて来る記事ですね。考え込んでしまいます。
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