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スピリチュアル・確実に幸せに成る為の授業~☆~不安を無くす・原因を探る!その2・絆

2012-06-01 20:06:24 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル・確実に幸せに成る為の授業~★~不安を無くす・原因を探る・・・その2・・・

◎ あなたは、何時、どんな時に不安・・・を強く感じ噛み締めていますか?大抵の人が、たった一人の空間の時・・なのではないでしょうか?

世界の中で、日本人が一番不安を感じているとの事です。ちなみに、不安が一番少ないのは、イタリア人だそうです。破産寸前の国だと言うのに、どうしてあんなにイタリア人は、のんきで明るく居られるのだろうか・・・?日本人としては羨ましい限りです。

では何故、日本人が世界で一番、不安を感じてしまうのだろうか?・・回は、そこの処を、探ってみましょう。

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■ 不安を探る・・・第7回目授業・・絆

前回、社会・経済的見地から、繁栄から衰退への一途を辿っている(渦中)中、失うだろう・・失いつつ有る・・失ってしまった・・・そう言った所から来る不安が有る事を書いています。

又、イタリア(ローマなど)は遥か昔に、既に繁栄から衰退へと変貌を遂げた経験をしていることも書いています。それでも、今日が有る訳ですから、そう言った経験を踏まえて居る為、心の余裕が何処かに有るのかも知れません。

長い歴史から観れば、日本人は、繁栄から衰退・・・への経験は初めての事で、また繁栄から衰退への期間も一気に上り一気に下って行く・・・短い期間の事ですから、動揺も有るのでしょう。考える暇も無かった・・・と、言った所でしょうか。

しかし、それだけでは無い、日本人固有の民族性が故に起きる不安が有るのも確かな事です。では、そこの処を深く掘り下げてみましょう。

◎・・日本人の民族性(国民性)・・・

日本人の民族性を考えるとき、それは遥か昔へ遡る必要が有ります。

原始時代、アフリカから始まり、人間は集団で移動を始め、永い年月と世代を経て、中東諸国・ヨーロッパをはじめアジアへと流れて行った。

アフリカから一番遠い場所である地、日本に、永い年月と世代を引継ぎやっと辿り着いた先祖達は、随分と苦労を強いられた事でしょう。日本人の辛抱強さはその頃から引き継がれたのかもしれません。

日本民族は、やがて農耕民族と成り、稲作をし収穫された穀物の保存は大切な仕事だった。今も、年に一度、米の収穫をし保存をし、1年間に渡り生きる食の糧としている。

日本人が、貯蓄(蓄える)をする・・或いは貯蓄(蓄え)が無くなると不安に成ってしまうのも、そう言った所から来ているのでしょう。

どんな時でも、お米とお塩と水が有れば、先ずは安心をする・・。また、神殿や神棚に米・塩・水・酒を供えるのも、一番大切な物で有るが故に供えているのでしょう。

農耕民族だからこそ、貯める・・・意識は強く、減って行く無くなる・・失う・・・その事は、大いに不安に成る原因でも有ります。

また、農耕に当たっては、集落・家族の皆が協力をし稲作をしていた。近年、機械化が進むまでは、近所で協力をし田植えから収穫まで助け合うのは生活の一部だった。

そして、豊作を願い或いは、喜び祝い・・神に感謝をし祭りをし、皆んなで喜びを分かち合ってきたのです。台風・水害・日照り・地震などの災害時には、特に協力をし乗り越えて来た事でしょう。

永い歴史の中で、地域で村で近所で親戚で家族も子供から年寄りまで、皆んなで、協力をし助け合って生きて来たのが日本民族の歴史です

しかし、高度成長と共に生活習慣も変わって行き、そんな風習もほとんど見られなく成って行き、家族も核家族となり、さらに分裂をしつつ有る時代・現状と成っています。

個人主義・プライバシー・個人の自由・個人の権利・・・などと、さも良かろう理念をお馬鹿な国から見習って来てしまった。貧富の差と犯罪の渦巻く国を見習ってしまった。折角、良い理念を持っていた国だったと言うのに・・。

