スピリチュアルアート・不思議話・猫話・神話を紹介します

癒しのスピリチュアルアート・不思議なお話・可笑しい猫話・チョッと面白い為に成るかもしれない自作の神話を記載します。

スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・権威欲と生命欲・・

2012-06-30 21:28:32 | 確実に幸せに成る為の学び舎

 スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・権威欲(権力欲)と生命欲

 五欲・・・それは、食欲・色欲(愛欲・性欲)・物欲(金銭欲)・権威・権力欲・生命欲に分かれるが、それら5つの欲は、大いに絡み合う紐の様なもので、絡んだ紐は寄り合わさり大きな一本の渇欲の綱と成っている。

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権威・権力欲は呼んで字の如くである。人の上に立ち、私はあなた達よりも賢い偉い優れた者で有るから崇め敬い従いなさい・・・と言う事で、心身を縛ると目されるが、それに留まらず心魂(心・魂)をも従えそうとする横暴きわまりない行為である。

以前に、書き記したけれど、神や御仏は、人と共に有り、共に繁栄し共に幸せを目指すもので、決して心魂を従わせる・・・などと言った事は無い。人(他人・・ここでは自分以外を指す)の心身や心・魂を占領し従わせる・・・そう言ったものは、悪・悪魔・魔神・おろち・・・言い方はそれぞれ違うが、悪しきものの仕業で有り意とする所である。

小さく言えば分って欲しい認めて欲しい・・・それらも、相手に認めさせようとする・・それすら権威欲に属する・・。

誰もが持っている・・・ささやかな欲とも言える。例えば、恋人に私の思いを分って欲しい・・友達に分って欲しい・・・親に分って欲しい・・私の仕事ぶりを分って認めて欲しい・・・。それらの事を指す。

分ってもらえない・・認めてもらえない・・・から、苦悩し腹が立つ・・トラブルが起きる・・。自己主張・・は、相手の心魂に入り込み相手の心魂を従わせようとする事で、決して叶わない事である。

生きる上では、双方の理解が必要では有るが、それが例え血が繋がろうが何だろうが、心魂はそれぞれ固有のもので、決して入り込めない領域で有る事を肝に銘じておかなければならない・・。入り込めなくとも当方の愛が有れば必要な理解は出来る・・互いに幸せを維持し合える。付かず離れずが丁度良い感覚だろう。

それを念頭に置いていれば、冷静に安穏としていられる。仕事を頑張っていて、認められようが認められまいが関係なしに人の喜ぶ姿や状態が良くなる(助けになる)事に喜びと幸せを感じる事が出来る。

大いなる権威・権力欲を持つものは、五欲の太い綱を持っている。欲深い所には、悪が生まれそして魔が存在する。様は悪魔・・魔神・・と言った存在で有る。そこには、心の平安は無い・・。

歴史は、人間が社会が歩んで来た過去で有る。過去を振り返る・・・それは、同じ過ちを繰り返さない為とこの先、より良い社会を築き上げる為の経験である。

歴史上の人物で誰が好きかと聞かれたら、上杉謙信・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・・などの戦国時代の武将の名が良く上げられる。権力者達で有る。

が・・・。どうだろうか?誰もが、天下を自分のものとし思う様に采配を振るいたかった・・。その為に、どれだけの人々の血が流され、悲しみと生活苦で難儀をした家族の数を入れると相当の数の不幸を招いた事だろう。

彼らは言うだろう・・。そう言う世の中だから仕方が無い・・。自分が天下を取った暁には、世の中を平和に人々を幸せにする・・・その為ならば多くを犠牲とし自分は毒を食らってでものし上がる・・と。

毒の栄養で育ち立派な実を実らしても、そんな林檎は毒林檎にしか他ならず食べられない・・・。時間の問題で腐ってしまう。

権力欲者は、美味しい物を食し、多くの異性を侍らかせ人を思うように押さえ付け、溢れる物と立派な城を構え、己の永遠の繁栄と最終の願いは永遠の命を欲したがる・・。

時の最後を栄えた状態で終わっても、死後、天に上り色々と有って(省略)やがて、自分の子孫を見守る事と成る。得たものは失って行くのも相対性の法則であるから、必ず失ってしまう。失って行く滅び行く様子を、もの言えず不安と苦悩の中、心魂の安らぐ事無く死後も見守って行く。何と辛いことか・・・。

何も無いものは、幸いである。

遠くエジプトが栄えた時代、は死後も尚、蘇る永遠の命を願い財と一緒に葬られた・・・が、今は、みんなのさらし者で展示されている。権力者・・最終の欲は、生命欲・・それは叶わない欲である。

織田信長は、時の終わりに夢・幻と言い残し、歩んだ人生を失った。豊臣秀吉は、子供の行く末を暗示しながら亡くなりその後、子供の代に全てを焼かれ失った。徳川家康は、日光で今も江戸城に向って子孫繁栄を願って立ち続けているが、見つめる方向には皇居しか今は無い・。立ったままでは、心も休まる事は無かろう・・。権威欲・・・それは、必ず滅ぶものである。そして心安らかでは居られない・・・。

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スピリチュアルなお話~☆~霊視・・霊能力者Aの所に行く・・・

2012-06-29 23:45:36 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアルな出来事~★~霊能力者Aの所に出かける・・・

 今日、半年振りくらいになるだろうか・・・霊能者Aの所に出掛けた・・。彼女の家に出かける時は、電話連絡は必要が無い。

行かなくては・・・と言う時は、彼女が合いたがっている時か、そこに神仏の用事が有る時である。

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今日は、用事が有ったからでもあるが、元気でいるだろうか・・との様子伺いでも有った。

彼女は病弱である・・。が、今日は、顔色は相変わらずだったけれど調子はよさそうだった。

以前の話だけれど、様子を見に行った際に悪しき者が付いてた事が有り、悪しき者を追い払った事があった。その際、彼女は2日後に入院をする・・・と天より聞かされ、その様に成ったが、無事に帰る事は分っていた・・。

或る時は、寝場所を変えベットの上で動けなく成っているのを透視し、行ってみると、その通りに成っていた。何で?と思ったら、また事を起こし大損をしてしまう・・・・なので、大人しくしてもらう為に、両足に神の足かせが付けられていた。歩けなく成っていた。

天にお願いをし、足かせを取った・・。1週間後、彼女は歩ける様に成っていた。

そんなこんなで彼女の家に行く際は、神事をする羽目と成ってしまう。その度に、こうだから・・・と説明をしても・・・飄々としている。

さてさて、今日は何が有ったのかと言いますと・・・。

久ぶりに近況報告をし合い・・大方落ち着いた頃、彼女の話を聞きながら顔を見ると何やら老人が視えた。かなりの年齢である。しっかりと確かめてみたが間違いない・・。

それから、一時経って話も落ち着いたので、彼女に聞いてみた。「爺さんが重なって見えたんやけど・・・あれ、だれ?心当たり無い?」と、言ったとたん、その爺さんが私に憑依した。「○○○(彼女の名前)申し訳ない・・。許してくれ・・。」といい始めやたらとワビを入れ泣いている。

以後、私なりの説明をすると、かなり後悔をその爺さんはしていて、悪い事を彼女にしたらしい・・。その為、天に叱られ今後は、彼女を見守り役に立つ様に言われた・・。罪滅ぼし・・・と言った所だろう。彼女の健康を見守っているらしい。

それで、彼女が元気そうな意味が分った。

彼女に後で聞くと、その爺さんは、親戚の亡くなった爺さんで、亡くなったのは4年ほど前で、生きていたら、この春に100才を迎えるらしい。100歳を迎え天よりやっと許るされ天に上り、今は、天の指示で彼女を見守っているとの事。生前、彼女の継ぐべきお父さんの相続を全てその爺さんが自分の物とし、親の面倒はこちらで見たとの事。他にも色々と有ったらしい・・。

で、その事は、天の文(彼女は天より言葉を頂き、それを書降ろししている)に、その爺さんの事が書かれていたらしい・・。よって、今日の出来事も有ってしかるべき・・・ことだったらしい。

相変わらず飄々としていた。

彼女の元に行くと、魔神の退治をさせられたり、悪しき者を払ったり、足かせを外したり、ヒーリングをしたりと何かと神事をさせられる羽目となる。今日は、霊を降ろすイタコ・・・である。

