本と映画とわたしと

感想です。

写らなかった戦後2014「ヒロシマの噓」福島菊次郎展を訪れて。

2014-10-24 | 日記
福島菊次郎さんのことは、写真家ということしか知らない。
たまたま見つけたチラシを見て、
知っている名前だったから、
仕事帰りに行ける場所だしと思って行った。

はじめは、写真と説明文を
一枚一枚真剣に読み進んだ。

暗い気持ちになる。
そうなることは、承知していた。
つらいかったけれど、しっかり感じようした。

しかし、ある文章を読み、
私は受け入れられなくなった。
被爆者は、放射能の影響に悩まされ続ける。
現在も被爆2世3世と連鎖はつづいている。

「ヒロシマの嘘」というタイトルがなければ、
こういう真実もあるのだと受け入れられたと思う。
「ヒロシマの嘘」という言葉が強烈で、
ここにある写真がすべての本当だと、
みられる気がした。
すべての被爆者や被爆2世が
健康を害し、いまだに影響を受けているかのように
思われる気がしたのだ。

そのくらい写真に力があるからなのか。
私はおそろしくなった。

私は2世。
被爆で死んだ親戚もいるが、
今は、親戚や私も元気で、
特別、健康を害してはいない。
貧乏で、つらい思いをした話はあっても、
被爆者だということで、差別を受けた話も聞かない。
それはとても運がよく、ありがたいこと。

いまだに、
大変な思いをしている人のもいるのだから、
放射能はやはりおそろしいものだと、
写真を見終ればよかった。

それなのに、
なにかひっかかる。
なぜだろうと考え続けて、気付いた。

私は自分が差別を受けるのを恐れている。
今まで平気で生きてきたことを
覆される気がしておそろしかったのだ。

私が信じてきたことが噓だと言われている気がしたのだ。

メディアはおそろしい。
ひとつのことが真実かのように、
みんな信じてしまう。

どちらが噓か。どちらが本当かではない。
噓も本当もひとつきりじゃない。
たくさんの本当があり、
たくさんの嘘がある。

福島菊次郎さんの写真は
ひとつのヒロシマの本当であると思う。
でもすべてではない気がしてならなかった。

写真集を見ていないので、
間違った見解かもしれないが、
私はそう感じた。

ドキュメンタリー映画「自殺者1万人を救う戦い」を観てほしい。

2014-10-16 | 日記
日本では年間3万人が自殺している。
まずは1万人を救おうと訴える映画。

SAVING 10,000 - Winning a War on Suicide in Japan - 自殺者1万人を救う戦い - Japanese Documentary



私には、自殺をする人のことを責める気持ちは全くない。
自殺しないでほしいと強く思っている。

自殺をする人を弱い人だと切り捨てないでほしい。

自殺をする理由は様々あって、
救えないこともあるけれど、
他人が声をかけただけで救えることがあるのなら、
声をかけてあげられる社会になったほうがいいはず。

私は、自殺をしようとした人を止めたことがある。
お酒を飲んで睡眠薬を飲もうとしていた。
自殺できる量の睡眠薬ではなかった。

自殺する人の中に、
ほんとうに死んでしまいたかった人は、どのくらいいるのか。
少ない気がする。
多くの人が生きたいと叫んでいるのではないだろうか。

死にたいと思いつめるには、
いろいろなつらいことがあるにちがいない。
反対に、まだ生きられるかもと、思いなおすのは、
ちょっとしたことかもしれないと感じる。

すべての人を救うのは難しいけれど、
救える人もいる。

私は死のうとしたことがないので、
どんなふうに追い込まれて自殺してしまうのかわからない。
きっと、この道しか残されていないと
思ってしまうのではないかと感じている。

自殺へ向かう道を進もうとしている人を
後押しするような社会は悲しい。
悲しいけれど、日本はそんな社会だと思う。

立ち直るのは自分自身の力だ。
私には問題を解決してあげることも
アドバイスしてあげる力もない。
でも死の道へ進もうとしている人の邪魔をするくらいは
できるかもと考える。

私が死のうと思うのは孤独から、
私が死のうと思わないのは孤独ではないと思うから、
だから、思う。

家族や友人が救えることもあるし、
家族や友人では救えないこともある。
通りすがりの他人が救えたりもあるんじゃないのかな。

孤立しないように、
繋がった社会を作りあげていく。
それは今隣りにいる人を
気にかけることなのだと思う。

まず1万人を救おうという問いかけが、
社会に広がっていくように願っている。

「誰かの命を救う為に必要なのは
 話をじっくり聞く
 ただそれだけのこともある」

猫とあほんだら/町田康著 犬派の私が読んだ。

2014-10-08 | 
本書を手に取った理由は、
タイトルの素晴らしさからである。

あほんだらとは著者のこと。

親兄弟から、「このあほんだらが!」と、
呼ばれるような人なのではなく、
猫たちが著者のことを
「あほんだら」くらいに思っているんだろう。
猫の世話は奥さんが
主になさっていらっしゃるようなので。

町田家には、
もとからいた家猫と保護猫がいる。

自宅と、仕事場でそれぞれ猫たちは暮らしている。
そのわけは、
保護猫は病気を持っていたりするから、
家猫と一緒にはできないからだそうだ。

それが、伊豆へ引っ越すということになる。
そのために、新しい猫が加わったり、
猫のために家を改造したり・・・。

10匹の猫が登場する。
私が犬派だからかもしれないが、
中盤から、
どれがどの猫かわからなくなり、
本を行ったり来たり、猫の写真で名前を確認したりで、
読むスピードがが遅くなったということはあったが、
おもしろかった。

