スピリチュアルアート・不思議話・猫話・神話を紹介します

癒しのスピリチュアルアート・不思議なお話・可笑しい猫話・チョッと面白い為に成るかもしれない自作の神話を記載します。

スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・理不尽の限り(極み・限界)の時・・

2012-07-12 06:50:51 | 確実に幸せに成る為の学び舎

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・理不尽の限り(極み・限界)がある時・・

☆。。本日は、前編・後編に分けて記載をしています。どうぞ、両方をご覧下さいませ・・

 この世の中を生きて行く上で、美徳の思想が有る・・その思想を知らぬ間(無意識)に自分達は身に付け指針として生きている・・。その美徳の思想は、時にして大いに自分を苦しめる・・。

美徳とは、美しい徳の有る行い生き方・・道徳に叶った立派な行いを指す。思想とは・・・人生・社会・政治(世の中)などに対する一定の考え或いは、哲学・道徳で思考作用の結果に得られた意識内容・・と言った事である。

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が、この美徳の思想・・・を重んじる人ほど・真面目な人ほどこの世は生き難く自分を責め苦しめる結果と成ってしまう事が有る。それは、結果が美徳の思想に伴わない時であり、報われない時に得てして起こる。それを理不尽と言う。

美徳の思想には、諦めずに頑張れば報われる・・。正しい事は必ず勝利し良い結果が齎される・・。良い行いは報われる・・。懸命に尽くせば何れ分ってもらえる・・。などなど、世の中で良し・・とされる言葉で、考えれば直ぐ側に多々転がっている・・。

例えは、オリンピックに出場を夢見て目標と努力を重ね取り組んだ結果、敗退しオリンピックの夢が消えてしまった・・・。何回も挑戦しても及ばなかった・・。結果が報われない・・・そんな時、努力が足りない・・何か自分に足りないものが有ったからだ・・と自分を責め苦しむ・・。人生の敗北者としての影を背負い、生きるに自信が持てなく成ってしまう事も有る・・。

例えば、この不景気の中、懸命に働き会社と社員とその家族の為に必死で頑張った結果、倒産し多額の借金を背負う羽目と成ってしまった。諦めずに頑張った結果に齎された・・地獄がある。

早くに見切りを付けておいた方が楽だった・・・。頑張っても、どうにも成らなかった・・。結果、自分のやり方が悪い・・自分が至らなかった・・・と多くの負債と苦悩に喘ぎ・・また何処かで美徳の思想が頭をかすめる・・人に迷惑を掛けてはいけない・・と。こんな時こそ、家族は助け合う・・そんな美徳の言葉も空しく、家族からも責められ罵倒され気が付けば離散・・。

例えば、母子家庭で必死に子供の為にだけ生きて育て上げやっと一人前に成った子供達・・。迷惑に成っては成らないからとその後一人頑張ってみたもののついに病に倒れ働けなく成る・・仕方なく子供を頼りにするが、誰も見てくれない・・。頑張れば報われる・・。親の背中を見て子は育つ・・。そんな美徳の思想が空しくよぎる・・。何が悪かったのだろうか・・何処で子供の教育を間違えたのだろう・・と自分を責め続ける・・。生きる希望を無くす。

例えば、学校に通うのも勉強をする事もサボる事無くまじめにしなくてはいけない・・。そんな美徳の思想・・が有る故に、学校でいじめられ続けても懸命に学校に通う・・・結果、行き場を無くす・・心身共に疲れ果て自分に価値を見出せず・・・苦悩の末に人生に幕を引く・・。あわ良く命を繋いでもトラウマと成ったり人間不信社会不信に親子で陥る・・。親子で自分達を責めつづめる・・。自分達の何が悪いのか・・と。

例えば、懸命に生きてきたのに、災害に事故に突然遭遇し、尊い命を奪われたり住む土地も家も耕す土地も失ったり・・・と、人生のどん底を経験する・・。何の自分に責任が無い出来事の時にさえ、何でこんなめに自分が・・。どうして・・・?と自分を責める理由を探し求める・・。自分の今まで生きて来た事の中に何か悪い事をし罰が当たったのだろうか?それとも前世に何か悪い事をした為なのか・・?と頭を過ぎる・・。

例えは、懸命に生きてやっとここまで来たのに、もう先が無い・・。また、数年しか生きてないと言うのにもう終わりが来る・・。人生の途中半ばで・・自分の意志とは別に、命の終わりを迎える・・。幼い子供を残し旅立たなければ成らない・・。命の終わりに、もう愛しい子供に会えない、子供の先行きを心配し続ける・・が、どうにも成らない・・。

美徳の思想・・知らぬ間に生きる指針と成っているもの・・・。結果が伴わない・・それを理不尽と言い己を苦しめて止まない・・。信じて真面目に頑張って生きて来た人ほど苦悩する・・。生きる指針を見失う・・。頑張って・・・と言う言葉・・美徳の思想の言葉・・が重くのしかかる。

美徳の思想・・に叶った(理に適った)生き方をする者も確かにいる。それらの人々は、世の中の手本とされる・・。本人も美徳の思想を生きる自信・・指針とし続ける・・・。それ故に本なんかを出したりもする・・。

美徳の思想に行き着かない者は、そんな人の本を読んで、あ~やっぱり自分は駄目だ・・まだ至らないとまた、頑張ってみたりもする・・。

生きる上で、知らず知らず身についている美徳の思想・・生きる為の指針としているのは、幸せに成る為である。誰もが、幸せを目指しているからだ・・。

叶う者・叶わぬ者・・言い換えれば、勝利者と敗北者・・幸せ人と不幸せ人・・と言ったところだろう・・。そんな人生が合い重なって或いは、綱の様に捩れ絡み合い一本の綱の様な人生・社会でこの世は成り立っている。

美徳の思想・・に、そぐわないと自分に価値観を無くしたり、或いは心が歪んでしまったり落胆したり希望や目標を失ったり反発したりで、興してしまう犯罪や人生に幕を引く者もいる。

美徳の思想を持つが故に、己を苦しめる・・・故に、持たない方が楽だろう。頑張る事も、諦めない事も正しく生きる事からも逃げる・・・見てみない振りをする・・。避け通せれば楽かもしれない・・。

がしかし、たとえ敗北者で有ろうとも不幸人で有っても、美徳の思想を捨ててはならない。何が有っても、胸を張って生きて行こう。どんなに報われず理不尽の極みが有ったとしても、人生の最後まで生きて行こう・・。至福の時が場が待っているのだから・・。

 

結果は、この世では無く、死して尚も存在する愛して止まない心魂の行く先、黄泉の国に有るのだから・・。

 

何故なら、万物創造の神は、神をも造りし神(創造主)は、全ては相対性の原理に基づき成り立つ様に仕組んでいるからだ。

この世で報われない人・理不尽の極み・不幸な人・・それらの全の人はこの世では無く、黄泉の国で反転(相い反)する事と成るのだからだ。

相体性の原理は、物理や化学の上でも宇宙の生業でも全く持ってそうなのだから・・。

また、そうで有る事を、イエス・キリストが証明している。(本日・・後編に記載しています)・・・つづく

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・権威欲と生命欲・・

2012-06-30 21:28:32 | 確実に幸せに成る為の学び舎

 スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・権威欲(権力欲)と生命欲

 五欲・・・それは、食欲・色欲(愛欲・性欲)・物欲(金銭欲)・権威・権力欲・生命欲に分かれるが、それら5つの欲は、大いに絡み合う紐の様なもので、絡んだ紐は寄り合わさり大きな一本の渇欲の綱と成っている。

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権威・権力欲は呼んで字の如くである。人の上に立ち、私はあなた達よりも賢い偉い優れた者で有るから崇め敬い従いなさい・・・と言う事で、心身を縛ると目されるが、それに留まらず心魂(心・魂)をも従えそうとする横暴きわまりない行為である。

以前に、書き記したけれど、神や御仏は、人と共に有り、共に繁栄し共に幸せを目指すもので、決して心魂を従わせる・・・などと言った事は無い。人(他人・・ここでは自分以外を指す)の心身や心・魂を占領し従わせる・・・そう言ったものは、悪・悪魔・魔神・おろち・・・言い方はそれぞれ違うが、悪しきものの仕業で有り意とする所である。

小さく言えば分って欲しい認めて欲しい・・・それらも、相手に認めさせようとする・・それすら権威欲に属する・・。

誰もが持っている・・・ささやかな欲とも言える。例えば、恋人に私の思いを分って欲しい・・友達に分って欲しい・・・親に分って欲しい・・私の仕事ぶりを分って認めて欲しい・・・。それらの事を指す。

分ってもらえない・・認めてもらえない・・・から、苦悩し腹が立つ・・トラブルが起きる・・。自己主張・・は、相手の心魂に入り込み相手の心魂を従わせようとする事で、決して叶わない事である。

生きる上では、双方の理解が必要では有るが、それが例え血が繋がろうが何だろうが、心魂はそれぞれ固有のもので、決して入り込めない領域で有る事を肝に銘じておかなければならない・・。入り込めなくとも当方の愛が有れば必要な理解は出来る・・互いに幸せを維持し合える。付かず離れずが丁度良い感覚だろう。

