青い、そらのカケラ

私の大切な毎日。

いじめ問題について

2006-11-30 18:14:00 | 思うこと。
最近いじめ問題がよくニュースで取り上げられているね。
ヤンキー先生として一時期ドラマにもなった義家弘介先生が、今朝もTVに出ていました。
私はあの先生がとても好きです。
まっすぐに、どんと生徒にぶつかっていくから。
もちろん私が見ているのは義家先生のほんの一部分だけで、だからそれだけでそんなに色々言えたものじゃないけどね、でも数冊読んだ本の中でも、HPの中でも、私はどうしても暖かさを感じずにはいられません。私がまだ自分で自分の道を歩いて行けない年齢であったとしたら、間違いなく、この人は味方だ、と思うと思う。迷いなく、そう思えると思う。だからどうしていいかわからなくなっている子供たちが必死に助けを求めているのだと思うの。私はね、そう思う。

私もいじめられていました。
保育園の時から小学校にあがっても、養護学校へ転校するまでそれは続きました。
ほんの幼い頃に私も、突発的に、でも真剣に死のうと思ったことがあります。それくらい辛かったの。死ななくてよかったと、本当に思います。あの時の心の衝動は、今思い出しても恐ろしいものです。自分で自分をコントロールできなかった。怖かったのです。本当に。

いじめられている側にも問題がある、という意見もわかります。そういう場合もあると思います。だけど当人にとってみれば、今いる渦の中からどうやって抜け出すか、どうしたら抜け出せるのか、どうにもならない気持ちを必死に抱えながら毎日ただ時が過ぎるのを待っているのです。私はそうでした。考えてみてください。例えば気に入らない部分があるからといじめにあっているとする。それじゃぁと、例えばその部分を本人が改善したとして、それでいじめが終わると思いますか。私は思いません。それはただのきっかけであり、理由を求められた時の用意された言葉であり、いじめという動き出してしまった現実はそう簡単には終わらないと思うのです。その中で自分を責めて責めて、自分の存在すら否定しはじめて、どうにもならない気持ちを抱えたまま誰かに誰かに必死に助けを求めているのです。

いじめの問題って難しいと思う。
どうしたらいいのか、私にもわかりません。
私の場合、小学校の先生は何の力にもなってくれなくて、
親も何の力にもなってくれなくて、
ただ私がひとりで必死に耐えるしかなかったの。
だから先生に期待はしていなかった。
ただ、隣の席の男の子は私を守ってくれました。仲良しの女の子数人も守ってくれました。私の場合はそういう友達がいたから、救われていたと思う。完全に孤立していたわけじゃないから。
誰か一人でも、自分のことを信じてくれて、頑張れと言うんじゃなくて、辛いねと、頑張っているねと、抱きしめてくれる人がいたら少しは救われると思うのです。こういう状況で頑張れっていうのは冷たい言葉だと思うの。他人ごとだから。頑張ってるねって、頑張ってるのはわかってるよって、私はそう言ってほしかったから。そして一緒に考えてあげてほしいのです。一緒に。
いじめられている子の側に、そういう人がひとりでもいたらいいのに。そういう人が、増えていってほしいと必死に思うのです。

義家先生は、全力で必死に立ち向かってくれる人だと思います。
うわべだけで済ますのではなくて、だってね、うわべだけでね、いじめている側に注意をしても、その分あとからまた自分に仕返しがくるんだよ。それが恐ろしくて言えなくなるのが現実だと思うのです。
だけど義家先生は、そこまでフォローしてくれる人だと思う。私が思うだけだけどね、でもそういう人だと思うし、そういう人であってほしい。

いじめが世の中からなくなる日がくることを、信じたいと思います。
いじめたって楽しくないよ。
絶対にどこかで心が痛んでくるはず。根から、生まれたときから、悪い人はいない。いない。そう思うのです。

難しい問題だけど、こんなふうに大きく取り上げられるようになってきて、大人たちが真剣に考えてくれるようになってきて、よかったと思います。
何らかの道が出来上がっていけばいいなと思います。

誰にも愛されない人なんていないと思うのです。
誰かは誰かに必ず、大切な人だと、思われているはずです。
そういうのがつながっていって、優しい世の中になれたらいいなと思います。
思います。

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