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日本歴史紀行

歴史紀行 75 - 2 源頼朝、義経 対面石 2




源頼朝、義経 対面石
静岡県駿被害郡清水町八幡 八幡神社境内



治承四年(1180年)十月、
顔さえ知らぬ兄上に一刻も早く逢いたいと、逸る気持ちを抑えるに必死な義経は、高祖父〜八幡太郎義家も通りし、勿来(なこそ)の関を越えました。


いざ坂東に入ってみると、源の右兵衛権佐殿(うひょうえのごんのすけどの〜源頼朝のこと)は、安房の国に上陸すると、瞬く間に下総(しもうざ)国、上総国で千葉殿、上総殿と多くの味方を獲て、尚も武蔵国でも沢山のお味方を加えて大軍の将となられ、鎌倉を目指されたと伝え聞いて鎌倉に入ると、佐殿(〜すけどの)は下向してくる平家の大軍を迎え討つべく、駿河国へ向かわれたと聞き、鎌倉での滞陣もそこそこに、富士川の戦いの最中であろう兄、頼朝への対面を心待ちに駿河国を目指します。


義経の生涯について記された伝記〜【義経記〜作者不詳】によると、「義経、黄瀬川陣」の 図にて描かれた義経は【赤地錦の直垂(ひたたれ)】、【白の狩袴(かりばかま)】、【鹿の夏毛の毛沓(けぐつ)】、【紫裾濃(むらさきすそご)の鎧】に、【錦包みの毛抜き形の太刀】、【 黒漆の草履】、【 捩(ねじ)り鞭】といった鮮やかな軍装で、黄金の王国、平泉の王、藤原秀衡が多額の軍資金を持たせたことが、この事からも伺い知ることができます。

3に続きます。










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