爺さん婆さんが居て、両親が居て、息子夫婦が居て子供達(孫)が居て、年寄りは、愛しい孫ひ孫の元気な姿と声を聞き話し、元気をもらい長生きをし、息子達は親を助け親も息子達を助け、皆で子(孫)を育てる・・。そういった多くの世代の家族形成が有ってこそ、子供は多くを学び理念に叶った良い子に育つ。そうやって、良い人間社会が形成されるのですが・・・。

現状は、出来る事なら、うざい両親とは離れ暮らし、都合のよい時だけ合えば良い、子供達は保育機関に預け両親は共稼ぎをする。子供は、労力も経済的にも大変だからと数を減らす・・。

今は、それ以前に、結婚さえもしなくなり、家族が一緒にいても向き合い話をしなく成り、自分とさえも向き合わない・・。友達とはどうだろうか?職場ではどうでしょうか?両隣の人はどんな人がを知っているだろうか。

さて、今、自分が社会の人間形成の中で、どの位置に属し、どうなんだろうかを考えてみると・・・どうなんだろう?

人との関わりは面倒くさい・・。だからと言って、面倒なことから避けてしまえば・・・そこは孤独・・・しか有り得ないし、残らない。周りに人は沢山居るようでも、本当は誰も居ない・・。そんな所ではなかろうか。

人生は、良い時期ばかりでは無い。よい時期は、それでも良いだろうが、どう頑張っても、人の助けや優しさが温もり励ましが必要と成る時がある。そんな時、孤独で有れば、不安は底知れない・・。

人は、愛を頂き育ち生きて行ける。愛を与えて強くなれる。そうやって昔から人間は、特に日本人は、絆を深め生きてきた。農耕民族で有る日本人は、遠い昔から、助け愛い支え愛いで生きてきた。

衰退と言う不景気のこの時代こそ、本来の日本人の有るべき姿を、取り戻す事が必要で、その事によって、不安を軽減し、強く逞しく生きて行けるのではなかろうか・・。

日本の神様方は、豊年満作祈願から始まり、個々の人達の幸せと発展を願っています。祭りの際は、皆んなで準備をし、共に祝いそして共に片付ける・・。祭りは、多くの人達の絆の証でも有ります。祭りの盛んな所は、いざ・・・と言う時の結束や連携プレイが勝っています。

貧富の差と犯罪の渦巻く国では、真似の出来ない事で有る。

どうして日本人が、マナーが良く、イザ・・・と言う時(災害時)に、慎ましく連携プレーが出来、助け合える事が・・・分らないと言われるが、そんな所に理由が有るのだろう。永い歴史の中で、私達の体に流れる血には、そんな素晴らしい民族性がまだ引き継がれている。

稲作は、キメ細やかな愛情と努力と根気が無ければ、美味しいお米、豊作は見込めない。稲作に対する思いは、世界のどの国よりも勝っている。そして根気欲く協力をし稲作をしてきた民族だからこそ、何を作っても、愛情とキメ細やかな正確な商品を、車にしても電気製品にしても精密機械にしても世界一の物を造りだせるのだろう。

機会が有れば、稲作を手伝ってみるのも良いかもしれない。弱った心魂を癒しパワーを貰い不安も軽減するだろう。そして、日本人のルーツ・民族性を流れる血が体が体感をする事でしょう。

つづく

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スピリチュアル・確実に幸せに成る為の授業~☆~不安を無くす・原因を探る!

2012-06-01 19:37:43 | 確実に幸せに成る為の学び舎

 スピリチュアル・確実に幸せに成る為の学び~★~安を無くす・・原因を探る・・・・

◎ 不安・・・誰もが持っているもの・・・日本の未来を考えると不安に成ってしまう・・まして自分の未来を考えると大いに不安に成る。未来どころか、今日が今この瞬間も不安の中にとっぷりと浸かっている。

仕事が有るから・・・する事が有るから・・・側に人が居るから・・・何かを楽しんでいるから・・・何とか気はまぎれて居るかも知れないが・・・何れにしても不安の渦中に皆、とっぷりこん状態だ・・。

どうすればこの不安から逃れられるのだろうか・・・?。不安は、何処からやってくるのだろうか・・・?。安穏とした穏やかな不安の無い生活(人生)を送りたい・・・。誰もが願う事・・・。

そこの所を・・・今日は、探ってみましょう。

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■ 不安の原因・・・第6回目・・・授業その1 社会・経済的見地から探る・・

