アラカンカラ

RITUALS

リチュアルズ

オランダのコスメブランドですが

ritualsの香りが このムシムシする季節に心地よいです。




以前 ストックホルムのホテルで出会った
rituals

駅前の大箱のホテルだったので

この初めて聞いたブランドに

さほど期待していなかったので

日本から持って行ったボディソープやシャンプーを使っていたのですが

ハンカチを洗うために

ハンドソープを使い 乾いたハンカチをスーツケースにしまい

次の都市のホテルでスーツケースを開けた時

スーツケースから広がる香りに衝撃を受けました。

ボディソープやシャンプーは浴室の壁に据え付けだったので

アメニティ類お持ち帰りせず

調べても日本では手に入らないようで泣

なんでボディソープやシャンプー使わなかったのわたし!


それから数年、トランジットでオランダスキポール空港を利用する際に

ようやくSHOPを見つけ 手に入れました。

アジアンなネーミングの商品が多く

わたしのお気に入りは ブッダ

オレンジと杉の香り

他には 桜 侍 道 など

日本的なネーミングです。

が、こちらの品々、日本の水では

全くほとんど泡立たない!

ストックホルムのホテルではフワフワ泡立ったのに!

香りはそのまま爽やかなオリエンタルなのですが

ハンドソープもボディソープも泡立たない泣

硬水とか軟水の関係なのでしょうか?

詰め替えパックも買ったので

数年経った今も時折使っています。



今日は 広島原爆の日

広島市長の平和宣言

引用されたメッセージ

昨年11月被爆地を訪れたローマ教皇
「思い出し、共に歩み、まもる。この三つは倫理的命令です」

今日みたいな暑い朝

お母さんが作ってくれたお弁当をもっていってきます!と勤労動員に向かった女学生

いつも通り 仕事に向かうお父さんを見送った子供たち

数えきれないくらいのたくさんの悲しみから

立ち直って 築いてきて下さった今日の幸せを

噛みしめながら 今日を過ごしたいと思います。



コメント一覧

anrinana
tonyさま 生きたくても生きられなかった、学校に行きたくても行けなかった禎子ちゃんの分まで平和を守りたいです。
広島へ⁈きっと禎子ちゃんも待ってますね。
Tony
sadako ・・・
anrinanaさま 禎子は、中京の押し学生から送られた一羽の鶴と励ましの手紙に感激して、回復したらまた元気に学校へいくよ。という思いで毎日折り鶴を折り続けたのです。

Anさま、よくぞ「原爆の子の像」をあの広い、熱く蝉のなく平和公園で見つけてくださいましたね。ありがとう。

秋風が吹いてコロナの状況が好転したら、もう一度平和公園を訪ねて、禎子ちゃんに会いに行きたいと思います。 Tony
anrinana
tonyさま BGMにも耳を傾けて拝見させていただきました。私が生まれる少し前でも戦争は終わっていても戦争はずっと続いていたのだなと思いました。tonyさんもそんな時代を生きてきたんだな…
Tony
「無限の瞳」・・・
anrinanaさま 「無限の瞳」映像。
https://youtu.be/REYrByrDmCc Tony
anrinana
tonyさま コメントありがとうございます。今日は一日、無限の瞳 とtonyさんのコメントを噛みしめながら過ごしています。広島の原爆の子の像の成り立ち、初めて知りました。
毎年広島長崎の日がくる度に今の平和について自分自身で考える日にしています。
いつも思うのは、平和は守り育てていかないと簡単に壊れてしまうもの、今のこの平和も先人方が命をかけて繋げてきて下さったものと思っています。でもついそんな事忘れてしまうのですよね。tonyさんたちの世代の方は私たち世代にきちんと教えて下さっているけど、私たち世代はどうなんでしょう。
実体験で戦争は知らないけれど、平和と戦争は隣り合わせである事を忘れないでいたいと思います。
私なんかのページに素敵なコメントをありがとうございました。
Tony
ヒロシマの日・・・
anrinanaさま その通りだと思います。
軟水の国のひとは幸せ。硬水のシャワーとシャンプーで頭髪など体毛がが針ネズミになったこと数知れずです(笑い)。

ヒロシマの日がまた巡ってきましたね。1945年の8月6日が忌まわしき原爆の日ですが、僕たちにとっては「無限の瞳」の日として原子爆弾のむごさと戦争を再び起こさない平和な世界の実現を目指して一人ひとりの努力を積み重ねなければとの覚悟を再認識する日になっています。

「無限の瞳」は、ご覧いただければ
お分かりの通り一人の少年被爆者を助けるための全国の高校生のdocumentとなっていますけれど、これは普遍的事実であり、平和と全く信じ込んでしまっている今の日本、そして世界への改めての警鐘になるよう努力しなければと思います。

朝鮮戦争の影響でred purgeの嵐吹く中、無限の瞳」はcrank inしました。早大シナリオ研究会、red purge下にあった社会派映画監督の吉村公三郎、山本薩男、 東宝をはじめ各撮影所の全面支援を得て始まった撮影も主人公・千葉君の死でscen
ario変更を余儀なくされることもありました。

音楽制作は東京私立学校音楽連盟が担当でしたので傘下加盟校は代表を送り込む全校参加でしたが、red purgeの影響(風評)で参加校が減り続け、最後は3校に減ってしまいました。

Warsaw,Poland国際映画祭で銀賞受賞すると、社会の見方も急変し新聞、雑誌、ニュース、ラジオ報道も嘘のように好転してしまいました。

この映画の影響は、名古屋の女子校で始まった「
平和の折り鶴」運動に。それを受けて広島日赤入院中の佐々木禎子ちゃんの平和の折り鶴作業に。12歳で昇天の禎子ちゃんを悲しんだ広島市中の子供達の募金で作られた平和公園の「禎子の像」は一羽の大きな鶴を世界にはばたかせようと天に掲げる大きな像になりました。

『折り紙の鶴」
いま、全米のprimary schoolで、europaの各国で平和を祈願する教育に一羽の鶴が使われているのを皆さまご存知でしょうか?

もう一つ。この映画作りに参加した仲間からたくさんの映画人・作家・俳優・音楽家・mediaの要人・放射能医学者が多数輩出されたことをあわせて報告させていただきます。Tony

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