それを念頭に置いていれば、冷静に安穏としていられる。仕事を頑張っていて、認められようが認められまいが関係なしに人の喜ぶ姿や状態が良くなる(助けになる)事に喜びと幸せを感じる事が出来る。

大いなる権威・権力欲を持つものは、五欲の太い綱を持っている。欲深い所には、悪が生まれそして魔が存在する。様は悪魔・・魔神・・と言った存在で有る。そこには、心の平安は無い・・。

歴史は、人間が社会が歩んで来た過去で有る。過去を振り返る・・・それは、同じ過ちを繰り返さない為とこの先、より良い社会を築き上げる為の経験である。

歴史上の人物で誰が好きかと聞かれたら、上杉謙信・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・・などの戦国時代の武将の名が良く上げられる。権力者達で有る。

が・・・。どうだろうか?誰もが、天下を自分のものとし思う様に采配を振るいたかった・・。その為に、どれだけの人々の血が流され、悲しみと生活苦で難儀をした家族の数を入れると相当の数の不幸を招いた事だろう。

彼らは言うだろう・・。そう言う世の中だから仕方が無い・・。自分が天下を取った暁には、世の中を平和に人々を幸せにする・・・その為ならば多くを犠牲とし自分は毒を食らってでものし上がる・・と。

毒の栄養で育ち立派な実を実らしても、そんな林檎は毒林檎にしか他ならず食べられない・・・。時間の問題で腐ってしまう。

権力欲者は、美味しい物を食し、多くの異性を侍らかせ人を思うように押さえ付け、溢れる物と立派な城を構え、己の永遠の繁栄と最終の願いは永遠の命を欲したがる・・。

時の最後を栄えた状態で終わっても、死後、天に上り色々と有って(省略)やがて、自分の子孫を見守る事と成る。得たものは失って行くのも相対性の法則であるから、必ず失ってしまう。失って行く滅び行く様子を、もの言えず不安と苦悩の中、心魂の安らぐ事無く死後も見守って行く。何と辛いことか・・・。

何も無いものは、幸いである。

遠くエジプトが栄えた時代、は死後も尚、蘇る永遠の命を願い財と一緒に葬られた・・・が、今は、みんなのさらし者で展示されている。権力者・・最終の欲は、生命欲・・それは叶わない欲である。

織田信長は、時の終わりに夢・幻と言い残し、歩んだ人生を失った。豊臣秀吉は、子供の行く末を暗示しながら亡くなりその後、子供の代に全てを焼かれ失った。徳川家康は、日光で今も江戸城に向って子孫繁栄を願って立ち続けているが、見つめる方向には皇居しか今は無い・。立ったままでは、心も休まる事は無かろう・・。権威欲・・・それは、必ず滅ぶものである。そして心安らかでは居られない・・・。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・物欲・金銭欲・その空しさの・・例5

2012-06-27 19:36:17 | 確実に幸せに成る為の学び舎

 スピリチュアル・確実に幸せに成る為の学び~☆~物欲・金銭欲の・・その空しさ・・例5

◎ 90歳を過ぎて失意の揚句に、自殺をし亡くなってしまったお婆さん・・・の連れ合い・・・お爺さんは、その後どう成ったのだろうか?・・娘(長女)との関係は・・・・?

■輪廻・・・

90歳を過ぎ自殺をし亡くなってしまったお婆さんの連れ合い・・お爺さんは、半年を過ぎた頃には、老人向け病院の天国に一番近い最上階の個室に入院をしていた。確か、年齢は95歳を越えていたが、頭はしっかりとしていた。そこは、病院で一番、料金の高い広い個室部屋である。それでも充分に、お爺さんの年金で間に合う金額だった。

入院をするほんのちょっと前まで、お爺さんは呼び名は分らないが、三輪バイク・・と言うのだろうか、老人用バイクとでも言うのだろうか?そんな物に乗り出かける事も有ったらしい。粗相は良くしたもののトイレにも自分で行けたらしい。

お婆さんが無くなってからも、お爺さんが家事をする事は一切無く、毎日、お通いで長女がお爺さんの身の回りの世話をしていた。デイサービスも介護サービスも嫌いガンとして受け付けない為、長女は世話が大変だった様だ・・。あまりまめな方では無いから余計に負担を感じたのだろう。

少しは、お婆さんの苦労と心情を知る事と成ったのだろうか?

90才を過ぎても変わり無く家事とお爺さんの身の回りの世話をし、体力・心労の極限に至っていた事。自分の預金・株・土地など多くの資産を娘に託した意味を・・グループホームに入れられ自殺をした理由・・・を

娘に助けてほしかった・・・何とかして欲しかった・・・一緒に暮らしたかった・・・優しくして欲しかった・・。でも、空しく望みを絶たれてしまった・・。その為に預けた預金・資産だったのに・・グループホームに入れられてしっまた絶望と悲しみ・・空しさ・・。

全てをお爺さんの所為としていたが、娘には娘の役割が・・・自分にも責任が有った事に気が付いていただろうか?

おそらく・・それは無かっただろう。

お爺さんを病院へ入院させた後、彼女は、ほとんど毎日、お爺さんの所へ通っていた。頼まれた食べ物を買い届ける・・・それだけの事である。世話・・では無く見に行く・・と言ったところだろう。

その後、お爺さんの所有する預金・株・土地などの資産も彼女が預かる事と成ったらしい。

お爺さんの天国に一番近い病室は、とても見晴らしが良い。しかし、窓からは一番遠い場所にベットが置かれている為、窓の外の風景は歩かない限り、見えない。入院後、間も無くお爺さんは歩けなく成ってしまった。

病院は、患者が歩く事を好まなかった。頭がボケ・・歩かれると困るらしい。歩けるお年よりもその内、足が弱り歩けなくなる・・。歩いていると叱られる・・嫌われては困る・・・故に、歩かない・・・やがて歩けなく成る。

病院にとっては静かにベットで寝てもらい定期的にオムツの交換をする方が楽らしい・。汚れようがどうだろうが・・時間が来ないとオムツの交換はしてもらえない・・。

毎日、お通いでその病院へ行っていた彼女の話では、入院をしているお年寄りの見舞いに来る家族はほとんど無い・・あまり見かけない・・と言っていた。そこは爺婆捨て山・・である。そんな爺婆捨て山は、至る所に有る。

同様の病院の経営者を私は知っている・・。同様の病院で介護の仕事をしていた人も知っている・・。その2人から似たような話を聞いた事がある。

一度も見舞い来ない家族・・亡くなった事を知らせても来ない・・。仕方が無いので病院側が遺骨に成るまでの面倒を見る。葬儀らしいものが終り1週間以降から1ヶ月頃に家族がやってくる・・。

お世話に成ったお礼も底々に、預金通帳は如何なっているのか・・有るだろうか・・と聞かれるらしい。そんな話は珍しい事では無いらしい。入院患者(老人)の中には、そんな薄情な家族に失望し、残された預金を全額、寄付してしまう人も居るらしい。

自分は、そんな事には成らない・・・と思いたいだろうが、遅いか早いか・・・何れそうなる確立が高い・・。人生なんて・・あっと言う間に、幻の如く通り過ぎてしまう。

ほとんど毎日、お爺さんの病院へお通いの彼女・・1年も過ぎた頃の彼女の口癖は・・・・「何時に成ったら死ぬんやろう・・。」お爺さんの死を心待ちにしていた。私は、そんな彼女の言葉を嫌・・と言うほど聴かされた。

これでは、亡くなったお婆さんの心情も自殺の理由も理解は出来ないだろう。

輪廻・・、同じ事が何れ自分の身に降り掛かってくる・・。彼女も又、子がおり孫もいる立場で有る。

お婆さんから預かった資産の一部は、息子の立派な家となり豪華な新車へと姿を変えた。その家の一室は、自分達夫婦の部屋とされているらしいが、未だ一度も泊まった事が無く、この先もそれは変わらないだろう。

母子家庭の娘には、孫達の教育費を援助してやっているらしい。

そして、彼女の念願だった事は現実と成り・・数年後にお爺さんは、亡くなった。

そして、その後、彼女は病気に成り自宅で養生をしているらしいが状態は芳しく無いらしい。

その後の彼女は、知り得ない・・・。

今の世は、子供にとって、親は渇愛(求めても求めても満足しない)の対象でしかない現状社会と成ってしまった。渇愛の対象で有る限り、どれほどに無理を重ねて答えても尽くしても親の苦労の真意は分ってもらえない・・。渇愛を求められそれに答えられる間は、こちらを向いてもらえる・・が出来なく成ってしまった・・負担に成る・・・そう成れば相手にはされなく成る。

渇愛で繋がる・・ものを、絆・・・と勘違いをしては成らない。絆とは、与え与えられる愛の繋がりで有る。渇愛・・・そこには、絆の糸は無い・・。故に、結ぶ事は出来ない・・。親に対し絆の糸を持たない者は、親と同じ立場に自分が置かれても尚、親の真意を理解する事は無い・・。

理解をしてもらう事も、報われる事も無い・・。

彼女が特別、薄情な訳では無い・・。これが今の現状で有り社会である。

 赤信号・・・皆で渡れば、怖くない・・悪い事とは知りながら、皆がそうだから・・やっているから・・・と世の中の流れについつい乗ってしまう・・。同じだから何処かで安心をしてしまう・・・そしてやがて、それが世の中の常識に成り正義・・だったり正しい事に変わってしまう。そうやって、人・世の中・社会は狂い幸せが失われて行ってまう。

