駿府城巽櫓
【歴史めぐり 街物語】について
出先で記事を投稿する際は、資料が手元にある自宅と違い、年代や詳細を間違え兼ねないこともあり、つい帰宅してからにしようと考え、結局のところ、訪ねながら紹介していない史跡がかなり有ります。
それらは、部屋から資料等に目を通し、じっくりと掲載したいと思います。
今回のカテゴリは、あの町といえば、あの城、あの寺、あの神社…といったランドマーク【土地の象徴的なもの】的な史跡を掲載したいと考えました。
例えば…東京都なら、現代のランドマークといえば、【東京スカイツリー】でしょうね。
その土地の印象的、象徴的な史跡をぼくの考えなりに掲載してみようと考えました、
まずは、普段から最も足を運んでる静岡市葵区からです。
駿府城
静岡市葵区追手町
1600年慶長5年、関ヶ原の戦いで勝利し、事実上の天下人となった徳川家康は、征夷大将軍となり、江戸に幕府を開いたものの、将軍職はわずか二年間で息子の秀忠に譲り、自らは駿府城で大御所として、政治の実権を握りました。
駿府城は、家康が19歳までの少年時代から青年となる多感な年頃の時に、人質の身ながら様々な悲喜こもごもある思い出と共に暮らした今川氏の館跡に1586年、天正14年に築城し、一度、豊臣政権時に中村一氏の居城となった後に、家康が自らの隠居城として改修しました。
静岡浅間神社
静岡県静岡市葵区宮ヶ崎
静岡浅間神社は、静岡県の名前の由来ともなった賎機山(しずはたやま)の丘陵南端に鎮座する駿河国総社で、神部神社、浅間神社(二社同殿)、大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)の三本社、四摂社の総称で、地元の参拝者は【せんげんさま、せんげんさん】と通称で呼ぶこともあります。
浅間神社は、平安時代の901年(延喜元年)醍醐天皇の勅願により富士山本宮浅間大社から勧請したもので、主祭神は天孫、瓊瓊杵命(ににぎのみこと)の妻と伝わる木花咲耶姫(このはなさくやひめの)命です。
古来から朝廷をはじめ国司が度々参詣し、平安時代以降は歴代のあらゆる武将等の崇敬も篤く、浅間神社は、去年の大河ドラマ【どうする家康】の主人公〜徳川家康(松平竹千代)が浅間神社で元服、駿河国太守の今川義元が烏帽子親として務めました。
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