失うだろう不安・・・失って行く不安・・・失っ(無くす)てしまった事の絶望と底知れない不安・・・。得たものは、何れは無くしてしまう。生まれた命もやがては、老いて失う(死ぬ)事と成る。繁栄が有れば衰退するその先には滅亡が待っている・・希望が有れば絶望が有る。全ては、相対性の原理で成り立っている。

国の繁栄もしかるに・・。古代はエジプト近辺諸国の繁栄から始まり、ローマ・ヨーロッパ諸国へ、そしてアメリカへと引き継がれ、やがて日本の繁栄へとバトンは渡されて来た。そして日本の繁栄は、各、アジア方面へとバトンは渡されつつ有る。もう、既に、アジア諸国先ずは、中国へその(繁栄)バトンは、渡されてしまっている様だ。

誰もが薄々分っては居るが認めたくは無い・・失いたく無い・・そう思っている。国の繁栄は、国民生活の豊かさの繁栄と成る。国の衰退は、国民の生活の衰退・・・へと反映される。

正に衰退の渦中に居るのかもしれない。国の富は、貿易の黒字赤字に顕著に出てくる・・。そして抱える国の借金でも分る。繁栄と滅亡の上限下限の幅・・・繁栄の頂点も滅亡の底も把握は難しい・・・通り過ぎてみて初めて分る。

あのバブル全盛時期が、頂点だったのかもしれないが、永遠に繁栄は続かない事を歴史から学ぶ経済学者や政治家が居れば、国に借金を抱え込む馬鹿はしなかっただろう。しかし・・・今更、言った所で仕方が無い。

あの繁栄を極めるた時、人は物を建て、物を買い、物を食いちらかし、そして食い残し、娯楽を楽しみ、ある者は地位と権威を得ようとし、ある者は、多くの財を築こうとした。

しかし、今はどうだろうか・・・?。物を建てれば修理・維持費が掛かる・・。買った多くのブランド物はタンスの肥やしと成り、行き場を無くしている・・。多くを食べた事でメタボと成り健康を害し、築いた地位も権威も経済と己の老いの衰退と共に沈んで行く・・・。築いた財産もあっと言う間か、或いは徐々に失って行く・・。失う不安を抱え込んで居るに過ぎない・・。娯楽を楽しむ余裕も無くなり、そんな気分にも成らない・・。

それは、まるで幻・・・の様なもので、あの繁栄は、一体、何だったのだろうか・・?それによって、何を得たのだろうか・・?。そして、何か大切なものを失ったのではないだろうか・・・?。

衰退の底(滅亡)・・・を食い止める努力が今、必要とされている。何時までも、繁栄を疑わず・・・底を認識しないままでは、今のギリジャ或いはイタリアの二の前・・同じ道を辿る事と成ってしまう・・・。

国のする事で自分には関係が無い・・・と、侮ってはいけない。何故なら、国を動かす政治家・官僚・公務員などそ中核に居る者達には、なかなか及ばず末端の我々、国民に先ずは及んで行く・・・。それも弱い所から、まるでひび割れが入り何れ一気に砕かれ壊れてしまう脆い水差し、、、の様なものである。

現に、中核に居る者は、消費税を上げ福祉に教育にと理由付けをして、負担を国民に虐げ様として居るが、彼らは世界一の議員所得を未だに得ている・・。理屈で分っていても、肌で体感し、その衰退の影響を知りえていない・・。

底知れない・・不安を知らない。そう言った者達が、今も国を動かしている。早くに、衰退の底(滅亡)を意識しなければ、日本は、ギリシャに成ってしまう。一番先に、私達にその影響は及んでしまう。

国の経済も我が家(一軒の家計)の経済も規模はともかく同じ原理に過ぎない・・。収入が減れば、節約と辛抱をしなくては成らない。収入が無ければ、出稼ぎをしてでも頑張って、外から収入を得えなければならない・・。国も又同様だ。出稼ぎの後押しをしなければ成らない・・。企業・会社の海外進出を援護し、そうして、国に収益を齎さなければ成らない。

そして、若者は、その企業・会社と共に、大いに海外へ進出し、学び働かなければならない・・。難儀を苦労を避けて己の楽と幸せのみを考えて居たのでは不安は何時も付きまとう・・。

