我が家のテラスから眺める水沢公園がピンク色になってきました♪( ^∀^)
最近気になるコトの1つに水沢公園の中にあるお墓があります。
気になることが『1つ』じゃないってことが気になるっていわれそう~f(^_^;)
NHKのファミリーヒストリーと言う番組が大好きで、
これまた影響されないわけはなく…
わたしのルーツを探り、大本家が松平家であるということまでは分かりました。
わたしの身近な先祖ポンコツ父さんだけが、ご先祖のすべてではないとわかってはいるのですが、
なんとか素敵な先祖の経歴が出てこないかと自分のために探るのでありますf(^_^;)
そんな中、水沢公園の中にあるお墓が松平家にゆかりがあるとわかりました。
こんもりした小さな小山。
笹の葉が生い茂り、このコンモリの中にお墓があるなどと、一見わかりません。
説明を呼んでビックリ!
伊達家こ輿入れした黒田の姫ぎみのお墓でした。( ̄▽ ̄;)
大河 黒田官兵衛にドハマリしていたわたしにとっては、とても衝撃的!
なんで黒田の姫のお墓がこんな雪国まで北上してきたの?
江戸時代に我が当主 伊達家の下の家臣水沢城主の大名留守伊達宗景と江戸屋敷で恋に落ちた姫様が身分の差を乗り越えて我が半に輿入れなさったらしいです。
黒田家は大、大、大名でしたので、わざと松平家の養女となり身分を下げて輿入れなさったらしいです。
好きな人のために自ら身分を下げるとは…
自由恋愛が許されない当時、
そこまでして気持ちを貫いて好きな人と結婚するなんて、すごいことですよね!
当時姫様17才だそうです。
そりゃ~バイタリティあるかぁ~f(^_^;)
しかしながら、そこまでして結ばれた二人の夫婦生活はながくありませんでした。
宗景26歳で病死。
その翌年姫様も24歳でなくなっています。
その間に、世に言う『伊達家御家騒動』などがあったり、きっとふたりでゆっくりと幸せを噛みしめる時間は少なかったのではないかと想像します。
亡くなったあと、お墓が輿入れ先であるここ水沢に葬られましたが
おそらく、ほとんどを
江戸屋敷で過ごされていたのではないかと思われ、この地にはあまり馴染みがなかったのではないかと察します。
『せめて江戸への道の見える丘に葬ってほしい』と後遺言なされたらしいです。
その江戸への道が見える丘が当時あったのが、今は水沢公園のあの場所であったとのこと…
誰ひとり身内が近くにないけれど、嫁にきたのだから仕方がなかったのでしょうが…
というか…
宗景と結婚するために、松平家の養女となったわけだから、実家も松平家になるってことなんだな~
わたしも一応長男の嫁。f(^_^;)
母さんや父さん、お爺さん、妹、一緒のお墓じゃないんだな~f(^_^;)
改めて嫁に来るってことを実感。f(^_^;)
この笹の葉の群がる鬱蒼とした丘が今すごく気になります。
笹の葉や雑草をきれいにして、お墓までの小道を整備してあげたいな~
あれじゃー江戸への道どころか、1m先だって見えませんよっ!
この地へ嫁いでくださったことへ感謝してお墓をきれいにして、お線香ををあげて御花を差し上げたいです。
でも、今線香あげたら、きっとあの笹の葉に燃え移って…
ぎゃーっ!( ; ゜Д゜)火事ぃー!
ってことになる。f(^_^;)
勝手に整備したらいけないのかな?
市役所にきけばいいのかな?
誰か管理してる人いるのに、勝手にそんなことできないしねf(^_^;)
だって、人んちの墓勝手に掃除して直したら、そこんちの人ビックリじゃんね!f(^_^;)
わたしだって母さんの墓知らないうちに変わってたら、キレイに整備されてたら
いくら善意による行為だとはいえ、
キモッ( ; ゜Д゜)!!
ってなるじゃんね~f(^_^;)
週明けにでも市役所に聞いてみよう!(*´∀`)♪
an Asian HIROMI