この世日記 更年期女子の生き方思案

“中年女子”から“更年期女子”に昇格〜♪(笑) ・・・し、しかし・・・更年期で「女子」って・・・
・・♪~( ̄ε ̄;)

憂鬱な気持ち(深刻じゃないよ)

2015-02-16 01:04:46 | 日記

死にたくなる気持ち

というより 生きているのが憂鬱


何年も前 これに取りつかれて 気が変になりそうだったけど(というか変だったから憂鬱になったのか?)

そんなのから すっかり解き放たれて


じゃあ いつも 生きているのが嬉しくてはしゃいで イキイキと生きているのかといえば

そうでもない

日々変わるし 刻々と変わる時もある

 

大まかに言えば

生きるとか死ぬとか まぁどっちでも・・・
流れのままでいいんじゃない?
生きてりゃ生きるし
死ぬ時は死ぬし・・・

って感じだろうか

 

 

 

今日は 児童福祉に関する講義を1日(6時間)受けてきた

臨床的な事例検討・・・・困っている子どもたちに寄り添い 子どもたちの立場で 子どもたちの言葉で考え 見立て(診断)をし 手立て(治療)の実践に繋げていく

家庭福祉論の基礎
社会環境の実情、変化を鑑みた 子どもたちへの援助、家庭支援のあり方

 

など 講義の内容は それほど難しくないもので(実践は簡単ではないが)

講義後のテストも 簡単だった

講義は 楽しく聴けた

基礎を学ぶのは好きだ

 

 

なのに

講義中に ふとしたことをきっかけとして 心が チクッとして

帰り道 だんだん その チクッ が痛くなってきて


今は 気分が よろしくない

「生きるのが憂鬱」 が見え隠れしている 

 

 

やっぱり わたしって 

心の奥底に 生きるのって面倒 ってのが潜んでいるんだなー と思った

生きているのが憂鬱から “すっかり解き放たれて” たわけじゃないんかーと思った

 

 

障がいがある子たちって 

社会に合わせることを求められる時 その子の特質が障がいになっちゃうけど

例えば・・・・学校で学ぶとか この知識は身につけなければならないとか
こういう時は座ってないといけない とか  お友達と仲よくできるようにとか 順番守るとか

あ、 もちろん どんな特質(障がい)かによるけど

それらを求められなければ それができづらいという“障がい”はなくなるんだよね
(社会に合わせるように求めることを批判しているんじゃないよ)


今の社会に合わせる時に障がいになりやすい特徴があるよ ってことだよな と・・・

 

 

私も そうなんだー

社会や 一般的大多数の価値観や 道徳的善悪や常識や・・・・・

そーいうのに合わせなきゃーと思ったり

そーいうのから私が外れてるって指摘されたりすると

もう 生きているのが面倒になるみたい


今の社会に合わせる時に面倒を感じてしまいやすい気質があるんだな きっと

 

それに

今の社会で 上手く立派に生きていけるようにしてるつもりなのに そーでもないって思い知らされたりすると 

生きているのが面倒通り越して 憂鬱になってくるんじゃないかな

なんて思う

 

 

 

帰宅したら 主人が とても やさしくしてくれた


酔っぱらっていたからかな

髪の毛もちゃんと整えて、化粧もしている私に「今日はかわいい」とご機嫌に話しかけ ハグしてくる


そんなこと 絶っっっ対に言わなかった人なのに

ちょっと前から?みるみるやさしくなってきた(私に対してはね ほかの人に対しては酷かったりする)



夫婦っていいな って思った

憂鬱だった気分も ほぐされてたな・・・・・

 

夫婦ってありがたい

 

先週結婚28周年を迎えた

私は ちゃんと 「主人に合わせなきゃ」も「妻としてちゃんとしなきゃ」「主人に怒られたくない」から解放されたかな?

主人といる時が 一番自然でいられるようになってきた気がする

 

 

あ、・・・・・・ 

 

よかったー


“生きているのが憂鬱”って気分が 今は もう消えてるー

 

長々と まとまりなく書いたけど

最終的には めでたしめでたし おやすみなさーい だねっ

                         v( ̄∇ ̄)