色々な事をさせられる・・が、それだけ彼女は天に見守られているのだろう。私も、彼女には色々とお世話に成っているのだから・・・良しとしよう。

彼女の家に行くと何時も不思議な事に、何らかの食べ物が届けられる、行っている時に必ずである。

今日は、桃・柑橘類・水羊羹が届けられた。美味しく一緒に頂き、手土産も頂いた。

イタコ・・霊視

色々と神事・御仏事をするが、その中にイタコがある。

ある霊媒師が、イタコをしていた。その霊媒師は、本人(お客様)に霊を降ろす・・すると、その人は、ものを言い出すが、終わった頃には、涙と鼻水でグジュグジュに成っている・・・。上品な奥様も・・台無しである。

それを見た時に、私は、「あんな気の毒な事はしたくない・・。それならば自分に降りた方がましだが、鼻水はごめんだ・・」と言ってから、自分に降りる事と成った。鼻水は流さないが、今日は、ペコペコとその爺さんに成り代わって泣いて謝った・・。「何で私が・・」とも思ったが仕方あるまい・・。

霊が降りると、その心魂が良く読み取れる・・。が、何時もは霊と向き合って話を聞いている。

死を迎えた時には、大抵は天に先ずは上る・・が、登れなかったのはよっぽどだ。

死後、財を子孫に残しても、減って行く財を先祖として見守るしかない・・。渇欲の深い者ほど、ただ見守る・・・しかないのは、さぞ辛かろう。

生きている時に残す事は、正しい生き方、愛、有る生き方を残した方がよっぽど死後は安らげるだろう・・。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・物欲・金銭欲・その空しさの・・例5

2012-06-27 19:36:17 | 確実に幸せに成る為の学び舎

 スピリチュアル・確実に幸せに成る為の学び~☆~物欲・金銭欲の・・その空しさ・・例5

◎ 90歳を過ぎて失意の揚句に、自殺をし亡くなってしまったお婆さん・・・の連れ合い・・・お爺さんは、その後どう成ったのだろうか?・・娘(長女)との関係は・・・・?

■輪廻・・・

90歳を過ぎ自殺をし亡くなってしまったお婆さんの連れ合い・・お爺さんは、半年を過ぎた頃には、老人向け病院の天国に一番近い最上階の個室に入院をしていた。確か、年齢は95歳を越えていたが、頭はしっかりとしていた。そこは、病院で一番、料金の高い広い個室部屋である。それでも充分に、お爺さんの年金で間に合う金額だった。

入院をするほんのちょっと前まで、お爺さんは呼び名は分らないが、三輪バイク・・と言うのだろうか、老人用バイクとでも言うのだろうか?そんな物に乗り出かける事も有ったらしい。粗相は良くしたもののトイレにも自分で行けたらしい。

お婆さんが無くなってからも、お爺さんが家事をする事は一切無く、毎日、お通いで長女がお爺さんの身の回りの世話をしていた。デイサービスも介護サービスも嫌いガンとして受け付けない為、長女は世話が大変だった様だ・・。あまりまめな方では無いから余計に負担を感じたのだろう。

少しは、お婆さんの苦労と心情を知る事と成ったのだろうか?

90才を過ぎても変わり無く家事とお爺さんの身の回りの世話をし、体力・心労の極限に至っていた事。自分の預金・株・土地など多くの資産を娘に託した意味を・・グループホームに入れられ自殺をした理由・・・を

娘に助けてほしかった・・・何とかして欲しかった・・・一緒に暮らしたかった・・・優しくして欲しかった・・。でも、空しく望みを絶たれてしまった・・。その為に預けた預金・資産だったのに・・グループホームに入れられてしっまた絶望と悲しみ・・空しさ・・。

全てをお爺さんの所為としていたが、娘には娘の役割が・・・自分にも責任が有った事に気が付いていただろうか?

おそらく・・それは無かっただろう。

お爺さんを病院へ入院させた後、彼女は、ほとんど毎日、お爺さんの所へ通っていた。頼まれた食べ物を買い届ける・・・それだけの事である。世話・・では無く見に行く・・と言ったところだろう。

その後、お爺さんの所有する預金・株・土地などの資産も彼女が預かる事と成ったらしい。

お爺さんの天国に一番近い病室は、とても見晴らしが良い。しかし、窓からは一番遠い場所にベットが置かれている為、窓の外の風景は歩かない限り、見えない。入院後、間も無くお爺さんは歩けなく成ってしまった。

病院は、患者が歩く事を好まなかった。頭がボケ・・歩かれると困るらしい。歩けるお年よりもその内、足が弱り歩けなくなる・・。歩いていると叱られる・・嫌われては困る・・・故に、歩かない・・・やがて歩けなく成る。

病院にとっては静かにベットで寝てもらい定期的にオムツの交換をする方が楽らしい・。汚れようがどうだろうが・・時間が来ないとオムツの交換はしてもらえない・・。

毎日、お通いでその病院へ行っていた彼女の話では、入院をしているお年寄りの見舞いに来る家族はほとんど無い・・あまり見かけない・・と言っていた。そこは爺婆捨て山・・である。そんな爺婆捨て山は、至る所に有る。

同様の病院の経営者を私は知っている・・。同様の病院で介護の仕事をしていた人も知っている・・。その2人から似たような話を聞いた事がある。

一度も見舞い来ない家族・・亡くなった事を知らせても来ない・・。仕方が無いので病院側が遺骨に成るまでの面倒を見る。葬儀らしいものが終り1週間以降から1ヶ月頃に家族がやってくる・・。

お世話に成ったお礼も底々に、預金通帳は如何なっているのか・・有るだろうか・・と聞かれるらしい。そんな話は珍しい事では無いらしい。入院患者(老人)の中には、そんな薄情な家族に失望し、残された預金を全額、寄付してしまう人も居るらしい。

自分は、そんな事には成らない・・・と思いたいだろうが、遅いか早いか・・・何れそうなる確立が高い・・。人生なんて・・あっと言う間に、幻の如く通り過ぎてしまう。

ほとんど毎日、お爺さんの病院へお通いの彼女・・1年も過ぎた頃の彼女の口癖は・・・・「何時に成ったら死ぬんやろう・・。」お爺さんの死を心待ちにしていた。私は、そんな彼女の言葉を嫌・・と言うほど聴かされた。

これでは、亡くなったお婆さんの心情も自殺の理由も理解は出来ないだろう。

輪廻・・、同じ事が何れ自分の身に降り掛かってくる・・。彼女も又、子がおり孫もいる立場で有る。

お婆さんから預かった資産の一部は、息子の立派な家となり豪華な新車へと姿を変えた。その家の一室は、自分達夫婦の部屋とされているらしいが、未だ一度も泊まった事が無く、この先もそれは変わらないだろう。

母子家庭の娘には、孫達の教育費を援助してやっているらしい。

そして、彼女の念願だった事は現実と成り・・数年後にお爺さんは、亡くなった。

そして、その後、彼女は病気に成り自宅で養生をしているらしいが状態は芳しく無いらしい。

その後の彼女は、知り得ない・・・。

今の世は、子供にとって、親は渇愛(求めても求めても満足しない)の対象でしかない現状社会と成ってしまった。渇愛の対象で有る限り、どれほどに無理を重ねて答えても尽くしても親の苦労の真意は分ってもらえない・・。渇愛を求められそれに答えられる間は、こちらを向いてもらえる・・が出来なく成ってしまった・・負担に成る・・・そう成れば相手にはされなく成る。

渇愛で繋がる・・ものを、絆・・・と勘違いをしては成らない。絆とは、与え与えられる愛の繋がりで有る。渇愛・・・そこには、絆の糸は無い・・。故に、結ぶ事は出来ない・・。親に対し絆の糸を持たない者は、親と同じ立場に自分が置かれても尚、親の真意を理解する事は無い・・。

理解をしてもらう事も、報われる事も無い・・。

彼女が特別、薄情な訳では無い・・。これが今の現状で有り社会である。

 赤信号・・・皆で渡れば、怖くない・・悪い事とは知りながら、皆がそうだから・・やっているから・・・と世の中の流れについつい乗ってしまう・・。同じだから何処かで安心をしてしまう・・・そしてやがて、それが世の中の常識に成り正義・・だったり正しい事に変わってしまう。そうやって、人・世の中・社会は狂い幸せが失われて行ってまう。

