待機の日々

画像付き日記のようなもの

Nikon NewFM2

2008-08-20 21:48:03 | カメラ、写真
一眼レフ35mmカメラ、これを一番愛用した、いろんな山に同行
電磁シャッターカメラ、冬山では使い物にならず、以後こればっかり、モルトとミラーショック吸収材も自分で交換、でも、もう長いこと出番は全く無し、これからも無いだろう~


4年・・・・

2008-08-20 06:57:31 | 生活
解雇から4年、
長いこと勤めた職場、楽しいことも、充実感もそれなりにあったのだが・・・・
最後の半年は・・・・・その夢を未だに見る、1、2ヶ月に1度やってくる
そんなことで、悪い印象だけの職場となってしまった・・・未消化なんだろうね~

立秋も過ぎ

2008-08-18 22:38:39 | 周りの風景
ここ3日ばかり雨の日が・・・・カンカン照りが続いたこれまでとは、様子が違う、昨夜は寒く布団を引っ張り出した
3人で近くを散歩・・・・秋を感じるね~





人の下半身に見える





蝉の季節も、もう・・・・・・・ごくろうさん


シティヒート

2008-08-17 22:32:43 | 最近見た、動画
堅物刑事と私立探偵がギャングに立ち向かう! 1930年代アメリカを舞台に、クリント・イーストウッドとバート・レイノルズ(『ロンゲスト・ヤード』)が犬猿のコンビを演じ、いがみ合いながらも街を牛耳るギャングに立ち向かう痛快アクション・コメディです。ふたりの愉快な掛け合いも見どころ。共演には、リチャード・ラウンドトゥリー(『黒いジャガー』)。
1933年、カンザス・シティでは禁酒法の裏でギャングたちの勢力が増していた。スピア警部(クリント・イーストウッド)は、自由奔放に生きる探偵マイクとは犬猿の仲だった。だが、マイクの相棒デールが秘密の帳簿をネタにギャングの2大勢力コールとピットから大金をせしめようとしたために、殺されてしまう。そのとばっちりで、スピアとマイクも事件に巻き込まれて…。

監督:リチャード・ベンジャミン/製作:フリッツ・メインズ/原作・脚本:サム・O・ブラウン/脚本:ジョセフ・C・スティンソン/音楽:レニー・ニーハウス
出演:クリント・イーストウッド、バート・レイノルズ、ジェーン・アレクサンダー、アイリーン・キャラ、マデリーン・カーン、リチャード・ラウンドトゥリー 他
1984/アメリカ 1時間37分


ツバメ

2008-08-17 17:14:38 | 周りの風景
とあるお宅にて
もう親ほどデカイのが5匹、巣立ちもうすぐであろう、手を伸ばせばとどく距離
我が家の納屋にも毎年時期になると、ツバメが巣作りの偵察にやってくるが、飼い猫が3匹もウロウロしてるのを見て、断念するようだ


キングス&クイーン

2008-08-16 22:08:51 | 最近見た、動画
深い孤独と悲劇に立ち向かう強さを持った女性の生き様を通して描かれる大人の恋愛模様。フランスのアカデミー賞とも言われるセザール賞に7部門ノミネートされた、アルノー・デプレシャン監督(『 そして僕は恋をする』)作品です。時は母、娘として、そして女として凛とした表情をみせ、主人公を魅力的に演じたのは、エマニュエル・ドゥヴォス(『リード・マイ・リップス』)

実業家との3度目の結婚を控える、パリで画廊を営む35歳ノラ(エマニュエル・ドゥヴォス)。結婚を前にノラは、最初の夫ピエールとの間に生まれた息子エリアスを預けている父親の元に向かった。だが、父親がガンで余命わずかなことを知りショックを受ける。一方、ノラの2番目の夫イスマエルは何者かの陰謀により精神病院に入院させられて…。

監督・脚本:アルノー・デプレシャン/脚本:ロジェ・ボーボ/音楽:グレゴワール・エッツェル
出演:エマニュエル・ドゥヴォス、マチュー・アマルリック、カトリーヌ・ドヌーヴ、モーリス・ガレル、ナタリー・ブトゥフ、ジャン=ポール・ルシヨン 他
2004年 / フランス 2時間26分


義父、義息?

2008-08-16 21:02:52 | 家族
娘夫婦が、お盆挨拶に来てくれた
娘、孫娘は常々来ているし、まあ~普通の感覚で過す?
今日は夫婦と孫娘、いつもとはチョット様子が違う、少しばかり一緒にビールなんぞも飲んだが・・・
彼も私を、私も彼を扱いあぐねるのだろうね~かつて、私と義父の関係の如く・・・・
変な、微妙な、訳の解らん間柄だよね~でも来てくれるだけ、ありがたいよね~

その後
私の娘、孫ではあっても、やはり別の家庭の人間なのだよな~との現実を感じる、それで爺さん、プチ鬱症状?かな?


父の復員

2008-08-15 13:40:02 | 語り継がれない、歴史
終戦は、今のインドネシアであったそうだ
その後、イギリス軍の管理下に・・・そしてシンガポール沖のレンバン島収容所へ
レンバン島収容所・・・・椰子の木で作ったという杖を持ち帰った、長さ約100cm イニシャルのZ.Yとレンバン島と、小刀彫り
復員船で舞鶴上陸、すでにアメリカ兵などおり、ステッキで頭をコツンされたそうだ、列車で山形へ 山形駅では 「ご苦労様」 と、おにぎりをいただいたとか、家へは道ではなく田んぼのあぜ道を戻った・・・ 「軽巡洋艦水兵のオヤジ、恥ずかしいという気持ちがあったと、話したことがあった・・・」

私の母親の兄姉
長女は1子を残し20代で、次女19歳未婚、三女19歳未婚、いずれも戦前に結核で死亡、四女山形市内に嫁ぎ、五女、六女、七女は関東圏に嫁ぎ、八女と長男は満州で所帯を持っていた
戦後、満州引揚げの八女家族は北海道に落ち着き、同じく引揚者の長男は満州飛行機で培った技術を生かしたいと、現日本航空に職を得東京へ
そこで10人兄姉末っ子で未婚の九女に、家督を継げと、同じ地区内で身内であるインドネシア引揚のあの人との話が持ち上がった (かの人も10人兄姉末っ子の七男) 引揚げ後、することもなくブラブラしてた
入り婿養子とし・・・・・・オヤジも婿養子との立場で苦労したようだ・・・・
あれから・・・・・・・・・・・・・・・・