どの立場に自分が置かれているか・・・果して、自分は・・・自分の周りの絆は・・・と、考えてみる事は、この先の自分の幸せを考える・・・本当の大切なものを見極めるヒントと成るだろう。

戦後、高度成長期を向えその後、衰退の一途を辿っている現在。今後、更に衰退を辿る事と成る。良き時代は事が足りるが、これからの時代は多くの絆が結ばれて行かなくては生きる事も厳しく成って行くだろう。絆の衰退は、渇欲に溢れ間違った価値観の辿ってきた結果である。

知り合いの霊能者の所に、90歳を越えるお爺さんがある日、相談にやってきた。70歳を過ぎる息子が・・・年金を当てにし、未だにお金を毟んに来ると・・・。  

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・・物欲・金銭欲・・・その空しさの・・例2

2012-06-23 01:27:59 | 確実に幸せに成る為の学び舎

 スピリチュアル・確実に幸せに成る為の学び~☆~物欲(金銭欲)・・その空しさ・・例2

前回、ブログの続き・・・↓

 親は、子供に迷惑と心配をかけまいとする言いたいけれど言えない頼りたいけれど口に出せない・・。ぎりぎりまで辛抱をする。慎ましく生活をし老後の為に病院代と葬儀費用を残し子や孫の為に資産を残そうとする。

親は息子や娘を何処かで信じている。世間の悲惨な有り様を見ても聞いても、うちの息子は娘は違う・・・と。

が大抵は裏切られてしまう・・。

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 そんな親の思いに甘え利用し、自分の事で手がいっぱいだと言い訳をし、見て見ぬ振りをし親の良い所取りをする。出来れば老後の面倒は見たく無い・・が、資産が有れば有るほどにその事ばかりに目と気持ちが向いてしまう・・。そう言った所だろうか。

 遠方だから離れているから仕方が無いと盆と正月・・或いはゴールデンウイークに帰る者も居る。

 小さなお土産を一つ持って帰り、親の作ってくれる故郷料理を頂きのんびりするか、遊びに出かけるか買い物に出かけるか勿論、親の支払いで・・。帰りには手土産をいっぱい頂き帰る・・。親が自分に孫に合いたがっている・・・。だから帰ってあげる・・。恩を売っている・・。これが恩返しなのだろうか?何時まで親に甘えるのだろうか?どこまで子供を甘えかすのだろうか・・?

体の調子はどうか?困った事は無いか?何かしてもらいたい事は無いか?年を取って出来ない家のちょっとした修理や掃除をする箇所は無いか?何か手伝う事は無いか?・・・肩の一つも揉んで上げたのか?お風呂で背中を流してあげただろうか・・?美味しいお料理を作ってあげようか?そう考え、行動した事は有るだろうか?

親は帰って貰う為に、ご馳走を作り機嫌を壊さない様に気を使い孫に物を買ってやり手土産を渡し見送り・・後で相当に疲れる。帰った後は、また次に帰ってもらう為に節約の日々が始まる・・。言いたい事や困った事をちゃんと相談する事も出来ないままに・・。ただ、寂しいから・・。愛しいから・・。

そんな光景も、親が弱りもてなしも出来なくなり頻繁に病院通いをする頃には、孫も大きく成り子も孫もほとんど寄り付かなく成る。電話で事を済ませる・・。「元気にしているか・・・と。」そう言われれば「元気にしている」・・と言うしか有るまいて・・。

年老いてくれば、子供を頼るのも親の必要な役目であり、親に頼られ行動し一人前の大人に成れる・・。自分の子供を育て上げる・・・だけが大人に成った証には成らない。

 自分の人生において、過去がどれほどに恵まれ幸せだったとしても今が現実が、辛く苦悩に溢れていれば、恵まれた過去は何の価値も無い空しい幻にしか過ぎない。

自分のこの先が、こうなるだろうあ~なるだろう・・と希望に満ち溢れたものだったとしても、それもまた幻にしか過ぎない・・。今が、どれほどに大切で有るか・・好しとする現実が肝心だ・・。時の終わりにはその事が特に肝心になる。。90歳を過ぎて自殺をしたお婆さん・・・の気持ちを考えると空しくなる。多くの預金と資産は、決してお婆さんの自殺を止めてはくれなかった。

信長の最後の言葉に

人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり
ひとたび生を享け 滅せぬもののあるべきか

(人間の50年の生涯は儚く幻である。死なない者は存在しない。)

信長の終わりが好しとしたものならば、この名言も変わっていた事だろう。

人が最後を迎える時先は無い・・。過去も幻である。死ぬ瞬間である現実が幸せを感じていられるものならば、その人生は全て好し・・となる。老いた親に対して子は、全て好しと思って貰える様に導く責任が有る。

最後の時には、親に感謝をしありがとうと言い、親は老後の世話を面倒を見てもらい、子供にありがとう・・と言える・・。その事が大切なんだろう。

が、現実は甘くは無い。

釈迦の言葉より・・

かつて君の面倒を無償で見てくれた両親には借りがあるのだから、父母に優しく恩返しすることは精神的借金をきちんと完済したことになる・・.

また、どんなに善行をしても、両親を大切に出来ない者は失格である・・とも言っています。

人間が他の動物と違う所は、親の面倒をみる所である。

自分には人間の資格が有るのだろうか?・・・考えてみよう。

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■  生活保護を受けている夫婦・・・

なんだかんだと揉め事も難儀も有りながら夫婦二人で働き、二人の子供を育て上げた。結構な商売を長年していたが、この不景気と商売下手も有って、とうとう倒産をしてしまった。気が付けば家も財産もお金も綺麗さっぱり無くなってしまった。

子供は一男一女の2人である。共に結婚をし家庭をそれぞれに構えている。長男には子供が居ないが、長女には2人の孫が生まれている。母親は商売をしながらも孫の世話をして来た。お陰で長女は、働く事が出来た。長男も長女も共に家を建築し持ち家に住んでいる。

しかし、何もかも無くした両親の面倒は二人とも見なかった。空いた綺麗な部屋が有ると言うのに・・。夫は持病を持っているから働けない・・。母親は既に就職を見つけるのも難しい年齢で有る。結局の所、二人は、生活保護を受けているのが現状だ・・。

両親の面倒は見ないが、長女は未だに子供(孫)の世話をしてもらいに母親に預けに行っているらしい。

いつかしら、その長女が口にした言葉に私は、驚いた事が有った。何か問題が生じた時の事、「おかあさん・・もう○○ちゃんには(孫)合わさんからね・・。面倒みさせてあげんから・・。」と、憤慨していた・・。

資産を豊かに持って残すのも空しい・・。かと言って何も無い親はもっと惨めかもしれない。相手にされない・・。元気で有れば、そうやって孫の面倒でもさせて役に立ってもらおうとする・・。弱って寝込んだら・・近寄らなくなるだろう・・。

他人から見れば察する所だが、当の本人で有る親は気が付かない・・。分った時には遅すぎる・・。

母の日、父の日にせめてお義理でも何かプレゼントを貰っていれば、まだ救われるのだが・・。

何かが間違っている・・。つづく

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・物欲(金銭欲)・・・その空しさの・・例1

2012-06-21 17:03:46 | 確実に幸せに成る為の学び舎

スピリチュアル・確実に幸せに成る為の学び~☆~物欲(金銭欲)・・その空しさ・・例1

◎ テレビを付けると楽しそうなバラエティー番組や有ったらさぞ楽しいだろう便利だろう幸せだろうな・・・の物欲を誘うコマーシャルやそれに引き換え悲惨な事件や災害のニュースや景気や経済や他国の情勢などが勝手に流れてくる・・。

そしてネットによる情報・・・など、溢れんばかりの情報が勝手に一人歩きをし入ってくる。これを情報社会・・と言うのだろう・・。望まなくても向き合わなくても勝手に向こうからやって来て、耳に目に入って来る情報だ。

だから実感が無い・・・。自分に関係の無いよそ事の遠い位置に存在する情報である。それが悪いとは言わないが、自分にとって役に立つ学ぶべき情報は本当は自分の極近い場所に存在する。しかし、そんな情報は今の時代は、見て見ぬ振りなのか、付き合いが気薄に成った為なのか分らないが、ほとんど入って来ない。

直ぐ側の足元に、学ぶべき向き合うべき情報が横たわっている・・。現状・・と言った情報だ。この情報は、出来れば見たくない観とめたくない・・気重な出来事だ・・・。何故なら、自分にも起き得る事だから見たく無い・・・知りたく無い・・・観とめたくない・・むき合いたく無い・・・そんなところいだろうか。

これから、身の回りに実際に起きている現状を見つめてみましょう。気重な情報ではあるが、目を背けてはならない学ぶ事の多い情報である。

そして是非ともと他人事とせず、考えてもらいたい。

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■ 先のブログ記載の内容につづく・・・物欲の空しさ・・例・・1

○ 90才を過ぎて自殺したお婆さんの話

当時、知人のお母さんは90歳くらいだった。夫婦共に長生きで、連れ合いのご主人(お爺さん)も同年代で、夫婦2人っきりで生活をしていた。長女である知人とその下には弟(長男)がいたが、別居生活をしていた。

