スピリチュアルアート・不思議話・猫話・神話を紹介します

癒しのスピリチュアルアート・不思議なお話・可笑しい猫話・チョッと面白い為に成るかもしれない自作の神話を記載します。

スピリチュアルなお話~★~★~霊視~★~村上水軍兵の霊がやって来た。

2012-04-30 22:35:02 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアルなお話~★~★~霊視

■ 村上水軍兵がやって来た。

友達が、久方ぶりにやって来た。この友達、やたらと霊を背負ってやって来る。

友達は良い身分で、私と違って時間もお金も有るもので、良くちょっとした遠出をし観光地巡りをしてる。最近、来ないな・・・と思うと誰かと旅行に出かけている。

その後、ちょっとしたお土産とお土産話を持ってやって来るのだけれど、持ってくるのは、そればかりとは限らない。

或る時、例の如くやって来て、「最近、両方のコメカミ辺りが押さえられる様に痛くて仕方が無いんよ。それで、頭も痛い・・。」とコメカミ辺りを押さえている。

「ほうなん・・?」と、霊視してみると、何かヘルメットの様な物を被った男の霊が見えた。

「あんた、最近、何処かへ出かけた?何かヘルメットみたいなの被った人が見えるんやけど・・・?」

友達は、決まり悪そうに「そう言えば、最近、村上水軍の博物館に旅行のついでに寄ったけど・・・。」と言った。お土産無しの手ぶらで来たもので、気が引けたのだろう。そんな事は私は気にしないのに・・。

「あんな、どうもヘルメットじゃないみたい。兜(かぶと)やわい。水軍の兵士さんやな・・。一般に知っている立派な飾りが付いている兜と違って、ヘルメットみたいな形で、あっさりした飾りがほとんど無いもんや。体格がええわ・・この霊。」

すると友達が、「村上水軍の博物館の入り口に水軍さんの銅像が有って、そう言えば、ヘルメットみたいな兜を被っとった。」と言いながらやっぱりコメカミ辺りを押さえている。

「やっぱりな~。」

それで今度は、その水軍兵の霊に、ここまでやって来た理由を聞いてみた。

すると、自分は、村上水軍の兵士で、その昔、戦いで活躍をしていた。その際に大将が、良く頑張ったと褒めてくれ、褒美にと大将愛用の兜を頂いたのだけれども、自分は体格が良く頭が大きい為、その兜がきつくて仕方が無い。

大将から貰ったものだから、被らない訳には行かず、きつくてコメカミは痛いし頭は痛いし・・・難儀で仕方が無かった。それでも、我慢して被って戦っていた。今も、その兜を被ったままで、とても辛い。どうか、外して欲しい・・・。そんな内容の話だった。忠誠心の強い水軍兵の霊で有る事が伝わって来る。

また、この人(友達)に付いて行けば、あなたに会えるから、、、。助けてもらう為に付いて来たとの事でした。

この水軍兵の霊は、体格に似合わず気が優しく、人が良いのだろう。だから、大将に言えなかったのだと思った。ちょっと可笑しかったけれど、私も似たような性格なので、気持ちが良く分かる。

私は、兜を外し、水軍兵さんの霊を天に送り出した。

水軍兵の霊の話によると、海の上では、ゆらゆらと船が揺れ足元が不安定な為、重たい飾りの有る兜は役に立たないので、ヘルメットの様な簡素化した兜を被るらしい。その形の影響は、朝鮮半島の影響を受けていて、朝鮮と良く戦ったと言っていた。

後に、資料や写真で村上水軍の資料館を見て、確信した。

勿論、友達は、コメカミの痛いのも、頭痛も治りました。

霊と言えば、怖いとか思うけれど、それぞれに事情が有る。良く事情を聞き、理解をする事も必要だと思う。誰だって、辛い事は、誰かに分かって欲しい。分かって貰えれば魂も救われる。理解し説得し天に昇って頂く必要が有る。それは、御仏の意向で有り、慈悲慈愛の心である。

 

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スピリチュアルなお話~☆~本当だよ☆~子狸銀平(眷属)の可愛いいたずら・・・

2012-04-29 02:29:18 | 神仏から教えてもらった事

 不思議なお話~★~★~銀平子狸の可愛い・・いたずら!

■ 鎮守の森の銀平子狸の可愛い・・いたずら・・・本当だよ!

私の住んでいる近くに、八幡宮様がいらっしゃり、そこに同居をされている狸の神様(眷属)がいらっしゃる。頭が良く、年寄りに優しく勉学にいそしみ商売に長けた神様で、ご利益も絶大である。そして、お酒が大好きで、満月の夜には、近所の田吾の神様の所に出向き、酒を酌み交わし月見をしている。

この神様、いざ鎌倉・・・と言う時は、馬に跨り笠をかぶり、金銀ピカピカの立派な陣羽織をまとい颯爽と救いに出かけられる正義の味方です。体に合わせ、馬も小っちゃい・・。馬に跨った姿はとても愛らしいけれども、頼もしい神様である。神木には何時も愛用の小馬が繋がれていて、何時でも即座に出かけられる様に構えている。

その狸の神様の子供で、銀平と言う子狸が居る。たまに、「おばちゃん・遊ぼ!」とやって来る。浮き球を買ってあげると随分と喜び水遊びをしていた。「お菓子もどうぞ!」とさしだすととても喜んでくれる。