どの立場に自分が置かれているか・・・果して、自分は・・・自分の周りの絆は・・・と、考えてみる事は、この先の自分の幸せを考える・・・本当の大切なものを見極めるヒントと成るだろう。

戦後、高度成長期を向えその後、衰退の一途を辿っている現在。今後、更に衰退を辿る事と成る。良き時代は事が足りるが、これからの時代は多くの絆が結ばれて行かなくては生きる事も厳しく成って行くだろう。絆の衰退は、渇欲に溢れ間違った価値観の辿ってきた結果である。

知り合いの霊能者の所に、90歳を越えるお爺さんがある日、相談にやってきた。70歳を過ぎる息子が・・・年金を当てにし、未だにお金を毟んに来ると・・・。  

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スピリチュアルな出来事~☆~物(電気製品)が壊れる時・・&ポジティブ

2012-06-26 12:26:02 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアルな出来事~★~電気製品が壊れる時こそポジティブに・・・

◎ 今日、正式には昨夜の深夜から、パソコンが機能しなく成ってしまった。魔が入ってきた様だ。

神仏に帰依する者・・様は、神や御仏の手足と成って働く者には大いに有り得る事である。

相対性の法則から言えば、神仏に対座して魔神(悪魔・おろち)が存在する。故に、狙われる事もあってし然るべき・・と言えるだろう。 例えば、神のお招きが有り神社に出向こうとすると行く先々で邪魔(魔)が入る・・・様は、トラブル・・・である。が、心配は無い・・ちゃんと神の助けが入り解決し、神のお招きの時刻にちゃんと間に合う。

物にも寿命が有る・・が、寄りによってこんな時に・・・と言う時が有る。物質の劣化・寿命・不良品・・など理由は様々ちゃんと存在するが微妙に魔の影響を受けている場合が有る。化学・物理・哲学・・・などなどは、大いに神(創造主)との関わりが深い。

霊波・磁場・電波・星々・地球・宇宙など微妙な位置に神仏の存在は関係している。詳しく話す機会が何れあるだろう。

人間の体にも電波(電気・電流)は体を巡っている。静脈から心臓に血液が戻って行くには血管の各所にベンが有り微妙な電流で閉じたり開いたりで血液は流れて戻って行く。心臓が動く場合も動脈へ血液が送られて行く・・・それも電流によって流れて行く・・・。

人は、生き物は、電流電波・・の力で生と動が与えられている。宇宙もそして地球も電波電流それらの物質が存在する。故に、車・ロボット・PC・電気製品など機器・機械が電流・エネルギーによって動・生を受けているのは当然の仕組み原理で有ある。

機器・機械は人の動の代行を荷う役目で作り出された。その代行たる物質の仕組は人間の体の仕組みに良く似ている。

例えば、車で言えば、車は人の歩く・運ぶ・・の動の役割を荷っている。ライトは目・・タイヤは足・・エンジンは心臓・・・ガソリンは消費エネルギー(人で言えば食しエネルギーに転換する)・・動かす為の電流・・などなど・・。

パソコンは、人の脳・・の部分の動・・の代行と言えるだろう。

故に、人に魔が付く事が有れば、機械類にだって魔の影響が及ぶ事も有って然るべきである。

この春パソコンが突然壊れた・・。全く、動かなく成ってしまった。寿命までには程遠い・・。今回は、パソコンでは無く回線関係だった・・。安易に・・・では、新品を購入・・では、誰かに見て直してもらう・・・そんな事が簡単に出来る立場では無い。

・・・が、心配は無い。慌てず動揺せず対処方を模索する・・。その方法を天に願い尋ねる・・・。行動と努力を要するが・・ちゃんと対処方と解決方を教えてもらい導いて下さる。機械には疎いけれど、ちゃんと無費用で対処が出来た。

お陰様で、こうしてブログが書けている。物・・にさえ神仏の影響は有り得るのだ。

何か良からぬ事が突然、身に降り掛かると大抵、人はネガティブな思考に落ち入ってしまう。が、そんな時こそ、慌てず動じず思考をポジティブな方向に持って行く事が大切である。

そうすると道は方法は開かれる・・ポジティブな思考は良き事を磁石の様に引き寄せる・・。また、逆も同様である。

 

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・物欲・金銭欲・その空しさの・・例4

2012-06-24 23:03:32 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル・確実に幸せに成る為の学び☆~物欲(金銭欲)・・その空しさ・・例4

 生きて行くには、お金が必要だ。しかし必要なお金も最小限でシンプルに、幸せに生きて行く方法は有る。それは何れお話をするとして、必要以上のお金が資産が有っ人が、幸せには成れつとは限らない。

幸せに成る為には、人との関わり絆が大切で有る一番、大切な絆は先ず、家族からはじまる。絆は、支え合い助け合い・愛情・思いやりが肝心である。絆の糸を育て結び合う・・そして幸せに成る。

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誰しもが、最初にする家族との支え合い愛情思いやり協力は、生まれる(出産)時から始まる。

出産の経験は無くても生まれた経験は、誰しもか持っている。だから今の自分が存在する。そんな当たり前の事から絆は始まっている

出産する母親の苦しみは想像を絶するもので有るが、生まれてくる子供もまた、必死に生まれようと努力をする・・。母親に負担が掛からぬ様に体を縮め頭を変形し産道を潜って生まれてくる。記憶には無いがさぞ大変な努力をしたのだろう。最初の愛の協力で有る。臍の緒で結ばれた正に絆で有る。

が、この絆の糸・・・しばらくすると取れてしまいただの臍となる。これ以降は、お互いの愛と思いやりの絆を育て結んで行かなくてはならない。

父親・母親・子供達(兄弟)・爺婆と家族皆が支え合い協力し愛と思いやりの絆の糸を育て結び合って行き、皆が幸せに成れる。人生の困難が災いが有っても生きて行ける。

ここで大切な事は、だれか1人でも絆の糸を持ち合わせていない者がいれば幸せには成れない。家族を不幸にしてしまう

親は無償の愛情を子供に与え子供はその愛情でスクスク育って行く。しかし、ここで一番、肝心な事を忘れてはいけない。愛情は他方から与えてもらい、また、自分も他方に与えなければならない。

子供だからと言って、無償の愛情を頂くばかりではいけない。子供は育って行く過程で、愛情を与える事を実践で学び絆の糸を育てて行かなくてはならない

子供だから何も出来無い・・・勉強が有る・・部活が塾が有る・受験が有るから無理だと思い、何れ大きくなったら大人に成ったら・・・なんて言っていたら、愛情・思いやりの絆の糸を持ち合わせない大人に育つってしまう。

家族へ向けられる絆の糸は、大人に成っては育たない・・。子供にとって都合の良い便利な存在に親は成ってしまう。親にしてもらう事しか知らない我侭者に成ってしまう。少なくとも親に対しては完璧にそう成るだろう。親は子供の渇愛(求めても求めても満たされない欲)の対象でしか無くなってしまう。

親が幾ら絆の糸を持ち合わせても、子供が向き合い絆の糸を持ってい居なけれは、老いた時に惨めな空しさしか残らない。わが子は違う・・・その期待は、大方が裏切られてしまう。

先の90歳(先のブログに記載)のお婆さんでは無いが、気が付いた時には、絶望と悲しい結果を招く事も有り得る。

親が望む通りに、子供が出世をし地位も名誉も財産に恵まれ様とも、自分には愛情は向けられない・・。渇愛の対象者でしかない。

時の終わりが近づくほどに、人間にとって人生にとって一番大切で幸せな事は何かを多少は悟る・・。老いて動け無く成った時には遅すぎる・・・。苦悩と寂しさと空しさだけが存在し、ただただ静かに沈黙をしてしまう事と成るだろう。

人は愛情を他方から頂き育ち、愛を与える事で強くなれる・・。学校で、いじめっ子に成ったりいじめられっ子に成ったりは・・・与える愛・・愛と思いやりの絆の糸が育ってない証で有る。愛を与えられる子に育って行くならば、いじめっ子にも成らないし、愛や思いやりの有る子なら沢山の友達が出来る。故にいじめれる事も無い。親は、他方に愛を沢山、与えられる子供に育てる義務が有る。

