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政治そのほか速

政治そのほか速

大震災 石油確保に奔走

2015-02-09 13:44:04 | キャリア・教育
大震災 石油確保に奔走 

武藤潤 54 東燃ゼネラル石油社長

 

 <当局に直談判>

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  •   外資系の自由闊達(かったつ)な社風に魅力を感じ、ゼネラル石油に就職しました。米エクソンモービルの前身の石油会社の関連会社です。

      東日本大震災が発生したのは、川崎工場長の時です。

      東日本の製油所がすべて稼働しなくなりました。被災地をはじめ東日本の人々に石油製品を届けるには、西日本から運び込まなくてはならない。当社の場合、堺工場や和歌山工場から川崎工場に輸送し、さらに東北の油槽所に運ぶことになります。

      一度に大量に輸送するためには、船で運ぶ必要があります。ただ、川崎の桟橋やタンクに損傷がなく、正常に機能していないと製品を受け入れられない。東京湾は大津波警報が発令されたままで、退避勧告も出ていました。

      でも、退避していたらタンクなどの安全確認もできない。そこで、海上保安庁横浜海上保安部に行って「とにかく設備の状況を見に行きたい。退避勧告を解除してほしい」と直談判しました。

      退避勧告の解除は実現しませんでしたが、安全対策を説明して訴えたところ、3月13日の夕方にゴーサインを出してもらえました。

      すぐに堺、和歌山工場で増産を始め、川崎工場にガソリンや軽油、灯油を運び込み、被災地に届けられるようになりました。

     <意思決定迅速に>

      震災の数か月後、エクソンモービルが日本事業を縮小することになりました。人口減や低燃費車の普及で、日本の石油需要は減る一方だったということもあったでしょう。

      それまではグローバル企業の一部という安心感がありましたが、その大きな傘がなくなります。自分は川崎工場長でしたが、日本人で唯一の代表取締役だったので、これからどうするか、決断しなくてはなりません。

      誰かに買われてその下で事業を続けるか。自分たちで引き継ぐか。その場合、特約店や従業員が経営に不安を感じて離れていかないだろうか。悩み続け、責任の重さに押しつぶされそうになり、孤独も感じました。

      最後は自問自答し、親会社であるエクソンモービル日本法人の株式のほぼすべてを買い取ることを決めました。親会社とやりとりせずに、自分たちで迅速な意思決定ができるようになり、競争力をより高められると考えたのです。

      取得額は約3000億円。経験のない規模の仕事です。金融機関を回り、勝算や目算を丁寧に説明し、資金調達ができることになった時はうれしかった。

      それまでは黙っていてもエクソンから指示も情報も来ただけに、思考や行動パターンを変えなくてはいけなくなりました。

      昨年は石油化学の日本ユニカー、今年は石油元売りの三井石油を買収しました。違う組織が一緒になって、「1+1」を「5」にも「10」にもすることが大原則。一人ひとりの働く意欲を向上させ、付加価値を提供できる人を多く生み出せる組織に育てたいと思います。(聞き手 山岸肇)

     

      《メモ》 1982年横浜国大工卒、ゼネラル石油(現東燃ゼネラル石油)入社。和歌山工場長、川崎工場長などを経て2012年6月から社長。国際石油資本(メジャー)の一つ、米エクソンモービルの日本法人が東燃ゼネラル石油に50.5%出資していたが、同年、東燃ゼネラルはエクソンモービル日本法人の株式99%を取得。エクソンモービルの日本事業を引き継いだ。「エッソ」「モービル」「ゼネラル」を全国で展開する。


人も会社も住宅も、丈夫で長持ち

2015-02-09 13:44:04 | キャリア・教育
人も会社も住宅も、丈夫で長持ち 
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  •   注文住宅事業を中心に展開する東日本ハウスは今年4月、東証第一部に市場変更し、これを「第3の創業」として、2020年にはグループ売上高1000億円をめざす。

      ビール事業など多角化経営の失敗で倒産の危機に追い込まれてから10年余り。同社を再生に導いた社長の成田和幸さんは、「家づくりはお客様の夢の実現をお手伝いする仕事。お客様にとって何が一番いいかをいつも考えています」と語る。

    お客様本位めざし、社員の人間性重視

     

      当社がめざすのは、丈夫で長持ちする家づくりです。檜(ひのき)を使い、柱を太くした「檜・骨太の家」は孫の代まで受け継がれる「100年住宅」です。檜は日本の気候風土に合った最も住宅に適した木材です。