石車・・とは、坂道などで小石の上に足を置いた拍子に、ずるずると滑り扱けそうに成る様を言う。でも、決して転ばない・・。子狸は、そんないたずらをする。

或る年、田植え時期の田んぼでの出来事である。何時も私をこばかにする石材屋がやって来た。この石材屋、根は悪くは無いのだけれど、少々、金回りが良いもので、どうもお金の有る無しで人を判断している様で、言い換えれば、お金と言うものさしで、人も人生も計っている様に思もえる。なので、私を馬鹿にする。

腹は立つけれど、それでも内の田んぼに石材屋の田んぼが隣接している為、無視も出来ない。ちょっとした挨拶くらいはするが、何時も一言多く、人をこばかにした事を言う。

その日、石材屋は田植の準備で、稲の苗を車から降ろし水田にその苗を漬け込んでいた。大方、半分を降ろした頃、「あ~~!!」と叫んだ。隣の田んぼで作業をしていた私は、「なんやろ?」と後ろを振り返り目線を石材屋に向けると同時に石材屋もこちらを向いた。「あ~びっくりしたわ~。あんた、わしの背中押したやろう。田んぼに扱けそうに成ったわ!」苗を水田に漬け込み前屈みに成った時に、背中を押されたらしい。

「こんなに離れてるのに、何が出来るん・・。ベンジョンソンでも無理やわ。」20mは離れた位置で私は返答をした。それでも、納得が行かない様子で、頭をかしげながら再び作業を続けていた。「確かに、誰かが背中を押したんやがな~。周りには、あのおばさんしかおらんし・・。離れているし・・おかしい?。あ~びっくりっした。」そんな石材屋の心の声が聞こえて来た。

「あ!!そうか・・・」私は、おかしくて仕方が無かった。直ぐに、解った。銀平子狸のいたずらだ。「やったな?あんたやろ?」笑いながら銀平子狸に聞いてみた。すると、「あのおっちゃん嫌いや!。何時も、おばちゃんの事、いじめるから・・。」と言って立ち去った。

私は、石材屋に背中を向けて、おかしくておかしくてたまらないのを堪えながら、再び仕事を続けた。

上記は、実際におきた出来事ですが、銀平小狸を題材にした自作神話をHPに記載しています。親狸(金平)は、とても老人に親切で、信仰をしている年寄りは、長生きをしています。最近の時勢を金平狸はとても心痛されています。金平狸の意向を汲んで書いております。是非、ご覧下さい。(金平狸様を金平さんと皆、呼んでいます)

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スピリチュアルなお話~★~釈迦が現われ助けてくっれた~その2

2012-04-28 00:09:45 | 釈迦との会話・教え

スピリチュアルなお話~★~★~釈迦に助けてもらった・・その2

魔神(おろち・悪魔・魔界の者・悪しき者)の正体とは?

それにしても、悪魔に出くわすなんて(昨日のブログ記載)、まるで漫画に出てきそうな出来事だったけれど、全て本当の事だから・・。それにしても漫画も馬鹿には出来ない。そこには神仏の意向が備わっているからだ。その事は、後でお話をするとして、出くわした魔神の正体についてお話しよう。

魔神の正体を説明するには、先ずは、宇宙の話から遡って行かなければならないのだけれども、簡略して説明をしよう。

宇宙の創造、或いは存在自体を人は、創造主・主・主神・大日如来とか言い、宗教により呼び方に違は有るが、人間の思考・知恵を遥かに超越した存在である。人は、その有り様(宇宙の創造・存在)を人格化して名称し、或いは姿として表している。

その主神(創造主)を簡単に言うと愛そのものと表し、愛により万物は造り出されたとも言える。星も地球も我々人間も動植物も全てである。人間が必要とし崇める神や仏も、そこ(主神)から創造された神であり仏である。

主神の傘下には色々な神様かいらっしゃる。日本には天照をはじめとする八百萬の神様が居て、それぞれの役目を果たされている。御仏もまた、同様にそれぞれの役目を果たされている。守護神・守護霊・眷属(龍・狐・蛇・天狗など)また、人の霊(死後の魂)そして、現世では、肉体と心魂を併せ持つ人間に大きく分かれる。

万物は、全て相対性があると言われているが、神様魔神の相対性は何処の位置に属するのだろうか?

主神と相反する所(対座)には魔神は位置しない。主神の存在は、別格の位置に存在する。魔神は、主神の傘下に属する神でも無く、主神によって創造されたものでも無い。もっと下等な位置に対座している。

魔神は、人によって創造されたもの、人々の悪しき魂から生み出されたものだ。主神の傘下に有る神々や御仏と人の善の心魂と対座(相対)し存在している。

ある時は巨大化し、ある時は一個人に存在し、姿や形(容姿)も自在に変える。ある時は神に、ある時は仏に、ある時は眷属にと、変身し、80%くらいは、もっともらしい事を言い行ない、残り20%で本性を出す。

欲深い悪しき心魂の持ち主は、魔神を神と崇めている場合が有る。どんなに上手く化けて見せても化け切れない箇所が有る。

それは、目である目は、赤い。良く漫画で出てくる悪しき者の目を赤く描いて居るが、あれは、作者は無意識かもしれないが、そこには神の意図する所で有り、描かされているので有る。