家族に、回りに友達に社会に向けて幾つもの愛と思いやりの絆の糸を発信(持つ)出来る子供に育てる・・・それは、一流の学校・職業に着かせる事でも多くの資産を生み出し物欲金銭欲に執着する子供に、育てる事でも無い。

渇愛に満ちた大人に育った人間は、弱い・。

一流の企業に就職したが、使い物に成らない若者が激増している。大手金融企業に就職し仕事が出来ず自分の机の引き出しに仕事を仕舞い込み、数ヵ月後発覚し、上司2人ほどが左遷された。

○○省に就職はしたが、窓際族と成りやがては辞職し今は家でぼ~としている子供もいる。

就職をし、数ヶ月で辞めてしまいその後、実家に帰り後に自殺をした子供もいる。両親は、訳が分らずままで居る・・今も。

一流の大学を中途退学し、行方不明に成り、やがて見つかり人並みに就職をし結婚をし子供も生まれ・・・その後、借金を抱えたまま又、行方不明に成り・・・1人で育て上げた母親は、息子を心配し苦悩し寂しく今も待っている・・。数え切れない、切ない現実の世界が周りには溢れている。

子供は、親の背中を見て育つ・・と言うけれど、背中を見ていただけでは育たない・・。共に生活の苦労を支え合う助け合う事を幼い頃から身に着け無かれば親の苦労も感謝の念も持たない。

生まれてから、やっと伝い歩きを始めた頃、既に与える愛を知っている。自分の大切な食べ物・・おもちゃ・・手にしている物を口にしようとしておる物を、大好きな人(母親など)に上げようとする・・。与える愛の始まりの芽である。

だが、その大切な育つ芽を親は次から次へと絶ってしまっている。自分の事は自分で出来る様に成る・・それ止まりとなっている。子供に、家の手伝いをさせる事で、与える愛も絆の糸も育てられる・・。共に、お料理を作る・・洗濯物をし干すたたむ。おやつを一緒に作る・・掃除をする・・。片付けをする・・ゴミを出す・お風呂で背中を流し合う・・・一緒にする・・助け合う・・・大切な作業が抜けたままに大人に育って行く。

子供は知恵が付くほどに、ずるさも身に付ける・・。勉強が試験が部活が受験が有って忙しい・・・と言い、まるで水戸黄門の印籠の様に言葉を振りかざす・・。その言葉に親は身を竦める・・。そんな言葉に屈せず、手伝いをさせる事が大切である。

そんな言葉に騙されてはいけない・・。どんな場合でも、家族で有るならば、一緒に助け合う事を強要するくらいで丁度良い。

与える愛を知る(学ぶ)子供は、人と社会の役に立つ事を願い人生の夢と目標を早くから持つ。その為に勉強を自分から進んで頑張る様に成る。勉強しか知らない子は、社会に出てから挫折する・・。弱くって立ち上がれない・・。

子供を育てる事は、愛ある行為で有り、愛ある(持つ)大人に育てあげる使命がある。

■ 90歳で自殺したお婆さんの連れ合い・・爺さんのその後

その後、どう成ったかをお話したかったのですが、チョット寄り道が過ぎた様です。なので、この続きは、明日とさせて頂きます。

つづく

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・物欲・金銭欲・その空しさの・・例3

2012-06-23 23:02:24 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル・確実に幸せに成る為の学び~☆~物欲(金銭欲)・・その空しさ・・例3

◎ 絆・・・自分と繋がている絆・・・を図形にして考えてみると、果たしてその絆は、どれだけの繋がりが有るのだろうか?

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それぞれ人によって年齢によって立場によって違うだろうけれど、爺婆・両親・兄弟・子供などの家族、そして学校・職場・近所・町内などなど、そして特別な繋がりの異性や友達を全て上げて、自分を中心に書いてみる。

うざい煩わしい・・だから付き合わない・・差し支えの無い所から切ってしまうと、近所・町内・・と言った事に成るのだろうか。

例え、運命で血の繋がりで存在する家族でも、社会で関わってしまう絆も、向き合わなければ、ただのすれ違い人に他ならない。

絆・・・とは字を見れば、糸と糸を半分づつ寄り合わせて繋ぐ(結ぶ)・・と言う事になるだろう。その糸とは、愛であり思いやりの事で有り、一方的には結べない。双方が持ち合わせ、互いが向き合って初めて結ぶ事が出来る。

自分は、その糸を持たずして相手に求めるばかりでは、絆を結ぶ事など出来ない。

うざい・・めんどくさい・・しんどい・・楽がしたい・当然だ・・そんな思いで在るならば、自分は絆の糸を持って居ない事に成る・・相手に求めるばかりでは、絆の糸は結べない・・。絆の糸は半分半分つづ持っているから結べる。そして幸せに成れる求めるばかりでは、ただの我侭と言えよう。相手を不幸にしてしまう。

反対に、自分が絆の糸を持っていても、相手が持って居なければ、どんなに努力をしても結ぶ事は出来ない・・。やがて疲れてしまう・・空しさのみが残ってしまう。離れてしまう・・。例え、直ぐ側に居ても、遠い距離のすれ違い人と成ってしまう。

自分を中心に、関わりの在る人達を線で結び、絆が有るか・・・どうか?無かったらその線に斜線を加えてみよう・・。さー、どれだけの絆の線が残るだろうか?

■ 同じ屋根の下で絆を持たない家族・・その例

夫は、10年以上も前に病で倒れ、それ以来、無職である。母親は、夫に代わり3人の息子達を無事育て上げ、上、二人の息子達は家庭を既に持っている。長男は同じ敷地内に家を建て3人の孫にも恵まれ、夫(お爺さん)が良く子守をしていた。そんな家族の様子は、賑やかで幸せそうに誰からも見える。

所が、最近知った事が有る。

母親が、急に離婚をしたい・・と言い出した。長年働いていた仕事を、体調不良で辞め、最近は、パートで働いていたらしい。年齢はそろそろ60才くらいになるだろうか?。

長男の家は、母親がローンを払い水道光熱費も払っていたとの事。無職の夫は、後遺症は有るものの、家事や洗濯くらいは出来る状態だが、ほとんどしない。母親は、1人で多くを背負って働き生きてきた。しかし、背負い切れなく成ってしまった。疲れ切ってしまったのだろう。

仕事もパートに変わり、収入も激減したらしく、家のローンは終わってはいたものの、長男家族の光熱費の支払いも覚束無く成ってしまった。

離婚が調停に持ち込まれた頃に、母親が倒れた。以前から、脳腫瘍が有ったらしい。以前に入院をした事が有ったけれど、様子を見ながらずっと働いていた。

1人で何もかも抱え頑張ってここまで来たけれど、母親がそんな事態に成っても長男夫婦は助けようとはしないらしい。やっと、自分達の水道光熱費は支払う事に成ったらしいが・・。夫は、そんな母親の悪口を言っている。相変わらず競輪にも行っている。

敷地内に有る2つの家は、渡り廊下で繋がっているが、嫁がその間の扉に行き来が出来ない様に鍵を掛けているとの事。たまに、お米が足りなく成ると子供(孫)を使いによこす。

親にしてもらう事はしてもらっても、母親が困った時に手を差し伸べる事はしない。次男もである。

せめてもの救いは、三男が病院の送り迎えをしてくれる事らしい。

人は差さえあって生きるもの。家族で有ればなお更の事である。

今の世では、親は使い捨てのボロ雑巾なのだろうか?

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・・物欲・金銭欲・・・その空しさの・・例2

2012-06-23 01:27:59 | 確実に幸せに成る為の学び舎

 スピリチュアル・確実に幸せに成る為の学び~☆~物欲(金銭欲)・・その空しさ・・例2

前回、ブログの続き・・・↓

 親は、子供に迷惑と心配をかけまいとする言いたいけれど言えない頼りたいけれど口に出せない・・。ぎりぎりまで辛抱をする。慎ましく生活をし老後の為に病院代と葬儀費用を残し子や孫の為に資産を残そうとする。

親は息子や娘を何処かで信じている。世間の悲惨な有り様を見ても聞いても、うちの息子は娘は違う・・・と。

が大抵は裏切られてしまう・・。

 ~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~

 そんな親の思いに甘え利用し、自分の事で手がいっぱいだと言い訳をし、見て見ぬ振りをし親の良い所取りをする。出来れば老後の面倒は見たく無い・・が、資産が有れば有るほどにその事ばかりに目と気持ちが向いてしまう・・。そう言った所だろうか。

 遠方だから離れているから仕方が無いと盆と正月・・或いはゴールデンウイークに帰る者も居る。

 小さなお土産を一つ持って帰り、親の作ってくれる故郷料理を頂きのんびりするか、遊びに出かけるか買い物に出かけるか勿論、親の支払いで・・。帰りには手土産をいっぱい頂き帰る・・。親が自分に孫に合いたがっている・・・。だから帰ってあげる・・。恩を売っている・・。これが恩返しなのだろうか?何時まで親に甘えるのだろうか?どこまで子供を甘えかすのだろうか・・?

