アスリートをやっていれば、必ず夢を抱くのが、オリンピックに出たい、メダルを取りたいと一度は思うものだと思います。
私も恥ずかしながら、そう思った時代がありました。まあ、前にもブログに書いたことがあったかもしれませんが、中学生の時から思い25歳であきらめました。当時は、誰にもいえなかったですが・・・・・。
もちろん、親にも、他人にも、恥ずかしいからいえませんでした。自分ぐらいの力で、オリンピックなんて、言えませんでした。
私が、オリンピックが近くに見えて、遠かったのは、実業団ヤクルトになってからです。
1980年 モスクワ(日本はボイコット)小生(駒沢大学4年)
1984年 ロサンゼルス 小生(ヤクルト4年目)
1988年 ソウル 小生(引退2年目 ヤクルト営業修行中)
この時代は、日本のマラソン・長距離界にはスーパースターが多くいました。私より年が上では、瀬古さん、宗茂さん、宗猛さん、伊藤国光さん、喜多秀樹さんを中心に世界ナンバーワンを争い、年下には、中山竹通くん、谷口浩美くんなどがいました。
皆さんも、聞いたことのある方も多いかと思いますが、今も、解説や監督などで陸上界を支えている方々です。
名前を書いた人は、時代の代表的な選手でありますが、それに近づこうとしていた選手が、これまた沢山いました。
コニカミノルタの酒井監督、駒沢大学の大八木監督、法政大学の成田道彦監督、城西国際大学の大塚正美監督(当クラブ運営協力)、山梨学院大学の上田監督などなど・・・・。
私の駒沢大学の同級生、阿部文明君(アジア大会銀メダル)や阿見アスリートクラブでトレーナーを10年やってくれている近藤孝志(専修大学コーチ)も強かったな。
書いているうちに、レースや試合で戦い痛い目に合ったことを思い出してきました。やめましょう・・・・。
このような皆さんに、私のひそかな夢は打ち壊されていきました。
でも、ヤクルト2年目に安田大監督の下、素晴らしい練習を人三倍やった時に体が変わったことを感じた時、ひょっとしたら俺、強いかも・・・・・。と少し思えた事は、今も忘れられません。
私のオリンピックの夢は、こんな感じで消えていきました。
オリンピックに出ることの大変さ、難しさ、まして活躍となると、どれだけ間口が狭くなるか、そのためには・・・・・。どうチャレンジし続けるか!・・・・・。
まさか、阿見アスリートクラブを通して育て上げている選手の皆さんが、もう一度、世界にチャレンジしてくれる可能性を持っている事、それを育てているこ事、嬉しく思っています。
センターポールに日の丸が上り、君が代を歌う、そして、しっかり見つめながら、一筋のうれし涙を流す。そんな、オリンピックを夢見ています。
頑張れ、アスレッコ、阿見アスリートクラブアスリートの皆さん、夢に向かって発進
これも、私の中の夢、目標の1つです。
私も恥ずかしながら、そう思った時代がありました。まあ、前にもブログに書いたことがあったかもしれませんが、中学生の時から思い25歳であきらめました。当時は、誰にもいえなかったですが・・・・・。
もちろん、親にも、他人にも、恥ずかしいからいえませんでした。自分ぐらいの力で、オリンピックなんて、言えませんでした。
私が、オリンピックが近くに見えて、遠かったのは、実業団ヤクルトになってからです。
1980年 モスクワ(日本はボイコット)小生(駒沢大学4年)
1984年 ロサンゼルス 小生(ヤクルト4年目)
1988年 ソウル 小生(引退2年目 ヤクルト営業修行中)
この時代は、日本のマラソン・長距離界にはスーパースターが多くいました。私より年が上では、瀬古さん、宗茂さん、宗猛さん、伊藤国光さん、喜多秀樹さんを中心に世界ナンバーワンを争い、年下には、中山竹通くん、谷口浩美くんなどがいました。
皆さんも、聞いたことのある方も多いかと思いますが、今も、解説や監督などで陸上界を支えている方々です。
名前を書いた人は、時代の代表的な選手でありますが、それに近づこうとしていた選手が、これまた沢山いました。
コニカミノルタの酒井監督、駒沢大学の大八木監督、法政大学の成田道彦監督、城西国際大学の大塚正美監督(当クラブ運営協力)、山梨学院大学の上田監督などなど・・・・。
私の駒沢大学の同級生、阿部文明君(アジア大会銀メダル)や阿見アスリートクラブでトレーナーを10年やってくれている近藤孝志(専修大学コーチ)も強かったな。
書いているうちに、レースや試合で戦い痛い目に合ったことを思い出してきました。やめましょう・・・・。
このような皆さんに、私のひそかな夢は打ち壊されていきました。
でも、ヤクルト2年目に安田大監督の下、素晴らしい練習を人三倍やった時に体が変わったことを感じた時、ひょっとしたら俺、強いかも・・・・・。と少し思えた事は、今も忘れられません。
私のオリンピックの夢は、こんな感じで消えていきました。
オリンピックに出ることの大変さ、難しさ、まして活躍となると、どれだけ間口が狭くなるか、そのためには・・・・・。どうチャレンジし続けるか!・・・・・。
まさか、阿見アスリートクラブを通して育て上げている選手の皆さんが、もう一度、世界にチャレンジしてくれる可能性を持っている事、それを育てているこ事、嬉しく思っています。
センターポールに日の丸が上り、君が代を歌う、そして、しっかり見つめながら、一筋のうれし涙を流す。そんな、オリンピックを夢見ています。
頑張れ、アスレッコ、阿見アスリートクラブアスリートの皆さん、夢に向かって発進
これも、私の中の夢、目標の1つです。
藤田敦史が踏ん張りなさい(笑)
歴代マラソンランナーに佐藤信之(中京大中京-中大-旭化成)も名前だけ覚えてください。
トヨタ紡織で監督をされて糟谷悟(駒大)の憧れとなっています。
糟谷もなぁ~
土壌は整って来ているので、駒沢指導陣の努力の成果が、OB,現役でこれから出てくることを期待しています。