私が遭遇したあの恐ろしい赤い目真っ黒に渦巻く胴体・・それは、正しく悪魔(おろち)である。

あの時、一瞬、私の中に入った時に、どう言った目的で、私の前に現われたかが読み取れた。東京に本部を置く宗教団体に居る魔神である。近年、こちらに進出し、私の住む近い位置にその宗教団体が建っている。私か本格的に目覚める前に倒したかった様だ。得体の知れない正体、異様な災いは、こいつの所為だ。あんな所に隠れて居たんだ。

あの時、悪魔の囁き誘いをきっぱり断った後、私はすっかり目覚め、天よりあらゆる教えを伝授してもらっていた。後に私はこの教団の魔神を退治する事となった。その事は、何れお話しましょう。

それにしても、体感(釈迦の教えに記載)だとは言え、救ってくれたとは言え、トラのオリの中にいきなり放り込まれた様なもので、何の相談も無く、いきなり悪魔を目の前で見せられた時は、心臓が止まりそうに成った。

釈迦の荒療治には参ってしまった。だから、釈迦は、ひねくれ者だと言いたく成る。けれでも、とても感謝をしている。あのままだったら、私は、確実に命を落としていた。

ここの所、ちょっと重い話が続いてしまった。ここらで、明日は、明るい面白い日本の神様のお話をしましょう。

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スピリチュアルなお話~★~釈迦が現われ助けてくっれた。

2012-04-27 18:44:40 | 釈迦との会話・教え

 スピリチュアルなお話~★~★~釈迦に助けてもらった・その1

■ あんなに怖いもの見たの初めてだった・・・ただただ、怖かった!!

生きていれば難儀や苦労は付きもので、目指すものが有れば、なおさらの事である。進む道の前には大きな壁が幾つも立ちはだかる。今まではその度に頑張って、ナニクソ!で乗り越えて来た。

それがどうもここの所おかしい?。何時も通りの要領で頑張り乗り越え様とする。相当の努力で何とか乗り越えてみたもののどうも壁の性質が違う様に思える。何かがおかしい?壁と言うより災難と言った方が良いかもしれない。

度重なる災難が起きる。こんな悪い事がどうして次々に起きるのか?運に見放されたのか。まるで得体の知れない何者かが意図的に災難を起こし、その度、得体のしれない何者かが、すーと救いの手を差し伸べる・・。その得体の知れない両者は相反する者の様に思える。何か末恐ろしい怖いものを感じて仕方が無い・・。なんだろうか?気にせず頑張るしかない。

とうとう、どうにも成らない大きな災難(悪しき事)がやって来た。人(会社)に救いの手を差し伸べた挙げ句に裏切られてしまった。その後、その関係者で被害に合った人に手を差し伸べ、さらに裏切られた。踏んだり蹴ったりとは正しくこの事だ。途方に暮れた。

自分の、愚かさ、甘さ、お人よし、身の程知らず・・・。自分を責め続けた。自分は、何時も誰かの為に出来る事はしよう・・・そう思い行動して来た。考えて見れば、自分の事を何時も後回しにして来た様に思う。

そんなある日の事、声が聞こえた。「人の為に幾ら尽くしても、感謝される所か利用されて裏切られる・・。それでも、お前は人間を信じるのか?。恨まないのか?。人間に見切りを付けよ。身を任せれば、難なく楽に大金持ちにさせてやる。」

一瞬にして入ってきた声・・・。妄想でも自分の心の声でも無い。何が何だか解らないけれど、恐ろしい者で有る事を感じた。身など任したら大変な事に成りそうだと思った。

思わず私は「人間に見切りを付けたり恨んだりはしない。今まで助けてもらった多くの人達が居たから、ここまで生きてこれた。出来る事は今まで通りする。決して人を見限ったりはしない。今までの自分の人生を否定する事は出来ない。ただ、助ける相手を間違えた自分が未熟だったんだ。殺されても変えるものか・・・。さっさと出て行け!!。」そう叫んでいた。

そうは言ったものの途方に暮れ、身も体も動かない。どうして良いのかも解らない。家の中は何とかこじんまりと掃除をしていたが、気が付けば裏庭は草に覆われてしまっていた。

ある日の事、声が聞こえ、「裏庭の草をあの檜の元まで、1メート幅で良いから草を刈り進みなさい・・。」と言われた。訳が解らないまま、カマを手にし草を刈り始めた。結構な距離を刈り進めた途中、釈迦が現われた。

訳が解らないけれど、懐かしく愛しくやっと再会が出来た喜びに涙が止まらなかった。共に喜んだ。

草を刈る様に言ったのは、釈迦である。再び、私は草を刈り始めた。

やっと檜の木の下辺りまで辿りついた。やれやれやっと思い、目の視線を檜の元に置いた。

その時、木の元に、この世では見た事も無い恐ろしいものを見てしまった。

真っ黒い渦を巻いた胴体!鋭い真っ赤な目!見たことも無い恐ろしいものが、檜の元に渦を巻いて居座り、こちらを睨み付けている。あまりの恐ろしさに、体も時間も止まり動かない。わ~~わ~~声にならない叫び声を上げ、その場から私は逃げ出した。

丁度、その時、友達がやって来た。只ならぬ様子に「どうしたん?」どんな時でも彼女は、おっとりとしている。

その時、その恐ろしい者が私の体に入り込み、「よくも見付けたな・・。ただではおかん・・。」と叫んだ。

彼女は、もの静かに私の背中をさすり呪文を唱えた・・。すると、す~と恐ろしい者は私の体から消え去った。釈迦が彼女を使い呪文を唱え恐ろしい者を追い出した。

その後、釈迦は、私を使い、檜の元に居た恐ろしい者を退治した。

あの恐ろしい者の正体は、悪魔・おろち・魔界の者・魔神・・言い方は色々と有るが、悪しき者である事を釈迦から教えてもらった。どうしてあんな恐ろしい悪魔(おろち)が居たかの訳を後に知る事と成った。

