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不思議なお話★~★~★~釈迦との会話・・・その2

2012-04-24 02:49:53 | 釈迦との会話・教え

 不思議なお話★~★~★釈迦との会話・・・その2

□ 網戸と戸板

 神様や御仏様(観音・如来)守護神・守護霊様が、もの申す時は、如何にも格調高い凡人では理解し辛いしゃべり方をする様に思うかもしれないが、それは全く違う。

政治家の様に、或いは偉い学者や評論家がやたらと難しい専門用語を使い話す・・・そんなものとは全く違い、相手に分かり易く理解が出来る話し方をして下さる。例えば、3歳児には3歳児に分かる様に、小学生には小学生に分かる大人で有り、また凡人の私にはそれなりの理解出来る言葉でものを申される。

一瞬にして多くの言葉・意味が凝縮され、パン!と入って来たものを、なるほどと読み解いて行く(メモリーの様な)・・・そんな場合と、一言・・・パンと入って来る時や、分からない数学の問題を分かり易く例を上げて理解し習得出来る様に教えてくれる学校の先生の説明の様に、もの申す時もある。或いは、言葉では無い言葉・・・説明しずらいが、普段、人は相手の言葉を耳で聞きそして思考し対話しているが、直接、脳(思考・心魂)に入って来る・・・そんな感じの場合もある。

正しい、神仏・守護神や守護霊は、命令をしたりは決してしない。「あ~しなさい、こうしなさい・、・・肉を食べなさい」そんな事は言わない。もし、言ったと言う者が居れば、それは神モドキを崇めて居るか嘘を言っているに他ならない。

以前、「神仏に私は、帰依し従います・・・」手を合わせそう言った時、天は「我々は支配者では無い。あなたと共に共存共栄する。」と申されたからだ。

では、釈迦との会話の話をします

私は、釈迦に対し反抗ばかりをし、口のきき方も知らず、都合の悪い事は釈迦の所為にした事も有ったし、「好きじゃ無い、嫌い・・」とまで、言った事も有る。命を助けられたにも関わらず・・・。しかし、良くも飽きる事無く見捨てる事無く、悟り(まだまだ入り口)の道に導いてくれたものだと思う。多大な愛・慈悲と慈愛を感じている。

ある時、釈迦に聞いてみた。「そんな私に腹は立たなかったのか?」そう聞いてみた。

すると、釈迦は「腹を立てるほどの事も無い・・。反抗期の子供の様なものだ。」と言い次に「反抗期の子供は、網戸では無く戸板の様なものだ。」とも言い例を上げて申された。

以下、聞いた事を、下手ながら私なりの言葉に置き代えてみると、戸板とは?

台風の風が吹いた時、網戸は風を通し何の変化も無いが、戸板(雨戸)は、まともに風を受け止めるほどに、がたがたと鳴ったり、時には外れたり飛んでしまったり壊れたりする。反抗する子供は、正しく戸板(雨戸)と同じ様なものである。

親・友達・先生・大人や社会の事や或いは生きる意味など、大人に成るまでの過程で、思考しもがき悩み苦しむ姿は、風をしっかり受け止め様とする戸板の様なもので暴れる。物静かな網戸ならば、親は安心で楽かもしれないが、戸板が鳴る度に煩わしいし、外れれば元に収めなければならない、壊れれば修繕もしなくてはならない。そこには、決して諦めない見放さない親の愛情が必要である。

「反抗するは、向き合おうとしている証である。何の腹を立てる事があろうか。」と、その後に釈迦は言った。

反抗する子供が、母親に「ババー」と言ったり、悪さをしたり、親の所為にしたり文句を言ったり無視したり・・・子供では無いので、悪さはしなかったけれども、確かに私は、反抗期の子供の様なもので、神仏に帰依し悟りを開こうとする過程で、辛く苦しい度に、釈迦に大いに反抗してきた。

どんな時も見放さず、諦めず見守り続けてくれた釈迦の愛(慈悲・慈愛)が有ればこそ、悟りの道筋に入る事が出来た事を、改めて思う。

今の住宅事情では、戸板は少々の風ではびくともしないのだろうけれど、私の時代の家の戸板(雨戸)は、台風の影響を良く受けた。私の時代に合わせ、釈迦は例を上げて言っています。

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1 コメント

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こんばんは。 (8110)
2015-02-25 21:23:24
初めまして、通りすがりなのですが
釈迦の夢をみた時、会話をしました事を今も忘れません。
後、予知夢か解りませんがニュースで流れる殆どの前触れ?みたいな夢をみます。
頭の中がスピリチュアリなだけですかね(笑)
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