現在入院している病院で母との時間を大切にしています。
今年の5月から生死をさまよう状況から、今、少し安定しています。
記憶はすっかり20年前以上
今の母の世界には、すでに他界している父も、一番上の兄も生きているようです。
成人した孫たちは、まだ小学生でもある。
私のことは、誰と思っているのか?話をしていても支離滅裂になっています。
お袋、俺は誰だ?わかるというと?思考停止・・・・
そして、違う話になる
美味しいものが食べたいとよく言います。
美味しいお寿司が食べたい。
美味しいパンが欲しい
果物が食べたい
買ってきてくれと
手と口を使って食べるそのしぐさは、元気な母そのものです。
寒いから、セーターを持ってきて
下着を持ってきて
靴下も
など、いいます。
わがままでうるさい母、ああしろ、こうしろと
それも母らしい
さあ、帰ろう。
あんたはどこに行っていたのか
あ~~あんたが元気で良かった
等など
優しく思いやる温かい母も健在の様です
ご飯は、おかゆとペースト状の食材
自分で食べるんです。
それが、とても上手にきれいに食べるのです。
こういう状況になっても、流石、母です。
その姿を見るのが、今の私にとっては一番好きな母の姿である。
美味しいか?と尋ねると
美味しくないと・・・・そして、完食して
ヨーグルトは一番好きと言いながら食べるのです
あ~~おいしいと・・・それが母らしい
そんなことを繰り返してから、じゃ帰ると言って
病院を後にする私です。
いつまで、この時間が続くだろうと・・・できる限り
母との時間を大切にしたいと思います。
もう母とは、話ができないと思って諦めていましたが
20年以上の話を聞きながら、まだ、ヤクルトに努めている私、
女房も学校に勤めている
康平も康成も小学校に通っている話を聞きながら
お袋、俺もヤクルトは辞めているよ
女房はクラブの仕事をやっているよ
康平、康成は家を出て、立派な大人だよと説明すると
あ・・・とふん~~~と、そして、思考停止、考えて
また、違う話になる
そんな母との話ができることに心地よさも感じています。
93歳になった母をもう少し見守りながら、大切な時間を過ごしたいと思います。
そんな、今の母の状況です。
今年の5月から生死をさまよう状況から、今、少し安定しています。
記憶はすっかり20年前以上
今の母の世界には、すでに他界している父も、一番上の兄も生きているようです。
成人した孫たちは、まだ小学生でもある。
私のことは、誰と思っているのか?話をしていても支離滅裂になっています。
お袋、俺は誰だ?わかるというと?思考停止・・・・
そして、違う話になる
美味しいものが食べたいとよく言います。
美味しいお寿司が食べたい。
美味しいパンが欲しい
果物が食べたい
買ってきてくれと
手と口を使って食べるそのしぐさは、元気な母そのものです。
寒いから、セーターを持ってきて
下着を持ってきて
靴下も
など、いいます。
わがままでうるさい母、ああしろ、こうしろと
それも母らしい
さあ、帰ろう。
あんたはどこに行っていたのか
あ~~あんたが元気で良かった
等など
優しく思いやる温かい母も健在の様です
ご飯は、おかゆとペースト状の食材
自分で食べるんです。
それが、とても上手にきれいに食べるのです。
こういう状況になっても、流石、母です。
その姿を見るのが、今の私にとっては一番好きな母の姿である。
美味しいか?と尋ねると
美味しくないと・・・・そして、完食して
ヨーグルトは一番好きと言いながら食べるのです
あ~~おいしいと・・・それが母らしい
そんなことを繰り返してから、じゃ帰ると言って
病院を後にする私です。
いつまで、この時間が続くだろうと・・・できる限り
母との時間を大切にしたいと思います。
もう母とは、話ができないと思って諦めていましたが
20年以上の話を聞きながら、まだ、ヤクルトに努めている私、
女房も学校に勤めている
康平も康成も小学校に通っている話を聞きながら
お袋、俺もヤクルトは辞めているよ
女房はクラブの仕事をやっているよ
康平、康成は家を出て、立派な大人だよと説明すると
あ・・・とふん~~~と、そして、思考停止、考えて
また、違う話になる
そんな母との話ができることに心地よさも感じています。
93歳になった母をもう少し見守りながら、大切な時間を過ごしたいと思います。
そんな、今の母の状況です。