異様な事が続いたのも、すーと救いの手が入ったのも、得体の知れない相反する正体のなぞが解けた。神仏の救いと魔神(おろち)の仕業だった。

少々の力では無理で、釈迦の力が無ければ、私は救われ無かった事を確信している。 つづく。

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スピリチュアルなお話★~★~★~釈迦との会話・・・その4

2012-04-25 16:52:00 | 釈迦との会話・教え

 スピリチュアルなお話★~★~★~釈迦との会話・・その4

 釈迦本との出合い・・・

お導きは、天よりの声とばかりとは限らない。

人生に行き詰まった時に、自分の進む道が全く解らず真っ暗に成った時に、前に進む為に差し込む導きの光(光明)が有る。例えばそれが、書店でふと見つけた本だったり、誰かの助言だったり、音楽だったり・・・。誰もが経験をした事が有るかと思う。難儀や苦に逃げ出さず向き合った時に導かれる。

或る時、余りの苦しさに天に聞いてみた事が有る。「苦しくて仕方が無い。どうにもならん?」すると、こんな声が聞こえて来た。

時間は昼時である。「空を見よ。昼間の空にも星は輝き存在する。しかし、こうも明るければ見えない。存在すら忘れてしまう。暗い夜には、星が良く見える。街の灯りも月の光も無い闇夜は、さらに星は輝き良く見える。」

「そうなんだ・・・。昼間も星は出てるんだ・・。考えた事も無かったな~なるほど。」ポカーンと、しばらく空を見た。

苦労や難儀にとっぷり肩まで浸かってしまった時、あの頃は、当たり前と思っていた事や苦労と思っていた事も、当たり前が幸せだった事に、苦労と思っていた事さえも大した事ではなかった幸せの一端だった事を思い知る。結構、恵まれていたんだ・・・そう思える。

天からの声、星の例は、聖書に書かれている事を、後から人から聞いて「そうなんだ・・・」と知った。

肩までとっぷり浸かってしまった苦労や難儀に終わりは無かった。とうとう、頭の先までとっぷりと浸かってしまった。「もう、息も出来ん。終わりかな・・・。頑張ったんだけどな・・・。」通常では、報われるはずの苦労や難儀・・。粋を超えてしまっている事を感じる。、、報われない。理不尽な事もいっぱい重なって来た。理不尽は、私にとっては、理不神と言う意味に思えた。道理に合わない・・報われない・・神仏に見放されたと言った方がいい。

私は「理不尽の限りがここに有ったとしても、死が直ぐ目の前に存在しようとも、天(神仏)が私を見放そうとも、私は天(神仏)を愛し信じます。」と言った。「こうなったら、もう、そちらが嫌でも衣の裾(神仏の)だろうが足だろうが、しがみついてやる・・。」もう、ヤケクソだ!!。。そうは言ってみたものの、どうすれば良いのか解らない。

ある日の事、偶然に古本屋で見つけた本が有る。超訳・仏陀(釈迦)の言葉(小池龍之介著作)。解りやすく解説された本だった。要らなく成ったCDを売り、そのお金で買った。定価は結構したが、CDを売ったお金で間に合った。助かった。

やっと、ここに至って、現れたか・・釈迦め・・!。

私は、これも、釈迦の仕業(導き)で有る事を感じ察した。

!読んで腹が立って仕方が無かった・・。腹が立って立って思わず3回も読んでしまった。

そこから、究極の教えがはじまっだ。

明日は、実際に起こった話・・・。釈迦と初めて出会った時の出来事命を救われた怖い体験を話します。・・・とにかく、怖かった・・!

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スピリチュアルなお話★~★~★~釈迦との会話・・・その3

2012-04-24 23:00:34 | 釈迦との会話・教え

 スピリチュアルな出来事~★~★~釈迦との会話・・その3

■体感・・・

「反抗するは、向き合おうとする証である。」との釈迦の言葉を前回のブログで紹介しましたが、釈迦の説法は、だらだらと長くは無い。集約した言葉を提示し、後は、自分で悟れ・・と言った具合です。

思案し難儀し苦悩した末に頂いた言葉は、集約された言葉でも、ゆっくり考えれば(自分と向き合う)れば、ちゃんと理解が可能である。

随分と思案し苦しみもがいても分からない、答えが出ない。幾ら教えて欲しい・・と懇願しても知らん顔をし、答えてはくれない場合が有る。もう7~8年も答えを求めて苦しんでいた。その末頂いた言葉は、「資質である・・。」たったそれだけの言葉だ。1で、100を知る・・・そんな感じである。その一言で、悩んでいた事の全てを理解する事が出来きた。

様は、体感である。山ほどのすばらしい教えの長本を覚えてしまう程に1000回読むよりも、世の中の有様や人を見たり聞いて知るよりも、自分が体感し思案し苦しみもがき悩んだ行く末に辿り付いた(頂く)言葉や説法は、たった一言でも、100を知る事が出来る。答えが解る。