      盛岡という東北発祥の企業として、東日本大震災を契機に、地震やエネルギーの問題に向き合いました。当社の独自技術を使って地震に強い構造を実現し、太陽光発電システムを価格据え置きで標準搭載しています。「自分の住宅のエネルギーは限りなく自分で創り出す」という考えに立った「エネルギー自給自足の家」です。

      創業の精神として「学歴不問」と「実力主義」を掲げ、「人間性」を最も重視しています。住宅のような一生に一度の買い物は、窓口となる人の人間性に、会社と商品の信用のすべてがかかっているからです。社員には、常に「損か得かではなく、何が正しいか、お客様にとって何が一番いいかで判断するように」と言っています。

      いつでもお客様の声を伺えるようにお客様相談室を24時間体制にしています。お客様からリフォームの相談や新規の注文住宅のご紹介も増え、好循環を生んでいます。

      「お客様にとって何が一番いいか」を貫く信念は、私が注文住宅の営業を担当していた時から持ち続けてきたものです。家づくりはお客様の夢の実現をお手伝いする仕事です。私自身、お客様と一緒に家をつくることが大好きでした。高齢になると台所の火元が危ないと感じてオール電化の先駆けとなるキッチン商品を考案したり、できる限り長く住んでいただこうと、車イスでも通れるよう幅広い廊下を提案したこともあります。

    岩手には本格派のガーデニング公園

     

      私が社長に就任した2002年当時、グループ企業のほとんどが債務超過で、いつ倒産してもおかしくない状況でした。ただ、本業の注文住宅事業は一度も営業利益ベースで赤字になったことはありません。経営不振は本業以外に原因があることがはっきりしており、再建する自信がありました。社員に会社の状況を伝え、賃金カットに協力してもらいました。「社員の皆さんにお金を借りたと思っている。会社を立て直して(借りた分は)全部戻すから」と。

      ファンドの支援を受け、多角化による負の遺産を整理し、社員の給与も戻しました。注文住宅以外の事業も、現在は元気になりました。2020年までのグループの経営目標に向けて、ホテル事業の成長も見込んでいます。

      今月26日には、岩手県雫石町の「ホテル森の風」に、国内最大級のガーデニング公園「フラワー&ガーデン森の風」がオープンします。日本のトップガーデナーが庭造りの技を競う選手権も開きます。

      会社が倒産危機の時は私のような「やんちゃくれ」の社長がよかったのでしょう。今後、住宅市場を取り巻く環境は厳しさも予想されますが、次代に向けて社員みんながワクワクドキドキするようなグループのビジョンを語ることのできる人を育てます。(談)

    なりた・かずゆき 1953年北海道函館市生まれ。76年、北海道産業短期大学(現・道都大学)建築学科卒業。同年、東日本ハウス入社。函館支店長などを経て、93年取締役、2001年常務、2002年から代表取締役社長。同社の住宅営業で、生涯受注実績棟数は532棟と歴代1位を保持している。「プラス思考」がモットー。好きな言葉は「苦楽」。

     東日本ハウス株式会社 1969年創業。資本金38億7337万円。本社所在地は、盛岡市と東京都千代田区。2014年4月、東京証券取引所第一部に市場変更。売上高563億円、経常利益50億円(連結、2013年10月期)。従業員数1670人(2014年5月31日現在)。住宅事業のほか、ホテル事業、「銀河高原ビール」を展開。ガーデニング公園「フラワー&ガーデン森の風」(岩手県雫石町)は、ランドスケープアーティスト・石原和幸氏とのコラボレーションによるもので、「日本で一番紅葉の美しい庭を造り、東北地方の観光の目玉に」(石原氏)という。


女性登用の数値目標、一律でなく罰則なし…新法

2015-02-09 13:44:04 | キャリア・教育
 

  政府は17日午前の閣議で、女性の積極登用を促す女性活躍推進法案を決定した。

  従業員300人超の企業に対し、管理職に占める女性比率など数値目標の作成を義務づけることが柱だ。政府は、看板政策の「女性の活躍」を後押しする重要法案と位置づけており、今国会での成立を目指す。

  法案では、300人超の大企業や国、地方自治体に対し、職場での女性の処遇実態を分析した上で、改善に向けた数値目標を含む「事業主行動計画」を取りまとめるよう求め、公表も義務づけた。2016年度からの実施を予定する。

  数値目標は、採用者や管理職に占める女性比率、勤続年数の男女差、労働時間の状況などを勘案し、事業者が自主的に定める。国は必要に応じて助言や指導、勧告ができ、優良企業を認定する制度も設ける。

  一方で、それぞれの企業で女性社員が置かれた状況や課題が異なるため、経営者側に配慮し、一律の数値目標は設けず、従わない場合の罰則規定もない。300人以下の企業は「努力義務」にとどめた。