お爺さんは、公務員で真面目に働き、それなりに出世もし収入も結構な額有ったらしい。例の如く、それなりの天下りをし再就職をし、生活にも余裕が有り、借家を所有し、株も幾つか所有し預金も結構な額有りながらも、慎ましく生活をしていた。住む家は勿論の事、持ち家で元気な頃は夫婦でたまに旅行にも出掛けたらしい。

が、この老夫婦には一つ大きな懸念が有った。それは長男の事である。人を騙す様な人柄では無く、どちらかと言うと騙される事が多く、職業も安定せずその為に、孫の養育費に当たっては随分と協力をして来たらしい。長女は真面目な人と結婚をし、それなりに家庭を築きしっかり者としての存在を位置していた。品の有るお嬢様育ちが何処と無く漂っている。

お婆さんは、90才を過ぎても、未だに家の掃除に食事の支度に洗濯と・・何一つ若い頃と変わり無くやりこなしていたのである。家は何時も綺麗に整えられていたらしい。お爺さんは明治の終わりか大正のはじめ時代の生まれだろう。かなり頑固な人で、家事を手伝う事も無く・・退職後は、ハイお茶・・メシ・・新聞・・と言うとお婆さんが動く・・・それはずーと一貫して代わりが無かった。

この時代の女の人はそうだったのろう。文句も愚痴も言わずそうやって過ごしてきた。

ある時、お婆さんは自分の預金の大方を長女に預けた。お婆さんは資産家の娘でも有ったらしく、それなりの資産を相続していたらしい。その為も有るだろうし小まめに貯めた預金も有ったのだろう。

その後、間も無くお婆さんは入院を2ヶ月余りし後に退院をした。お婆さんは、「もうお爺さんの面倒は嫌だ・・帰りたく無い。」と言ったらしい。その後、長女はクループホームにおばあさんを入居させた。

それから2週間余り経った頃、お婆さんはクループホームの自分の部屋で自殺をしてしまった。

その当初、知人はかなりのショックを受けらしい。

その後、残されたお爺さんの面倒をお通いで長女が見ていたけれど、さすがに大変だったとの事。トイレで用を足すと汚す始末・・。何一つ自分でしないのだから大変だ。かと言ってデイサービスに出かけるのも介護サービスも嫌がり頑固として受け付けなかった・・。

彼女自信は、子育ては完了し夫婦二人暮らしをしていた。もうそろそろ頂く年金の額が気に成る年齢で有る。年相応に体力も衰えてはいるだろうが、お爺さん(父親)の面倒を見ようと思えば見える・・・。そんな感じだった。

が、よっぽど世話が大変だったらしい・・後にお爺さんは、老人向けの病院へ入院する事と成った。

長男は、さっぱり当てに成らず寄り付かず、面倒を見てきた孫達も寄り付かない・・。そんな所だ。

彼女は、お婆さん(母親)が、自殺をしたのはお爺さんの所為たと言っていた。頑固一徹で動かない・・手が焼ける・・。そう言った理由だ。

人間には長所短所が有る。そして誰しもが善の心と悪の心が共存している。

彼女は人の面倒見が良く、頭も良く知識豊富で穏やかな物言いと仕草・・何でも計画的に確実にやりこなす・・・そう言った長所と細かい女性としての仕事は苦手で小まめに働く方では無かった。どちらかと言うと指導者的要素を持っていた。静かな物言いだけれどその裏に怒りや頑固さを持っていた。我侭な面も少々有った様だ。

その当時は分らなかったけれど今なら、お婆さんが無くなった理由が分る。

90才を過ぎて家事とお爺さんの世話は体力的にも精神的にも相当に限界が来ていたのだろう・・。だから自分の資産を娘に託した。

そして察して欲しかった・・。何とかして貰いたかった。退院をした後は、娘と一緒に暮らしたかった。「お爺さんの世話は大変だろうから私に後は任せて自分の所においで・・。一緒に暮らそう・・・。」その言葉を待っていたのだ。優しさを求めた・・・だから大切な自分の資産預金を託したのである・・。

が、結局は、グループホームに入れられてしまった・・。

孤独の部屋の中、お婆さんは絶望してしまったのだろう。こつこつと貯めた預金に資産・・・何の意味が有ったのだろうか?

苦悩の中、孤独の部屋のドアーのノブで首を吊った。

日本の軍隊ではイザと言う時の為に、自殺の方法を教えていたらしい。太平洋戦争の経験が有るお爺さんは、お婆さんにその話をしていたらしい・・。お婆さんは、ぼけてはいなかった・・。その方法を覚えていて選んだのだった。

親は、子供に迷惑と心配をかけまいとする。言いたいけれど言えない頼りたいけれど口に出せない・・。ぎりぎりまで辛抱をする。慎ましく生活をし老後の為に病院代と葬儀費用を残し子や孫の為に資産を残そうとする。

親は息子や娘を何処かで信じている。世間の悲惨な有り様を見ても聞いても、うちの息子は娘は違う・・・と思いたい・・・。

が、現状は大方に裏切られてしまう。

つづく   

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スピリチュアル~☆~釈迦の教え・・物欲(金銭欲)・・・物欲の空しさの・・例その1

2012-06-19 17:47:01 | 確実に幸せに成る為の学び舎

 

 スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・物欲(金銭欲)・・・空しさ・・・

五欲とは食欲・色欲・物欲(金銭欲)・権威欲・生命欲の五つを指します。

金銭欲は、どの欲にも大いに絡んでくる・・。

◎ 物欲とは、物に対する過剰な欲の事を表す・・・。また、金銭欲は、物欲に分類される。金銭欲とは必要以上に欲するお金に対する執着の事である・・・。

お金が有れば大方の欲しい物が手に入る故に物欲に属する。美味しい食べ物・・素敵な洋服・・・車に家に・・何でも手に入る。

物意外にも病気さえも治療費が必要と成る。旅行をするにも何かを楽しむのにもお金が必要となる。生活を維持する為の糧でもある。

なので安心し幸せに平和に生きる為に必要な物である事は確かだ。生きて行く為に必要なお金・・・。お金が無くて招く喧嘩・・犯罪・不幸も有れば、お金が有って招く喧嘩や不幸や犯罪もある。

お金には、相反する性質が有る。一つには善である愛を意味するお金と欲と悪を招き人の心魂を惑わせ苦しめ犯罪に至らしめ不幸を招くお金もある。

神の司るお金と悪魔(魔神)が司るお金が有る。

神の司るお金を価値あるお金と言い、それは、生きるを助け人を助け幸せにする為ものとなる。

悪魔(魔神)が司る悪しきお金は、働かずして楽をし手に入れる・・。人に対し権威をふるう為に使われたり、人の労力を強要し手に入れる或いは奪う・・・人を不幸にする為にある。

過ぎる金銭欲・物欲は人の性質も変えてしまう・・・人を惑わす。

必要以上の金銭欲は、すんなりと手放す事を良しとする。或いは必要以上に望まない。或いは必要以上に手に入れば、人に還元をした方が幸せに成れるだろう。

前回のブログの釈迦の説法はここに意味が有る。

多くの金銭や資産を保有する方は意を唱えるかもしれない・・。出来れば子孫孫々・・・残したいと思うかもしれない。しかし、それも無駄で有り空しいものである。

先のブログでも言っているが、神は私に下記の様に教えられた。

 お金は水の流れの様なもので、流れの途中、川の縁の水溜り(ため池)に淀んで留まってる水も洪水が起きれば何れは綺麗に流される。やがて海に流れ蒸発し雲と成り雨と成り水と成りまた川と成り流れは繰り返される・・。お金も同様で、溜まり過ぎると淀んで腐ってしまうと教えられた。

常に流れ生きた使い方をする・・。使い役に立てなくては意味が無い。

仏である釈迦も下記の様に言っている。

 それらのお金は使われぬまま、その人が死んだ後にはやがて涸れて無くなる。智慧(分別)ある全うな人なら、財産を自分の為にも他人の為にも惜しみなく使って愉快に過ごす。・・・相応部経典

死んでしまえば、金貨1枚・・針1本・・・米粒一つ・・・持っては行けない。

多くの資産(金銭)を子孫に残し天に昇った後は、減りはしないか・・馬鹿な使い方をしないか・・・騙されはしないかと死後も気が休まらない・・。死んだ後くらいは安穏と心安らかにいたいものだ・・。が、間違い無くそうなる・・。

釈迦もそう説いている・・・。

 そんな事は無い・・・。そうかも知れない・・。と思っても、わかっちゃ居るけど止められない・・・歌の文句では無いけれど・・・・人間とはそう言うものだ。

だったら、徹底的に悲しく空しい実話を例に上げれみよう。そうすれば今後に生きる意味や生き方の参考に成るかもしれない。

過ぎる物欲・金銭欲に溺れる・・・事から離れ、価値ある幸せな安らかな人生と死後を過ごす事が出来るだろう。

 

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スピリチュアル~☆~釈迦の教え・・物欲(金銭欲)

