待機の日々

画像付き日記のようなもの

父の復員

2008-08-15 13:40:02 | 語り継がれない、歴史
終戦は、今のインドネシアであったそうだ
その後、イギリス軍の管理下に・・・そしてシンガポール沖のレンバン島収容所へ
レンバン島収容所・・・・椰子の木で作ったという杖を持ち帰った、長さ約100cm イニシャルのZ.Yとレンバン島と、小刀彫り
復員船で舞鶴上陸、すでにアメリカ兵などおり、ステッキで頭をコツンされたそうだ、列車で山形へ 山形駅では 「ご苦労様」 と、おにぎりをいただいたとか、家へは道ではなく田んぼのあぜ道を戻った・・・ 「軽巡洋艦水兵のオヤジ、恥ずかしいという気持ちがあったと、話したことがあった・・・」

私の母親の兄姉
長女は1子を残し20代で、次女19歳未婚、三女19歳未婚、いずれも戦前に結核で死亡、四女山形市内に嫁ぎ、五女、六女、七女は関東圏に嫁ぎ、八女と長男は満州で所帯を持っていた
戦後、満州引揚げの八女家族は北海道に落ち着き、同じく引揚者の長男は満州飛行機で培った技術を生かしたいと、現日本航空に職を得東京へ
そこで10人兄姉末っ子で未婚の九女に、家督を継げと、同じ地区内で身内であるインドネシア引揚のあの人との話が持ち上がった (かの人も10人兄姉末っ子の七男) 引揚げ後、することもなくブラブラしてた
入り婿養子とし・・・・・・オヤジも婿養子との立場で苦労したようだ・・・・
あれから・・・・・・・・・・・・・・・・