随分と経ってやっと・・「もう、そろそろ理解が出来る頃だろう・・」と、その時を見計らって、釈迦は、集約した言葉を発する。そして、理解が出来る。

故に、先のブログ(その1)で釈迦は、変化球を投げる・・・ひねくれ者だ・・と言った訳だ。

釈迦は、厳しい・・・しかし、慈悲と慈愛に溢れている仏様である。反抗ばかりする私に言ってくれた言葉が有ります。「お前には、反抗したくとも反抗する親も誰も居ない。故に私が受け止める。」私は、早くに、両親を亡くしていましたから、反抗期には板戸に成れず網戸であったのかも知れない。長い間そうだったのかも知れない。(釈迦との会話その2に網戸と板戸について記してます。)

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不思議なお話★~★~★~釈迦との会話・・・その2

2012-04-24 02:49:53 | 釈迦との会話・教え

 不思議なお話★~★~★釈迦との会話・・・その2

□ 網戸と戸板

 神様や御仏様(観音・如来)守護神・守護霊様が、もの申す時は、如何にも格調高い凡人では理解し辛いしゃべり方をする様に思うかもしれないが、それは全く違う。

政治家の様に、或いは偉い学者や評論家がやたらと難しい専門用語を使い話す・・・そんなものとは全く違い、相手に分かり易く理解が出来る話し方をして下さる。例えば、3歳児には3歳児に分かる様に、小学生には小学生に分かる大人で有り、また凡人の私にはそれなりの理解出来る言葉でものを申される。

一瞬にして多くの言葉・意味が凝縮され、パン!と入って来たものを、なるほどと読み解いて行く(メモリーの様な)・・・そんな場合と、一言・・・パンと入って来る時や、分からない数学の問題を分かり易く例を上げて理解し習得出来る様に教えてくれる学校の先生の説明の様に、もの申す時もある。或いは、言葉では無い言葉・・・説明しずらいが、普段、人は相手の言葉を耳で聞きそして思考し対話しているが、直接、脳(思考・心魂)に入って来る・・・そんな感じの場合もある。

正しい、神仏・守護神や守護霊は、命令をしたりは決してしない。「あ~しなさい、こうしなさい・、・・肉を食べなさい」そんな事は言わない。もし、言ったと言う者が居れば、それは神モドキを崇めて居るか嘘を言っているに他ならない。

以前、「神仏に私は、帰依し従います・・・」手を合わせそう言った時、天は「我々は支配者では無い。あなたと共に共存共栄する。」と申されたからだ。

では、釈迦との会話の話をします

私は、釈迦に対し反抗ばかりをし、口のきき方も知らず、都合の悪い事は釈迦の所為にした事も有ったし、「好きじゃ無い、嫌い・・」とまで、言った事も有る。命を助けられたにも関わらず・・・。しかし、良くも飽きる事無く見捨てる事無く、悟り(まだまだ入り口)の道に導いてくれたものだと思う。多大な愛・慈悲と慈愛を感じている。

ある時、釈迦に聞いてみた。「そんな私に腹は立たなかったのか?」そう聞いてみた。

すると、釈迦は「腹を立てるほどの事も無い・・。反抗期の子供の様なものだ。」と言い次に「反抗期の子供は、網戸では無く戸板の様なものだ。」とも言い例を上げて申された。

以下、聞いた事を、下手ながら私なりの言葉に置き代えてみると、戸板とは?

台風の風が吹いた時、網戸は風を通し何の変化も無いが、戸板(雨戸)は、まともに風を受け止めるほどに、がたがたと鳴ったり、時には外れたり飛んでしまったり壊れたりする。反抗する子供は、正しく戸板(雨戸)と同じ様なものである。

親・友達・先生・大人や社会の事や或いは生きる意味など、大人に成るまでの過程で、思考しもがき悩み苦しむ姿は、風をしっかり受け止め様とする戸板の様なもので暴れる。物静かな網戸ならば、親は安心で楽かもしれないが、戸板が鳴る度に煩わしいし、外れれば元に収めなければならない、壊れれば修繕もしなくてはならない。そこには、決して諦めない見放さない親の愛情が必要である。

「反抗するは、向き合おうとしている証である。何の腹を立てる事があろうか。」と、その後に釈迦は言った。

反抗する子供が、母親に「ババー」と言ったり、悪さをしたり、親の所為にしたり文句を言ったり無視したり・・・子供では無いので、悪さはしなかったけれども、確かに私は、反抗期の子供の様なもので、神仏に帰依し悟りを開こうとする過程で、辛く苦しい度に、釈迦に大いに反抗してきた。

どんな時も見放さず、諦めず見守り続けてくれた釈迦の愛(慈悲・慈愛)が有ればこそ、悟りの道筋に入る事が出来た事を、改めて思う。

今の住宅事情では、戸板は少々の風ではびくともしないのだろうけれど、私の時代の家の戸板(雨戸)は、台風の影響を良く受けた。私の時代に合わせ、釈迦は例を上げて言っています。

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不思議なお話★~★~★~釈迦との会話・・・

2012-04-22 22:42:14 | 釈迦との会話・教え

  ● 思議な出来事~★~★~釈迦との会話・・その1

□ 釈迦は輪廻転生しないのか?

