阿見AC日記

阿見アスリートクラブで起こった出来事、試合速報、お知らせ、などなど

マラソン日本全盛期 その時の理論が支えてきたが、パート2

2011年11月23日 | 楠康夫 理事長
 長距離は、距離を走れば速くなる。この理論は、どこから来たのか?

 私が思うに、1960年のローマ 1964年の東京 オリンピックで2連覇した、アベベ・ビキラ(エチオピア)が、当時ぶっちぎりのマラソンでの優勝を遂げました。その時に、1日50km走っているから、マラソンを走る事などそれほど厳しくない、むしろ、練習の方がきつい。そんな感じのコメントをしていたとのこと・・・  後で、聞いたことがあります。

 この時、高地トレーニング、クロスカントリー、とにかく地の利にあった、環境に合わせた、生活にとけ込んだアフリカ独特のトレーニングが、身体能力を高めていったのでしょう。

 それを、いろんな国の皆さんが研究をして、今に至っているのでしょう。

 もちろん、アーサー・リデイアート(豪州ニュージーランドの選手を育てた偉大な指導者)の理論のトレーニングなどがあり。

ヨーロッパ、アメリカなどの時代を造ってきた指導者が・・・

 人間蒸気機関車 ザトペックの指導理論など・・・

 だんだん固まっていったのでしょうね。
 
 丁度、私の現役の時代に・・・

 高地トレーニング 長野県車山高原でやりました。秋山ペンションで泊まっての合宿、忘れられません。

 LSD 故佐々木功さん、当時、駒沢の同期の阿部文明が入社した、新日本電気の監督であった彼が、言い続けたトレーニングです。4時間~5時間ゆっくり走る。高尾山、陣馬山マラニックなど、その指導の申し子でした。

 クロスカントリー、ロングジョッグ・・・

 365日走る、休養もjogで疲れを取る。朝練、本練 1日2回の練習、それは当たり前の事・・・

 どちらかというと、修行的な要素のある練習になっていったのも、瀬古選手の監督だった、故中村清さんの影響ではないかと思います。

旭化成(広島監督)鐘紡(貞永監督)新日鉄(高橋進監督)しのぎを削っていました。

 私の恩師である、安田大監督は、その佐々木理論、中村理論、広島理論、貞永理論、高橋理論も見据えた上で、安田理論を展開されていました。

 もちろん、厳しい指導でしたが・・・ 死ぬ気でやれたこと、私にはすごく、楽しく、面白い時代でした。

とにかく、あらゆる事を取り入れてくるトレーニングでした。

 そんな、安田監督が、奥山選手(現ヤクルト監督)柴田選手 辻選手を1500mの日本選手権チャンピオンにして行きました。日本の中距離のナショナルコーチを15年以上やられていました。マラソンコーチではなく・・・私には、走って作る理論理屈を徹底的にたたき込んでくれた人が・・・・不思議な気がしました。

 彼ら、3人は、ヤクルトの選手としてニューイヤー駅伝に出場していました。毎年、サポートに行っていましたから、良くわかりました。

 奥山選手は、全日本実業団駅伝でも区間賞を取る、ハーフマラソンまでは走れました。ただ、マラソンまでは叶いませんでしたが・・

 柴田選手、辻選手は、奥山ほどは、行けませんでしたねが、その教えの申し子ですよね。

 ここで、中距離選手を長距離、マラソン選手にしていく、そして世界で戦う、その理論が、脈々とできあがっているのでしょうね。

 それをいつの時代から、どう育てていくのか・・・

 私のはじめた阿見アスリートクラブを一番、理解してくれたのも安田さんであり、応援もしてくれています。(当クラブのアドバイザーにもなってもらっています。)

 そんな安田大監督がヤクルトを定年退職されてから、高校1年になった康成を半年、メニューサポートして頂きました。

 クラブにこられ、短距離系のドリルや基礎トレーニングなどを取り入れる長距離の練習をを見て、ジュニアの時代に大切なことをだと言ってくれました。

 お前には、そんなことを教えていないが、どこで覚えたのかと・・・
 
 このクラブを始めてからですと・・・・

 そうなんですね。走って身体を造るトレーニングの前に何をしておくべきなのか?

 走って造る理論。

 中距離選手を長距離、マラソンに持って行く理論。

 そして、他のスポーツ、短距離系のトレーニング、神経系統のトレーニングを取り入れた理論。

 私の理論は、小中は身体能力を高め神経系を鍛えていく→中高は中距離を速くしていく→大人になって走って身体を作る→長距離選手としてマラソンまで走る。そんな世代間育成を考えています。
 


 

 

 

 

 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。