体の調子はどうか?困った事は無いか?何かしてもらいたい事は無いか?年を取って出来ない家のちょっとした修理や掃除をする箇所は無いか?何か手伝う事は無いか?・・・肩の一つも揉んで上げたのか?お風呂で背中を流してあげただろうか・・?美味しいお料理を作ってあげようか?そう考え、行動した事は有るだろうか?

親は帰って貰う為に、ご馳走を作り機嫌を壊さない様に気を使い孫に物を買ってやり手土産を渡し見送り・・後で相当に疲れる。帰った後は、また次に帰ってもらう為に節約の日々が始まる・・。言いたい事や困った事をちゃんと相談する事も出来ないままに・・。ただ、寂しいから・・。愛しいから・・。

そんな光景も、親が弱りもてなしも出来なくなり頻繁に病院通いをする頃には、孫も大きく成り子も孫もほとんど寄り付かなく成る。電話で事を済ませる・・。「元気にしているか・・・と。」そう言われれば「元気にしている」・・と言うしか有るまいて・・。

年老いてくれば、子供を頼るのも親の必要な役目であり、親に頼られ行動し一人前の大人に成れる・・。自分の子供を育て上げる・・・だけが大人に成った証には成らない。

 自分の人生において、過去がどれほどに恵まれ幸せだったとしても今が現実が、辛く苦悩に溢れていれば、恵まれた過去は何の価値も無い空しい幻にしか過ぎない。

自分のこの先が、こうなるだろうあ~なるだろう・・と希望に満ち溢れたものだったとしても、それもまた幻にしか過ぎない・・。今が、どれほどに大切で有るか・・好しとする現実が肝心だ・・。時の終わりにはその事が特に肝心になる。。90歳を過ぎて自殺をしたお婆さん・・・の気持ちを考えると空しくなる。多くの預金と資産は、決してお婆さんの自殺を止めてはくれなかった。

信長の最後の言葉に

人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり
ひとたび生を享け 滅せぬもののあるべきか

(人間の50年の生涯は儚く幻である。死なない者は存在しない。)

信長の終わりが好しとしたものならば、この名言も変わっていた事だろう。

人が最後を迎える時先は無い・・。過去も幻である。死ぬ瞬間である現実が幸せを感じていられるものならば、その人生は全て好し・・となる。老いた親に対して子は、全て好しと思って貰える様に導く責任が有る。

最後の時には、親に感謝をしありがとうと言い、親は老後の世話を面倒を見てもらい、子供にありがとう・・と言える・・。その事が大切なんだろう。

が、現実は甘くは無い。

釈迦の言葉より・・

かつて君の面倒を無償で見てくれた両親には借りがあるのだから、父母に優しく恩返しすることは精神的借金をきちんと完済したことになる・・.