誰かの為に頑張る・・・それが家族の為だとしても、小さな波紋が何れは遠い先に伝動する様に、国の為、国民の為に大いに貢献をして居る事に成る。誇りを持って良い事で有る。

それは与える愛に値するその目的や行動や希望は、難儀も苦労も意味有る価値あるものとし、不安をもかき消してしまう。一人一人の小さな頑張りの波紋が集まって大きな波紋・津波となり、世の中を動かし衰退・滅亡を食い止め救う事と成る。

老いて行く者は退職をしたから、もういい加減年だから・・もう頑張って働いて来たのだから・・・と、安穏と怠慢をしてはならない。お陰様で此処まで生きて来れた・・・と、死ぬまで働く又は、ボランティアなど貢献して行かなくては成らない。そうすれば長生きもし最後まで元気で死んで行ける。

高齢社会においては、共に支え合い助け合う事が大切だ。働く事に世の中の役に立つ事に終わりが無い事を肝に銘じなければ成らない。老いても必要とされている事を忘れてはならない。

今、繁栄をしている或いはしつつある中東諸国、特にドバイ・・など、石油産出輸出国は、繁栄を誇っているが、ここも又、何れは衰退をする事と成る運命だ。

有る物(原油)は、何れ底を突く・・。或いは必要とされる需要が激減する・・。有る物(原油)を掘り起こし、楽をして富を得ている・・。良く働き富を得ている訳では無い。物を建て物を買い物を食べ尽くし食いちらかし残し、有る者は名誉と権威を求め、有る者は多くの財を得る為に懸命だ・・。何れ、失って行く底知れない不安が待っている。

我々、日本人は、知恵を使い優れた物を作り出し懸命に働き繁栄を築いて来た。何も無い所(資源が無い)から勉学し働く事と努力をする事で、築き上げた繁栄だった。

繁栄の頂点に立った時に楽をして利益を得ようと欲を出しはじめ、さらに財を得ようとした時から衰退が始まった。株を買い土地を買占め、高騰するのを見込んでいた。為体の知れない化け物(悪しきもの)に投資をした揚句、衰退の一途を辿る事と成っって行った。そこには見習った国が有った。先に衰退をして行った国・・・アメリカで有る。

アメリカは、株式投資国で有る。楽をし金を稼ぐ事を良しとする多くの投資家が居る。働く事を美徳としない国である。株投資と家の建築・土地への投資が絡んだ時に、リーマンショックが起きてしまった。日本にもその影響は大きかった。

その仕組みを考えた当本人(アメリカ投資関連者)の写真を見た時に彼は、大いなる魔神を宿して居た事を確信した。魔神を宿した者は、世の中に大いなる不幸を招く。魔神の存在する所・・・そこは、地獄が存在する。

大いなる渇欲の渦巻く所に、魔神は存在する欲しても欲しても満足を仕切れない欲・・・。まるで広い砂漠の砂に水を注ぎ込む様な限りの無い欲を言。それは、全うに懸命に生きて居る者にも影響を及ぼす。株投資・・とは、魔が存在する所であり、体の良いバクチにしか他ならない・・。本来の株投資の意味を逸脱した存在と成ってしまっている。

エジプト繁栄の昔から、繁栄をした揚句、懸命に働く事を忘れ安穏と楽をし、渇欲に溺れる経済に成った時から・・国の繁栄は、衰退へと代わり・・やがて滅亡をして行く。

衰退を食い止め辛うじて滅亡から救ってきたのは、政治家でも官僚でも評論家でも楽して財を成した者達でも無い。苦労し辛抱し額に汗をし賢明に働いて来た底辺の位置に座する名も無い庶民、国民達で有る。今も、それは変わらない。神仏は、そう言った人達の所に存在している。それは神仏が認め鎮座する場所で有る。

仕事が辛いから楽が出来ないから不安なのか・・・。社会の価値観から遥かに下に位置する場所に自分が居るから不安なのか・・。それとも働いても働いても思うほどの収入に成らないからなのか・・・仕事が気に入らないからなのか・・・気に入った仕事・・とは何なのか?楽して稼ぎ人から偉いと認められる・・・そんな、くだらない社会的価値観から思考したものなのか?

