だいすき

基本的に自分の好きなものについて綴っていきます。嫌いなものやどうでもいいこと、さらに小説なんかもたまに書きます。

少女と雨

2008年10月14日 22時59分34秒 | オリジナル小説
 雨の日は楽だ。
 若菜薫はそう思う。
 雨の日は誰も彼もが鬱蒼とした顔をしている。どれだけ普通にしていても、他人からよく呆としている、と云われる薫にとって、雨の日は自分のそんな表情が目立つこともなく、誰からも注目されることがないので楽でいい。
 若菜薫は他人に注目されることが嫌いだ。
 それは人付き合いが幼い頃から苦手で、さらに云うと、自分が他に人間とズレている、と感じているからだ。
 いまでこそ、そのズレは多かれ少なかれ誰もが抱えているもの、と理解しているが、幼い頃はそのことで思い悩み、人付き合いが苦手になったのもそれが原因なのかもしれない。
 孤独な時間を本と共に過ごしたお陰で、世の中のことが多少わかり、人付き合いの方法も知識としては知っていたけれど、実践しようという気はいまだ生まれてこない。
 だから薫はひとりを好み、皆を憂鬱にさせる雨の中でも、心滅入ることなく平然とひとり傘をさして歩いていた。
 雨音をBGMに、高校から駅へ、粛々と歩を進める薫を制止させたのは、無機質な赤い光だ。
 普通の生徒が通る通学路には、三つの信号機がある。それが多いかどうかはわからないが、薫がいつも通る道よりは多い。他人を避けるように登下校する薫が出会うのは、たったひとつだ。
 当然人通りの少ない、裏道といえる通りを歩いているのだから、出会う人影はまばらだ。
 いまも信号待ちをしているのは、反対側に老婆がひとりだけだ。
 二台の車が通り過ぎる。
 ここの信号は変わるのが少し遅い。
 薫が苛々することもなく静かに待っていると、後方の雨音にノイズが生じた。
 ノイズは少女の話し声と化して近づいてくる。
 ここで誰かと出会うのも久し振りだな。
 前に会ったのは四月の頃に、よく道のわかっていない新入生だったか。
 目の前を自転車が横切るのを見ながらそんなことを考えていると、賑やかな話し声が横に並んだ。
「えぇ~、やっぱわかんないよ。なんでそれで雨が好きなのさ」
 雨音にも負けず元気一杯なその声は、聞き覚えのあるものだった。
「わかんなくていいの。感覚的なものなんだから」
 静かに応える声も同じで、確か同じクラスの生徒のはずだ。
 名前は覚えていないけど。
「まぁ、確かに感覚的か。雨はひとりにしてくれる、なんてわかるわけないよ。ていうか、それって、あたしにどっか行けってこと?」
「違うって」
 仲睦まじい二人のやり取りは、薫に居心地の悪さを感じさせていた。
 早く信号が変わればいい。
 後数十秒しかないはずなのに、その時間がやたら長く感じられる。
「妃紗がいてくれてよかった。高校生活楽しいもの。でも、それとは別に、雨がくれる孤独は好きよ。若菜君もそうでしょ?」
 急に話を振られて、薫は凍りついた。それでも長年の習慣から、それを顔に出すこそはしなかったが。
「なんだ、若菜いたのかよ。てめぇ、こっそり人の会話聞いてんじゃねぇよ」
 こっそり聞いたわけではない。
 そんな当たり前の突っ込みも、薫の頭には浮かびもしなかった。
 それよりも驚きと、もうひとつ。
 彼女の台詞の内容で頭が一杯になっていた。
「わたし知ってるわよ。若菜君って、雨の日だとちょっと嬉しそうよね。足取りが、なんか軽い感じがするもの」
 そうかな。そんなことはないはずなんだが。雨だっていつだって、同じようにしているはず。いや、それよりも、いつも見ているのか?
 信号はとうに青に変わっていた。
 老婆は道路の半分を渡っている。
「おい、夕菜。そんなオタクほっといて、とっとと行こうぜ。信号変わっちまうぞ」
「うん。じゃあ、若菜君またね」
 そう云って、二人は去っていった。
 薫は信号が再び赤になるのを、身じろぎもせずに眺めていた。
 それはどこにでもある、些細な邂逅のはずだ。
 ありきたりな青春の一ページ。
 薫は時間をかけて今日の出来事を消化していく。
 あの少女がいつも自分を見ているなんていうのは気のせいだ。自分は雨の日に浮かれてなんかいない。そりゃあ、ひとりは好きかもしれないけど。
 またねといって、明日会話するわけでもないし、誰かとの繋がりが出来たわけではない。
 名前だって知らない相手だし。
 ……いや。思い出した。
 彼女の名前は葵夕菜。出席確認の時に、いつも初めに返事をしていた。
 だが、それだけのこと。
 名前を思い出したとて、なにかが進むわけではない。
 そう。彼が必死に思い込もうとしている通り、ここではなにも進まない。
 二人の関係が先に進むのは、もう少し後の話。
 物語はまだまだ続いていく。


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