また、どんなに善行をしても、両親を大切に出来ない者は失格である・・とも言っています。

人間が他の動物と違う所は、親の面倒をみる所である。

自分には人間の資格が有るのだろうか?・・・考えてみよう。

~~~~~~★~~~~~~~★~~~~~~~★~~~~~~~

■  生活保護を受けている夫婦・・・

なんだかんだと揉め事も難儀も有りながら夫婦二人で働き、二人の子供を育て上げた。結構な商売を長年していたが、この不景気と商売下手も有って、とうとう倒産をしてしまった。気が付けば家も財産もお金も綺麗さっぱり無くなってしまった。

子供は一男一女の2人である。共に結婚をし家庭をそれぞれに構えている。長男には子供が居ないが、長女には2人の孫が生まれている。母親は商売をしながらも孫の世話をして来た。お陰で長女は、働く事が出来た。長男も長女も共に家を建築し持ち家に住んでいる。

しかし、何もかも無くした両親の面倒は二人とも見なかった。空いた綺麗な部屋が有ると言うのに・・。夫は持病を持っているから働けない・・。母親は既に就職を見つけるのも難しい年齢で有る。結局の所、二人は、生活保護を受けているのが現状だ・・。

両親の面倒は見ないが、長女は未だに子供(孫)の世話をしてもらいに母親に預けに行っているらしい。

いつかしら、その長女が口にした言葉に私は、驚いた事が有った。何か問題が生じた時の事、「おかあさん・・もう○○ちゃんには(孫)合わさんからね・・。面倒みさせてあげんから・・。」と、憤慨していた・・。

資産を豊かに持って残すのも空しい・・。かと言って何も無い親はもっと惨めかもしれない。相手にされない・・。元気で有れば、そうやって孫の面倒でもさせて役に立ってもらおうとする・・。弱って寝込んだら・・近寄らなくなるだろう・・。

他人から見れば察する所だが、当の本人で有る親は気が付かない・・。分った時には遅すぎる・・。

母の日、父の日にせめてお義理でも何かプレゼントを貰っていれば、まだ救われるのだが・・。

何かが間違っている・・。つづく

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・物欲(金銭欲)・・・その空しさの・・例1

2012-06-21 17:03:46 | 確実に幸せに成る為の学び舎

スピリチュアル・確実に幸せに成る為の学び~☆~物欲(金銭欲)・・その空しさ・・例1

◎ テレビを付けると楽しそうなバラエティー番組や有ったらさぞ楽しいだろう便利だろう幸せだろうな・・・の物欲を誘うコマーシャルやそれに引き換え悲惨な事件や災害のニュースや景気や経済や他国の情勢などが勝手に流れてくる・・。

そしてネットによる情報・・・など、溢れんばかりの情報が勝手に一人歩きをし入ってくる。これを情報社会・・と言うのだろう・・。望まなくても向き合わなくても勝手に向こうからやって来て、耳に目に入って来る情報だ。

だから実感が無い・・・。自分に関係の無いよそ事の遠い位置に存在する情報である。それが悪いとは言わないが、自分にとって役に立つ学ぶべき情報は本当は自分の極近い場所に存在する。しかし、そんな情報は今の時代は、見て見ぬ振りなのか、付き合いが気薄に成った為なのか分らないが、ほとんど入って来ない。

直ぐ側の足元に、学ぶべき向き合うべき情報が横たわっている・・。現状・・と言った情報だ。この情報は、出来れば見たくない観とめたくない・・気重な出来事だ・・・。何故なら、自分にも起き得る事だから見たく無い・・・知りたく無い・・・観とめたくない・・むき合いたく無い・・・そんなところいだろうか。

これから、身の回りに実際に起きている現状を見つめてみましょう。気重な情報ではあるが、目を背けてはならない学ぶ事の多い情報である。

そして是非ともと他人事とせず、考えてもらいたい。

~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~

■ 先のブログ記載の内容につづく・・・物欲の空しさ・・例・・1

○ 90才を過ぎて自殺したお婆さんの話

当時、知人のお母さんは90歳くらいだった。夫婦共に長生きで、連れ合いのご主人(お爺さん)も同年代で、夫婦2人っきりで生活をしていた。長女である知人とその下には弟(長男)がいたが、別居生活をしていた。

お爺さんは、公務員で真面目に働き、それなりに出世もし収入も結構な額有ったらしい。例の如く、それなりの天下りをし再就職をし、生活にも余裕が有り、借家を所有し、株も幾つか所有し預金も結構な額有りながらも、慎ましく生活をしていた。住む家は勿論の事、持ち家で元気な頃は夫婦でたまに旅行にも出掛けたらしい。

が、この老夫婦には一つ大きな懸念が有った。それは長男の事である。人を騙す様な人柄では無く、どちらかと言うと騙される事が多く、職業も安定せずその為に、孫の養育費に当たっては随分と協力をして来たらしい。長女は真面目な人と結婚をし、それなりに家庭を築きしっかり者としての存在を位置していた。品の有るお嬢様育ちが何処と無く漂っている。

お婆さんは、90才を過ぎても、未だに家の掃除に食事の支度に洗濯と・・何一つ若い頃と変わり無くやりこなしていたのである。家は何時も綺麗に整えられていたらしい。お爺さんは明治の終わりか大正のはじめ時代の生まれだろう。かなり頑固な人で、家事を手伝う事も無く・・退職後は、ハイお茶・・メシ・・新聞・・と言うとお婆さんが動く・・・それはずーと一貫して代わりが無かった。

この時代の女の人はそうだったのろう。文句も愚痴も言わずそうやって過ごしてきた。

ある時、お婆さんは自分の預金の大方を長女に預けた。お婆さんは資産家の娘でも有ったらしく、それなりの資産を相続していたらしい。その為も有るだろうし小まめに貯めた預金も有ったのだろう。

その後、間も無くお婆さんは入院を2ヶ月余りし後に退院をした。お婆さんは、「もうお爺さんの面倒は嫌だ・・帰りたく無い。」と言ったらしい。その後、長女はクループホームにおばあさんを入居させた。

それから2週間余り経った頃、お婆さんはクループホームの自分の部屋で自殺をしてしまった。

その当初、知人はかなりのショックを受けらしい。

その後、残されたお爺さんの面倒をお通いで長女が見ていたけれど、さすがに大変だったとの事。トイレで用を足すと汚す始末・・。何一つ自分でしないのだから大変だ。かと言ってデイサービスに出かけるのも介護サービスも嫌がり頑固として受け付けなかった・・。

彼女自信は、子育ては完了し夫婦二人暮らしをしていた。もうそろそろ頂く年金の額が気に成る年齢で有る。年相応に体力も衰えてはいるだろうが、お爺さん(父親)の面倒を見ようと思えば見える・・・。そんな感じだった。

が、よっぽど世話が大変だったらしい・・後にお爺さんは、老人向けの病院へ入院する事と成った。

長男は、さっぱり当てに成らず寄り付かず、面倒を見てきた孫達も寄り付かない・・。そんな所だ。

彼女は、お婆さん(母親)が、自殺をしたのはお爺さんの所為たと言っていた。頑固一徹で動かない・・手が焼ける・・。そう言った理由だ。

人間には長所短所が有る。そして誰しもが善の心と悪の心が共存している。

彼女は人の面倒見が良く、頭も良く知識豊富で穏やかな物言いと仕草・・何でも計画的に確実にやりこなす・・・そう言った長所と細かい女性としての仕事は苦手で小まめに働く方では無かった。どちらかと言うと指導者的要素を持っていた。静かな物言いだけれどその裏に怒りや頑固さを持っていた。我侭な面も少々有った様だ。

その当時は分らなかったけれど今なら、お婆さんが無くなった理由が分る。

90才を過ぎて家事とお爺さんの世話は体力的にも精神的にも相当に限界が来ていたのだろう・・。だから自分の資産を娘に託した。

そして察して欲しかった・・。何とかして貰いたかった。退院をした後は、娘と一緒に暮らしたかった。「お爺さんの世話は大変だろうから私に後は任せて自分の所においで・・。一緒に暮らそう・・・。」その言葉を待っていたのだ。優しさを求めた・・・だから大切な自分の資産預金を託したのである・・。

が、結局は、グループホームに入れられてしまった・・。

孤独の部屋の中、お婆さんは絶望してしまったのだろう。こつこつと貯めた預金に資産・・・何の意味が有ったのだろうか?

苦悩の中、孤独の部屋のドアーのノブで首を吊った。

日本の軍隊ではイザと言う時の為に、自殺の方法を教えていたらしい。太平洋戦争の経験が有るお爺さんは、お婆さんにその話をしていたらしい・・。お婆さんは、ぼけてはいなかった・・。その方法を覚えていて選んだのだった。

親は、子供に迷惑と心配をかけまいとする。言いたいけれど言えない頼りたいけれど口に出せない・・。ぎりぎりまで辛抱をする。慎ましく生活をし老後の為に病院代と葬儀費用を残し子や孫の為に資産を残そうとする。

親は息子や娘を何処かで信じている。世間の悲惨な有り様を見ても聞いても、うちの息子は娘は違う・・・と思いたい・・・。

が、現状は大方に裏切られてしまう。

つづく   

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スピリチュアル~☆~釈迦の教え・・物欲(金銭欲)・・・物欲の空しさの・・例その1

2012-06-19 17:47:01 | 確実に幸せに成る為の学び舎

 

 スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・物欲(金銭欲)・・・空しさ・・・

五欲とは食欲・色欲・物欲(金銭欲)・権威欲・生命欲の五つを指します。

金銭欲は、どの欲にも大いに絡んでくる・・。

◎ 物欲とは、物に対する過剰な欲の事を表す・・・。また、金銭欲は、物欲に分類される。金銭欲とは必要以上に欲するお金に対する執着の事である・・・。

お金が有れば大方の欲しい物が手に入る故に物欲に属する。美味しい食べ物・・素敵な洋服・・・車に家に・・何でも手に入る。

物意外にも病気さえも治療費が必要と成る。旅行をするにも何かを楽しむのにもお金が必要となる。生活を維持する為の糧でもある。

なので安心し幸せに平和に生きる為に必要な物である事は確かだ。生きて行く為に必要なお金・・・。お金が無くて招く喧嘩・・犯罪・不幸も有れば、お金が有って招く喧嘩や不幸や犯罪もある。

お金には、相反する性質が有る。一つには善である愛を意味するお金と欲と悪を招き人の心魂を惑わせ苦しめ犯罪に至らしめ不幸を招くお金もある。

神の司るお金と悪魔(魔神)が司るお金が有る。

神の司るお金を価値あるお金と言い、それは、生きるを助け人を助け幸せにする為ものとなる。

悪魔(魔神)が司る悪しきお金は、働かずして楽をし手に入れる・・。人に対し権威をふるう為に使われたり、人の労力を強要し手に入れる或いは奪う・・・人を不幸にする為にある。

過ぎる金銭欲・物欲は人の性質も変えてしまう・・・人を惑わす。

必要以上の金銭欲は、すんなりと手放す事を良しとする。或いは必要以上に望まない。或いは必要以上に手に入れば、人に還元をした方が幸せに成れるだろう。

前回のブログの釈迦の説法はここに意味が有る。

多くの金銭や資産を保有する方は意を唱えるかもしれない・・。出来れば子孫孫々・・・残したいと思うかもしれない。しかし、それも無駄で有り空しいものである。

先のブログでも言っているが、神は私に下記の様に教えられた。

 お金は水の流れの様なもので、流れの途中、川の縁の水溜り(ため池)に淀んで留まってる水も洪水が起きれば何れは綺麗に流される。やがて海に流れ蒸発し雲と成り雨と成り水と成りまた川と成り流れは繰り返される・・。お金も同様で、溜まり過ぎると淀んで腐ってしまうと教えられた。

常に流れ生きた使い方をする・・。使い役に立てなくては意味が無い。

仏である釈迦も下記の様に言っている。

 それらのお金は使われぬまま、その人が死んだ後にはやがて涸れて無くなる。智慧(分別)ある全うな人なら、財産を自分の為にも他人の為にも惜しみなく使って愉快に過ごす。・・・相応部経典

死んでしまえば、金貨1枚・・針1本・・・米粒一つ・・・持っては行けない。

多くの資産(金銭)を子孫に残し天に昇った後は、減りはしないか・・馬鹿な使い方をしないか・・・騙されはしないかと死後も気が休まらない・・。死んだ後くらいは安穏と心安らかにいたいものだ・・。が、間違い無くそうなる・・。

釈迦もそう説いている・・・。

 そんな事は無い・・・。そうかも知れない・・。と思っても、わかっちゃ居るけど止められない・・・歌の文句では無いけれど・・・・人間とはそう言うものだ。

だったら、徹底的に悲しく空しい実話を例に上げれみよう。そうすれば今後に生きる意味や生き方の参考に成るかもしれない。

過ぎる物欲・金銭欲に溺れる・・・事から離れ、価値ある幸せな安らかな人生と死後を過ごす事が出来るだろう。

 

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スピリチュアル~☆~釈迦の教え・・物欲(金銭欲)

2012-06-18 18:46:41 | 確実に幸せに成る為の学び舎

 スピリチュアル~★~物欲(金銭欲)・・・尽きない欲

◎ 超訳ブッダの言葉より(ディスカバー

 財産を他人と自分の為に惜しみなく使う・・・

誰もいない荒地に綺麗な水が湧いていても、誰も飲みに来ないまま、やがては涸れて無くなる。

欲望まみれの人が、うっかりお金持ちに成ったら、ケチケチし過ぎるゆえに他人の為にもお金を使わないし、自分の為にすら出し惜しむ。

それらのお金は使われぬまま、その人が死んだ後にはやがて涸れて無くなる。

智慧(分別)ある全うな人なら、財産を自分の為にも他人の為にも惜しみなく使って愉快に過ごす。・・・相応部経田

~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~ ★~~~~~~

今の時代は厳しい。昨日、5千人に1人の割合でホームレスに成っているらしい事をテレビで知った。赤ちゃんも子供達もその中に含まれているのならば、実際の割合はもっと高くなる計算だ。

若者は将来に不安を感じ子育て最中の大人達は家のローンと子育てと教育費を稼ぐ為に夫婦で必死である。子育てが終われば自分達の老後の心配が待っている。老後の渦中にいる者は、寝込んだ時の身の置き場と病気の治療費と葬儀や墓地の心配をし、子や孫の心配に余念が無い・・。

どの年代の立場に身を置いても不安は尽きない・・。だから、出来る事なら預金もしたいものだが、計画を立ても思う様にはならない時代である。

それでも懸命に日々頑張っていれば若者は体力と気力が有るし、お父さんお母さんは子供と家族の為にとパワーが湧いて協力をし生き抜いて行ける・・。気が付けば後ろを振り返ってみれば良くもここまで生きて来れたものだと関心をしてしまうだろう。

肝心なのはここからだ。人生の終盤を迎えると大きな差が生じてくる。富める者とそうで無い者の差が出てくる。

昔ならば、家族が同居し老いた者の面倒を道理的に倫理的にもみるのは当然だった・・。しかし、現代社会に置いては、そんな考えは何処かへ飛んで行ってしまった。社会が国が福祉が年老いた親を見るものだと勘違いをしている。一千万円のポルシェに乗り数千万円の年収が有りながら、平気で国に親の面倒を見させていた芸能人が居た。恥を知らない。恥で有る事すら気が付かない。

生活が厳しかろうが不安定だろうが関係が無い。安定したら・・・なんて言っている間に親は死んでしまう。

こんな薄情な時代だから、老後を迎えるに当たっては、それなりの覚悟と計画が必要だ。だからと言って過剰な財産を残す必要は無い。子や孫に残した所で何れ消えて無くなってしまうからだ。空しい限りである。

目覚めた時に、天から教えられた事の一つにお金は水の流れの様なもので、流れの途中、川の縁の水溜り(ため池)に淀んで留まってる水も洪水が起きれば何れは綺麗に流される。やがて海に流れ蒸発し雲と成り雨と成り水と成りまた川と成り流れは繰り返される・・。お金も同じで溜まり過ぎると淀んで腐ってしまうと教えられた。

私の川(お金)の流れは、どうも日照り続きの様で一筋の流れも無い・・・ここらで雨乞いでもしなくては成らない様だが・・のんきに何とか生きている。

なので、今回の釈迦の説法は、私には、ほとんど関係が無いが、この説法に当たる例は限りなく見てきている。悲しく空しい限りである。

そんな実話を次にご紹介しましょう。気は重くなるかもしれませんが、肝心な事なので、心に留め置いて頂きたい。

つづく

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スピリチュアルな出来事~☆~霊能力者Aとその仲間達・・と天神様の御札・・・

2012-06-16 18:41:03 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアルな出来事~★~能者Aとその仲間達・・と天神様の御札

大宰府天満宮で、頂いた御札は2枚有りました。1枚は自分の為のものでしたが、もう1枚は、例の霊能者Aと相棒(Bさん)のお仲間の一人(仮にCさん)の為のものでした。その方はよく働く方で、何時もお孫さんの受験の事を心配されていたので、その方の為に頂いた御札でした。

しかし、受け取っては頂けませんでした。