2012-06-18 18:46:41 | 確実に幸せに成る為の学び舎

 スピリチュアル~★~物欲(金銭欲)・・・尽きない欲

◎ 超訳ブッダの言葉より(ディスカバー

 財産を他人と自分の為に惜しみなく使う・・・

誰もいない荒地に綺麗な水が湧いていても、誰も飲みに来ないまま、やがては涸れて無くなる。

欲望まみれの人が、うっかりお金持ちに成ったら、ケチケチし過ぎるゆえに他人の為にもお金を使わないし、自分の為にすら出し惜しむ。

それらのお金は使われぬまま、その人が死んだ後にはやがて涸れて無くなる。

智慧(分別)ある全うな人なら、財産を自分の為にも他人の為にも惜しみなく使って愉快に過ごす。・・・相応部経田

~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~ ★~~~~~~

今の時代は厳しい。昨日、5千人に1人の割合でホームレスに成っているらしい事をテレビで知った。赤ちゃんも子供達もその中に含まれているのならば、実際の割合はもっと高くなる計算だ。

若者は将来に不安を感じ子育て最中の大人達は家のローンと子育てと教育費を稼ぐ為に夫婦で必死である。子育てが終われば自分達の老後の心配が待っている。老後の渦中にいる者は、寝込んだ時の身の置き場と病気の治療費と葬儀や墓地の心配をし、子や孫の心配に余念が無い・・。

どの年代の立場に身を置いても不安は尽きない・・。だから、出来る事なら預金もしたいものだが、計画を立ても思う様にはならない時代である。

それでも懸命に日々頑張っていれば若者は体力と気力が有るし、お父さんお母さんは子供と家族の為にとパワーが湧いて協力をし生き抜いて行ける・・。気が付けば後ろを振り返ってみれば良くもここまで生きて来れたものだと関心をしてしまうだろう。

肝心なのはここからだ。人生の終盤を迎えると大きな差が生じてくる。富める者とそうで無い者の差が出てくる。

昔ならば、家族が同居し老いた者の面倒を道理的に倫理的にもみるのは当然だった・・。しかし、現代社会に置いては、そんな考えは何処かへ飛んで行ってしまった。社会が国が福祉が年老いた親を見るものだと勘違いをしている。一千万円のポルシェに乗り数千万円の年収が有りながら、平気で国に親の面倒を見させていた芸能人が居た。恥を知らない。恥で有る事すら気が付かない。

生活が厳しかろうが不安定だろうが関係が無い。安定したら・・・なんて言っている間に親は死んでしまう。

こんな薄情な時代だから、老後を迎えるに当たっては、それなりの覚悟と計画が必要だ。だからと言って過剰な財産を残す必要は無い。子や孫に残した所で何れ消えて無くなってしまうからだ。空しい限りである。

目覚めた時に、天から教えられた事の一つにお金は水の流れの様なもので、流れの途中、川の縁の水溜り(ため池)に淀んで留まってる水も洪水が起きれば何れは綺麗に流される。やがて海に流れ蒸発し雲と成り雨と成り水と成りまた川と成り流れは繰り返される・・。お金も同じで溜まり過ぎると淀んで腐ってしまうと教えられた。

私の川(お金)の流れは、どうも日照り続きの様で一筋の流れも無い・・・ここらで雨乞いでもしなくては成らない様だが・・のんきに何とか生きている。

なので、今回の釈迦の説法は、私には、ほとんど関係が無いが、この説法に当たる例は限りなく見てきている。悲しく空しい限りである。

そんな実話を次にご紹介しましょう。気は重くなるかもしれませんが、肝心な事なので、心に留め置いて頂きたい。

つづく

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スピリチュアル・確実に幸せに成る為の授業~☆~食欲!

2012-06-08 20:58:23 | 確実に幸せに成る為の学び舎

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・心の安らぎ・・・その2 食欲

生きる為には、欲も多少は必要で有る。

しかし、多くの欲・もっともっとと言う限の無い欲を渇欲と言い、この渇欲が人間を自分を苦しめる結果と成る。欲を何処の時点で、どの位で留めるべきかのさじ加減が難しい。

欲が過ぎると不安も尽きず、渇欲の場には、悪が芽を出し悪心・悪行が起きる。結果、不幸と悲惨な結果を招く事と成る・・。心の安らぎは得られない。

ここでの学びは、過度の欲・・・渇欲を指すもので有り、渇欲によって齎される心の不安や悪の芽・悪心・悪行を招かない様に、そしてそれによって不幸や悲惨を招かない為の学びである。そして、心の安らぎと幸せを招く結果を齎す学びで有ります。

欲は何かを先ずは学び、そして何時でも自分が欲のさじ加減が出来る様になりましょう。

~~~~~~~★~~~~~~~★~~~~~~~★~~~~~

■欲を学ぶ・・・五欲について・・・

五欲とは食欲・色欲・物欲(金銭欲)・権威欲・生命欲の五つを指します。

食欲

この欲は、より多くの満腹感とより美味しい物を食べたい・・欲を言います。過度の食欲と片寄った食事(美味しい物)は、健康を害し病気・・・病魔と言う魔を引き寄せます。食す・・は、生きる為の基本で有りますが、元々、人間の欲はここから始まったものです。

どの他種の生物を観ても、過度に食し病気を招き、それによって死んだりはしません。過度に食糧を溜め込む事もしません。他の生物で食糧を溜め込む種類も中には居ますが、限度を知っています。

原始時代の遠い昔、飢える・・を何より恐れた人間の遺伝子が、過度に食べる・・・食べてしまう行動に走らせてしまうのでしょう。

また、どの種の動物よりも肉体的劣等から食糧確保が下手だった為に、拾い食いをはじめ、色々とあらゆる物(種類)を口にし、美味しい物・美味しくない物の刺激や感動と興味・・・そんな遺伝子が食の好み・・を招いたのでしょう。

過ぎる食欲と美味しい物を食べたい・・・そんな食の渇欲は、病魔と言う魔を呼び寄せ、病気を・・そして病死と言う不幸と悲惨を招く。

足りるを知り、必要な量と片寄らないバランスの取れた食事を心がけましょう。

人間のあらゆる欲は、この地球そのものと、そこに生するもの全てのバランス(調和)を怖し、悪行と不幸と悲惨を招いている。それによって多くの種の生物が絶れてきた。

生き物にはそれぞれに食す食べ物が神より定められている・・。(それを破ったのは人間である・・。アダムとイブについて記載の箇所に詳しく書いています)狂牛病は、人間の食欲と物欲(金銭)がからんだ行為の結果である。食べては成らない動物の骨粉を牛に食べさせた結果で、悪行によって招いた不幸と悲惨な結果である。

今、海の魚が激減している。海に魚が居なくなれば養殖をすれば良いと思うかもしれないが、養殖の魚は、魚を加工し餌として与えている・・。だから、海に魚が居なく成れば養殖も出来なくなってしまう。

海に魚が減ってしまう・・・それも、人間の欲と悪行の招いた不幸と悲惨である。

たかが、食糧と侮ってはいけない。皆が足りるを知り実行が出来なければ、何れ、人間の一番恐れている(本能)・・・飢え・・が待っている。そして生きられない・・。

今、流行のサプリメント・・・それも食材の加工物である。

欲のさじ加減・・コントロールそれは、心(心魂)に留まらず、実生活においても大いに無駄を無くす結果を招く。心魂も身体も生活も無駄を無くしシンプルになれる。シンプル・・・それは、迷いも不安も軽減し、実生活においても経費節約と自分の時間を招く・・・。良い事が沢山待っています。幸せもです。共に、学びましょう。

つづく・・・次は・色欲を学びます。

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スピリチュアル・確実に幸せに成る為の授業~☆~欲・・・を学ぶ!その2

2012-06-04 22:38:14 | 確実に幸せに成る為の学び舎

スピリチュアル確実に幸せに成る為の学び~★~欲について学ぶ・・・その2

◎ 人間以外の動物だって欲は持っている食欲が有るから生きて行ける。色欲が有って子孫を残して行ける・・。生命が有って身を守り生き延びられる・・。権威欲が有って集団の統一と強い優れた子孫を残して行ける・・。

全く欲を無くし捨てる事は、生きる事には値しないし繋がらない・・。子孫も残せないだろう。

肉食動物にも猿にも劣る肉体的存在で有る人間は、食糧の保存を覚え知恵と学習と協力し支え合う事で、他種の動物をしのぎ数を増やし生き延びて来た。

人間は、物を確保し保存し安心をするが直ぐにまた・・減って行く失う事に怯え不安に成りまた、確保し保存し・・の繰り返しをする・・。欲の限り・・・を知らない。人間の進化と共に欲も増し多様化し不安も多様化してきたのだろう。

他種の動物の方が足りるを知り、何時も命の危険をさらしながらも、もしかすると人間よりも安らかで居られるのかも知れない・・。

欲に限りを付ければ・・欲が招く悪を知り不幸を知れば・・不安にも限りが付くかも知れない・・。

言い換えれば、足りるを知れば、不安も軽減されるだろう。

間の欲望は、発展を齎してきた・・。豊かな暮らし豊かな物を・・そして便利な物を作り時間をも短縮してきた。差し詰め、日本は少なからず、そう言う風に成って来た。

なのにどうして発展もあまりしていない物もさほどに豊富でない便利でも無い・・・そんな国・・・ブータンの人々の方が幸せを実感しているのだろうか・・?。国民の確か90%くらいの人が幸せを感じている・・のは、何故だろうか・・。その国は、ゆったりと時間が流れている

つづく

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スピリチュアル・確実に幸せに成る為の授業~☆~欲を学ぶ!心の安らぎを得る・・・

2012-06-03 13:41:07 | 確実に幸せに成る為の学び舎

スピリチュアル確実に幸せに成る為の学び~★~欲について学ぶ・・・その1

 心の安らぎこそが、最高に価値がある事だ・・・・(釈迦の言葉)

 心の安らぎを得る為には、不安を無くす事が必要で、不安を無くす為には、不安の原因と成る・・・欲を無くす事が大切だ。・・・その為には、欲について先ずは、学ぶ必要が有る様だ。

欲を・・・・・知る・・・・学ぶ・・・

   ~~~~~~★~~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~

