クリント・イーストウッド主演監督の西部劇である。
列車強盗や殺人で悪名を轟かせていたガンマンのウィリアム・マニー(クリント・イーストウッド)は11年前妻と出会ってから改心し農民になっていた。妻は3年前に他界し、今は子供二人と貧しい生活している。そこへ若者が賞金首を一緒に撃ちに行こうと誘ってくる。
(以下ネタバレあり)
賞金稼ぎがバンバン銃を撃ちあう世界は恐ろしい。
日本でも日本刀を持った侍が問答無用と切りつける時代があった。現代に生きていてよかったと思う。暴力がはびこる世界では、従わす者従わされる者がいる。娼婦たちは従わされ、ひどい扱いを受けている。狙う賞金首は娼婦に烙印を押そうとし深い傷を負わせた牧童たちだ。とんでもない輩なのに社会は懲らしめようとしない。それにひどく怒った娼婦たちが賞金稼ぎを雇う。やられたらやり返さなければなめられる自分たちを虐げる社会への抵抗のためだ。法を守らせる保安官は社会そのものであるが、いきすぎた正義を振りかざす「許されざる者」だった。マニーも今は改心しているが、酒浸りの残忍な札付きの悪党で「許されざる者」だ。
「許されざる者」とそうでないものの違いはなんだろう。
五人殺したことがあると大口を叩いていた若者が賞金首の一人を銃で撃ち殺す。本当ははじめて人を殺したと告白し、自分は人を殺せない人間だと悟る。賞金はいらないとまでいう。いうとやるのでは全く違う。「許されざる者」とは「人を殺せる人間」でその反対は「人を殺せない人間」だろうか。足を洗った老ガンマン・マニーはまったく殺し屋の雰囲気がないが、女子供も容赦なく撃ち殺す残虐なならずもの伝説がある。ガンマンの伝記を執筆している文筆家の本は出鱈目で嘘が多く、物語や噂はどこまで本当かわからないものである。
マニーがどんな人物なのかがこの映画の見所になっている。
私はマニーは冷静な男なんだと思った。撃ち殺せるか撃ち殺されるかは、冷静にどれだけ早く銃をぶっ放せるかにかかっていると保安官は分析していた。決闘の場面になったとき、マニーは大声で自分がどんなに残虐かを印象づけ、周りを威圧しひるませる。動いたら容赦なく撃つと言って、全方向を警戒している。圧倒的にマニーは勝つ。拍手喝采は起こらず、娼婦たちは事の成り行きを息を潜めてみている。悪が滅び善が栄えるのではなく悪が悪を懲らしめたのだ。その後マニーは商売で成功したと説明される。そこで理解した。これは勧善懲悪の映画ではない。どうりでスカッとしないはずだ。
アカデミー賞受賞作品なので感動を期待したのにそんなものはない。
西部時代の暴力を暴力で解決する話にすぎない。マニーの妻の母親がやさしい娘がどうしてならずものと結婚したのか分からないと語っている。映画を観る者にもわからないだろう。正義とは存在するのであろうか。