 あまり突拍子も無い事ばかりをブログに書くのも如何なものか・・・と何時も思ってしまう。

頭がおかしい?そう思う人も多い事だろう。自分だって、信じがたい事ばかりが次々と起きるもので、、、戸惑い、「私、ちょっと変かも・・」と思った事も多々有った。しかし、不思議な出来事は、私ばかりでは無く、私と一緒に居て体験した者も居るのだから、本当の事だ。数々の不思議体験は、神仏の存在を確たるものとしていった。予言も次々と当たれば、尚も信じる事となる。

さて、釈迦の話をしましょう。釈迦は、時々ではあるが、私の前に現れる。その事を、見破った鑑定士がいた。私は、誰にも話した事は無かったのだけれど、「あなたの中に40%、釈迦が存在する・・」そう言われビックリした事が有る。確かに、何時も釈迦の存在を感じていたし、時折、話してもいた。それにしても、この世には、すごい鑑定士が居るものだ・・と関心をした。

釈迦は、今は如来として存在しているが、人として生まれた実在の人物だ。イエスキリストもそうだが、それなりの個性が有る。釈迦の性格は、一言では説明しずらいが、野球のピッチャーの玉で言うと、ストレートの玉は投げてこない・・・。カーブしたりストーンと落ちたりの変わり玉を投げてくる。言い方は悪いが、素直では無い。

ある時、釈迦に聞いてみた。「あなたは、生まれ変わらないのか?」そう聞いたのには理由が有る。イエスキリストは3日後に生き返り、墓に遺体が無かったとの事だからだ。

すると釈迦は「私は、二度と生まれ変わらない。この世は、苦である。」と言った。よっぽと生まれ変わりたくないんだな~そんな感情が伝わったもので「そんな事言わないで、生まれ変われば良いのに・・」ちょっと、意地悪を言ってみた。すると「私は、こちらの世(黄泉の国)で、忙しい・・・」そう、言われた。(私は、この世でこんなに苦を受けているのだから、釈迦も受けてみたら・・)そんな思いも有った。かなり私もいじけている

私は、仏教も神道もキリスト教も別に詳しい訳では無い。後で、知る羽目に成る事が多い。文献などを読んで知ったり人から聞く事となったりする。それでもって確信する。

あの時に釈迦の言葉「この世は苦である」そう言った事も、二度と転生しない為に辛い修行をし悟りを開いた事も後で知った。あの時、ひしひしと感じた釈迦の魂の感情が、今も忘れられない。

私は、釈迦に命を救われた事が有るが、にも関わらず釈迦に対して反抗的な感情を抱いて来た。しかし、その後、釈迦の偉大さ、すごさ知る事と成った。如来として存在する意味を悟る事と成った。

口のきき方も知らない、浅はかな私を飽きる事無く見放さず今も居て下さる。心よりお詫びをし帰依します。

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神仏から教えてもらった事★~★~★地震予知その2

2012-04-22 01:01:34 | 神仏から教えてもらった事

  神仏から教えてもらった事 ★~★ 地震予知編・・・その2

 先のブログ(4月19日記載)で紹介をしました様に、確実な地震予知を天から知らされて来ました。

結果をもって、やっぱり・・・と確信を持て来ましたが、地震予知は一個人の鑑定や霊視よりも、はるかに難しい能力を要します。

小さな災害被害に及ばないものに付いては、知らせは無く、地震予知の天からの知らせは、地震発生の1週間~2日前までに有ります。

それは、こちらからの問いかけ「近い内に地震は有るか?と尋ねた時に、地震が起きる場合は、瞬時に地図が飛び込んで来て、その地図の中のポイントを目で追う(地震発生地)ものです。地理に疎い私は、後で調べる・・。そう言った要領です。

事が事だけに安易に口に出せません。確実に口に出来る様に成る為には、さらなる修行が必要です。それでも分かった事は、出来れば知らせ紹介をしよう・・その必要が有ると思っています。但し、かもしれない・・・との事で紹介をしたいと思っています。難しい事ですから。

何事も無かった場合、いい加減だな~と思われても、それでも気に留めて頂けたらな万が一、確実な予知と成った場合、気に留めて頂いていれば、実際に地震が発生した場合に、パニックに少でも落ち入らないと思うのです。

苦行は、かなりして来ましたので能力もアップした様ですが、まだまだの状態ですから。

さらなる修行が必要なのには訳が有ります。まだ、未熟だった頃に、瞑想し視えた事が有ります。関東方面の大きな地震の様子で、海が炎の竜巻で覆いつくされ海風が陸地に吹き陸地まで炎の竜巻に覆われる・・・そんな場面でした。その時に、年号と月日を記載したメモを最近、探し見つけました。かなり先の様に思っていましたが、あまり年数が有りませんでした。

一週間前(近日)の知らせで無く遠い先の透視ですが、それも未熟な時期の透視でしたので、如何なものかと思うのですが、同時期に透視した事柄は、確実に当たっていましたので、もしかしたら、地震予知の透視も当たっているのかも知れません。

その時期の透視の一つに、北朝鮮のドンの事を聞きました。ドンは透視の際は、まだ元気でしたが、天に尋ねると「病気になり死ぬ・・」と言われ、では、「死なば諸共で、ロケットを日本に向けて来ないか?」と聞くと「継承する者が居れば大丈夫・・・」そう言われた。それから失礼ながら「まだかまだかな~やっぱり当たらなかったか?」と思いながら数年が経ち、言われた通りになりました。他にも透視していた2~3の事柄が当たっていました。