■欲を学ぶ・・・五欲について・・・

五欲とは食欲・物欲(金銭欲)・色欲・権威欲・生命欲の五つを指します。

この教えは、天より教えられた重要な事柄の一つです。

教えられた当時、有る占い師を参考に・・・・「見てみよ!。」と言われた。

今は、その占い師は、ほとんどマスコミには登場しなく成ってしまったが、その頃は、意気盛んな頃だった。

多くのご馳走を食し良く太り、多くのブランド物と宝石を身に付け、年甲斐も無く若い異性が好きらしく、「私は偉いのよ・・。」と言わんばかりに上から目線でもの言い、「私は300歳まで生きるの・・・。」と言っていた。

「決してこうは成らない様に、肝に銘じて置く様に・・・。」との事で有る。

欲には、限りが無い・・・。「自分は、そんな事には決して成らない・・・。」と思っても、多くのものを手にしてしまうと、それ以上に・・・もっともっとと欲し目指し・・減る・無くす事を恐れてしまう様に成る。自分を見失ってしまう。それが人間で有るからだ。

故に、この欲を戒める為に、何が有ってもそうは成らない様にと、これでもかこれでもか・・・と、散々に苦行を難儀を強いられる・・。

或いは進んで、苦行に己の身と心魂を置く者も居る。多くのものが手に入る状態で有っても、決して溺れる事の無い動揺をしない己を養う為に、真実を悟る為に、苦行をする訳で有る。

欲が存在する所には、悪が存在する。そして犯罪が起きる・・。そして、嘆き・苦悩・悲しみ・恨み・憎しみ殺意・・・などの悪しき心魂が養われてしまう

故に、欲から離れる・・無くす・・・事の重要性がそこに有る。

釈迦の場合は・・・

美味しい高級な食事も何時でも好きなだけ食し、異性に思い存分溺れる事も出来、何でも欲する金銭にも恵まれ、地位も権威も、初めから持って生まれて来た環境だった。

釈迦は、五欲の全てを所有して居た。一国の王子だったのだから当然だろう。この頃、生・老・病・死について大いに向き合っていた。それなりの苦悩も有った様だ。

それらを全て捨て、を離れる・・・捨てる・・修行を自らに選び、菩提樹の元、死ぬ寸前に至るまで悟りの苦行をした訳で有る。

昔から、修行増と言われる人達も、同様の悟りを求めて来た。

イエス・キリストは、慎ましい環境に生まれ、父親を亡くし、その後懸命に家族(母親・兄弟)を養っている。慎ましい生活の中、聖書を学び神と向き合い、多くを神から教えられた。その後、洗礼を受けた後は、家も持たず物も持たず、食す事もほどほどとし、欲から離れ神の教えを説いて行った。

私達は、苦行をし修行僧の様に成りたい訳でも無いし、まして釈迦やイエスキリストの様に成りたい訳でも無い。

この時代にこの社会の中で、人と関わり家族を守り或いは守られ、協力し支え合い切磋琢磨しながら、生きて行かなくては成らない。現実に・・生活が有る。生活が生きる事なのである。

その生活の中で、幸せと心の安らぎを求めている。・・・。何もかも捨てる訳には行かない・・。

ある程度の、欲も必要であるだろう。

しかし、学び知る事は、そんな願いに大いに役に立つ事なんだろう・・

だから、学ぼう・・。

つづく

 

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スピリチュアル・確実に幸せに成る為の授業~☆~不安を無くす・原因を探る!4

2012-06-02 19:33:32 | 確実に幸せに成る為の学び舎

 確実に幸せに成る為の学び~★~不安を探る・・自分の中の不安を取り除く為には・・・

◎ 心の安らぎこそが、最高に価値がある事だ・・・とお釈迦様も言っています。・・・なので、その方法を探って行きましょう。

■自分の中の不安は・・・一体、何なのか・・・正体は・・?

生まれた時代・社会とその経済・民族性・人との関わり・社会的価値観によって影響を受け起きる不安を外的影響による不安と言うのに対し、それらに関係無く自分の中から、ふすふすと沸き上がる不安を、内的不安(自己的不安)と言う事にしましょう。

では、内的不安は、何故、起きるのか・・・を一言で言えば、それは己の・・・によって起きるものです。

欲・・・が、何故、どうして起きるかは、以前に書いて有ります。分らない方は、(5月8日記載・アダムとイブの神話について)をご参照下さい。

一言で言えば、欲を無くせば、不安は無くなります・・。 

が・・・・難しい・・出来ない!・・・では、欲を出来るだけ少なくすれば、不安も軽減される・・・そして、安心・・安らぎを得る事が出来る・・・。

では、その欲に付について・・解明・・して行きましょう。

先ずは、己の中の敵(欲)を知ってこそ出来る事ですから・・・。

つづく

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スピリチュアル・確実に幸せに成る為の授業~☆~不安を無くす・原因を探る!3

2012-06-02 09:27:43 | 確実に幸せに成る為の学び舎

確実に幸せに成る為の学び~★~不安の原因を探る・・・その3・・・内面(個人)の不安

◎ 世界の歴史・・・日本の歴史・・・それは、辿って来た、辿って行く一つの永い流れ・・運命と言う物体で有り、その運命の中の何処か一部に、自分の運命が共に存在する。その中で不安を抱え、生きて行く事になる。

~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~

社会と経済の良い時代に、良い場所に生まれれば、それはラッキーで不安も少ない・・。戦争の渦中(時代)に、戦争・内紛の場に自分の運命が重なれば、不安は尽きない。命の危険・・死ぬかも知れない不安が付きまとう。最悪だ・・。

時代によって社会と経済によって生まれた国の国民性によって、人との係わり合いによって社会の価値観に身を置く事によって自分の運命も不安も大きく影響を受け、変わって行く。

外的影響による不安・・・とでも言っておこう

どうで有れ、そう言ったものに、振り回される事無く、己の中の不安を常に取り除き、安心を安らぎを得る事が肝要で有る。

心の安らぎこそが、最高に価値ある事だ!・・・とお釈迦様も言っておられます

次は、己の中の不安を取り除く・・・方法を、探りましょう。

つづく

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スピリチュアル・確実に幸せに成る為の授業~☆~不安を無くす・原因を探る!

2012-06-01 19:37:43 | 確実に幸せに成る為の学び舎

 スピリチュアル・確実に幸せに成る為の学び~★~安を無くす・・原因を探る・・・・

◎ 不安・・・誰もが持っているもの・・・日本の未来を考えると不安に成ってしまう・・まして自分の未来を考えると大いに不安に成る。未来どころか、今日が今この瞬間も不安の中にとっぷりと浸かっている。

仕事が有るから・・・する事が有るから・・・側に人が居るから・・・何かを楽しんでいるから・・・何とか気はまぎれて居るかも知れないが・・・何れにしても不安の渦中に皆、とっぷりこん状態だ・・。

どうすればこの不安から逃れられるのだろうか・・・?。不安は、何処からやってくるのだろうか・・・?。安穏とした穏やかな不安の無い生活(人生)を送りたい・・・。誰もが願う事・・・。

そこの所を・・・今日は、探ってみましょう。

 ~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~

■ 不安の原因・・・第6回目・・・授業その1 社会・経済的見地から探る・・

失うだろう不安・・・失って行く不安・・・失っ(無くす)てしまった事の絶望と底知れない不安・・・。得たものは、何れは無くしてしまう。生まれた命もやがては、老いて失う(死ぬ)事と成る。繁栄が有れば衰退するその先には滅亡が待っている・・希望が有れば絶望が有る。全ては、相対性の原理で成り立っている。

国の繁栄もしかるに・・。古代はエジプト近辺諸国の繁栄から始まり、ローマ・ヨーロッパ諸国へ、そしてアメリカへと引き継がれ、やがて日本の繁栄へとバトンは渡されて来た。そして日本の繁栄は、各、アジア方面へとバトンは渡されつつ有る。もう、既に、アジア諸国先ずは、中国へその(繁栄)バトンは、渡されてしまっている様だ。

誰もが薄々分っては居るが認めたくは無い・・失いたく無い・・そう思っている。国の繁栄は、国民生活の豊かさの繁栄と成る。国の衰退は、国民の生活の衰退・・・へと反映される。

