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☆マダムの好きなことやってます生活☆

もうすぐ・・・3・11.

2015年02月11日 15時04分03秒 | Weblog

あと1か月すると3月11日ですね・・・

毎日元気で恐ろしいほど前向きに生きているこんな私でも、

毎年泣きたくなるね・・・。

画像が震災直後の我が家の部屋の様子。

収納扉が全開に開いて中に入っていたものが飛び出してきた。

プラスチック製のタンスがひっくり返ってます

これ1枚しかないけど、キッチンのほうは食器棚が倒れたりして

割れたガラスが散乱していてとても入れるような状態ではなかったです。

ひどいユレに「これは尋常じゃないコトが起きてる!妹は大丈夫だろうか?」と、とっさに噂されている宮城県沖地震であると判断した。

ビルの中でどうしているだろう?

何かの下敷きになっていないか?

ガラスでケガしていないか?

火災に巻き込まれてないか?

とにかく仙台の妹のことが気がかりで仕方がなかった・・・

不思議と実家の父さんのことはちっとも心配じゃなかった

ゼッタイ、生きてるって思ったから・・・

あの人は死なない

こんなひどい震災の中、近くにいた主人が一番先に守りたかったものは・・・

リビングのテレビだった。

揺れが収まってみると・・・

わたしは大きいおなかで(妊娠6か月)2歳の長男に覆いかぶさり落下物から守ろうとしていた。

そんな私の上には落下してきた洗濯物やら物干しのアルミやらが・・・

主人はテレビが倒れないようにしっかりテレビを守っていた。

そして、こんな状態なのに妊婦のわたしと2歳の息子をそのままおいて会社に出勤しようとした。

会社が心配というよりは、だれよりも早く会社に行くことで自分の評価を上げたいのだ

所詮、妻といっても他人・・・と痛切に実感させられた。

それから2週間くらいライフラインが復旧するまで主人の実家にお世話になった。

長男がひっこちゃんの皇潤を見ている写真。

無邪気な長男に救われたが、ここでも家族を考えさせられた。

テレビでは常に「きずな」という言葉が飛び交った。

家族ってなんだろう?

家族の絆って・・・?

家族になるってどういうことなんだろう?

主人のところへ嫁いで、わたしは主人と家庭を持ち、そして家族となった。

けれど、やっぱり一番に気にかかるのは血をわけ、一緒に育った妹だった。

消息がわからいときはもちろんだが、生きていると確認できたあとでさへ

食べ物も満足に食べれずに毎日歩いて義父母を探し避難所を歩きまわる妹が案じられ・・・毎日泣いていた。

主人も、主人の家族も、もちろんとてもいい人です。

でも、わたしの妹への関心はまったくなかった。

当たり前だけど、彼らにしたら他人だからね・・・。

「ねーちゃん、なんにもない。とりあえず喪服必要になった。そっちで買ってけねが」

妹の義父がご遺体でみつかり、父さんが喪服をもっていくことになった。

ガソリンを近所の人からわけてもらっていくから、1回しか行けないし、下手すると帰りの分ガソリンないかも・・・

ただでさへ食糧ないのに父さんも行ったっきりになったら大変だ!

1回しか行けないなら用意できるだけ食糧集めて持たせてやろう!!

大きいおなかを抱えて、2歳の長男を連れてタカトヨに買い物にいった。

タカトヨの人・・・すっごいやさしかった~

おひとり様1個限りの納豆をわたしが1つ買おうとしたら、

「1つでいいの?おなかの子供の分と隣の僕の分ももってって」

と納豆を3つ売ってくれた

それに対して、並んでいた周りの人たちもだれも文句いわなくて・・・

ひさしぶりに人の気持ちに触れたような気がして、タカトヨなのに涙が止まらなかった

ちなみに、主人の実家では毎日買い物に行っていたので卵も納豆も、入手困難とされていた食パンも腐るほどあった。

「たまご悪くなるからゆで卵にしてしまえ!」と義父が言ったほど

「食パン悪くなるから冷凍庫に入れなくちゃ」と義母が言っていたほど・・・

たくさん食糧集めるのは、怖いからだと思う。

防衛本能からだと思う。

そんなにたくさん食糧がありながら「仙台の妹のところへ持って行け」というありがたい言葉は聞かれなかった。

それが意地悪ではなく、ふつうのこと、当たり前のことだと理解できたけど・・・

誰に助けを求めたらいいのか、だれに頼ればいいのか・・・

結局、実家の父さんや実家の近所の人たちが助けてくれた

泣いているわたしに主人は無関心だった。

それも追い打ちをかけて悲しかった・・・。

きづなって・・・やっぱりそんなに簡単にはできないよね

震災でいろんなことを一気に考えたり経験したりした。

震災で結ばれた人も話題になったが、

震災後の離婚の多いことも話題にあがった。

なんかわかる気がした。

わたしももう少し若くて子供が出来ていなかったらそうしていたかもしれない。

結婚して3年4年ではやはり血のつながりを超えるほどの絆を築くにはまだ早いのかも・・・

主人とは、ふんばって今年で10年目の家族になります。

ひとえに、ひとえに!!わたくしの努力のたまものと思っております

震災の頃よりは、絆が見えてきたように思います。

主人の家族もわたしの家族になりました!

今、一番大切なのは息子たち!そして二番目は義母です!

主人がいなくなっても、お義母さんにいなくなられては困ります

3月11日

いろいろな思いがあると思いますが、わたしにできることをしたいと思います。

ちはる先生のブログ・・・Yoga Spece Copain

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