それとも、預金が減る出来ない無いからなのか?社会・経済的見地から今一度、思考してみる必要が有るだろう。

世の中には、借金と言う十字架を背負い、家族の為、社員・従業員の生活を守る為に頑張って働いている人も又、老いても尚も頑張って働いている人達が居るのも確かな事実である。彼らは、不安を抱えながら、或いはそんな事を考える暇も無いほどに前向きに黙々と頑張って働いている・・。

困難・苦労を避け働かずして、或いは、成るべく楽をして多くの収入を得よう・・・そんな事とは無縁の人達だ。

今一度、自分の身と回りをシンプルにする必要があるかもしれない。

シンプル・・とは、余分な余計な本来は必要としない、無駄な事・無駄な思念・無駄な物質の事である。

つづく

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スピリチュアル~☆~確実の幸せに成る為の学び~☆釈迦との会話・・瞑想

2012-06-01 16:22:06 | 確実に幸せに成る為の学び舎

スピリチュアル・確実に幸せに成る為の学び★~釈迦より教えられた事・・・                                                                                                                             

◎ 釈迦からの教えは、苦しい・・辛い・・暗い・・苦悩そのものだ・・・

■ 瞑想の勧め・・・第5回目授業・・

 そこで聞いてみた。「イエス・キリストは愛(善)を説くが、どうして、あなたはこうまでも、悪しき事ばかりを説くのですか・・?。お陰で、私は暗く成るは苦しむは・・苦悩の日々に明け暮れています・・。少しは、幸せに成る方法でも教えてくれれば良いのに・・・。私は、救われたいのに・・もう、ず~とず~と苦しみ続け暗く成るばかりです。」

聊か・・・いや、プッツンした!・・と言った方が言い・・腹を立て聞いてみた。

すると器の底に泥(悪しきもの)が溜まったままで、いくら清い水(愛・善)を注ぎ入れても、水は濁るばかりで有る、泥(悪しきもの)を取り除いてこそ、清き水を入れる意味が有る。」と説れた。

この意味を解説すると、器は己の心魂全体を意味し、泥とは悪しき心魂の部分を意味し、清き水は、愛・善の教えを意味する。

静かに底に溜まった泥が清き水を注ぐ事で、舞い上がり水を濁らせる・・。それは、普段は気にする事が無い己の悪しき部分は、静かに心魂の底に沈んでいるが、愛・善の教えを注ぎこむ事で、心魂の悪しき部分が、かきまわされる・・。心の乱れ苦悩を表し、やがて時が経てば、泥(悪しきもの)は再び沈む・・。この繰り返しでは、意味が無く、泥(悪しきもの)を取り除いてこそ、清き水(愛・善の教え)を注ぐ意味が有る・・事を説いています。

分り易い例として「美味しいご馳走も、悲しい・苦し時には、美味しく頂け無いだろう・・。」とも言われた。苦悩を消し去ってこそ、ご馳走は美味しく頂ける・・・と言ったことだろう。

釈迦とイエスキリストの教えの違い

イエスキリストは、愛や善の教えに重きを置き、釈迦は、悪しきものを消滅する教えに重きを置いた・・・。人の心魂に存在する善と悪に対し、イエスキリストは善に向き合い、釈迦は悪に向き合った・・と言えるのだろう。

だから、釈迦の教えは、心魂の悪しき部分に迫るものだから、辛い・・苦しい・・暗い・・・苦悩する。

釈迦は、続いて「悪しき部分を取り除く(消滅する)事は、苦悩に尽きる。しかし、悪しきものを消滅すれば、残るものは、愛・善のみである・・。人は元々、愛そのもので有る・・。その為には、瞑想が必要で有る。」と、説かれた。

瞑想・・・それは、何も考えず、ぼ~とする事では無い・・。無(空・自由)そこに至る為の行為・思考・学び・苦悩が必要で有る。

瞑想・・・煩悩・雑念・欲・・人の悪しき心魂の部分を抹消する事を意味する。それらを捨てる・・・消滅する事で、不安・苦を無くし、心の安心・・・安らぎを得る。強いては、生きる意味も強さも導き出される。何も考えずぼ~とするので有れば、眠った方が体が休まるだけ、まだましだろう。