正に衰退の渦中に居るのかもしれない。国の富は、貿易の黒字赤字に顕著に出てくる・・。そして抱える国の借金でも分る。繁栄と滅亡の上限下限の幅・・・繁栄の頂点も滅亡の底も把握は難しい・・・通り過ぎてみて初めて分る。

あのバブル全盛時期が、頂点だったのかもしれないが、永遠に繁栄は続かない事を歴史から学ぶ経済学者や政治家が居れば、国に借金を抱え込む馬鹿はしなかっただろう。しかし・・・今更、言った所で仕方が無い。

あの繁栄を極めるた時、人は物を建て、物を買い、物を食いちらかし、そして食い残し、娯楽を楽しみ、ある者は地位と権威を得ようとし、ある者は、多くの財を築こうとした。

しかし、今はどうだろうか・・・?。物を建てれば修理・維持費が掛かる・・。買った多くのブランド物はタンスの肥やしと成り、行き場を無くしている・・。多くを食べた事でメタボと成り健康を害し、築いた地位も権威も経済と己の老いの衰退と共に沈んで行く・・・。築いた財産もあっと言う間か、或いは徐々に失って行く・・。失う不安を抱え込んで居るに過ぎない・・。娯楽を楽しむ余裕も無くなり、そんな気分にも成らない・・。

それは、まるで幻・・・の様なもので、あの繁栄は、一体、何だったのだろうか・・?それによって、何を得たのだろうか・・?。そして、何か大切なものを失ったのではないだろうか・・・?。

衰退の底(滅亡)・・・を食い止める努力が今、必要とされている。何時までも、繁栄を疑わず・・・底を認識しないままでは、今のギリジャ或いはイタリアの二の前・・同じ道を辿る事と成ってしまう・・・。

国のする事で自分には関係が無い・・・と、侮ってはいけない。何故なら、国を動かす政治家・官僚・公務員などそ中核に居る者達には、なかなか及ばず末端の我々、国民に先ずは及んで行く・・・。それも弱い所から、まるでひび割れが入り何れ一気に砕かれ壊れてしまう脆い水差し、、、の様なものである。

現に、中核に居る者は、消費税を上げ福祉に教育にと理由付けをして、負担を国民に虐げ様として居るが、彼らは世界一の議員所得を未だに得ている・・。理屈で分っていても、肌で体感し、その衰退の影響を知りえていない・・。

底知れない・・不安を知らない。そう言った者達が、今も国を動かしている。早くに、衰退の底(滅亡)を意識しなければ、日本は、ギリシャに成ってしまう。一番先に、私達にその影響は及んでしまう。

国の経済も我が家(一軒の家計)の経済も規模はともかく同じ原理に過ぎない・・。収入が減れば、節約と辛抱をしなくては成らない。収入が無ければ、出稼ぎをしてでも頑張って、外から収入を得えなければならない・・。国も又同様だ。出稼ぎの後押しをしなければ成らない・・。企業・会社の海外進出を援護し、そうして、国に収益を齎さなければ成らない。

そして、若者は、その企業・会社と共に、大いに海外へ進出し、学び働かなければならない・・。難儀を苦労を避けて己の楽と幸せのみを考えて居たのでは不安は何時も付きまとう・・。

誰かの為に頑張る・・・それが家族の為だとしても、小さな波紋が何れは遠い先に伝動する様に、国の為、国民の為に大いに貢献をして居る事に成る。誇りを持って良い事で有る。

それは与える愛に値するその目的や行動や希望は、難儀も苦労も意味有る価値あるものとし、不安をもかき消してしまう。一人一人の小さな頑張りの波紋が集まって大きな波紋・津波となり、世の中を動かし衰退・滅亡を食い止め救う事と成る。

老いて行く者は退職をしたから、もういい加減年だから・・もう頑張って働いて来たのだから・・・と、安穏と怠慢をしてはならない。お陰様で此処まで生きて来れた・・・と、死ぬまで働く又は、ボランティアなど貢献して行かなくては成らない。そうすれば長生きもし最後まで元気で死んで行ける。

高齢社会においては、共に支え合い助け合う事が大切だ。働く事に世の中の役に立つ事に終わりが無い事を肝に銘じなければ成らない。老いても必要とされている事を忘れてはならない。

今、繁栄をしている或いはしつつある中東諸国、特にドバイ・・など、石油産出輸出国は、繁栄を誇っているが、ここも又、何れは衰退をする事と成る運命だ。

有る物(原油)は、何れ底を突く・・。或いは必要とされる需要が激減する・・。有る物(原油)を掘り起こし、楽をして富を得ている・・。良く働き富を得ている訳では無い。物を建て物を買い物を食べ尽くし食いちらかし残し、有る者は名誉と権威を求め、有る者は多くの財を得る為に懸命だ・・。何れ、失って行く底知れない不安が待っている。

我々、日本人は、知恵を使い優れた物を作り出し懸命に働き繁栄を築いて来た。何も無い所(資源が無い)から勉学し働く事と努力をする事で、築き上げた繁栄だった。

繁栄の頂点に立った時に楽をして利益を得ようと欲を出しはじめ、さらに財を得ようとした時から衰退が始まった。株を買い土地を買占め、高騰するのを見込んでいた。為体の知れない化け物(悪しきもの)に投資をした揚句、衰退の一途を辿る事と成っって行った。そこには見習った国が有った。先に衰退をして行った国・・・アメリカで有る。

アメリカは、株式投資国で有る。楽をし金を稼ぐ事を良しとする多くの投資家が居る。働く事を美徳としない国である。株投資と家の建築・土地への投資が絡んだ時に、リーマンショックが起きてしまった。日本にもその影響は大きかった。

その仕組みを考えた当本人(アメリカ投資関連者)の写真を見た時に彼は、大いなる魔神を宿して居た事を確信した。魔神を宿した者は、世の中に大いなる不幸を招く。魔神の存在する所・・・そこは、地獄が存在する。

大いなる渇欲の渦巻く所に、魔神は存在する欲しても欲しても満足を仕切れない欲・・・。まるで広い砂漠の砂に水を注ぎ込む様な限りの無い欲を言。それは、全うに懸命に生きて居る者にも影響を及ぼす。株投資・・とは、魔が存在する所であり、体の良いバクチにしか他ならない・・。本来の株投資の意味を逸脱した存在と成ってしまっている。

エジプト繁栄の昔から、繁栄をした揚句、懸命に働く事を忘れ安穏と楽をし、渇欲に溺れる経済に成った時から・・国の繁栄は、衰退へと代わり・・やがて滅亡をして行く。

衰退を食い止め辛うじて滅亡から救ってきたのは、政治家でも官僚でも評論家でも楽して財を成した者達でも無い。苦労し辛抱し額に汗をし賢明に働いて来た底辺の位置に座する名も無い庶民、国民達で有る。今も、それは変わらない。神仏は、そう言った人達の所に存在している。それは神仏が認め鎮座する場所で有る。

仕事が辛いから楽が出来ないから不安なのか・・・。社会の価値観から遥かに下に位置する場所に自分が居るから不安なのか・・。それとも働いても働いても思うほどの収入に成らないからなのか・・・仕事が気に入らないからなのか・・・気に入った仕事・・とは何なのか?楽して稼ぎ人から偉いと認められる・・・そんな、くだらない社会的価値観から思考したものなのか?

それとも、預金が減る出来ない無いからなのか?社会・経済的見地から今一度、思考してみる必要が有るだろう。

世の中には、借金と言う十字架を背負い、家族の為、社員・従業員の生活を守る為に頑張って働いている人も又、老いても尚も頑張って働いている人達が居るのも確かな事実である。彼らは、不安を抱えながら、或いはそんな事を考える暇も無いほどに前向きに黙々と頑張って働いている・・。

困難・苦労を避け働かずして、或いは、成るべく楽をして多くの収入を得よう・・・そんな事とは無縁の人達だ。

今一度、自分の身と回りをシンプルにする必要があるかもしれない。

シンプル・・とは、余分な余計な本来は必要としない、無駄な事・無駄な思念・無駄な物質の事である。

つづく

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スピリチュアル~☆~確実の幸せに成る為の学び~☆釈迦との会話・・瞑想

2012-06-01 16:22:06 | 確実に幸せに成る為の学び舎

スピリチュアル・確実に幸せに成る為の学び★~釈迦より教えられた事・・・                                                                                                                             

◎ 釈迦からの教えは、苦しい・・辛い・・暗い・・苦悩そのものだ・・・

■ 瞑想の勧め・・・第5回目授業・・

 そこで聞いてみた。「イエス・キリストは愛(善)を説くが、どうして、あなたはこうまでも、悪しき事ばかりを説くのですか・・?。お陰で、私は暗く成るは苦しむは・・苦悩の日々に明け暮れています・・。少しは、幸せに成る方法でも教えてくれれば良いのに・・・。私は、救われたいのに・・もう、ず~とず~と苦しみ続け暗く成るばかりです。」

聊か・・・いや、プッツンした!・・と言った方が言い・・腹を立て聞いてみた。

すると器の底に泥(悪しきもの)が溜まったままで、いくら清い水(愛・善)を注ぎ入れても、水は濁るばかりで有る、泥(悪しきもの)を取り除いてこそ、清き水を入れる意味が有る。」と説れた。