~~~~★~~~~~★~~~~~★~~~~~

■ 受け取ってもらえなかった天神様の御札

その理由は、霊能者Aとその関連者達は、後に怪しい投資話に乗っかってしまい500万とか400万とか何百万単位の投資をし騙され大損をしたのでした。

その事件の数ヶ月前に、私は、「マルチとか楽をして設ける様な話には決して乗らず、まじめに働くかボランティアでもする様に。」・・・と天の声をBさんに伝えたのですが、その事に彼女達は大いに腹を立てたのでした。

その数ヵ月後、大損をする事に成ってしまったのでした。

御札を受け取ってもらえなかったのは、天の声を伝えた後でしたから、私の言った事に腹を立てていたのだったら、無理も無い事でしょう。

Aさんに御札を渡そうとした時、あ~交差点でバイク事故をする・・・光景が見えたので伝えようとしましたが、伝える間も無くお札も受け取らず、さっさと帰ってしまいました。

その数週間後、Cさんのご主人が交差点でバイク事故をお越したそうです。ちゃんと御札を受け取ってくれていたら事故には合わなかったでしょう。

その後、会う機会は有りませんでしたが、Aさんに300万円の投資をしないかと持ち掛けられている話を人伝えに聞きました。

Cさんは、「300万円を投資しようか、それともお墓を立て替えようか」・・と迷っていると聞いたもので、「投資は止めお墓を立てる様に」・・と伝言をしました。その後、彼女は投資を断りお墓を立て替えたとの知らせを聞きました。大損しなくって済みました。

その後、Cさんは、病気で亡くなられたそうです。お墓を立てておいて良かった。皮肉では有りますが・・・。

人は、ちょっとした切っ掛けで、とんでも無い方向に進む事(巻き込まれる)が有ります。その時に、欲が深ければ騙される事も有ります。正しいかどうか?を見極める事が必要です。

あの時、彼女達は予言として言った私の事葉に腹を立て無視をし、欲に走ったばかりに大変な事と成ってしまいました。予言が無くても、欲を出さず正しい判断が出来ていればそんな事には成らなかったでしょう。

霊能者Aは、霊能力を過信し欲を出し判断を誤り、とんでも無い事に成ってしまったのです。それを神仏は案じられているのでしょう。

楽をして稼ぐ・・・そんな事を考えていたら、自分の進む道には、魔の落とし穴が幾つも待っているのかもしれません。

 

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スピリチュアル~☆~天神様っておしゃれ。梅を漬ける季節に成ると思い出す・・・

2012-06-16 11:57:10 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~天神様っておしゃれ・・・梅を漬ける季節に成ると思います・・・

◎ 何時だったか丁度、梅が実りそして漬ける季節の頃に大宰府天満宮に参拝しに出かけた事が有る。そして思い出す・・・事が有る。

■ 天神様の御札

拝に出掛けた季節は、沢山の梅の実が実っていた季節だった。神事(神様の頼まれ事)を済ませ、御札も頂き帰る事としました。

その時、天神様に鳥居までお見送りをして頂きました。如何にも知識溢れる上品な物腰の神様でした。

そしてとてもお洒落な神様で、薄いグリーン、丁度梅の実の緑色に白を混ぜた感じの淡いグリーンをベースに梅の花の白銀の模様の衣装をお召しに成っておられました。とっても綺麗で素敵・・・でした。

天神様のご利益は深く、しっかりと真面目に努力をし勉強をされる方に、必ずお導きを下さいます。

何よりも理不尽を良しとせず、頑張れば報われる・・・事を意図とされておられます。

それは、遠い昔にご自分の身に降り掛かった理不尽な経験が有るからだろう。

 つづく

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スピリチュアル~☆~釈迦の教え・・・・渇愛・・

2012-06-14 13:38:55 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアル~★~釈迦の教え・・・渇愛・・

◎ 五欲・・それは、食欲・色欲・物欲(金銭欲)・権威欲・生命欲を言う。

 どの欲にも絡んでいる欲・・・を渇愛・・と言う。この渇愛は場合によって意味を形を変える。

渇愛は留まる事の無い欲を言うが、自分勝手な限りない欲を言う本来の愛とは違うものだ。

神も御仏もキリスト教もあらゆる宗教の教えの根源は言い方や説き方は違っていも全ては愛を目指す事を意味している。それは創造主の意志で有り、万物は創造主の愛によって造られたもので有るからに他ならない。