2児の母、安全思い弁当店を起業…宮城県・気仙沼

2015-02-09 13:44:04 | キャリア・教育
2児の母、安全思い弁当店を起業…宮城県・気仙沼 
  • <noscript></noscript>「子供らに安全なものを」と故郷・気仙沼で弁当店を始めた佐藤さん
  •   福島第一原発事故後、故郷の宮城県気仙沼市で耕作放棄地を借りて就農した佐藤春佳さん(27)が3月から、弁当店を開いた。

      2児の母である佐藤さんは、子供たちに安全なものを食べさせたいという思いから2012年9月、農業を始めた。それから約1年半、今度は「おいしくて体にいいものを多くの人に届けたい」と起業した。放射能測定器で安全を確認した食材のみを使っている。

      気仙沼港から車で20分の内陸にある弁当店「ボアラズ」。佐藤さんは毎日50食ほどの日替わり弁当を作り、近隣の住宅へ宅配している。弁当作りの傍ら、近くにあるハウスでトマトやハーブの苗の草むしりをしていた。手を真っ黒にしながら、「土って触るとすごく温かいんです。自然を全身で感じることができ、ストレスも吹っ飛びます」と話す。

      佐藤さんはシングルマザーで、1人目の子供がおなかの中にいる時に故郷へ帰り、東日本大震災に遭った。実家は1階が浸水したが、それ以上に原発事故による放射能に不安を感じた。スーパーやコンビニに行っても2人の息子に何を食べさせて良いのかわからない。

      それなら自分で生産や検査をすべて行うのが一番だと思い立ち、農家である祖父母に指導を願い、農業を始めた。

      虫が苦手だったが、4歳と2歳の息子2人が収穫したトマトを喜んで食べるのを見て考えが変わった。「食べてくれる人がいると汚れも疲れも気にならない。むしろ幸せ。育児と一緒ですね」。今は、祖父母と一緒に80アールの水田で米作りをするほか、耕作放棄地だった畑30アールを借り、レタスやキュウリも育てている。

      実は、佐藤さんは中学卒業後、東京の高校に進学し、映画女優を目指して都内の芸能事務所に所属していたことがある。一時、芸能活動を休業して故郷に戻ったが、農業の魅力を知ったことで、芸能活動を再開する予定はないという。

      ボアラズとは、「飛んでいる光」という意味のポルトガル語。安心で安全な食材を使った弁当で、気仙沼の人たちに希望の光を届けたいという願いが込められている。


大学生が卒業記念ミュージカル

2015-02-09 13:44:04 | キャリア・教育
大学生が卒業記念ミュージカル 
  • <noscript></noscript>本番の舞台で仕上げの稽古をする学生ら
  •   皇學館大教育学部の4年生有志約100人が今月下旬、地元の三重県伊勢市と津市の2会場で、卒業記念ミュージカル「シンドバッドの大冒険~こころのコンパスを信じて~」を上演する。

      約1年前から準備し、いよいよ本番。稽古にも熱が入る学生たちは、「教育学部で学んだ4年間の集大成として、子どもたちに楽しくメッセージを伝えたい」と意気込んでいる。

      「左右だけでなく前後にも動いて、大きな演技を」。今月4日、津市一身田上津部田の県総合文化センターでは、学生らの稽古が仕上げに入り、照明にも考慮した立ち位置なども確認した。

      記念公演は26回目で、同学部の名物行事。もともとは授業の一環だったが、今では学生が主体となって毎春、実行委員会を設け、脚本、演出から衣装、舞台道具、音楽などすべてを手作りして取り組んでいる。

      今年度は、物語「シンドバッドの大冒険」を土台に、王宮から出たことがないエミール王子がシンドバッドの船に乗り、コンパスと幸せの妖精と一緒に島々を冒険していく中で、仲間への思いやりや、信頼の大切さを学ぶオリジナルエピソードを加えた。

      実行委員長の山田翔平さん(22)は「学部の伝統を受け継ぎつつも先輩の作品に負けないように、みんな団結して準備を進めてきた」と振り返る。今回はダンスや音楽にも趣向を凝らしたといい、副委員長の中島美波さん(21)は「子どもから大人まで楽しんでもらえるミュージカルにしたい」と話している。

      伊勢公演は21、22日の午後1時半から伊勢市神田久志本町の皇學館大記念講堂。津公演は28日午後2時から津市の県総合文化センター大ホール。入場無料、予約不要。問い合わせは同大教育学部教育学科研究室(0596・22・6458)。