直ぐ目の前の予知・・・のみにあらず、5年10年先の予知も確実だったのだから恐ろしい・・この先、起きる関東の震災・・・当たらなければ良いのだけれどと願っています。

無視をしてしまった東日本の地震予知の二の前にならない様に、さらなる修行をし極めて行きたいと思います。あまり年数が有りませんから。

私事ですが、東日本の地震当日、テレビを見てた際、娘が東京に居るのが視(透視)えました。大きな柱の側に居ました。「何で東京に?今日は、金曜日で仕事をしているはず・・・?」電話をしたいけれど、出来ない事情が有ったもので、変わりに父親にテレパシーを送り、電話をしてもらいました。

案の定、娘は仕事を休み東京に行っていました。父親から電話が掛かって来たとの事でした。

それと、かなり前に九州で地震が有った頃、私は、神懸りで、1日で九州を一周し、地震を封じ込める神事をしました。なので、しばらくは九州近辺は大きな地震は無かろうと思います。あれから結構な年数は経過してはいますが・・・。

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スピリチュアルな出来事☆七福神様がおっしゃった!商売繁盛の七つの教え

2012-04-21 00:40:36 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアルな出来事七福神さまがおっしゃった!

〇 商売繁盛・幸福に成る為の七つの教え・・・昔の話

 事がちっとも上手く行かない。肝心の仕事が不調である。

数年前の事、正月明けに友達と一緒に七福神廻りをした。その時の七福神   (七箇所のお寺を廻り一枚の紙に絵印を押してもらった物)が今も壁の高い位置に張って有る。手を合わせる事も多い。「毎年、行かないとご利益ないのかな・・・。」そんな愚痴とため息が、ついつい出てくる日々が続いた。

物事が上手く行かない・・・。気も沈む・・・。人が嫌になる・・・うざい・・。商売をしていて人が嫌になってしまったのでは、話にならない。重症である。

そんなある日の事、いきなり声が聞こえた。七福神の声だ

「幸運は、人が運んで来るものだ。我々(神)には肉体が無い魂のみで有る。故に人を使ってお前を(人)を助ける。人をもって、人を救う。」

「残念ながら、それ!そこに有る鉛筆1本、我々には動かす事が出来ん。故に、人を使う。そうも人を毛嫌いしたのでは、周りに人が居なくなってしまうではないか。助け様にも助ける事は出来まいて。」

そして、「商売繁盛・幸福に成る為の七つの事柄を教えよう。」と、下記の事をおっしゃった。

〇 先ずは、よく働く。

〇 有難うと言う。(感謝)

〇 素直に御免なさいと言う。

〇 人を褒めそやす。

〇 良く笑う。

〇 良く楽しむ。(仕事も遊びも難儀も)

〇 健康である事。(健康管理)

私は、急いで書き記した。

そう言えば、心当たりが多々あった。

お金が天から降ってくる事は無かったけれど、どうしても必要な物が買えない・・・。どうしたものか・・?そんな時は、必ず、誰かが余分が有るからと言って持ってくる。

女手だけではどうにもならない力仕事・・・どうしたものか?そんな時は、どう言う訳か叔父がたまたまやって来て手伝ってくれる・・。考えられない偶然の助けは多々有った。

何れも人が助けてくれた事だけれども、その人を動かしたのは、神の仕業に他ならない。あまりの偶然と不思議が多々、そこには有った。

お金を頂いた方が有り難い様に思うけれど、手っ取り早い様に思うけれども、助けてくれた人の親切やおもいやり優しさは、お金には代えられない大きな励みと力に成る。神様は、そうやって必要な事と物を人の思いやりと言う大切な力と一緒に、頑張れ!と言うメッセージも一緒に贈って下さる。

例えば、昨年の震災では、多くの人達からの応援物資が届けられた。おにぎりに赤ちゃんのミルクや古着など、それらの物には贈った人達の思いやりや優しさが込められている。それらは、どれだけの力と励みに成ったことだろうか。お金には代えがたい価値を感じただろう。

にも関らず私は、「お金がちっとも入らない・・。最低限の手助けしか神様はしてくれない・・。何で私には厳しいんだろう・・。」そんな不平不満ばかりを言っていた。

自分が懸命に努力をし働いて、はじめて価値の有るお金を手に入れる事が出来る。私は、安易にお金をくれない神様に文句ばかりを言っていた。

神様は、頑張っていても、どうにもならない時、そーっと人を介して必要最低限の助けをして下さいます。後は、自分で努力をしなさい・・。と言う、大いなる親にも近い愛を下さる。その上、商売のコツを優しく説いて教えて下さった。

私は、真にもって愚かである。

人の親切や優しさ助け・・その裏には、神仏の愛・・助けが存在する事を気付くと、喜びも感謝も増してくる。そして頑張る力も沸いてくる。

七福神様・・・御免なさい!そして、有難うございます!