瞑想・・・先ずは、己と向き合う事から始る・・。己と向き合うは、苦を伴う事でも有る。

今般、情報社会の時代で、テレビをはじめ、あらゆる情報が入って来る。娯楽も多々有る。忙しい時代でも有る・・。心がしんどい時は、娯楽を楽しみ、情報を社会と共有し安心を得ようとする・・。不安や苦・ストレスから一時的には逃れられる・・が、また、繰り返し続く・・。忙しくしていれば、繰り返しも気がまぎれ有りかと思う。気が付けば・・・自分を失っている・・。

己と向き合う・・・本当は、一番大切な時間です。ここから、始めなければ真の安らぎも真の幸せも得られない。

次回は、煩悩・雑念・欲・・・悪しきものについてお話します。

つづく・・・ 

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スピリチュアル・テレビでおなじみマツコさん・絵本・・地獄を朗読・・地獄は本当に有るの?

2012-06-01 16:21:23 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアルなお話~★~地獄って本当に有るのかな・・?

 テレビでおなじみのマツコさんが、テレビ番組で、絵本・・地獄を朗読していた。強烈な地獄絵が絵本に描かれてあった・・・。

■ 地獄は、本当に有るのだろうか・・・?

強烈な地獄絵は針地獄・なます地獄・釜茹で地獄などなど・永遠に続く苦痛を表している。見ただけで大人でもぞ~としてしまうほどだ。そんなものを幼稚園児に母親が与え見せているらしい・・。見た子供達には、効果的面らしいが、良いものか悪いものか・・。幼い頃の強烈な出来事や見た物は印象的で後々まで残るもので有る事は確かだ。幼い子は心がまだまだ純真である。その純真な子に見せて良いものかどうか・・・。

地獄は、「本当に有るの?。」と子供に聞かれたら、「そうだよ!。」それとも「いいえ無いよ・・!。」さ~あなたは、どう答えますか?。

自分が分からぬままに、本当の事を答えられないままに、子供に地獄絵を見せるのは如何なものだろうか。故に、今日は、地獄は有るのかどうか?有るのならどう言ったもので、何処に有るのか?を少し、お話をしてみましょう

先ずは地獄絵についてお話をしましょう。

仏教がさかんだった遥か昔、一般の庶民は、字も読めない書けない・・のが当たり前の事で、難しい経典などは読んでも聞いても説法されても理解が難しい。その為に、戒めの教えを分かり易く且つ、強烈なインパクトを与える為に考えられ、あえて絵で表したものが地獄絵です。実際の地獄とは、それとは大いに違ったものです。

では、実際の地獄はどんなものなのか?有れば何処に有るのだろうか?。神仏からの教えを少し紐解いてみましょう。

少し難しいかもしれませんが、飽きる事無く真剣にお付き合い頂ければ幸いです。

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真実の地獄とは・・・

地獄は何処に存在するかと言いますと、この世にも存在し、死後の世界にも存在をします。

地獄は悪しきものの集まる場所を刺し指し、それが巨大化され集約された場所を地獄と言い、或いは魔界とも言い、そこに意志を持ったものの存在を魔神(悪魔)と言い、神道ではおろちと言い悪のエネルギーの膨大化、強烈化した場所を地獄と言います。

地獄も、魔界もそして魔神を創造したのも、他ならない私達人間であり神が創造したものでは有りません。人間の悪しき心魂の創造物であり賜物です。

人の心魂には善と悪が存在します。人は愛(慈悲と慈愛)を持って正義を持ってそして信仰を通じ神仏を持って、知恵と学習(経験・歴史)を持って、己の中の悪と戦い生きています。

地獄絵巻では、悪い事をした者のみが恐ろしい目に合う・・。そう言った場所で有りますが、現実社会(この世)では、地獄の場は、懸命に生きていても降り掛かる場合、飲み込まれる場合が有ります。理不尽な目に合う災難に合う・・。そう言った言葉が適当かと思われます。

例を上げれば、大きい魔神の仕業として戦争が地獄の場として上げられます。第二次世界大戦では、多くの地獄の場が有りました。原爆もそうですし、ナチスドイツによる悲惨なユダヤ人への迫害・・・。最近では、アフリカの民族戦争・・・今も、世界では内戦や隣国との戦争の場・悪の場(地獄)が存在します。宗教戦争も同様です。