この意味を解説すると、器は己の心魂全体を意味し、泥とは悪しき心魂の部分を意味し、清き水は、愛・善の教えを意味する。

静かに底に溜まった泥が清き水を注ぐ事で、舞い上がり水を濁らせる・・。それは、普段は気にする事が無い己の悪しき部分は、静かに心魂の底に沈んでいるが、愛・善の教えを注ぎこむ事で、心魂の悪しき部分が、かきまわされる・・。心の乱れ苦悩を表し、やがて時が経てば、泥(悪しきもの)は再び沈む・・。この繰り返しでは、意味が無く、泥(悪しきもの)を取り除いてこそ、清き水(愛・善の教え)を注ぐ意味が有る・・事を説いています。

分り易い例として「美味しいご馳走も、悲しい・苦し時には、美味しく頂け無いだろう・・。」とも言われた。苦悩を消し去ってこそ、ご馳走は美味しく頂ける・・・と言ったことだろう。

釈迦とイエスキリストの教えの違い

イエスキリストは、愛や善の教えに重きを置き、釈迦は、悪しきものを消滅する教えに重きを置いた・・・。人の心魂に存在する善と悪に対し、イエスキリストは善に向き合い、釈迦は悪に向き合った・・と言えるのだろう。

だから、釈迦の教えは、心魂の悪しき部分に迫るものだから、辛い・・苦しい・・暗い・・・苦悩する。

釈迦は、続いて「悪しき部分を取り除く(消滅する)事は、苦悩に尽きる。しかし、悪しきものを消滅すれば、残るものは、愛・善のみである・・。人は元々、愛そのもので有る・・。その為には、瞑想が必要で有る。」と、説かれた。

瞑想・・・それは、何も考えず、ぼ~とする事では無い・・。無(空・自由)そこに至る為の行為・思考・学び・苦悩が必要で有る。

瞑想・・・煩悩・雑念・欲・・人の悪しき心魂の部分を抹消する事を意味する。それらを捨てる・・・消滅する事で、不安・苦を無くし、心の安心・・・安らぎを得る。強いては、生きる意味も強さも導き出される。何も考えずぼ~とするので有れば、眠った方が体が休まるだけ、まだましだろう。

瞑想・・・先ずは、己と向き合う事から始る・・。己と向き合うは、苦を伴う事でも有る。

今般、情報社会の時代で、テレビをはじめ、あらゆる情報が入って来る。娯楽も多々有る。忙しい時代でも有る・・。心がしんどい時は、娯楽を楽しみ、情報を社会と共有し安心を得ようとする・・。不安や苦・ストレスから一時的には逃れられる・・が、また、繰り返し続く・・。忙しくしていれば、繰り返しも気がまぎれ有りかと思う。気が付けば・・・自分を失っている・・。

己と向き合う・・・本当は、一番大切な時間です。ここから、始めなければ真の安らぎも真の幸せも得られない。

次回は、煩悩・雑念・欲・・・悪しきものについてお話します。

つづく・・・ 

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スピリチュアル☆不安を除く・・・ジョンレノン&ホイットニー・ヒューストンは?

2012-05-16 11:50:30 | 確実に幸せに成る為の学び舎

確実に幸せに成る為の学び舎ジョンレノンホイットニー・ヒューストンの場合は・・・

誰もが知っている二人の・・名前・メロディー・歌詞歌声・・・!

  とても素晴らしいアーティストで有る事は誰もが認める処です。生前、頂点を極められたお二人ですから。

多くを欲(確保)する者は、大きな安心を得るが、やがて大きな不安を抱え込み、もがき苦しむ・・。と、(第3回目授業)で記載しておりますが、頂点を極めた・・・ジョンレノンホイットニーのお二人を、例に上げてお話をさせて頂きます。

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■ 滑落・と不安・・・・第4回目授業

登山は、登頂(てっぺん)を目指し登るものか?下山を目指し登るのもか?こんな言葉を聴いた事が有ります。

あなたは、どちらだと思いますか?

普通に考えれば、当然、登頂(てっぺん)を目指し登るものだと考えるでしょう。しかし、登山のプロは、「登頂を目指し登るけれど、下山を終えてはじめて登山と言える。」と答えるでしょう。

日本の有名な登山家が、テレビ番組で「登頂をしても直ぐに降り、頂上に長居はしません。下山後のビールが最高に旨い!。」と、笑いながら話していました。

登った山は、必ず降りなければ成りませ。物事の相対性の原理です。

誰もが羨む才能の頂点・世界のトップ企業・世界で名だたる資産家・何処かの国で、まだ存在する独裁者・その国トップの政治家。この世には、社会や世間で言う所の価値観で成り立つ、山があり頂点が有ります。

この山に登ろうとすれば、大抵は途中で滑落してしまいます脆くて狭い登り道で、やたらと鋭もので点には、ほぼ一人くらいの立ち位置しか無い。この山の頂上(てっぺん)に登ると誰もが居続けたくなってしまうが、この山も例外無く下山しなければならない。

この山のてっぺんには、何が有るのだろうか?。そこには、誰もが欲しくてたまらないものが有る。地位・名誉・喝采・注目・肩書き・或いは利権・権威・そしてお金・・・そんなものが沢山有る。

一見、煌びやかで、目もくらんでしまうほどです。しかし、目がくらんでしまうとお仕舞いだ。人格も変わり自分を見失ってしまう。大方の人間がそう成ってしまう。「自分は特別な人間で選ばれた人間で有り、自分の言う事する事は間違いが無い。私は、成功者である。故に手放したくは無い・・。下山などするものか・・。」そう思ってしまう。

この山の頂点には、人間の欲望の恩賞が渦巻く処で渇欲(底知れず限りなく満足をしない欲)の場である。どう足掻いても、この山は、必ず下りる又は引きずり落とされる又は、後から迫ってくる・・。そう言った無常の場(常にかわる)で有る。

この山に登ったものは、決まってこう思っている。「私は、相当に苦労した。能力・才能が有った。相当に頑張った・・。」と・・・。しかし、世の中には、相当に苦労しているし、才能も能力が有るし、頑張っている者は山ほど居る。たまたま、一時的に登った事に本人は気が付かない。

この頂上は滑落してしまう不安と失う事の苦悩・・。しがみ付くほどに身を滅ぼしてしまう危険な山である。

しかしながら、この山は降り切って又は、滑落して、はじめて解る大切な悟りが有る。そして、悟った者は、今度は、己の中に有る自分だけの山を登りはじめる。何時までも、そんな山を見上げていてはいけない。

己の中に有る山には、欲望が無い。そこには愛が有る。希望が有る。故に不安も少ない。不安よりも希望が活力(パワー)が、頑張りが、強さが勝っている。そしてこの山には下りが無い。

ジョンレノンは、頂点に立った時に、自分からさっさと降っていった。下山しての登山で有る事を知っていた。彼の場合、気が付けば頂点に立って居たのだろうが、彼は、そんな頂点は、最初から好まなかったのだろう。

彼は、最初から自分の中に有る山を登っていたのだ。歌いたいから歌う。人に伝えたいメッセージが有り、人を感動させたい・・・から歌う。彼の目の前には何時も、人に向けられる愛が有ったのだ。彼は、家族を愛し人々を愛していた。故に、安らかな人生を歩んでいたのだろう。

ホイットニーの場合、最初は、歌が好きで、歌いたいから歌う。人を感動させたい・・・出発はそうでも、頂点に着いた時に、目がくらんでしまった

滑落したくない・・。でも、滑落して行く。思うように人も事も成らない。こんな筈ではない・・。そう思い苦悩し、薬に逃げてしまった。普通は、人も物事も思うように成らないものである。みんな、それで苦労をしている。

滑落しきったその時に、悟れない人間は、再び、同じ山を見上げ、登ろうとする。しかし、同じ山は二度と登れない・・。登ると命取りに成ってしまう。

己の内に有る山を登る事を選び進む成らば、ただ、歌いたいから歌う。人を感動させたい・・・目の前には、人に向けられた愛のみが存在する

さて、彼女は滑落し切って無かったのか?。滑落し切ったものの、悟れなかったのか?悟れたのか・・・?。どの山を見上げ登ろうとしていたのだろうか?

彼女は、「私は弱かった・・。」と言っています。その弱さは、失う事への恐れと不安・・そして、渇欲が有ったからに他ならない。

この世、社会と関わって生きている以上、誰しもが、この危険で脆い山(それなりの山)を目にし、登る機会が与えられている。

 あなたは、今、どちらの山を登っていますか?社会・世間の価値観で出来た山を登って居るなら、そんなくだらない山からは、早く手を離し底まで滑落をした方が、ましである。

あなたが、もし、親で有るなら、御子さんには、そんな山は、はじめから登らせない強要しない様にした方が良い。この山は危険な山で、滑落すれば、一歩、間違えれば命取りと成り、立ち上がるのも大変だから。

世の中には、はじめから自分の中に有る山を登り進んでいる賢い人達が居る。その人達には何時も対象とする人達が居て、何時もそちらに愛を向けて進んでいる。与える愛が存在している。渇愛(求めるばかりの愛)は、不安を呼び人を弱くするが、与える愛は、不安を消し(少なくし)人を強くする。この山を登るのは大変だろうが楽しい。生きがいが在る。生きて居る意味が在る。

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