つづく

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★神様から教えてもらった事★~★~地震予知・・・・

2012-04-19 22:17:25 | 神仏から教えてもらった事

★神仏から教えてもらった事・・・・壊れたパソコン&地震予知

パソコンが、突然ピー!!と鳴りだし画面が消えた。当、ブログを書き始めて10日ほど経った頃の事である。

信じられない不思議な出来事、天より教えられた様々な事をどこまで書けば良いものか?どう分かり易く伝えるべきか・・・迷っていた最中の出来事である。

又もや邪魔が入った様だ。神仏に関わってからと言うもの、大いに邪魔が入って来る。ここぞ!と言う時に限って邪魔が入ってしまう。しかし、すーっと救いの手が入る。ただし、本人の努力が必要だ。

神仏の言う事には、宇宙を含め全ての万物・物事は、相対性(相反する)が在るとの事。光が在れば闇が在り、生が在れば死が在る。楽が在れば苦が在る。善が在れば悪が在る・・・。神が存在すれば魔(魔神)も存在する。この宇宙も地球(物質)も現実も未来に向かって進んで居る様であり、また、時の終わりに向かって進んでいる。

神仏に帰依し近づくほどに、魔(魔神)もまた近寄ってくる。何時も心魂をクリアーにし強くなくてはならない。次々と強烈な災難と想像を絶する苦労と難儀が、これでもかこれでもかと押し寄せて来る。

魔神からは、「これでもお前は死なないのか?神を信じ愛するのか?」と言われ、当の神仏と言えば、死なない程度に手を差し伸べ、修行と証し甘くは無い。

次から次えと常人では在り得ない災難と難儀と苦労が押し寄せて来る。何のとりえも無い私だけれど、人並み以上の苦労をしてきたと自負していた。苦労を踏み台にし乗り越え、まーまー自分なりに順調に生きて来たもので、それなりの自信(何くそ!)は有ったものの、そんなものは吹飛んでしまう事ばかりが長年続いた。「死んだ方が楽だ・・・」まで、追い詰められる。

とうとう、私は逃げ出した。神仏の帰依から離れた。こんな事していたら、普通に生活が出来ない。生きて行けないと思ったからだ。

四方八方塞がり・・・と言う言葉が有るが、天よりあらゆる教えを見聞きしてきた私は、十方塞がりなのである2つ何が加わったかと言うと、分かり易く言うと現世では見えない天界の事と、地獄界の事で有る。

死にたい・・・とどれほど思った事か・・。でも、その後の事が分かっているもので、この間々では死ねない。生きる事も死ぬ事も出来ない。結局、何処へも逃げようが無かった。身も心も魂の置き場も無い。

離れてみても、分かってしまう。この人危ない・事故する・大丈夫・・見える霊も居て、伝えて欲しいと言われる事も有る。それでも、無視して、人並み以上に年中無休で、一生懸命に働いた。

しかし、あの日の出来事が有ってから、私は再び、神仏に本気で帰依する事を決めた。

あの日とは、東日本大震災の事である。信じてもらえないだろうし、正直、まだ自信が持てていない。地震の予知である

新潟地震が有った頃、私は、食器を洗いながら「間も無くクリスマスだと言うのに、新潟にまた地震が起きたら気の毒だ・・。心配は無いか?」そう聞いてみた。

すると「大丈夫だが、・・・」と、その後、インド洋の地図が目に飛び込んで来た。新潟じゃ無いんだ・・と、ほっとした。うかつだった。数日後、日本では無かったけれど、インド洋沖で大きな地震と津波が発生した。

新潟で無い事に、あの時、ほっとしてしまった自分を恥じた。その後、中国地震・北欧の噴火・東南アジアの水没・最近では南米の地震「被害少ない」、ごく最近に起きた東南アジアの地震も前もって知らされていた。知らせは、瞬時で、地図が目に飛び込んで来る。

東日本大震災も1週間くらい前に、知らされ地図が目に飛び込んで来た。東北の地図だったけれど、それは海だった。にも関わらず、何時もあの辺りは地震が起きているから・・と無視をし、仕事に感けた。

地震の前日、有る事で、私は仙台の新聞社の電話番号を調べ電話をしようとした。その日は、そうとうにしんどかった。こんな事は、はじめてだ。電話番号を書いたメモを握り締めた間々、私は午後2時過ぎから翌朝まで爆睡てしまった。

その朝、(地震当日)「今日は仕事を休もう。休みたい。神前に向かわなくては・・・」と思った。仕事を休みたいこの感覚は、通常のものとは違い、生まれて初めての感情・感覚だった。しかし、無視して私は仕事に出かけた。

正午になっても、やっぱり体がしんどい。空を見た。私には、そら一面が黒く恐ろしいもので、初めて見る恐ろしい空だった。一面とは、日本全体を指すもので、ここが(西日本)これほどなら、、、と思ったが、無視をした。午後2時半過ぎに家に帰り、テレビを付けてビックリした。やっぱり・・・と思った。

一週間前に知らされた地図を無視した事。全く関係の無い仙台の新聞社の電話番号をわざわざ調べ電話しようとした事。翌朝、神前に引っ張られ瞑想しなければ成らなかった事を無視し仕事に出かけた事。あの恐ろしい空模様も見ながら無視した事。言葉に成らないほどの通常では考えられない異常な心身のしんどさも無視をしてしまった。

自分の生活を仕事を優先してしまった。原発のメルトダウンも3日目には見えていた・・。私は、悔いても悔やみ切れない。己のことばかりを考えて天の知らせを無視してしまった。浅ましい限りだ。

私は、神仏に帰依し神仏と共に共存共栄する事を誓った。まだまだ未熟である。しかしながら、「この世は無常である・・・」と、釈迦が言っている様に明日は、分からない。明日と言う日が自分に存在するとは限らない。故に、天より教えられた数々の事を伝承しなければならないと思う。出来る能力をフルに発揮して行こうと誓った。蟻んこ程の働きだけれど、神仏と共に、この世と人の役に立ちたい。世と人が良くなり幸せに成る事を、神仏と共に、己の喜びとして行きたい。

つづく

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