何の罪も無い、まじめに生きている事も努力も報われる・・・そう言った理念をぶち砕き、理不尽が起きる・・。それを目にした者や経験した者は、地獄を見た!。と言いますこの世の地獄・・とも言います。現実の世界の地獄とはそういうものです。それは、個人レベルでも地獄は存在します。地獄とは遠い存在でも、死後の世界に限らない、現実に、そして直ぐ側に起きうる悪の居場所で有ります。

心魂の世界の地獄・・・

人は、肉体と心魂を併せ持ってこの世で存在をしていますが、死を迎えると肉体は無くなります。良く残っても骨・・・髪の毛・・くらいです。

死後は、心魂のみとなる世界で存在をする事になりますが、この世界は、色々と複雑で、天に昇った後の場所、神仏から見守られ先祖霊と成る場所など複雑極まりない説明しかたい場所です。

心魂の世界の地獄は天に昇るに至らない、この世と重なり見えない下等な位置(場所)に存在して居ます。

この下等な場所には、人の五欲とそれによって生み出された五悪が渦巻いていて、その悪しき場を地獄と言います。人間の欲や恨み・悲しみ・嘆き・殺意・無念など悪しき思念によって存在する地獄(魔界)は、現実社会にも自由自在に姿、形を変え行き来し、災いを起こします。

死後は、欲を捨て悪しき思念も全てを捨て無(空)になり、天に先ずは登らなければならない。

そうしなければ、やがて自分の心魂は、悪しきもの、魔界、地獄に取り込まれ抜け出る事が出来ない。どんなに隠れ様とも、まるで磁石に吸い寄せられる様に、取り込まれる。大きな大きな魔神の懐に転がり込んでしまいます。成仏をしなければならない理由がそこに有ります。そして、地獄に落ちる・・・意味もそう言う事です。

私達が、そうならない様に神仏は、何時も戦っておられます。お地蔵様は、迷える心魂を守って下さり、不動明王は、悪しき者を捕らえ、死神は、無事に天国へ送り届けてくれます。観音様は、理不尽から人を救って下さいます。

釈迦は、無(空)に成る教えを説いて下さっています。

以前に釈迦に聞いた事が有ります。「キリストは、愛を説いているけれど、何故、あなたは、そうまでも欲を捨て悪を消す事に力を入れ説かれるか?。」と。

すると「欲を捨て悪を消しされば、本来の人間の姿、神が造りたもう愛(慈悲・慈愛)・善の心魂と肉体(人間)のみが残る・・。」

そして例として「器の底に泥が溜まったままでは、いくら綺麗な水を注いだ処で、泥が舞い上がり、濁り一向に綺麗には成らない。泥を除いてこそ、綺麗な水を注ぐ意味が有る。」と言われました。

般若心経は、「さーさーみんな、何もかも捨てて、浄土の国へ行きましょ行きましょ・・。」簡単に言えば、そう言った内容です。

神道の祝詞も、清めたまえ払いたまえ・・・かしこみかしこみ白(まを)す。と、悪しきものを消す事を申しのべ、神の重要な仕業としています。

復唱し言います。 死後は、思考・未練・恨みも執念も欲も全て思い切って放り捨てかなぐり捨て先ずは、天に昇る事が肝要である。大切な愛する人も、例え幼い子を残したとしても先ずは、天に昇る・・・。そこから、心魂の世界が始まるのですから。

そうしなければ、心魂はさ迷い、成仏が出来ない・・。やがて地獄に吸い込まれる・・。そう言った所でしょうか。

欲深い者は、大いなる悪を心魂に育み、死後、己の心魂が天に昇る事を恐れ或いは拒み未練を残し、己と同類の悪しき魂の場で有る地獄に、吸い寄せられる。それは、まるで磁粉がプラスとマイナスに見事に分かれ引き寄せられ引き裂かれる様である。

一度には、説明は難しいものですが、今後お話の中で、徐々に、お分かり頂ければと思います。

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子育ては、子供との根競べの様なおのですから大変です。

簡単に地獄の絵本を見せれば、効果的面で親は楽かもしれませんが、脅し又は脅迫の様なもので、元々、そう言った意図で描かれたものですから・・。

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