この世の相対性の見地から見ると愛に反するものとして渇愛が挙げられるかもしれない。

愛とは求める意志とは別に他方から自分に向けて与えられるもので有り、また、損得抜きで自分以外の誰かの為に施す(与える)愛を言う・・。時として大いに自分を犠牲としてしまう場合も有れば、要求せずとも与えられる愛で救われる事も有る。愛によって人は生かされているのかも知れない。

それに引き換え・・渇愛は、だれだれの為とか、愛しているとか愛して欲しいとか結局は、己の為に存在し要求する欲する己に向けられた愛もどきである。 

愛と渇愛とは相対的位置に在りながらともすれば勘違いをしてまうほどに見分けが付きにくい・・・。あえて判断の仕方が有るならば、愛は生きる活力と喜びと生甲斐を見出し幸せと心の安らぎが存在するが、渇愛は苦悩と悲しみと不幸を、時として憎しみ殺意まで興しかねない心の安らぐ事の無い存在で有る。

見分けが付き難く勘違いをしかねない・・・気が付けばいつの間にか摩り替っている・・・危なっかしく厄介な存在である。

だから何時も己と向き合い・・・愛か・・それとも渇愛なのか・・を見極めなければならない。

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超訳・・ブッダの言葉より

渇愛の蜘蛛(くも)の巣を断ち切る・・・

自分だけが脳内快楽を味わいたくて、「私の事、ちゃんと理解して欲しい」

「もっとちゃんと見て欲しい」「もっとちゃんと評価してほしい」

「もっとちゃんと愛して欲しい」と、わがままな欲望思考に君が洗脳されてしまうなら、まるで蜘蛛が自分の糸にからまる様に、自分の渇愛(さみしさ)の糸にからまり、その苦しみに窒息死してしまうだろう・・。

君が智慧(物事の分別)を武器にしてこの蜘蛛の巣を断ち切るなら、苦しみを捨て悠々と歩いて行ける・・・。法句経347

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どうして分ってもらえないのだろうか・・・」と、昔、随分と苦しみ悩んだ事が有った。「釈迦にどうしたら分って貰えるだろうか・・・?」と尋ねたら、

「それは自分の思うがまま・・我が(わが)・・思うがまま・・・我侭(わがまま)である。」と言われた事が有る・・・。「何で私が我侭なのか・・・」と随分と腹を立てた事が有る。どう考えても自分の言う事思う事(思考)は、正しいのに・・と思った。苦悩は随分と続いた。

今なら・・・理解が出来る・・・それでも、ぬぐい切れない部分もあるが・・。

坂本竜馬が、[俺は議論はしない、議論に勝っても、人の生き方は変えられぬ。」と言っていたけれど、相手を言い負かせても相手の心魂は思うがままには成らない・・・空しさと苦悩する無駄を言っているのだろう。

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スピリチュアルな出来事~☆~転ばぬ先の杖の教え・・・前もって教えてくれる・・

2012-06-13 12:53:32 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアルな出来事~☆~転ばぬ先の杖・・・前もって教えてくれる・・・なのにやってしまう事がある。

  二度ある事は、三度ある・・・と言うけれど・・1度・・・あ~危なかった!!と思った事が次に又、おきる事もある。

■ 前もって教えてくれる具体的な出来事・・・

神様・・・御仏様・・・守護神守護霊様・・・ご先祖様・・・何れかどなたかが危険を前もって教えてくれる事がある・・。

数ヶ月前の事、買い物に行くスーパーマーケットを変えた時の出来事。

駐車場の車のストッパーに足を引っ掛けて、思い切り前のめりに転んでしまった。相当に痛かった・・。病院には行かなかったけれど2週間ほど歩くのも座るのも痛くって変な歩き方をしていた。

このストッパー・・プラスチック系の物で出来て居るらしく、年数が大分と経っていて、元はオレンジ色だったんだろうな~と思うくらいに劣化している。おまけに壊れてストッパーが無い箇所が大方である。大型スパーなのに・・・。

ぼーとしていたのか?はたまた、今日は何を買おうか・・なんて考えていたのか・・・視力があまり良くない事も有るだろうが・・・とにかく、転んでしまった。

アメリカなら訴訟もんだ・・。相当に痛かったので賠償金っだって相当に頂く事になるだろう・・・しかし、ここは日本の田舎・・。

スーパーの所為にしても自分の不注意にしても・・・とにかく腹が立って仕方が無い・・。怒りの矛先は天に向けられた。

「何で前もって教えてくれなかったのか・・・!」と天に向って文句を言った

すると「前もってちゃんと教えてある・・。忘れてはいないか・・・?」と言われた。

「ええ・・・???」

そう言えば数週間前にも同じ様な事が有った。その時は、転びそうに大方なりかけてラッキーにも転ばなかった・・・。ただ、相当に心臓がどっくんどっくんとビックリしてしまい、「あ~このストッパー危ない!気を付けないと・・・」そう強く思ったのだった。

が・・・すっかり忘れてしまったばかりに痛い目をしてしまった。

あの時、ちゃんと転ばなかった事に感謝をしていれば、忘れる事は無かっただろうし、今回、転んだりはしなかっただろう。

目には見えない・・聞こえない・・・助けが有る・・。注意をしていれば、日々の感謝を忘れなければ、あなたも気付く事が出来るはずだ・・。

 

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スピリチュアル~☆~釈迦の教え・求め無い(欲しない)欠乏間は増幅する

2012-06-12 19:29:20 | 神仏から教えてもらった事

スピリチュアル・釈迦の教え~★~求めない(欲しない)欠乏感は増幅する・・・

 尽きる事の無い・・・・・・物に人に社会的立場に対し生きる事に・・尽きない欲・・求めて一時的は満たされてもまた求めでしまう・・。

人間が朝に昼に夜にそして明日も明後日も・・・ず~と死ぬまで食べ続ける様に、食し満たされては直ぐにお腹が減ってしまいまた食べてしまう・・・そんな行為に良く似ている・・。

欲は生きる為に必要な事に違いないと思う・・・。しかし、何をどれだけ必要な量を頂くかが大切なんだろう。度を越す片寄った食事は肥満と病を齎す。それでも満たされず過食をすると必ず死んでしまう。

何につけ欲し過ぎるは、不幸を招く・・・心が休まらない。

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ブッダの言葉(釈迦の教え)より

■ 欠乏感は増幅する。

自分の内側を見つめるのを忘れると、知らないうちに君の心には、欠乏感のブラックホールが開き、{欲しいよ・・・足りないよう・・・もっともっと」と、求めてもがきまわる渇愛(のどのかわき)が増幅する。

まるで、林の中でバナナを捜しあちこち飛び回る猿の様に、君の心はあっちこっち、もがきまわりクルクルと輪廻して、死んですら気の休まる事が無い。

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誰しもが憧れる・・・高級車ポルシェに乗って、豪華で立派な家に住み、豪華で煌びやかな宝石や毛皮を身に付け、一流ブランドの洋服を身にまとう・・・それは何の為・・・・?。みんなに貴方は凄い・・・カッコいい・・金持ち・・偉い・・・と認めて欲しいからなのか?

自分を見て欲しい・・認めて欲しい・・・のなら心配は要らない。

人は、あなたをちらっと見てポルシェしか見ていないし、凄いと家を見上げどんな人が住んでいるのだろうか?と、チョットは思うけれどそんな事は直ぐに忘れ家を見ているから・・・。一流ブランドの服も宝石も毛皮もしっかりと見ているけれど、あたなの顔を見た所で凄い・・素敵・・なんては思わない・・・通り過ぎれば顔なんて直ぐに忘れてしまっている

みんな、あなたには関心は無く、豪華な車・立派な家・一流のブランド物の洋服と宝石に関心は向けられ釘付けに成っているのだから・・・。

自己満足・・・? それならば、無人島で同じ事するのだろうか・・。

そんな立場には成り得ないけれど、物を得る買う時に、何の為なのか?今一度、チョット考えるのも良いかも知れない。

すると、無駄買いを無くし節約が出来・・増えた物で片付けに困ったり手間も時間も節約出来る。頑張って働いて得た価値有る大切なお金・・働いた労力の無駄遣いに成らない様に価値有る使い方をしましょう。

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