
武藤潤 54 東燃ゼネラル石油社長
<当局に直談判>
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外資系の自由闊達(かったつ)な社風に魅力を感じ、ゼネラル石油に就職しました。米エクソンモービルの前身の石油会社の関連会社です。
東日本大震災が発生したのは、川崎工場長の時です。
東日本の製油所がすべて稼働しなくなりました。被災地をはじめ東日本の人々に石油製品を届けるには、西日本から運び込まなくてはならない。当社の場合、堺工場や和歌山工場から川崎工場に輸送し、さらに東北の油槽所に運ぶことになります。
一度に大量に輸送するためには、船で運ぶ必要があります。ただ、川崎の桟橋やタンクに損傷がなく、正常に機能していないと製品を受け入れられない。東京湾は大津波警報が発令されたままで、退避勧告も出ていました。
でも、退避していたらタンクなどの安全確認もできない。そこで、海上保安庁横浜海上保安部に行って「とにかく設備の状況を見に行きたい。退避勧告を解除してほしい」と直談判しました。
退避勧告の解除は実現しませんでしたが、安全対策を説明して訴えたところ、3月13日の夕方にゴーサインを出してもらえました。
すぐに堺、和歌山工場で増産を始め、川崎工場にガソリンや軽油、灯油を運び込み、被災地に届けられるようになりました。
<意思決定迅速に>
震災の数か月後、エクソンモービルが日本事業を縮小することになりました。人口減や低燃費車の普及で、日本の石油需要は減る一方だったということもあったでしょう。
それまではグローバル企業の一部という安心感がありましたが、その大きな傘がなくなります。自分は川崎工場長でしたが、日本人で唯一の代表取締役だったので、これからどうするか、決断しなくてはなりません。
誰かに買われてその下で事業を続けるか。自分たちで引き継ぐか。その場合、特約店や従業員が経営に不安を感じて離れていかないだろうか。悩み続け、責任の重さに押しつぶされそうになり、孤独も感じました。
最後は自問自答し、親会社であるエクソンモービル日本法人の株式のほぼすべてを買い取ることを決めました。親会社とやりとりせずに、自分たちで迅速な意思決定ができるようになり、競争力をより高められると考えたのです。
取得額は約3000億円。経験のない規模の仕事です。金融機関を回り、勝算や目算を丁寧に説明し、資金調達ができることになった時はうれしかった。
それまでは黙っていてもエクソンから指示も情報も来ただけに、思考や行動パターンを変えなくてはいけなくなりました。
昨年は石油化学の日本ユニカー、今年は石油元売りの三井石油を買収しました。違う組織が一緒になって、「1+1」を「5」にも「10」にもすることが大原則。一人ひとりの働く意欲を向上させ、付加価値を提供できる人を多く生み出せる組織に育てたいと思います。(聞き手 山岸肇)
◇《メモ》 1982年横浜国大工卒、ゼネラル石油(現東燃ゼネラル石油)入社。和歌山工場長、川崎工場長などを経て2012年6月から社長。国際石油資本(メジャー)の一つ、米エクソンモービルの日本法人が東燃ゼネラル石油に50.5%出資していたが、同年、東燃ゼネラルはエクソンモービル日本法人の株式99%を取得。エクソンモービルの日本事業を引き継いだ。「エッソ」「モービル」「ゼネラル」を全国で展開する。