本と映画とわたしと

感想です。

映画『ジョーカー』/ホアキン・フェニックの演技が凄かった。

2019-10-17 | 映画
原題 Joker
製作 2019年
上映時間 122分 R-15
監督 トッド・フィリップス
脚本 トッド・フィリップス、スコット・シルバー
出演 ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、サジー・ビーツ、フランシス・コンロイ
 
私の評価 ★★★☆☆ 3.0点
映画館鑑賞
 
『バットマン』の悪役ジョーカー誕生のストーリー。
 
ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を獲得するなど話題の作品である。
後にジョーカーとなるアーサー・フレックをホアキン・フェニックスが演じている。アメコミのキャラクターだが、映画の脚本は完全オリジナル。
 
※(以下ネタバレあり)
 
 
孤独な男がジョーカーへと変貌していく過程が丁寧に描かれている。
 
コメディアンを夢見ながらピエロの大道芸人として生計を立てているアーサーは、老いて病気がちの母親と二人暮らしをしている。お母さんに問題があるのがすぐわかる。
「どんなときも笑顔で人を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンになろうとしているアーサーは、笑いが止まらないという障害を抱えて苦しんでいる。笑ってはいけないところで笑いを抑えられなくなり周囲から気持ち悪がられている。笑いを仕事にしたいのに笑いで苦しめられているなんて気の毒でならない。道化が他人事とは思えずいたたまれなかった。
 
ピエロの笑顔が悲しい。
 
笑顔でいたらいいことがあるのだろうか。ジョーカーの笑いも気味悪いが、周りの嘲笑や皮肉、他人を小馬鹿にしてような笑いも相当なもので、こっちの笑いに心がえぐられていくようだった。
誰にでも闇はある。善悪は主観でしかないとするならば善悪を問う必要はないのかもしれない。アーサーは自ら道を選んで殺人者になったのではなかった。人生には選択の余地のないものがあるのかもしれない。
 
「これまで生きていて、自分が存在しているのかもわからなかった」
 
アーサーはジョーカーとなり存在を実感する。
驚くような話ではなく、こんな世界だからジョーカーが生まれるわけだと思いたくもなる。冒頭のバスのシーンで子連れの母親がアーサーに「ありがとう」と言えるような安全な社会だったならジョーカーは存在しなかっただろう。地下鉄の列車が落書きだらけのような治安の悪い社会でなければアーサーは暴発しなかったろう。
 
「オレの人生は悲劇だと思ってきたが、実は喜劇だと気付いたよ」
 
アーサーの心の変化が切ない。
同じ人生が悲劇にも喜劇にも見える。近づけば人の心を感じ悲劇となるし、遠くから眺め笑いものにすれば喜劇となる。社会保障を失い、職を奪われ、家族を葬り、失うものを持たない人間が、むしろ軽やかになり笑い踊りだす気持ちがわからなくもない。映画が終わって気付くのは、何が現実か幻想わからないということだ。すべてアーサーの妄想かもしれないと。
 
 
ホアキン・フェニックスが痩せさらばえた肉体が狂気に満ちていた。
 
健康を心配したくなるほどだった。特に背中の表現が凄まじかった。やりきれなさや悲しみを肉体で語っていて圧倒された。
アーサーが憧れる人気番組の司会者マーレイ・フランクリンをロバート・デ・ニーロが演じている。「タクシードライバー」で狂気に走ったロバート・デ・ニーロが、本作では裕福な階層側に立つのはおもしろい。さすがデ・ニーロは存在感があった。
マーレイは「いい人だっている」とジョーカーに反論し、突然頭を打ち抜かれてしまう。私はジョーカーにはなれないし、ジョーカーを支持してデモしたり暴動を起こす輩を嫌悪する。私も貧困層の側だけど、いい人だっているって信じたいと思う。それでもジョーカーのように踊りたくなった。
 
この映画は人を暴力へ導くものは何かを描いている。
 
終始陰鬱な世界でスクリーンは青暗く、鬱々とし、気持ちが沈んだ。鬱々とした感情の先に暴発点がある。決して暴力を認めるわけにはいかないが、魅力があるのは確かだ。
悪や暴力にも理由がある。しかし正当化しているのではなく問題提起しているのだと思う。アメコミのゴッサムシティだとしても現実の未来の都市に見えてくる。貧困と孤独、格差社会、希薄な人間関係、現代社会で発生している問題が映し出されているからだ。ジョーカーに共感する人間を生み出すのではなく、ジョーカーになるかも知れない者を救う作品となってほしい。暴動を鎮め、ゴッサムシティを救うにはどうすればよいのかといえば、私が人同士の繋がりだと思っている。
 
この映画でのジョーカーは誕生したばかり、この先、カリスマ的冷酷なジョーカーが完成するのを見たいものだ。
 
※バットマンは登場しない。
 
(追加)
上映中、拒否反応が出た。政治的意図を感じたからである。そんな気持ちを打ち消し感想を書いた。私は映画はファンタジーだと思っている。実話に基づくと言っても完全な真実ではなく、映画も嘘をつくことを忘れてはいけないと感じている。とにかくホアキン・フェニックスの演技は素晴らしかった)
 
 

映画『ひろしま』/地獄

2019-10-16 | 映画
製作年 1953年
上映時間 109分 モノクロ
監督 関川秀雄
脚本 八木保太郎
原作 長田新編纂 「原爆の子~広島の少年少女のうったえ」
出演 岡田英次、月丘夢路、神田隆、利根はる恵、加藤嘉、河原しづ江、亘征子、月田昌也、山田五十鈴
 
私の評価 ★★★★★ 5.0点
映画館鑑賞
 
昭和20年(1945)8月6日午前8時15分、一発の原子爆弾が広島に落とされました。

私は原爆投下を仕方なかったという言葉に強い悲しみを感じてきました。この映画で表現されていたように(あえて再現とはいいません。映画は作り手の感情が入るものだと考えているからです)一瞬にして地獄を作り出す原爆を許せません。
 
映画の中で幼い子どもが母を呼び、探します。
私の母の姉は小学校の校庭で朝礼中に被爆し、3日後「お母さん」と言いながら、母親に会えないまま避難先で死にました。伝え聞いていたことが映画と重なりました。
 
核兵器を持つ国が地球上に存在するのが私は恐ろしくてなりません。「核を持った国が強い」という現実をどうしたら正せるのでしょう。考えても答えはなく普段忘れたふりをして生きています。
映画は教えてくれます。平和は尊く、守らなければならないものだと。
 
核兵器の恐ろしさを伝える映画として多くの人に観てもらいたいと思います。
70年草木も生えないと言われたひろしまに、希望の大根の芽が出ました。人間には希望という力があることを信じたい。