私も猫と暮らしてみたいけれど、
いろいろ考えると、無理。
生きものを家に迎えるには責任があるから。

町田さんご夫妻の猫たちへのあったかい想いに、
頭が下がる想いだった。
やろうと思えばできることかもしれないけれど、
やっぱりなかなかできないこと。

保護猫たちは一時的に預かっていることにはなっているが、
もらいてはないだろうと、承知で引き受けてらっしゃるのだ。

本書での猫たちは、
人間が責任を負える範囲で、
自由にのんびりしている。

「町田さんの家の猫は幸せですね」といっても
町田さんは「どうだろう」とおっしゃるような気がする。

人間は猫じゃないから、猫の考えてることはやっぱりわからない。
人間の言葉や想いがちゃんと伝わるとも限らない。

猫に親切を押しつけることなく、
「(私は)いいと思うんですけどね・・・」と、
猫に伺っているような町田さんの接し方が、
笑えたり、心が和んだりする。

猫にしても
犬にしても
言葉が通じないから、
何を思っているのかほんとうのところはわからない。

言葉が通じると思っている人間同士だって、
ほんとうはわからないんじゃないかな。
だから相手のことを考えてあげることが大切。
そんなことを感じたエッセイだった。

町田さんが、妄想気味なところも
相手び気持ちを考えているからだと思う。

その妄想を笑えるかどうかが、
この本を好きになるかどうかの分かれ目だろう。
私は好き。

本書で知った重い事実は、
ひどいめにあった保護猫は、
何年かけてもなつかないということ。

世話をしてやりたいと思っても、
触らせてくれない、なつかないまま、死んだ猫に、
町田さんが、
自分のところへきて
幸せだったのだろうかと、考えるところで、
涙が出た。

町田さんと奥様の関係もとてもステキで、ほのぼのする。
本書は、猫シリーズ第三弾。



日本人のための「集団的自衛権」入門/石破茂著 を読んで考えた。

2014-10-03 | 
集団的自衛権を理解するため、人物的に好感を持っている石破茂さんの本を手に取った。

石破茂氏のことは、UFOゴジラ襲来時の自衛隊のあり方についてを語っているのをTVで観てから、注目しているのだが、政策を支持してるわけではない。私の中ではおもしろい人という位置づけである。
そして、私は集団的自衛権に反対してもいない。
つまり、好意的に読みはじめたわけである。

内容はとてもわかりやすかった。

本書で考えを変える人はいないかもしれない。石破氏は問題点の説明に徹しようとしている。これ以上のことを知りたい人はさらに本を読むよいだろう。私が強くした思いは、メディアを通さないで、本や資料をあたって理解を深め、自分の意見を持つことが大切だということである。

自分はどう考えるかというきっかけになる本だと思う。

第一章では、集団的自衛権の定義、解釈、歴史の説明、日本国憲法の解釈や第2次世界大戦後に起きたベトナム戦争、プラハの春、ニカラグア事件などをとりあげ、自衛権の解釈の幅がいかにあるかを説明している。

日本が、集団的自衛権を行使できるかどうかは、結局憲法解釈の問題に行きつく。

憲法解釈とは大人の都合で決められると再認識した。

私は小学生の頃、憲法9条第2項を読んでがっかりした。「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
自衛隊は戦力ではないのかと、大人の誤魔化しを感じた。
子どもが素直に読んで理解できる文がよいと信じてきた。
改正しないのなら、軍隊を持たず、アメリカの核の傘の下から離脱するべきだという理想を持っていた。理想を掲げる人間がいて、現実とのバランスがとれるのではないかと思ってきたのだ。

本書を読み、驚いたのは、解釈次第で9条を改正しなくても軍隊を持てるどころか、戦争もできてしまうということだった。自分の都合のよいように解釈しようと思えばできてしまうのである。

第2章では、よくある疑問を石破氏が答える形となっている。
「徴兵制になるのではないか」 「結局、イケイケドンドンとなり戦争をはじめてしまうのではないか」など。このあたりの回答を素直に認めているから、私は集団的自衛権の行使をを認めている。反対意見の人には賛成の人はこういう考えを持っているのだと読んでもらいたい。

日本はほんとうに憲法9条によって、平和を守れてきたのかという疑問を持った。そしてこれからも9条によって平和を保てるのか。アメリカに守ってもらっているから平和なのではないか。
私はこう考えたい。9条に守られて平和なのではなく、9条の理念を私たちがしっかりと守っているから戦争をしない。戦争をしたくないという日本人の強い想いにより戦争に巻き込まれていないのだと信じたい。
有権者である私たちは絶えず平和を守ることを最も大切にしているとを政治家たちに伝え続けることが必要だと考える。いつのまにか戦争になっていたということのないように。

このところ、世界が、きなくさくなってきた。他の国のことは関係ないといえない時代になってきた。
集団的自衛権を持つことで、世界の平和のために貢献でき、かつつ日本を守ることができるかもしれないと思う気持ちは、このままでは日本はダメなのではないかと感じるからである。集団的自衛権に私は賛成する考えは変わらなかったが、賛成反対を軽々しく言えなくなった。

反対派の人が不安に思うことを、私も感じないわけではない。
今の日本の民主主義と、平和を望む強い世論があれば、戦争にはじめることも加担することもないと信じている。しかし、アメリカの正義に従う形になったとき、戦争に巻き込まれるのではないかと怖い。
私は戦争ができない国ではなく、戦争をしない国であってほしいと願っている。

この本で結論は出ない。入門書である。